中学高校の生活ガイド全般

このページには、ややドラスティックな主張も含まれています。中学や高校についてそれぞれ記述した、『中学生活ガイド』、『高校生活ガイド』もあります。

保護者との関係 編集

中高生になると、考え方も複雑で現実的になり、周囲の人間や周囲の大人達に対する批判的な発想も芽生えてきますし、生活や素行もかなり奔放になっていくと思います。ただ、あなたの両親や保護者は、いつまでもあなたとつながりの深いこの社会で非常に縁の深い人たちですし、あなたの生活を支えてくれている保護者であるので、お互いの連絡は密にしておきましょう。

特に、帰宅の遅くなるときは、事前に保護者に連絡をしておくのが大切です。学校行事などでどうしても遅くなるのはやむをえない場合もあります。しかし、中学でも高校でも、あまり保護者向けの連絡プリントなどは配布されません。つまり、いつ帰宅が遅くなる可能性があるかというのは、あなた自身が直接保護者と連絡をとらなければ、保護者が知ることはできない情報です。そのような情報を普段から適切に連絡・相談しておくのが望ましいことだと思います。

人間関係 編集

基本的に人間は他人の悪い所はよく見えますが、自分の悪いことはあまり見えないものだと思います。家族関係や友達関係、そして割と距離がある人たちとの関係など、われわれは常に人間関係の中で毎日暮らしていますが、その関係性がうまくいかなくなって、困って途方にくれることもよくあることですよね。

人間は社会的な動物ですし、孤独を嫌いますから、毎日いろいろな方法で他人に接触しますし、こちらも働きかけを受けています。おそらく小学校では毎日さんざん集団行動や協調性、人間関係を積極的に発展的に深めていくことの美徳が語られてきたと思いますし、結局あらゆる人がある意味脅迫的に人間関係を常に広く深く作り続けていくことが奨励されているようにも感じます。

親密さ 編集

学校生活での一大テーマは友達作りだと思いますが、この友達作り、友達関係の中で、自分の行動としても、他人の行動としても、ついつい相手に過剰な親密さを要求してしまうことはよくありますよね。

親密さというのはある意味望ましいことですが、現実には人間親密な相手というのはそんなに多くできませんし、親密さの度合いも深まれば深まるほどいいというわけではありません。

人間同士というのは引き合う気持ちもある一方反発する気持ちも明らかに働いています。

過度の親密さを相手に求める事は、自分の行動としても戒めるべきだし、他者の行為としても批判的に見て拒否することも必要だと思います。

頼み事 編集

他人に頼みごとをするというのは、ある意味その相手に信頼を寄せていることでしょうが、頼まれるほうの立場、考えはどうなりますかね。

割とクールな性格の子は、ちょっと面倒だな…、俺に頼むなよ、なんて思うかもしれませんし、むしろ頼まれて頼られて少しうれしいな、というように思う人もいるかもしれません。面倒だけど頼まれたら断れない、断らない、という考えの人もいるでしょうね。

基本的に頼み事というのは今後借りを返す気があったとしても、その時点では相手が自分に一方的に利益を与えることを求めているわけですから、断ることも可能だし、その拒絶自体を非難することはおかしいことだと思います。

頼みごとをきっかけに相手とコミュニケーションを深めようとする試み自体は否定されるものではありませんが、それを認めるのなら、その相手に断られる、拒絶されるという展開、意思も認めて尊重する必要があるでしょう。

嫌がらせ・苛め対策 編集

人間は基本的に苛め、嫌がらせは大好きで、普段それらしいきれいごとを言っている人物でも、条件さえ揃えばいつでもいじめっ子になり、ハラスメントを行使するだろう、かなり極端な決めつけですが、今現在のこの項目の筆者はそう考えています。

現実の嫌がらせやいじめに対策して解決するのは、事実上あらゆる人にとって困難な課題だと思われます。

いつの時代の学校でも不良少年とよばれるようなタイプの生徒はたくさんいるでしょうし、そういう子が不法行為や社会の悪徳により接近しやすい傾向はあるかもしれませんが、しかしいじめや嫌がらせについて考えるときは、もっと普遍的にとらえる必要があり、あらゆるタイプの生徒、あるいは大人も含めて、その陰惨な状況の構成者になる可能性があり、現実にそうなっています。

この項目の以前に編集では万引きや暴力など、不法行為に関する具体例を中心に嫌がらせ対策が語られていましたが、ここではその問題に特化しないで、もう少し普遍的に苛め嫌がらせ対策について考えていきます。もし不法行為に関するいじめの具体例を知りたい方がいたら、このページの過去の編集を探して読んでみてください。

とはいえ、実はそんな大した対策方法はない。基本的には完全にお手上げなんですが、しかし、いじめや嫌がらせを受けた子の多くは、まず最初は、自分だけで解決できないだろうかと考えるでしょう。この試みがうまくいくのは、問題があまりこじれていない、軽度の人間関係の齟齬だと思いますが、現実にはそのような事態はそんな多くない、もっと深刻なケースのほうが多いと思います。

いじめや嫌がらせを受ける側が集まって集団の多数派になって反撃する、という道はありますが、実際には多くの場合、孤立して孤独な状況がいじめや嫌がらせの対象として狙われることが多いので、そういう状況になることも少ないように思えます。

ですからそれ以外としてはやはり、教師、両親、あるいはもっと大きな組織、公共の機関や法律の執行者に相談することが、解決の道になりますよね。

しかし実はこの社会、子供社会も不完全ですが、大人社会も相当不完全で不条理な世界です。両親はもちろん味方になってくれるでしょうし、教師や公共もそれなりに対応してくれますが、必ずしも完全にすっきりと満足な状況が得られる保証はありません。

人間同士で害悪が振るわれるというこの状況は、いまだにこの社会自体の中でもその正体がはっきりしていない、困難な不可思議な出来事ですが、学生時代にその問題に悩んでいて、自分自身や、あるいは自分のまわりの同年代の仲間だけで解決できないように感じられるなら、仮に十全な解決が得られないとしても、大人社会にアクセスして、相談してみるといいと思います。

不法行為について 編集

不法行為、あるいはもっと直截的に書くと犯罪、に関して、多くの大人も子供も、そういう状況にかかわることは避けたいと思っているでしょう。大人が巻き込まれやすい犯罪もあれば、子供、今ここで話題にしている中高生が巻き込まれやすい犯罪もあると思います。

ここの項目の以前の編集では、具体的な不法行為の手口を事細かに書いて中高生に注意、警戒を即していましたが、今時点での編集でその記述はすべてリセットします。もし、具体的な不法行為の記述が必要で、重要だと思われる方がいたら、今後、この項目に書き足してください。もっとも今現在のこの記述自体をすべて差し戻すことも可能なんですがね…。

そもそも犯罪って何でしょうか?多くの普通の人たちは犯罪を犯した人を無条件に非難して罵倒して良いと考えているようですし、あるいは素晴らしい真人間の私たちが、彼ら彼女らを更生させてあげなくちゃな、なんて思って生きているようですが、その発想は本当にまっさらな正当なものでしょうか?

今現在の社会の合意として犯罪は検挙して裁かなければいけないし、出来ればすべての人はそういう状況に陥らないで、巻き込まれないで生きていきたいと思っているでしょう。ましてや子供たちはなおさらそういう状況にさらされたくないし、おとなだって子供たちに不法行為にかかわってほしくないと感じていますよね。

だとしたら、少なくとも学問を扱っているこの Wikibooks においては、その問題について、テレビのワイドショーや週刊誌のように安易で一方的なとらえ方をしたうえで、悪徳を含んだ加虐的な文章を書き連ねることで正義をなしたと考えるのは、非常に不適切だと思います。

不良少年、あるいは非行について 編集

昔はヤンキーとかツッパリとか、不良少年の文化が全盛だったのですが、最近はどうでしょうね。

この項目の以前の編集では、そういう世界は徹底的に非難して避けることが推奨されていましたが、それも特定の立場の人間の決めつけのように思えます。

芸人の品川祐氏の小説『ドロップ』では、優等生の少年が不良少年の世界に身を投じた顛末が描かれているようですし、(ただしこの編集の筆者はその小説は未読です)、児童、生徒、学生、そして実は大人になってもその世界は、いい子、優等生の世界と地続きです。

もちろん不法行為や、地域の裏社会の問題はまた別に対策は考えなければなりませんが、安易に不良の世界を否定し、それを権威、権力に完全依存して拒否して駆除することを考えるのも、偏向した、人間理解、世界理解の足りない態度だと言わざるを得ません。