日本国憲法
編集そもそも憲法とは
編集憲法とは、法律をつくったり改めたりする際の立法の規則を定めた法律です。そのため、通常の法律とくらべて、憲法は上位の法律であるとされています。
日本国憲法の第98条によると、憲法は「国の最高法規」です。
第98条「この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、
詔勅 および国務に関するその他の行為の全部または一部は、その効力を有しない。」
とあります。
つまり、憲法の決まりに反する法律は、つくることができない、つくっても効力をもたない、としています。
日本国憲法の大まかな内容
編集日本国憲法には条文が多くありますが、内容の原則として、つぎの3つの原則があります。
- 国民主権
- 基本的人権の尊重
- 平和主義
三原則
編集国民主権
編集日本国憲法では、主権者は日本国民であると、されています。
基本的人権の尊重
編集どのような人間にも、生まれながら持っている権利である 基本的人権 を日本国憲法では保証し尊重しています。
基本的人権には、以下のようなものがあります。
- 自由権
- 平等権
- 社会権
- 参政権
- 請求権
- 裁判を受ける権利
などです。
自由権
編集人はみんな生まれながらにして自由です。誰も生き方や考え方について他の人からああしろこうしろと命令されることはありませんし、あなたが誰かにそうすることも許されません。
平等権
編集人種、信条、性別、社会的身分などの差によって、差別されないためにある権利です。
たとえば、目が見えない人、耳が聞こえない人など、歩行が困難な人など、身体が不自由で障
なお、法律や役所以外での平等については、憲法は、原則的には、何も定めていません。
さて、人種や民族によっての法律上の不利な取り扱いはありませんが、国籍による取り扱いの違いはあります。たとえば、日本への入国の許可を得ていない外国人が不法に入国すれば、当然、犯罪になり、取り締まりをされます。
また、民族によっての法律上の不利な取り扱いはありませんが、日本国民の多くは黄色人種であり日本民族なので、必然的に日本国内では
日本での学校教育の国語の授業では、当然、日本語での授業が多いです。また、学校の社会科の授業も、日本社会についての授業が中心になり、歴史の授業も、日本の歴史についての授業が中心になります。
国語の授業で、世界中のすべての外国語をおしえるのは、無理です。同様に、社会科で世界中のすべての国の歴史や伝統を教えるのは、無理です。
なので、憲法での人種による平等とは、特定の人種や民族を取り締まるような、不利な取り扱いをしてはいけない、ということだと考えられます。
法律上の機会の平等については、保証されます。しかし、結果の平等については、かならずしも保証されません。たとえば、もしも、あなたが学校の授業の勉強をしなければ、当然、あなたのテストの成績は悪くなります。学校の先生が読者のみなさんの成績を悪くつけても、それは、先生が平等権を無視したことにはなりません(その教員が故意に行っている場合は別です)。
一人ひとりの信条が違えば、当然、行動も異なってくるので、行動の結果、成功する人もいれば失敗する人もいます。
失敗するのは、子供の学校での勉強に限りません。大人でも、仕事で、失敗はします。仕事で何度も失敗をすれば、会社は、その人を、これ以上は、やとえなくなります。
しかし、大人が仕事で失敗したからといって、日本の社会が、失敗した大人に再挑戦のチャンスを与えないのは、良くないことだと考えられています。そこで、失敗しても、最低限の生活はできるようにするべきだと考えられており、お金がなくて貧しい人への、失業保険や、生活保護などの制度があります。
しかし、最近の不況のため、企業だけが資金不足ではなく、日本国の財政も、きびしいので、政府は、あまり失業保険や生活保護などに、多くの予算を出せないという、現実があります。
政治や文部科学省は、外国人のあつかいについて、法律の平等では不十分だと考えており、なので日本人は、在日外国人にたいして、法律以外のことについても、なるべく平等にあつかうように主張している。学校教科書でも、そのように、書いてあり、在日外国人にたいする差別や偏見がある、などと教科書には書かれている。
また、江戸時代までの身分制度にもとづく差別や偏見が、日本社会に残っていると考えられており、日本政府はこのような差別を問題視しています。アイヌの人々への差別も残っていると考えられており、政府は問題視しています。
平和主義
編集日本国憲法の理念では、戦争をしないで、平和主義をまもろうとしています。これは、互いに自分の言い分だけを通そうとして戦争をした末に、日本が再起不能になるほどのありさまの手前まで行った反省により、二度といらない血を流すこと、財産を失うことのないよう、残酷な戦争はしないという決意、誓いから生まれましたなお、憲法では、日本は戦力や武力を持たないとしており、軍隊を持たないとしています。
日本国憲法 第9条(部分)「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」とあります。
しかし、実際には日本国は自衛隊などが戦車などの兵器をもっています。また、そのような兵器をあつかう「自衛隊」という、軍隊のような組織があります。 第二次大戦後の憲法が出来た後に国際情勢が大きく変わり、日本が戦力や武力をもたないでいることが国際政治的に、むずかしくなったのです。ただし、なるべく憲法の平和主義の原則を守ろうという考えで、政治や法律では慎重な武力の運用がなされています。
日本政府は、自衛隊や自衛隊の持つ兵器などが憲法で禁じられた「戦力」ではない、という立場を、とっています。なお、国際的には、日本の自衛隊や兵器は戦力だろうと見なされています。
- ※ 高校の範囲ですので、目を通すくらいはしましょう。
- GNP1%枠
1976年、防衛費はGNP(国民総生産)の1%以内にすること日本政府は決定しました。しかし1986年に、その制限は撤廃されています。
- (※ 中高の範囲外 :)しかし1986年以降から現在まで、GNPからGDP(国内総生産)へという算出基準の変化はありますが、おおむね防衛予算はほとんどの年で、GDPの1%前後かそれ以内に留まっています。
- 日本政府の憲法解釈の変化
戦後の1946年、ときの吉田内閣は、第9条は自衛権は否定していないが、自衛権の発動としての戦争の放棄をするものだ、という見解を出しました
1954年、日本の当時の政権(自民党政権)は、憲法9条は独立権として自衛権を持つ事を認めているとして、自衛隊のような自衛のためそ組織をもつことは違憲ではない(つまり、合憲である)という政府見解を出しました。
1972年、田中角栄(たなかくえい)による田中内閣は、憲法9条が禁じている「戦力」は、自衛隊に必要な最低限の能力を超えるもののことだとしました。
このようにして、憲法の禁じている「戦力」とは、おおむね政府の見解では、自衛のための最小限度を超えるもの、という認識が形成されていきました。
いっぽう、日米安保については、
1981年、ときの鈴木内閣は、他国への武力攻撃に反撃する集団的自衛権は、第9条では許されない、という見解を閣議決定で出しました。
しかし、数十年もあとの政権ですが2014年、ときの安部内閣は、限定的な条件として、わが国(日本)と密接な関係にある他国に対する武力攻撃でわが国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合、日本は集団的自衛権を行使できると政府は閣議決定で見解を出しました。
= 非核三原則 =
編集日本政府は核兵器について、「核兵器をもたない(持たない)、つくらない、もちこませない」という方針をとっており、実際に核兵器を日本は持っていませんな。この「核兵器をもたない、つくらない、もちこませない」の方針のことを、非核三原則と言います。
憲法そのものには、非核三原則は書かれていません。1960年ごろから国会でこれらの原則を打ち出しました。日本と日米安全保障条約を結んでいるアメリカが、核兵器を保有しているので、アメリカの核兵器が持ち込まれていたのではないか、などということが疑われていたので、たびたび「もちこませず」について、議論になります。
憲法の命令の対象
編集憲法は、こまかいことを言うと、国や政府や役所に対する命令であり、日本国民には直接は命令をしていません。 そもそも、もし憲法で、国民に「憲法に従え。」という命令をすると、憲法の改正の議論が出来なくなってしまいます。 ただし、実質的には、憲法にもとづいた法律をとおして、国民にさまざまなことが強制されるので、まるで憲法が国民への命令のような役割を持っています。
大日本帝国憲法では主権者で、日本で最も神聖であり、軍隊を統率した天皇は、日本国憲法では日本国と国民の
政治に関しては、天皇は、実際の政策の決定は行わず、また政策の決定をする権限も天皇は持っていません。天皇は、儀式的な国の仕事である国事行為を行うとされています。また、その国事行為は、内閣の助言と承認にもとづくとされています。
天皇の国事行為は、いくつかあります(※ 日本国憲法では、主に第6条、第7条で、天皇の国事行為について書いてある)。
前文
編集日本国憲法の条文は長いので、すべては紹介できません。この節では、日本国憲法の冒頭に書かれている前文を紹介します。
(以下、前文)
日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、 われらとわれらの子孫のために、 諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、 政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないようにすることを決意し、 ここに主権が国民に存することを宣言し、 この憲法を確定する。 そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、
その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。
これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基づくものである。
われらは、これに反する一切の憲法、法令及び 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従うことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。 日本国民は、国家の |
用語解説
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(以上、前文。)
「日本国民は、正当に」から「この崇高な理想と目的を達成することを誓う。」までが、日本国憲法の前文です。
基本的人権
編集基本的人権は、日本国憲法(第11条)にも定められており、
第11条(部分)「この憲法が国民に保障する基本的人権は、おかすことのできない永久の権利として、現在および将来の国民にあたえられる。」
と書かれています。
なお、何が「基本的人権」であるのか、日本国憲法には、書かれていません。これは「基本的人権」の解釈そのものが各国で異なり、「生まれつき持っていて」「国家などの権力にも犯されない」「基本的な」権利がどこまでかを定義しようがないことに由来します。国は、憲法に書かれている、さまざまな権利を尊重しています。
憲法にある権利は、おおまかに、平等権・自由権・社会権・参政権・裁判を受ける権利、などに分類されています。
さらに自由権には、大まかには、身体の自由・精神の自由・経済の自由に、分かれます。以下のような権利があります。
身体の自由
編集犯罪をして逮捕されるときなどをのぞけば、体を不当に拘束されない、という権利です。法律によらなければ、逮捕はされません。
また、奴隷的な拘束を禁じた義務でもあります。
精神の自由
編集どのような考えを持っていても、少なくとも法律では、その考えを持つだけでは罰しない、というものです。
精神の自由には、思想・良心の自由、表現の自由、信教の自由や、学問の自由 などがあります。
思想・良心の自由
編集どのような政治信条を持っていたり人生観を持っていようが、法律では罰されません。また、何を正義と思おうが、思うだけなら罰されません。ただし、思い行動したことが法律に違反していれば、当然、取り締まりを受けます。
また、国や役所以外が、特定の考えを批判しても、思想の自由を侵害したことになりません。
たとえば、政治の政党は、当然、政党ごとに政治信条がちがってきます。ですが、たとえ政党が別の政党の政治信条を批判したところで、それは憲法違反になりません。
あなたの父母などの保護者が、あなたの考えを批判しても、保護者は憲法違反になりません。
表現の自由
編集どんな考えを発表しても、その主張が
信教の自由
編集キリスト教を信じようが、仏教を信じようが、神道を信じようが、あるいは自分で作った宗教を信じようが、信じているだけなら、法律では罰されません。どんな宗教を信じても、信じるだけなら自由です。ただし、オウム真理教(wp)のように、教団 (宗教団体) が主導して行ったことで死傷者を出すなど法律に違反する行いをすると、主導した教団が捜査の対象になります。
なお、キリスト教の教会が、教会の中で仏教など他教の儀式を禁じようが、それは信教の自由をやぶったことになりません。国や法律以外のことについては、憲法による信教の自由は関与しません。
ただし、ある宗教の信者が、もしも、その宗教をやめたいと思ったら、教団の側は、信者が信仰をやめて宗教から抜ける自由をみとめなければ、なりません。
経済活動の自由
編集職業選択の自由などがあります。近代よりも昔は、人々は身分のしばりがあって、自由に職業を選ぶことが出来ませんでした。職業選択の自由では、そのような職業をえらぶ際のしばりをなくしています。
ただし、どんな仕事も、お金を払う客がいないと成り立たないので、かならずしも、ある職業を目指したからと、その職業になれるとはかぎりません。
たとえばプロのスポーツ選手を目指しても、その職業につける人は少ないでしょう。
職業選択の自由は、その職業になれることまでは、保証しません。職業選択の自由が保証するのは、ある職業を目指しても、法律では、その目標が禁止されることはない、ということです。
居住・移転の自由
編集原則的に、どこの地域にも引越しができて、住所をかえることができます。明治よりも前の、江戸時代では、人々は自由には移り住むことが出来ませんでした。明治時代になって、このような引越しをさまたげる制限は、なくなりました。
財産権
編集自分の財産をもてる権利と、その財産が不当におかされない権利です。むかしは、支配者が勝手に人々の財産を取り上げることがあったので、そういう不当な取り上げが出来ないようにしています。
その他
編集参政権
編集日本国民には、国民の誰もが平等に、政治に参加できるようになる権利があります。
- 18才以上の日本国民ならば、誰でも国会や地方議会の選挙で投票をできる権利(選挙権)があります。
- 25才以上の日本国民ならば誰でも衆議院の議員に立候補できる等の選挙に立候補できるという権利(「被選挙権」)があります。ただし、都道府県知事・参議院議員の被選挙権は30才以上です。
これら、国や地方の選挙の投票の権利と立候補の権利をまとめて、参政権といいます。
また、憲法改正のときの国民投票の権利などもあります。
裁判を受ける権利
編集誰でも裁判を受ける権利があります。かつては権力者によって不当な裁き (処分) を受けることがありました。このように一見当たり前の正当な裁判で裁かれることも長年にわたり様々な人が争った結果得られたものです。
公共の福祉
編集憲法で定められた一人一人の権利は、どうあつかっても良いのではなく、自分以外の他人の権利や人権も尊重する必要があります。
その上で、自分ひとりひとりにも権利があります。おたがいの権利を尊重しあうことが大切です。
たとえば授業中に大声でさわいだりして他の生徒の勉強をじゃますることは、他の生徒の「教育を受ける権利」を侵害しているので、授業中に大声でさわぐ生徒を先生が叱っても、先生の叱る行動は人権侵害にはなりません。
このように、社会全体がよくなるために、お互いの権利を調整していくことを公共の福祉といいます。
国民の義務
編集憲法には権利だけでなく、国民の義務についても書かれています。
納税の義務
編集国民は、税金をおさめなければなりません。
この納税の義務を国や政府の立場から見ると、税務署などは国民に税金をおさめさせる行政をしなければならない、ということにもなります。
教育の義務
編集国民は自分の子供に教育を受けさせなければなりません。また、子供は教育を受ける権利を持ちます。
憲法そのものは、小学校・中学校への通学について義務をさだめていません。どのような方法で教育を受けさせるかは、憲法以外の法律にゆだねています。日本国憲法では、「義務教育は、これを無償とする。」と定められているので、日本では公立の小中学校の授業料は無料になっています。
なお、大日本帝国憲法には教育の義務の規定はありませんでしたが、明治時代から小学校などで義務教育は行われていました。
勤労の義務
編集国民に働く義務があることを憲法が定めています。
憲法には、「すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負う。」というふうに、勤労の義務と権利があることを、さだめています。
ですが、「だったら仕事のない失業者は、取り締まりを受けるか?」と言うと、そういう取り締まりは、おきてはいません。
また、大人が会社づとめをせずに、数年間、自宅で勉強をつづけたりしていても、罰せられたりはしません。
なお、大日本帝国憲法(明治憲法)には、勤労の義務の規定はありません。
日本国憲法について
編集1946年(昭和21年)11月3日に公布(「発布(天皇が公表)」ではなく、「公布(国民が発表)」)され、1947年(昭和22年)5月3日に施行されました。
11月3日は、文化の日、5月3日は、憲法記念日となっている。