ロシア帝国ピョートル1世の皇帝即位からニコライ2世退位まで1721年から1917年までユーラシア大陸に存在した国家。

領土

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20世紀初め、ロシア帝国の領土は世界の陸地の6分の1にも及び、イギリス帝国の領土に匹敵した。 最盛期には旧ソビエト連邦の領土に加え、フィンランドとポーランドの一部を加えた領土を所有していた。

歴史

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先史

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ロシア帝国はw:ロシア・ツァーリ国を基にした国で、ピョートル1世即位以前から領土拡大を続けていた。17世紀半ばまでにはロシアは清朝との国境地点まで達した。

ピョートル1世即位

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1700年、ピョートル1世はスウェーデンと大北方戦争を開始した。これにより、ロシアはフィンランドを獲得。それは第一次世界大戦でのw:ブレスト・リトフスク条約まで手放すことはなかった。また、1703年、彼はサンクトペテルブルクを建設し、1721年にそこに遷都した。

ピョートル1世の死後、皇后エカチェリーナが帝位についたが、2年で死去。続く皇帝はピョートルの孫ピョートル2世だったが、彼もまた3年で病死。しかし、エリザヴェータ女帝が1741年即位すると、スウェーデンとハット党戦争を、中央ヨーロッパでは七年戦争やオーストリア継承戦争に参戦した。

ナポレオン戦争

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1812年、ナポレオンがロシアへ侵攻を開始すると、これを撃退。そして、敗走するナポレオンを追撃し、戦後のウィーン会議での主導権を握り、ワルシャワ公国の大部分を獲得した。しかし、ナポレオンを撃退したアレクサンドル1世が死ぬと、次帝の選定に時間がかかり、その間に自由主義貴族らや士官らが決起(デカブリストの乱)。しかし、これを鎮圧した先帝の弟ニコライ1世はこれらに準ずる運動を弾圧。時を同じくして、オスマン帝国が衰退し始めるや、旧オスマン領にも進出。しかし、その過程でクリミア戦争が発生すると、英仏の介入を招き、敗北。クリミア戦争中に亡くなったニコライ1世に代わって「大改革」を行うアレクサンドル2世が即位。このころ、英仏との対決姿勢をあらわにし、ビスマルク率いるドイツに接近し、三帝同盟を結んだ。

しかし、第11次露土戦争ののちのベルリン会議にて、ロシアは露土戦争での戦利を大量に失い、三帝同盟を解消した。

血の日曜日事件と第一次世界大戦

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ロシア革命

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関連項目

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Wikipedia
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