政治学 > 政治学概論

政治学概論』は政治の基本的問題について概説した教科書である。

序論

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本項目は政治学の学習者に対して導入を試みる教科書であり、学習者に対して政治の基本的な問題を全般的に取り扱うことを狙ったものである。政治学は社会科学の分野において他の社会学や経済学と同様にいくつかの固有の研究領域を保持しており、権力の関係という事実の問題や社会における正義の在り方という規範の問題などを扱う領域、さらに国家の統治機構に着目する領域や国家間の関係性に着目する領域などがある。このような多様な研究領域から政治学は政治思想史、国家論、統治機構論、比較政治学、政治経済学、国際政治学、政治社会学、政策科学など研究の問題や研究方法から分かれている。

政治学において扱われる問題は非常に幅広いために政治学の中心的な問題群を特定することは難しいが、これまでの政治学の議論では次のような問題が繰り返し論じられている。「政治の本質とは何か」、「よい社会とはどのような状態であるのか」、「どのように国家は組織されるのか」、「政治制度にはどのような種類があり、どれが優れているのか」、「民主主義にはどのような問題があるのか」、「経済体制や社会構造は政治にどのような影響を与えるのか」、「市民は政府の正当性をどのように承認するのか」、「公共政策はどのように決定されるのか」これらの諸問題に対し、政治学ではいくつかの立場を設けて多面的に応答することが可能である。

本書では政治学を概説する目的から政治学の主題を政治、政府論、国家論、民主主義論、政治イデオロギー論、ナショナリズム論、国際関係論、政治経済論、市民社会論、統治機構論、公共政策論に区分し、それぞれの領域において重要な学説や事例を示しながら基礎的な理解を促すものとする。

政治の原理

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政治学は政治を研究する学問であるが、政治とは何であるかという問題そのものが政治学の研究対象とされてきた。少なくとも政治とは人々が生活する社会秩序を形成し、維持し、修正し、また時には破壊することを通じて実行される活動であり、それは闘争や対話などの手段と関連する社会的な現象である。また日常生活において政治的観念はしばしば社会全体に影響が及ぶような論争的な問題を解釈する際に使用される規範でもある。ここでは政治の基礎的な理解を促すために目的と手段という二つの側面から政治をどのように捉えることを試みる。そして政治学では政治をどのように把握してきたのか、その方法論について概説していく。

政治の目的

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政治とは何のために行われる活動であるのか、という目的論的な設問は規範的な問題意識を含まざるを得ない。この論点については政治学の議論において複数の立場が主導権を争奪し合う状況がある。ここでは関連が深い政治イデオロギーの説明を別の箇所に委ねるものとし、政治の目的について正義の理論、統治の意義、そして人間の存在という三つの観点からどのような学説が提示されているのかを概観することで、一般的な理解を促すこととする。

正義

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プラトン(前427-347年)はアテナイの哲学者。市民階級の出身で政治家を目指していたが後に哲学を志す。哲学者ソクラテスから教えを受けた経験があり、アカデメイアに入学した後に教育にも従事した。理性によって把握する世界の本質であるイデアを提唱し、人間や国家が備えるべき正義イデアについて研究を進めた。政治学に関する著作には『国家』、『法律』など。

政治(politics)は古代ギリシアの都市国家(polis)に由来する言葉であり、政治とは国事と特徴付けられる。ならば政治とは国家がどのような状態にあることを促す活動であるのか。この問題に対する最も古い学説は正義と関係している。古代ギリシアの哲学者プラトンは当時のアテナイの政情を批判的に検討することで、正しい国家のモデルを構築していった。そのモデルでは正義を備えた理想国家を目的とし、また国家が堕落することを回避するための理性的な活動として政治の役割が期待されている。プラトンによれば正しい国家が保持しなければならない正義は理論的には三つに区分され、理知的部分の叡智、気概的部分の勇気、そして欲望的部分の節制である。これら三部分はそれぞれ哲人である守護者、国防を担う軍人、そして生産活動に従事する庶民という三つの社会階級によって分担されている。これら三種類の正義が正しく分担され、また正しく機能している状態で調和していることが国家の基礎である。この調和が失われれば人間の魂は不必要な快楽や過剰な消費願望のために「野獣」のそれへと堕落し、国家もまた最悪な状態「豚の国家」へと堕落する。プラトンの政治哲学は国家の正義を通じて個人の精神をも正義へ方向付けることを試みている。このような正義と政治を総合して把握する見方はプラトンだけでなく、古代ギリシアの哲学者アリストテレスによっても示されている。アリストテレスはあらゆる存在は素材を通じて目的に沿った自己形成するものと捉え、人間もまた善を追求する存在と考えた。そして節制、賢慮、友愛、中庸などの個人の善についての倫理学的な研究を進め、さらに国家の善を明らかにする「最高の倫理学」として政治学を位置づけている。ただしアリストテレスが模索していたのはプラトンのような国家の道徳的モデルではなかった。彼は人間が生まれながらにして政治的な動物であり、人間集団として家族、村落の延長線上に国家があることを主張する。そして国家を構成する君主制や僭主制などそれぞれ特徴があるいくつかの政体は変化するものであり、最善の政体はそれらを組み合わせた中間の混合政体であると考えた。そしてその担い手となる社会的基盤として統治者にも被治者にもなりうる中流階級という市民の存在意義を強調した。そしてその国家が果たすべき正義については市民の同質性に関わる一般的正義と市民の平等性に関わる特殊的正義の二つを以って政治の役割を描き出している。

統治

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ニッコロ・マキアヴェリ(1469年-1527年)はフィレンツェの行政官。フィレンツェの外交交渉や軍制改革に携わっただけでなく、古代ローマの歴史について研究していた。政治から道徳を切り離して権力政治という側面に着目する古典的な現実主義の議論を行った。著作には『君主論』、『政略論』など。

政治の目的は国家の在り方を正義によって規定するだけではなく、国家を実際的に運営することと関連して捉えることもできる。この統治技術としての政治の視点は近世フィレンツェの行政官であったニッコロ・マキアヴェリによって議論されている。マキアヴェリは統治者に不可欠な資質として正義を判断する道徳的な能力よりも、時には統治のために必要な残虐な手段を活用する能力を強調した。彼は国家にとって真に必要なものとは「よい法律とよい軍備」であり、被治者である「民衆というものは、頭をなでるか、消してしまうか、そのどちらかにしなければならない」と指摘した。またマキアヴェリが統治の上で特に重要視した事柄に軍事的安全保障がある。自国民から組織された軍隊を常に準備することによってのみ敵の侵略から国家を防衛できると考えて、実際に当時の軍制改革に取り組んでいる。彼にとって政治とは権謀術数であり、国家秩序を安定的に統治する目的が念頭に置かれている。一方でアメリカの政治学者デイヴィッド・イーストンは国家の運営についてマキアヴェリとは異なる視点を提示している。イーストンは政治を「価値の権威的配分」であると定義しており、具体的には政府が国内において社会からの要請に応じて利益、報酬や刑罰を再配分することと考える。この観点からすれば政治は本質的には社会にどのように財産や地位などの経済的、社会的な価値を分配していくかを決定する社会の集団的な決定と見なすことができる。社会の中で財が再配分される過程でさまざまな社会集団の計画的な行動とそれら相互の妥協が繰り返される。ただし政治においてこの価値は無条件に社会全体に分配されるとは限らない。社会全体における価値の偏在と政治の関係について論じた論者に社会主義思想家のカール・マルクスとフリードリッヒ・エンゲルスがいる。彼らは近代の産業社会の経済学的分析によって資本主義の原理を明らかにした。そして資本主義体制の下では価値を継続的に蓄積する資本家という社会階級と労働の過程において価値を搾取される労働者という社会階級がおり、両者の利害が対立する階級闘争を政治の目的と捉えた。

人間

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国家の理念や運営から政治の目的を定義するだけでなく、より根本的な人間の本性から定義することも可能である。ドイツの公法学者カール・シュミットの友敵理論は政治をより原理的に定義することを試みている。シュミットはそれまでの議論が「政治的」なものと「国家的」なものが同一視されたために循環論法に陥っていると指摘した。それは人間のさまざまな行動の領域としての道徳、経済、または芸術に対する一個の独立した領域して定義しなければならないと論じた。そして道徳的領域での究極的な指標が善悪であり、経済的なそれは利害であると考えた場合に、政治的領域での基準とは友と敵の区分に求められると判断した。ここでの敵とは個人的な憎悪の対象ではなく、「現実的可能性として抗争している人間の総体」であり、その反対が友である。つまり政治とは本質的に友と敵の闘争を意味しており、しかも「一国民があらゆる政治的決定を放棄することによって、人類の純粋道徳的ないし純粋経済的な状態を招来することなどありえない」のである。人間の本性の別の角度から政治の本質を明らかにしようと試みてポリスの理論を展開したドイツの政治学者ハンナ・アーレントは人間の営みを自らの生命を維持する労働、ある程度の耐久性を備えた生産物を生み出す仕事、そして物質ではなく言語によって媒介される活動の三種類に区分し、活動によって創出される古代ギリシアのポリスに象徴される公的領域が創出、維持され、政治はこの領域に属する活動として営まれる。この公的領域おいては人間は生活の不自由から隔離された精神の自由があるものの、言語コミュニケーションには誤解が生じる不確実性や一度生じた対話はやり直せない不可逆性という問題がある。しかし不確実さを回避する約束という活動や、一度生じた対立を和解する許しが政治的解決法があるとして、「政治的であるということは、ポリスで生活するということであり、ポリスで生活するということは、全てが力と暴力によらず言葉と説得によって決定されるという意味であった」と政治を特徴付けている。

政治の手段

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政治は何らかの社会のあり方に関わる目的と同時に、それを実現するための手段を伴う活動である。社会で展開される政治的な相互作用において有効な手段として権力(power)が政治学の概念として認められている。権力とは広義において他者に対してある行動を行わせる能力であるが、権力の概念をどのように見出すかについては政治学において議論が分かれている。伝統的な政治学はそれまで国家や政府の正当化について検討してきたが、イギリスの哲学者デイヴィッド・ヒュームによって現実の政治において権力が重要な機能を果たしていることが明確に認識された。彼はどのような政府の起源も強奪や征服に基づいて立ち上げられてきており、移住、植民地化、軍事的勝利などの政治的な出来事が武力や暴力によってもたらされてきたと歴史を観察した。ヒュームの視座は理想の政治だけではなく、事実として政治がどのように成り立っているかを権力の概念を通じて解明することを可能とした。しかし権力は二人以上の主体の間に発生し、その程度と機能によって異なっている。

権威

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マックス・ウェーバー(1864年-1920年)は社会学者。プロイセンに生まれ、ハイデルベルク大学を卒業後に各地の大学で講師や教授として勤務して研究活動を続けた。社会科学の幅広い諸領域で業績を残しており、特に理解社会学の確立や支配の正統性や官僚政治の分析に寄与した。著作には『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』、『支配の社会学』など。

権威(authority)とは正当化された権力である。したがって、権力が一般に他人に何らかの行動を行わせる能力であるが、権威は行為者にとっては何らかの行動を行わせる権利(right)として機能し、対象者にとっては服従しなければならない義務(duty)として機能する。ドイツの社会学者マックス・ウェーバーはこの権威を構成している道徳的根拠の正当性(legitimacy)を分析するために、三つに類型化している。第一の類型は伝統や慣習などの歴史に基づいた伝統的正当性である。伝統的な正当性に基づいた支配は意図的に作り出すことはできず、歴史の中で承認されることで成立する。この種類の正当化によって支えられている社会の首長は氏族、奴隷、家臣、農民などを従えて、権限は伝統によって定められた慣習と首長の自由裁量の二つの要因によって決定される。このような権威を基礎付けるための専門の組織を長老制や家父長制の社会は持たないが、家産制の社会では成立している。家産制の社会では臣民は首長に身分制的な秩序に基づいて服従し、首長は部下を使って伝統的な権威に基づく命令を発することができる。伝統的な正当性に比べれば特定の人格に対する崇拝に基づいたカリスマ的正当性は突発的に構築しうるものである。カリスマとはある人物の資質が被支配者によって承認され、またその人物は被支配者に幸福をもたらすことが可能であることによって成り立つ。カリスマ的な首長は自らの正当化のために伝統や法律を活用することがあったとしても、その起源とは本質的には無関係である。カリスマ的な権威を社会秩序の中で恒常化するためにはカリスマ的な人格を継承する後継者の問題が生じる。この後継者の選抜は特定の指標に基づいて妥当に選抜するための特別な手続が必要となる。このようなカリスマ的な権威の問題に比べれば合法的な正当性は安定的に持続する。非人格的な法に基づいた合法的・合理的正当性である。近代社会において権威は法と密接に関係しながら配分されており、特に人々を支配する役割を担う政治制度は普遍的な権威を備えている。合法的な正当性の妥当性はその社会の中で承認されている非人格的な法に従い、特定の人格に対しては従わないことにある。したがって合法的な権威に服従することは特定個人への無制限の服従するのではなく、限定された管轄権の範囲内で上司に服従することを意味する。権限の限界、階層制度、文章主義などに基づいた合法的な権威は正確かつ規律ある支配を可能とする。

影響力

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ハロルド・ラスウェル(1902年-1978年)はアメリカの政治学者。シカゴ大学で政治学を修め、第二次世界大戦後には主にイェール大学で教鞭をとっていた。シカゴ学派の影響の下で行動主義の観点から大衆社会の政治分析や政治的影響力についての行動分析を行っている。著作には『政治』、『人間と権力』など。

権威は制度的で公式な権力の形態であるが、権力は影響力(influence)という非制度的で非公式な形態を伴いながら人々に作用を及ぼすこともある。アメリカの政治学者ハロルド・ラスウェルによれば、影響力の本質とは人間が追求する価値の剥奪にある。つまり、ある行為の形式に違反すれば富、健康、技能、尊敬などの重大な価値を剥奪することへの不安から権力関係が発生する。社会全体の中では制度的には整然と権力が配分されていたとしても、現実の政治では制度を超えた権力関係が発生する。この非制度的な政治の側面は1920年代から政治過程論としてグレアム・ウォーラスなどによって研究されるようになる。この分野の研究が進むにつれて制度設計の段階では考慮されていなかった影響力が実際の政治において重要な役割を果たしていることが論じられるようになる。アメリカの社会学者ライト・ミルズは支配的な影響力を保有している一部の勢力をパワー・エリートと概念化し、アメリカの政治構造を研究した。すると政治、経済、軍事の分野にそれぞれパワー・エリートが存在し、彼らは自らに有利な政治構造を維持するためにエリート同士で連携しながら大衆を操作していると指摘した。ミルズは伝統的な政治学が検討してきた表面的な制度ではなく影響力の構成を明らかにすることで政治の動態を支配している集団を特定することを試みている。また影響力についてアメリカの政治学者ロバート・ダールによって異なる見解が提示されている。ダールは影響力を保有しているエリートが社会全体に分散しており、利害も多様であると捉えた。そしてミルズが述べているようにエリートが一極集中して大衆を支配している構図を否定して、多種多様なエリートが多元的に社会に影響力を通じて対立もしくは協力している。

規律

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ミッシェル・フーコー(1926年-1984年)はフランスの哲学者。高等師範学校を卒業し、リール大学やウプサラ大学で講師を勤めた後にコレージュ・ド・フランスで哲学を教えた。精神医学の歴史叙述や科学的な知識と社会的諸制度の関連から権力と知の関係について考察した。著作には『狂気の歴史』、『監獄の誕生』など。

権威や影響力とは正当性や資源を操作することによって人々を動かす明示的な権力であるが、これ以外にも潜在的で権力を行使されていることすら意識されない黙示的な権力の形態が存在することが論じられている。フランスの哲学者ミッシェル・フーコーは今日の社会には伝統的な権力の概念では理解することができない権力装置が存在することを論じるために、近代における刑罰システムの歴史的な変化に注目する。そしてそれまで18世紀において拷問や殺害という身体に対する刑罰が見直され、身体的な拘束などの内面に対する刑罰へと改められたことを明らかにする。フーコーはこの変化は単なる人道的配慮に基づく改革としてではなく、新しい新しい形態の権力の成立として見なす。つまり「より少なく処罰するのではなく、よりよく処罰すること」を追求するために、新しい権力の対象である人間の「精神」が生み出され、同時にそれまでとは異なる身体に対する権力が登場した。具体的には各人を独房的な空間に配分した上で彼らを一覧表に沿って組織化し、身体の動作を時間的に細分化してコード化し、またその過程は段階的に訓練し、また身体の諸要素を組み合わせて権力装置の部品となるよう振舞わせるのである。この一例としてフーコーは18世紀に軍隊で普及した基本教練の技術を例示しており、部隊に配属された兵士たちに命令に応じて特定の動作をするように段階的に訓練し、組織的な戦闘行動を行うことが可能となるようにした。このことで個人を権力行使の客体に再構成するのである。フーコーはこのような「服従する身体」を作り出す形態の権力を「規律」としており、この規律の権力装置が応用された刑務所にパノプティコンがあると述べる。パノプティコンでは常に自分が監視の対象にあることを囚人に自覚させることで規律を内面化させることが意図されている。そして、パノプティコンだけではなく、規律は現代の学校、工場、軍隊などで幅広く普及していると指摘する。

政治学の方法

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政治学とは、これまで述べた政治的な事柄を判断することができる概念やモデル、理論を発展させ、また現実の事例に対してそれら分析枠組みを適用することによって、その政治的現象を研究する学問である。政治学の研究方法は哲学、歴史学または法学の延長として見なされていた。なぜならば政治学に期待されていた役割とは社会を基礎付けるべき原理を明らかにすることであったためである。しかし19世紀の以後にかけては政治学においても伝統的な方法に代わって科学的方法が導入されるようになる。科学的方法による政治学は1950年代から1960年代にかけて発展し、実証主義的な研究に基づいた科学としての政治学を成立させた。しかしながら、さらにその後の政治的な価値や規範的な理論の意義に対する見直しによって、伝統的な研究法の価値が再評価された。現在では政治学には複数の学派があり、それぞれ異なる理論的立場から研究が行われている。ここでは政治学の研究法としての哲学的方法、観察的方法、科学的方法について説明する。

哲学的方法

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政治学における哲学的方法は本質的に規範的問題に応答するために発展してきた。つまり何を「すべきか」、「しなければならないか」を明らかにするため採用されてきた。古代ギリシアの思想家プラトン、アリストテレスによってこの哲学的方法は政治学の伝統として確立され、またこの伝統は中世の思想家アウグスティヌスやアキナスの著作でも使用されている。この方法は例えば政治思想の研究で応用される。政治思想史の研究では古典的なテキストに基づいて主要な思想家たちの思想を解釈し、彼らがどのようにして自らの学説を正当化しており、またどのような知的背景に置かれていたのかを明らかにする。これは後述する科学的方法として必ずしも実証的ではないが、「なぜ国家に服従しなければならないか」、「財はどのように分配されるべきか」などの問題を扱う研究法として有用である。

観察的方法

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政治学は同時に政治に関する事実について観察的方法も発展させてきた。アリストテレスの国制の分類法、マキアヴェリの統治術についての現実主義的な分析、モンテスキューの政府組織についてのモデルはその例である。観察的方法は政治的な事柄に関する事実の記述を踏まえた上で、実証的な説明を試みる方法である。この方法論はジョン・ロックやデイヴィッド・ヒュームの経験主義の思想によって哲学的に基礎付けられている。経験主義によれば、知識は事実の観察によってのみ検証されなければならず、事実の観察によって実証できない先入観や偏見を徹底して排除しなければならない。この思想を受け入れた社会学者オーギュスト・コントはこの種類の検証ではない非実証的な方法を社会科学から排除することで、自然科学のような確実な知識を獲得できるようになると考えた。

科学的方法

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科学的に政治を理論化する研究はカール・マルクスによって最初になされ、史的唯物論の立場に立った歴史的事例の研究からある「法則」に基づいた将来予測が論じられた。科学的分析に対する政治学者たちの注目は19世紀から端を発しており、1870年代にはオックスフォード大学、パリ大学、コロンビア大学で「政治科学」科が設置された。1906年にはアメリカ政治科学誌(American Political Science Review)が発行された。1950年代から1960年代にかけてアメリカでは盛んに科学的方法による政治分析が行われ、特に行動主義に基づいた研究が進められた。この時代にデイヴィッド・イーストンは政治学でも自然科学のような整然とした説明が可能であると明言した。確かに行動主義に基づいた分析は投票行動の領域などで成果を挙げていたものの、自由や正義、権利などの規範的な諸概念の価値がジョン・ロールズやロバート・ノージックなどの研究によって再評価されるようになる。また行動主義が本当に価値中立的であるかについて議論が提出され、仮に観察可能な政治的行動を分析したとしても、実際の政治的な秩序について明らかにすることは困難であることが認識されるようになった。

政治イデオロギー論

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イデオロギー(ideology)は広義において組織的な政治行動を行うための基礎を提供する観念の集合である。アントワーヌ・デストゥット・トラシーにより1796年から1798年ごろに作られた造語であったが、その言葉はギリシア語のエイドス(観念)とロゴス(科学)を組み合わせた言葉である。政治イデオロギーはそれぞれ複雑な政治的な世界観や理念を表現しており、単純な指標や基準に基づいていくつかの範疇に整理することは厳密には不可能である。それは各々の政治イデオロギーが内容として含んでいる語彙の体系や理論、価値観が複雑であるだけではなく、それぞれの政治イデオロギーで内容が重複することや、政治イデオロギーの内容が時代によって流動的であるためである。しかし、政治イデオロギーは政治に携わる人々に人間や社会を解釈する方法と、目指すべき目標、そして政治行動の指針を指し示してきた。政治活動を解釈することが求められる政治学、特に政治哲学や政治思想史などの研究ではその影響の大きさから政治イデオロギーを無視できない。以下では自由主義、保守主義、社会主義という三つの政治イデオロギーを取り上げながらその内容を概観する。

自由主義

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自由主義(liberalism)は数多くの政治イデオロギーと関連しながら発展してきたイデオロギーである。自由主義は西欧において封建主義の社会秩序に産業主義の社会秩序が取って代わり、また産業社会における中流階級の台頭が目覚しい時代に成立した。自由主義は個人主義などのいくつかの理念を持っており、またその内容はイデオロギーが成立した当初から現代にかけて歴史的に変化してきた。ここでは自由主義の一般的な内容について概観した上で、古典的な自由主義と現代の自由主義の差異を描き出す。

自由主義の要素

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トマス・ヒル・グリーン(1836年-1882年)はイギリスの哲学者。オックスフォード大学の奨学生として学んで同大学で哲学を教え、後に教授職を得た。19世紀のイギリスの自由主義の影響を受け、自由が他者との関係において最善の自己を発展させるための権力として理解することを主張した。著作には『倫理学序説』、『政治的服従の原理』など。

自由主義を構成するいくつかの思想的な特徴の一つとして挙げられるのが個人主義(individualism)である。個人主義は自由主義の基礎であり、人間はまず個人としての存在であり、個人としての人間に価値が置かれるべきである。これは同時に人間は均等に道徳的能力を持っていることを示唆している。したがって、個々人の道徳的な判断は尊重されなければならない。個人主義の思想は個人の自由(freedom, liberty)の理念とも関連しており、これは個人の信条の中立性と選択の可能性を提起する。自由主義のこのような人間性についての認識は理性(reason)とも関連しており、自由主義では世界が合理的な構造を持っており、それは人間の理性によって解明することが可能であると考える。このように理性の役割を強調するために自由主義は進歩することができる存在として捉えられている。個人主義の思想は自由だけでなく平等(equality)の理念にも派生しており、個人主義者は人間は少なくとも道徳的な能力に関しては平等な能力を備えて生まれてくると考える。したがって、全ての個人は投票権などについても政治的平等でなければならない。自由主義は寛容(toleration)によっても特徴付けられる。寛容は個人的自由と社会的発展の手段の両方を保障するものと自由主義では考えられているため、文化的な多様性や政治の多元性を積極的に評価する。同様の理由で自由主義は競合する利害の中立的な調和と均衡を支持する。自由主義によれば、権威や社会的関係などは常に合意(consent)に基づいたものでなければならず、政府も同様に統治されることについての合意に基づかなければならない。つまり社会や共同体の本質とは自らの利益を追求する個人の相互間の契約にある。この合意と契約に基づく社会秩序の理論から導き出される論理的な帰結として政府は社会秩序を安定化することを保証する機関と見なされる。つまり政府は個人主義の価値を侵害することは制限されなければならず、その制約を確実なものとするために立憲主義(constitutionalism)が確立されなければならない。立憲主義の目的とは政府機構をいくつかに分離することで相互に政府権力を抑制させ、個人の権利が政府権力によって侵されないように成文憲法によって規定することにある。ただし、このような自由主義の一般的な内容は時代によって一様ではない。

古典的自由主義

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ジョン・スチュアート・ミル(1806年-1873年)はイギリスの哲学者、経済学者、政治家。功利主義者のジェームズ・ミルから英才教育を受け、東インド会社で勤務し、同社解散後には政治家になっている。ベンサムが提唱した功利主義の思想を継承し、功利性の質的な側面に着目した功利主義の理論を提唱し、また自由主義の思想にも影響を与えた。彼の主な著作には『自由論』、『功利主義』、『代議制政体論』など。

自由主義の起源にはさまざまな学説があり、19世紀のイタリアやドイツの国家統一運動、フランスにおける革命の影響、イギリスでの独自の思想的発展など、さまざまな政治的情勢のなかで発展してきた。例えばイギリスの自由主義は経験主義の思想と関わっているが、フランスやドイツの自由主義は啓蒙主義の伝統と結びついている。また自由主義の起点を産業資本の成立という歴史的転換に求める学説もあり、この意味で自由主義は資本主義の政治イデオロギーとして見なされる場合もある。一つの説明として自由主義の思想的根源を立憲主義に求めることができる。ヨーロッパでは立憲主義はローマ法復興、宗教改革などの運動から登場した抵抗権の理論と実践によって基礎付けられてきた。そして立憲主義の思想は啓蒙主義の思想と結合することで自由主義の基盤が形成された。アメリカ独立戦争やフランス革命によって自然権、同意、契約、平等、自由が古典的な自由主義の理念として確立された。古典的自由主義(classical liberalism)の代表的な思想家の一人であるジョン・ロックは著作において、「人間は生来すべて自由であり、平等であり、独立しているのだから、だれも自分から同意を与えるのでなければ、この状態から追われて他人の政治的な権力に服従させられることはありえない」と述べる。そして各自の所有権の安全を確保し、快適で平和な生活を送るために他人と合意して協同社会に参加するのだと主張した。別の古典的な自由主義の思想家ジェレミー・ベンサムによって提唱された功利主義(utilitarianism)の原理は異なった主張から自由主義を基礎付けている。人間の行為のうちで快楽をもたらす行為が善と定義し、社会の道徳としても人々にとっての「最大多数の最大幸福」を追求しなければならないと論じる。この最大幸福を最大限の人々にもたらすためには個々人が「一として扱い、一以上とは数えない」のがベンサムの考えであった。ベンサムの功利主義の前提にある快楽は思想家ジョン・スチュアート・ミルによってさらに質的な差があるものとして質的功利主義へと発展させられた。ミルは功利主義の原理を「功利主義が正しい行為の喜寿とするのは、行為者個人の幸福ではなく、関係者全員の幸福である」と要約している。古典的自由主義を経済学的な方面から基礎付けた経済学者のアダム・スミスは財の配分について市場の自然な働きである「神の見えざる手」によって最適化されるという経済理論を打ち立て、経済の領域だけでなく政府が人々の活動を権力を以って統制する政策を批判した。このような古典的自由主義の思想はいくつかの思想的な潮流から構成されながらも、個人の価値を擁護する規範的な政治理論であり、いずれも人々が平等な権利を持つべきと主張し、政府は法の支配や私有財産の保全、安全保障という最低限の役割を果たすことだけを期待していた。

現代の自由主義

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ジョン・ロールズ(1921年-2002年)はアメリカの政治哲学者。第二次大戦で従軍した後にプリンストン大学で道徳哲学を専攻し、コーネル大学やハーバード大学で教鞭をとった。戦後の研究史において新自由主義の立場から「公平性としての正義」の理論を確立し、政治哲学の復権をもたらした。彼の著作には『万民の法』、『公正としての正義』など。

古典的自由主義の思想は19世紀から20世紀にかけて古典派経済学の大前提としての役割を果たしていたが、この時期に古典的自由主義の思想は新しい自由主義への歴史的に転換したという学術的な論争がある。古典的自由主義とこの新自由主義(neoliberalism)に絶対的な区分があるわけではないが、ある時期から古典的自由主義の重要な前提が見直され、個人の善と共同体の善が不可分であると見なされるようになったと見なすことができる。ただし新自由主義は自由主義の本来的な思想ではなく、その内容はどちらかといえば社会主義に近いという見方がある。つまり自由主義には個人主義と同時に集産主義の側面も持ち合わせており、その側面が後述する社会主義への接近を可能とした。自由主義を現代の自由主義へ再構成したと考えられている思想家の一人にオーストリアの経済学者フリードリヒ・ハイエクがいる。ハイエクは経済活動だけでなく文明社会全体について理性によって設計する思想に批判的であった。なぜならば、社会は「人間の行為の結果ではあるが、設計の産物ではない」のであり、さまざまな試行錯誤の中から自生的に秩序が形成されてきたと考えるためである。これは設計主義的な合理性ではないが、自動調整的な合理性であるとハイエクは見なす。そしてこの主の合理性を確保するためには諸個人に最大限の自由を社会的に保障することが必要であり、規制は最小限に留めなければならないと主張する。ハイエクのような現代の自由主義の思想は経済学者だけでなく哲学者による貢献も受けている。アメリカの哲学者ジョン・ロールズは経済的な効率性ではなく道徳的な公正性の観点から自由主義の思想を再構成した。ロールズはそれ以前の功利主義的な自由主義思想に対して批判を加え、「効用から権利へ」の力点の移行を主張した。そして「我々の能力、生まれ育った環境など社会的、自然的偶然は運の問題であり、誰もそれらに対しては権原を持たない」という前提から、この不平等を是正する必要を見出す。そのために「社会的、経済的不平等」が「最も不利な人々の最大の利益」となうように財を再分配することが提起される。これはロールズの「格差原理」と呼ばれており、自由主義の理念としての平等が再確認されていると理解できる。しかしながら、ロールズの格差原理は社会主義の思想と両立しうるものであり、福祉国家の社会政策を正当化するものとしてアメリカの哲学者ロバート・ノージックがこれを批判している。ノージックの批判の要点は平等を追求するための格差原理が個人の財産を政府によって再分配することを前提としており、個人の権原を侵害しているというものであった。このような立場は自由至上主義(libertarianism)とも呼ばれ、ノージックの主張は福祉国家ではなく最小国家を擁護し、市場への介入を最小限に留めて自由な個々人の行動に委ねる思想として新自由主義とは異なる現代の自由主義の思想を確立した。

保守主義

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保守主義(conservatism)は、他の政治イデオロギーと同様に、一貫した内容を認めることが困難な政治イデオロギーである。保守主義がイデオロギーと確立された背景には18世紀から19世紀におけるフランス革命に代表されたような啓蒙主義的な政治活動に対する反発があった。保守主義のイデオロギー的内容は他のイデオロギーとの境界が曖昧でありながらも、伝統主義などの価値観を含むものである。以下ではその内容だけでなく、保守主義の思想の歴史的な展開についても記述する。

保守主義の要素

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ジョゼフ・ド・メーストル(1753年-1821年)はフランスの政治家であり政治哲学者。トリノ大学を卒業し、フランス革命では反対の立場から批判を展開した。理性主義に対する批判と伝統ある健全な迷信の意義を主張した。彼の著作には『サンクト・ペテルブルク対話篇』、『フランスについての考察』など。

保守主義を成立させている中心的な思想には伝統(tradition)が持つ価値があり、時代を経て維持されてきた慣習や制度に敬意を払う。保守主義では伝統は時間によってその価値が実証されてきた古来の知性を反映するものであるため、将来の世代のためにそれを保存しなけえばならないと考える。伝統は同時に個人が社会や歴史に属している感覚を与え、秩序と安定をもたらすものとしても重要視される。その意味で保守主義とは目標と環境に応じて実践的に行動しなければならないという実利主義(pragmatism)の側面を持っている。保守主義は人間の理性には限界があることを主張し、世界は理性によって捉えられない複雑性を備えていると見なしている。このような世界では理性によって導き出されたイデオロギー的な原理に依拠せずに、実践的に行動するべきである。このような保守主義の理性批判には人間の不完全性(human imperfection)についての理解が関係している。つまり、人間の本質とは制約されており、依存的であり、自己の安全を追求し、家族や集落、また秩序だった共同体を必要とする存在であると考える。さらに人間は道徳的にも利己心が大きく堕落した存在であり、凶悪犯罪や社会の無秩序は社会ではなくむしろ人間個人の本性によるものである。したがって、保守主義は人間を単体で完結した存在ではなく社会的な有機体(Organicism)として捉える。社会は健康や集団の安定を目的として家族や地域共同体、国家などの制度を構築してきた結果であるとされる。だからこそ、保守主義は伝統的な価値や文化が共同体の存続にとって死活的であると評価する。また多くの保守主義の見解によれば、社会階層(hierarchy)とは人々に配分されている責任の相違を反映したものであり、相互的な義務と服従によって成り立っているために、必ずしも紛争や不平等とはならない。権威(authority)とはその社会階層の頂点から各人に対して指導力を発揮する存在であり、保守主義によって社会的な凝縮性や自己が共同体に所属しているという認識の源泉と位置づけられる。このような社会階層において自由権は責任と不可分であり、社会に対する服従と自らに課せられた義務の観念を受け入れなければならないことを保守主義は強調している。個人の権利と関連している財産(property)の所有権については、それが人々の安全と政府から自立を可能としている観点から保守主義は容認する。また財産の所有権を認めることで、法の支配と他人の財産を尊重する状況をもたらす。しかし権利と責任は不可分であるために、財産権にも義務が関係しており、また保守主義の思想によれば過去の世代から継承されてきたものであり、将来の世代へ継承しなければならない対象として位置づけられる。そのため保守主義にとって財産を持つことは歴史と将来に対して責任を持つことを意味している。

古典的保守主義

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エドマンド・バーク(1729年-1797年)はイギリスの哲学者、政治家。アイルランド出身のホイッグ党の議員として政治活動に携わり、インド植民地統治やフランス革命について発言した。古典的な保守主義のイデオロギーの開祖として知られている。政治に関する著作に『フランス革命の省察』、『アメリカ論』など。

保守主義の歴史的起源には複雑な論争がある。その言葉は1800年代にアメリカにおいて慎重派を指す際に使用される言葉として生まれたが、1840年代にはヨーロッパでも広く使用されていた。しかし思想的な起源としてはプラトンの自覚されざる保守主義や宗教改革における復古的な思想などいくつかの説が提示されている。しかし一般的に知られている起源はフランス革命に対する政治的批判を展開したイギリスの政治家エドマンド・バークの政治思想である。バークはフランス革命で表明された旧体制を打破して新しい政治秩序を構築するという啓蒙主義的な思想と実践を悪質かつ虚偽の比例算術に基づいた「ドグマを実行させようとしてフランスの共和主義者と諸国のその同調者たちは古い制度のあらゆる痕跡を破壊している」と評した。そしてその行為は本質は「形而上学的に正しいのに比例して道徳的および政治的には虚偽」であると批判した。このフランス革命の批判を行った背景には人間の不完全性と社会秩序が備える歴史によってその有用性が実証されてきた伝統の尊重というバークの政治思想が起因している。バークの保守主義はイギリス国内の保守主義者コールリッジやディズレーリだけでなく、ド・メーストルやアダム・ミューラー、ヘーゲルなどフランスやドイツという国外の保守主義者にも影響を与え、近代における保守主義の基盤を提供した。バークが確立した伝統的な保守主義だけでなく、コールリッジやアダム・ミューラーなどのロマン主義(romanticism)の流れを汲む保守主義者は過去の封建制社会を理想する形で伝統主義を表現していた。またイギリスのベンジャミン・ディズレーリは家父長的な保守主義の思想を体現し、彼の思想から保守主義の一つの側面に政府は国民にとって父のような存在であろうとするエリート主義の思想がもたらされた。彼の家父長的保守主義(paternalistic conservatism)はイギリス保守党の長期的な方針に影響を与え、失業問題などの社会福祉について政府が積極的に関与すべきであるという考えを方向付けた。これに反する自由主義的な保守主義(liberal conservatism)の思想も存在しており、これは古典的自由主義の思想と親和性があった。この種類の保守主義の観点に立てば、個人の自由を最大化するために政府は最小限の機能に抑制されるべきだと考えていた。このように発祥地であるイギリスで思想的な発展を遂げた保守主義であったが、大陸の保守主義では異なる発展を遂げていた。イギリスの保守主義が経験主義的な思想として成立したが、フランスでは宗教的な道徳的真理の世界観を踏まえた思想として成立し、ドイツでは哲学的な歴史観を前提とした思想として成立した。またアメリカでの保守主義は自由主義的な保守主義の傾向が強く、大規模な土地を保有する地主が主体となった経済活動の伝統を保持し、政府による市場への介入を拒否する立場の政治勢力が保守派として見なされていた。つまりイギリスのバークから出発した保守主義の思想は各国の事情に応じて変容しながら受容された思想と考えることができる。

現代の保守主義

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ファイル:Michael oakeshott.jpg
マイケル・オークショット(1901年-1990年)はイギリスの政治哲学者。ケンブリッジ大学を卒業後に軍務を経てオックスフォード大学やロンドン大学で教鞭をとった。現代の保守的な伝統主義の確立に貢献しただけでなく、政治の領域を限定化することで自由主義の思想にも寄与し、新右翼の思想家に影響を与えている。著作は『保守的であること』、『市民状態とは何か』など。

現代における保守主義の思想を歴史的な基準によって古典的な保守主義と現代の保守主義、もしくはその思想的な内容によって分類することは極めて困難である。ここでは保守主義の比較的新しい形態として成立した新右翼(new right)を現代の保守主義と位置づけて概説するが、これは絶対的な整理ではなく、またこれらの思想の境界が明確化されたわけではない。新右翼はそれまでの伝統的な保守主義や家父長主義的な保守主義などとは異なる内容を持っており、自由主義的な保守主義と関係を持っている。この新右翼は戦後にハイエクやオークショットによって展開された全体主義国家への批判や、家父長主義的な福祉国家の限界の認識によって、成立し始めた思想であった。新右翼を構成する議論を新自由主義と関連付ければ、その思想は自由市場の重視にと特徴付けることができる。つまり新右翼は市場による調整機能を尊重するべきであると考えており、特に重要な主張としては彼らは仮に薬物や武器などの商品に関しても規制を緩和するべきであると考えている点である。この論点について自由主義的な保守主義と新右翼の思想は一線を画しており、一方でフリードマンなどの経済学者やノージックのような自由至上主義の哲学者の思想と共有できる部分がある。同時に新右翼は新自由主義という観点だけでなく、新保守主義(neoconservatism)という観点から捉えることもできる。新保守主義は権威を保存して伝統的な価値への回帰を望み、家族から地域、そして国民への繋がりを尊重する。権威を保存して各人が文化や伝統を共有することは社会的な安定性を確保することと考えられる。新保守主義の思想家と対立する思想は個人主義的な自由放任であり、社会的な安定性を損なう文化や宗教の多様性を危険視する。したがって、新保守主義は例えば多文化主義の異なる文化集団の共存という計画や、国際連合などのような国際機関の支配権や機能の増強に反対する。

社会主義

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社会主義(socialism)の概念は数多くの関連する政治イデオロギーを包括している。その歴史的な系譜を辿れば社会主義が単なるマルクス・レーニン主義だけではないことが分かる。社会主義の思想は産業社会において経済と社会のさまざまな部門を調整するために国家の積極的な役割を期待するものであったが、その思想の内容や実践の方法から多様なイデオロギーへと派生している。社会主義には集産主義、共同体、友愛、社会階級などの理念が中核にあり、以下ではその諸要素と歴史的系譜の要点を述べる。

社会主義の要素

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カール・マルクス(1818年-1883年)は経済学者、哲学者、革命家。ボン大学、ベルリン大学、イェナ大学で哲学を修めてから、新聞記者の仕事で知り合った友人のエンゲルスと共に研究活動を続けた。古典的な社会主義の理論を再構成してマルクス主義の理論を確立しただけでなく、実際の社会主義運動にも寄与した。著作に『資本論』、『共産党宣言』、『フランスにおける内乱』など。

社会主義は中核的な要素に共同体(community)がある。ここでの共同体とは社会的な相互作用と社会集団の連帯感によって個人の自己認識が特徴付けるものであり、社会主義では個人の行動を社会的な要因によって説明することに関心が払われる。そこで理念の一つとして挙げられるのが友愛(fraternity)であり、これは人々が共通の人間愛を共有することで獲得される感覚である。友愛を重視する社会主義の思想は競争よりも共存を追求し、個人主義ではなく集団主義を志向する。友愛の理念だけでなく平等主義(egalitarianism)も社会主義の中心的な価値であり、他の価値よりも平等性の理念を重んじる信念である。この平等主義を通じて社会の安定性と共同体の統合を実現し、政治的権利の基盤を確立することが可能となると社会主義の思想は捉える。平等主義に対する社会主義の親和性は物質的な財産が利益や労働の程度ではなく必要(need)の程度によって分配するべきという立場を投影している。人間の基本的な欲求である健康や安全などが充足していることが社会生活に参加するための大前提とした上で、社会主義は道徳的な観点から経済的誘因ではなく必要性の原則に応じて財を再配分することを主張する。社会的平等や財の再配分に関連して社会階級(social class)がしばしば社会主義の問題なる。社会主義は一般に財産と福祉の再配分に関する社会の分析に関心を集め、その社会の分裂に注目する。また社会的に抑圧されている労働者階級の利害をしばしば取り上げ、彼らの必要のために財を配分できるような社会の改良や革命などの変革を主張した。そのことによって社会主義は経済的または社会的な不平等を撲滅することを目指している。ただし、このような社会主義の一般的な特徴だけでは社会主義の歴史を捉えることはできない。

古典的社会主義

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サン・シモン(1760年-1825年)は社会主義の哲学者。フランス貴族の家庭に生まれ、アメリカ独立戦争に参加し、帰国後にはフランス革命の影響で幽閉生活を経験した。産業階級が果たしている生産活動の社会的な重要性を指摘し、また貧者への経済的な救済措置の必要を主張した。彼の著作には『産業階級の数理問答』、『ジュネーブ書簡』など。

社会主義の起源は大別して二つの考え方が提示されている。一つはフランス革命以前に登場していた思想を起源とするものであり、もう一つは革命以後の思想を起源とする。前者の説に則れば、神学的思想に基づいた社会秩序を構想したトマス・モアとトマス・ミュンツァーの思想が重要であり、後者によればフランス革命や当時の産業社会の成立を背景としたロバート・オーエン、サン・シモン、シャルル・フーリエなどの思想が焦点となる。彼らは人間にとってあるべき社会生活がどのようなものであるかを分析し、家族や食事などについて詳細な整理を行っている。特にオーエンの社会主義思想は当時のチャーチスト運動の理念と適合したために、社会主義の思想は労働者階級の目標を方向付ける思想へと発展していった。社会主義が多様な思想的起源から成立しながらもイデオロギーとしての思想が自覚されるようになったのは19世紀中葉からと考えられている。経済学者であり社会思想家であったカール・マルクスは社会主義の思想の形成に決定的な役割を果たし、史的唯物論、疎外、階級闘争などのマルクス主義の概念が社会主義の思想を体系化する際に使用された。マルクス主義の史的唯物論の立場によれば、人間の社会は経済的基盤という下部構造に基づいて政治構造という上部構造が形成されているものと見なす。そして近代の産業社会の経済構造には資本家によって労働者が経済的に抑圧されていると分析する。そのために「相争う経済的利害を持つ諸階級が、無益な闘争のうちに自分自身と破壊を消耗させることのないようにするため、外見上社会の上に立ってこの衝突を緩和し、それを秩序の枠内に引き止めておく権力が必要となった」マルクス主義はこのようなプロレタリアート労働者階級とブルジョワ資本家階級の利害の対立と国家権力の関係を明らかにした。そして国家を社会から排除するために暴力的手段によって、もしくは段階的な改良によって革命を実現する必要性が主張された。マルクス主義はいくつかの思想的系譜へと派生していくが、その系譜の中の一人に革命家ウラジミール・レーニンがいた。彼はマルクス主義の研究から暴力的手段によって革命が指導されなければならないと考え、それをロシアで成功させた。レーニン主義が掲げた「全ての権力をソヴィエトに」という教義は同じくロシアの革命家であったヨシフ・スターリンによって改めて再解釈され、スターリンは典型的な共産主義の体制を構築していった。スターリンは対外的には社会主義革命を一国内に留めず、国際的な革命運動へと発展させることを目指し、対内的には経済の統制、農業の集団化などの経済政策を通じて国家が全ての社会における資源を管理する体制をもたらした。このような構想を掲げたスターリン主義は同時に全体主義的な独裁体制へと繋がり、反体制運動を防圧するために警察力や軍事力が使用されることとなった。社会主義の運動はマルクス主義の思想を経てロシア革命へと繋がったが、ヨーロッパでは異なる後継者が別の社会主義思想を展開した。その思想的発展を促したの一人にドイツの政治家エドゥアルド・ベルンシュタインがおり、彼はマルクス主義の革命運動が民主的手続に基づいて進められなければならないという修正を試みた。それだけでなく、政府と市場の関係について混合経済の体制を採用することを認め、資本主義に対して労働者を抑圧するという道徳的な批判ではなく、あくまで非効率的であるという道具的な批判を行い、改良主義的国家社会主義の思想が形成された。

現代の社会主義

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エドゥアルド・ベルンシュタイン(1850年-1932年)はドイツの政治家、社会主義の思想家。ドイツ社会民主党として活動していたが、後にルクセンブルクやカウツキーなどと修正主義論争を展開する。修正主義的な立場から社会民主主義の理論を提示した思想家である。その著作には『社会主義の問題』、『社会主義のための諸前提と社会民主主義の任務』など。

現代の社会主義を概観するために、古典的な社会主義の思想をマルクスやレーニンによって発展されたマルクス主義の系統と、ベルンシュタインによって修正されながら発展した社会民主主義の二つの系統に大別した上で、個別に把握することが必要であるかもしれない。古典的なマルクス主義では人間の生活は経済的基盤に基づく基盤構造によって上位に位置する政治構造が構築されており、それは歴史を通じて一般的に認められるものであると考えられていた。しかし政治の上部構造と経済の下部構造の間には相互作用があることを主張することでマルクスの思想は新マルクス主義として再構成された。この新マルクス主義の提唱に寄与したハンガリーの政治哲学者ルカーチ・ジェルジは資本主義による労働者の機械化を通じて行われる具体化の過程が存在することを主張した。またイタリアの政治活動家アントニオ・グラムシは資本主義とは経済的な支配だけではなく、資本主義の価値観が常識として社会で文化的または政治的に同意されている状況があることを指摘した。この資本主義社会において成立する強制と同意の二つの要素から成立している支配をグラムシは覇権と概念化し、それに反抗するための社会的諸勢力による対抗覇権の概念をも提唱している。またフランクフルト学派も新たなマルクス主義の思想的形成に寄与しており、フランクフルト学派の一人であったヘルベルト・マルクーゼはマルクス主義の理論を適応して否定の哲学を提唱し、1960年代の新左翼の運動に影響を与えた。また現代の社会民主主義は自由主義の積極的な自由や機会均等の理念に接近しながら発展した。これにはケインズ主義の経済学に基づいた政府による市場への関与の必要の認識と関係している。ケインズ主義の経済理論では経済活動を政府が支援するための混合経済体制が主張されており、また貧富の格差を是正するための福祉を税制によって基礎付けることが容認された。経済学者ジョン・ケネス・ガルブレイスは経済活動のために大規模な政府事業が必要であると考えており、社会民主主義の考えを経済学的な観点から支持している。社会主義者のアンソニー・クロスランドは社会主義者たちが歴史的な現実に立ち還らなければならないと論じ、ロールズのような新自由主義の理論を歓迎した。

政体論

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政治学において政体論という領域には長い研究の伝統がある。政治共同体である国家は一般に一定の組織化が行われているが、その内容には全く異なる特徴があることが政治学者によって認識されてきた。それは政府(government)の組織的な特徴の相違ではなく、より全体的な政治システム(political system)の相違であり、これを分析するためにいくつかの政体(regime)の理念型が考案されてきた。いくつかの政体の理念型を踏まえれば研究対象の国家の政体が持つ特徴がどのような一般的傾向を持っているかを推論することができる。それだけでなく、規範的な観点からも政体がどのようなものであるべきかについて検討することが可能となる。政体の研究法には立憲・制度に着目する方法、構造・機能に着目する方法、経済・思想に着目する方法などがあるが、いずれにしても分類法が重要である。以下ではいくつかの政体の一般的な分類法について概観した上で、さらに特殊的な政体が存在することについても言及し、政体についての基礎的理解を促す。

政体の分類

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政体を分類する試みは古代ギリシアから現代に至るまで繰り返し政治学の課題とされてきた。それは政体を分類する際に依拠するべき基準点の設定に関する議論と、どのような政治的要素が政体を分ける際に決定的に重要であるかを判断する試みをもたらしてきた。例えばなど、誰が統治しているか、どのように合意が達成されているか、政府は集権的か分権的か、どのように政府権力は使用されているか、国家と個人はどのように関係付けられているか、どれほど体制は安定しているかなど、いくつかの基準が提起されてきている。ここではそれら基準を取捨選択したいくつかの代表的な学説を概説していく。

古典的分類

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アリストテレス(前384年-前322年)はアテナイの哲学者。マケドニアの侍医の息子として生まれ、プラトンの教えを受けて哲学者となった。政治学だけでなく倫理学や生物学など幅広い研究業績を残し、中世ヨーロッパの思想史に影響を与えた。政治学の著作には『政治学』、『アテナイ人の国制』など。

アリストテレスは古代ギリシア世界における都市国家の分析を通じて政体の分類を理論としてまとめ、彼の学説は長期に渡って政治学に影響を与え続けてきた。アリストテレスが重要視した分類の基準は二つあり、それは「誰が統治するのか」という点と「統治から誰が便益を受けるか」という点にあった。彼によれば政府組織は個人によって指導されている場合と、少数の特権的な集団によって指導される場合、そして社会全体の中の多数者によって指導される場合があるものと考えた。しかしいずれの場合においても、政府組織は共同体全体に便益をもたらす場合と、政府組織を構成する統治者のためのみに便益をもたらす場合があると考えた。したがって、アリストテレスの政体の理念型には統治者によって三種に分類され、さらに統治の性質によってそれら三種類が二分され、合計六種類の政体の分類法が導き出される。これら六種類にはそれぞれ名称が与えられており、単独の統治者が統治者のための統治を行っている政体は僭主制(tyranny)、単独の統治者が共同体のための統治を行っている政体は君主制(monarchy)である。また少数の統治者が統治者のための統治を行う政体は寡頭制(oligarchy)であり、少数の統治者が共同体全体のための統治を行う政体は貴族制(aristocracy)である。さらに多数の統治者が統治者のための統治を行う政体は衆愚制(democracy)であり、多数の統治者が共同体のための統治を行う政体は民主制(polity)である。この六政体の中でも君主制、貴族制、民主制は社会全体の利益をもたらすものであるために比較的望ましい政体であり、全ての政体の中で僭主制が市民を奴隷の地位に貶める最悪の政体となりうると論じ、一方で君主制は統治者自身の利益である前に神の意志に依拠するために社会のための統治が行われると評価する。民主制は制度の中では最も実践的な政体であるものの、扇動者の影響を受けやすい。このように政体にはさまざまな一長一短があるために、アリストテレスは混合政体(mixed constitution)を主張し、貴族制と民主制を組み合わせて特に豊かでも貧しくもない中産階級の手によって統治を行うことを構想している。アリストテレスの理論は近代の政治思想にも影響を与え、ジャン・ボダン、トマス・ホッブズ、ジョン・ロック、モンテスキューなどにも参照された。例えばモンテスキューの著作では政府権力の分立と相互的な監視機能に注意が払われており、単一の政治機構が公益を損なうようになったとしても、他の政治機構によってそれを抑制することが可能となるような複合的な政治機構を計画した。今日においても近代国家の制度として三権分立の機能は実際に適用されている。

冷戦の分類

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フランシス・フクヤマ(1952生)はアメリカの政治評論家。シカゴで生まれ、ハーバード大学で政治学を修め、ランド研究所やジョージ・メーソン大学での教鞭をとる。冷戦後の世界政治についてイデオロギーの対立に民主主義が勝利したことを論じたことで知られる。彼の著作には『歴史の終わり』、『大崩壊の時代』など。

政体の分類は現実の政治において敵と味方を区別する基準となり得るものである。少なくとも20世紀において政体に基づく分類は世界を二つに二分する政治的な言説として重要であった。歴史的な起源としては第一次世界大戦が終結してからスターリン主義のロシア、ファシズムのイタリア、ナチズムのドイツなどの政権が成立してそれまでには見られなかった政治制度を構築したことに求められるかもしれない。これらの政治体制は従来の民主主義の政体とは異なる全体主義として認識された。第二次世界大戦が終結し、イギリスの首相チャーチルによってヨーロッパ大陸が「鉄のカーテン」に東西に仕切られたと表明され、冷戦がアメリカとソビエトの間で本格的に開始されると、このような政体の二分法は冷戦イデオロギーへと発展した。冷戦イデオロギーは全世界の国家を政体やイデオロギー、経済状況を基準に三つに大別するものであり、資本主義(capitalism)の世界、共産主義(communism)の世界、そして発展途上(developing)の世界に分類する。アメリカを中心とする西側陣営は資本主義世界に該当するものであり、私企業の活動、自由市場、物質的誘因に特徴付けられる経済体制を持ち、また自由民主主義の理念に基づいた選挙によって政治指導者が選出される。共産主義の世界にはソビエトを中心とする東側陣営が該当し、社会的平等、集団化、計画的な生産活動に特徴付けられた経済体制を備え、また政党の活動は制限されており、共産党の政治活動によってのみ統治は行われている。発展途上の世界はアジア、アフリカ、ラテンアメリカにおける多くの発展途上国が含まれ、第三世界(Third world)とも呼ばれる。経済発展が遅れているために国民総生産も低く、伝統的な政治体制かもしくは軍事体制に基づいた権威主義の政体となっている。この冷戦イデオロギーに基づいた分類は政治的、戦略的な意図から20世紀の世界政治を理解する際にしばしば使用されていたが、1970年代に中東における産油国の経済成長、アジア各国の産業化、権威主義諸国の民主化などの第三世界の変容によって、現実から乖離するようになった。さらにソビエト崩壊によって冷戦が終結してからは東側陣営の諸国が経済の自由化や政治の民主化を進めたために、共産主義の世界の実体も変容した。アメリカの政治評論家であるフランシス・フクヤマはこの事態に対してイデオロギー的な政治闘争であった歴史は西側の自由民主主義の正義が勝利したことで集結したという意味の「歴史の終わり」を主張した。

ポリアーキー

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アーレンド・レイプハルト(1936年生)はオランダ出身の政治学者。ライデン大学を卒業後にアメリカへ渡り、イェール大学で政治学の博士号を取得した。カリフォルニア大学で政治学の教鞭をとり、アメリカ政治学会の会長も勤める。多数決型民主主義に対してコンセンサス型民主主義を対置させながら民主主義の類型化と比較研究を行った業績で知られる。著作に『多元社会のデモクラシー』、『民主主義対民主主義』など。

ポリアーキー(polyarchies)とは自由民主主義または単に民主主義と呼ばれる政体である。ポリアーキーという言葉はダールとリンドブロムの共著で初めて使用され、後にダールの民主主義研究によって明確に概念化された。ポリアーキーの概念は政体の分類法として、非民主的な政体もしくは部分的に民主的な政体を区別するものである。ポリアーキーに基づく政体の分類は参加(participation)と異議申し立て(opposition)という二つの基準から構成されている。政体にとって参加の要素は選挙などの諸制度を通じて人民の意志が政治に反映することを保証し、場合によっては統治者を置き換えることを可能とする要素である。この要素がどの程度であるかは社会全体で参政権を持つ人々の割合によって測定される。また異議申し立ての要素は最低限でも政府の活動に対して抑制を働きかけることを可能とする行動の程度を反映する要素である。異議申し立ての要素がどの程度かは政治的自由の程度によって判断される。政体を構成するこれら二つの要素から四つの類型化を行うことが可能である。参加も異議申し立ても両方とも低度であるならば閉鎖的抑圧体制、政治参加が幅広く認められているものの異議申し立てが禁止されているならば政体は包括的抑圧体制、逆に異議申し立てが幅広く行われているものの参政権は制限されている政体は競争的寡頭体制、そして両方の要素を兼ね備えている政体がポリアーキーと区分される。この分類モデルはポリアーキーという理想的な民主主義の政体を前提とするが、このポリアーキーの実体についてアーレンド・レイプハルトはさらに多数派の民主主義と合意の民主主義との違いがあることを指摘している。多数派の民主主義とはイギリスの議院内閣制の事例に見られるように、二大政党制の議会において優勢な一党が内閣を組閣し、内閣制度によって行政府と立法府の権力が厳格に分立されている。この政体はニュージーランド、オーストラリア、インドなどに認められる。一方で合意の民主主義は、ヨーロッパ諸国の事例に見られるように、多党制の議会において政治権力の各政党の間で配分して連立内閣を組閣するが、行政府と立法府の権力分立が確立されている。この政体はスイス、オーストリアなどに認められる。このような視座に立たないならば、例外主義の立場もありうる。例えば、例外主義の観点からアメリカは移民と開拓者の経験から、西欧の政体の中でも特に個人主義の政治文化が根付いていると説明される。

政体の多様性

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政体の構成を明らかにする上で体系的な分類法を適用するだけでなく、個別の政治的要因、経済的要因、文化的要因を重視する方法がある。民主主義体制であっても、その国家の経済的基盤や政治的基盤が発展途上である場合や、その地域に特有の文化的要素がその政体の伝統的支配を形作っている場合があるためである。ここでは先述した分類に該当しない政体についていくつかの代表的なものを挙げて概説する。

新民主主義

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サミュエル・ハンチントン(1927-2008)はアメリカの政治学者。ニューヨークで生まれ、ハーバード大学で博士号を得て同大学で教育にあたる。政軍関係論、比較政治学、国際政治学の研究者であり、特に『文明の衝突』で冷戦後の国際関係を説明する理論を提示したことで知られる。著作には『軍人と国家』、『第三の波』など。

独裁主義や共産主義の体制であったヨーロッパやラテンアメリカにおける発展途上国が1970年代以後に民主化すると、これを新しい民主主義体制として認識する必要が生じた。サミュエル・ハンチントンはこの民主化の過程について分析し、非民主主義の体制が経済的に行き詰まり、また軍事的にも失敗したことからその政体としての有効性が疑問視されるようになったことなどが関係して進んだ。民主化の影響はそれまで独裁政権による統治の体制から政党政治と選挙制度への移行、もしくは共産主義の体制から市場に基づいた自由な取引が可能な体制への変化をもたらした。このような非民主主義から民主主義への体制の移行を特徴とする政体を従来の民主主義と区別して新民主主義(new democracies)または半民主主義(semi-democracies)と呼ぶ。新民主主義は特有の問題が付随する政体であり、新体制への移行に際して旧体制の影響を受ける。例えばロシアの民主化の際にはソビエトの一党独裁から複数の政党による政治への移行が行われる際に、各政党が小勢力に分裂した。結果として民主化してもロシアでは共産党が最大の党勢を維持することとなり、共産主義体制の時代から引き続いて政権を運営している。また国家権力の弱さも新民主主義に特有の問題であり、これは国内に複数存在する民族集団間の緊張が高まることに示される。それまで国家が各民族の中間地点に立つことで成立してきた政治秩序が民主化によって解体されるためである。ソビエト連邦では共産主義体制の下で民族集団が支配に置かれていたが、ソビエト崩壊の後には15の独立国が樹立された。またユーゴスラビアの事例ではセルビアとクロアチアの間で政治的対立が深刻化し、最終的に内戦へと発展していった。新民主主義の国家は産業的に発展した国家と産業的に立ち遅れている国家に区別して捉えることもできる。前者の場合ではハンガリーやオーランドなどが該当し、民主化は段階的に進められていく傾向にあり、最終的には政体の民主的な改革を達成している。しかし後者はルーマニア、ブルガリアなどが含まれる場合であり、共産主義体制の影響から全面的な改革ではなく例外主義的な特徴を残した民主化が進められる傾向にある。

東アジア体制

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孔子(前551年-前479年)は儒教の創始者。当時の社会を礼によって再建することを提唱して各国を遍歴した。人間の仁とそれを実現するための礼を実践するための教義を確立した。彼の思想は弟子によってまとめられた『論語』で伝えられている。

20世紀に東アジア地域が歴史的な躍進を見せ、特に1980年代からの経済的な発展はヨーロッパやアメリカの経済の成長率の数倍に達した。しかしこの東アジア地域の政体はヨーロッパやアメリカの政体とは異なる要素が認められ、西欧化が経済的な近代化の条件であるという考え方は否定され、自由民主主義の政体を資本主義の基礎と見なすことはできないことが判明した。例えば日本は1946年にアメリカの占領下で新しい憲法を制定し、また1980年代以後にタイ、韓国、台湾などにおいて政党政治が導入されたが、程度は異なるものの西欧の民主主義体制とは異なる政体がもたらされた。いくつかの原因の中で西欧とは区別される文化的要因が注目されており、特に儒教の価値観によって影響されていると考えられている。儒教は孔子によって形作られた倫理であり、仁という理念を通じて人間としての在り方を論じている。人間は他者に対する親愛の情である仁と普遍的な行為の規範である礼を兼ね備えることによって君子となるものであり、孔子によれば国家の統治は君子によって行われるべきだと主張した。そして法律によって統治を行う法治主義ではなく君子の道徳的能力によって国家に秩序をもたらす徳治主義を提唱した。儒教は東アジア地域に広く伝播しており、特に中華文明に道教や仏教と並ぶ文化的影響を与えてきた。このような文化的な背景を持つ東アジア地域における政体の一般的な傾向について個人の自由との関連から指摘されている。つまりヨーロッパのような市民社会の観念に基づいた個人の自由を拡大するよりも、経済的な資産を増大させることを重視する傾向が見られる。このような見方は韓国、台湾、香港、マレーシア、シンガポールなどの東アジア諸国の経済的な発展の要因を説明するだけでなく、1970年代まで続いてきた中国共産党の統治における市場経済の構造を説明する。また東アジア地域では大きな政府を志向する傾向があるとも言われる。これは国家という存在の尊重、強力な権力を持つ与党体制に対する寛容などの態度に示されており、国家が国民の発展のための戦略や個々人の意思決定を指導する役割を期待されている。これは西欧の政体論の観点から見れば権威主義的な政体とも捉えることができる。そして東アジアでは家族集団を基本とする社会的な凝縮性に価値を置いており、西欧で理解されているような個人主義のような理念とは異なる価値観が社会で受け入れられている。ただしこれらの東アジア政体の特徴をさらに細かく把握すると、東アジア政体はさらに細分化することができる。事例を挙げるならば、東アジア地域の中でも中国は毛沢東の政治思想に基づいた独自の共産主義体制と集団化や生産計画を通じた農業合理化政策が採用されていたが、日本やシンガポールなど東南アジア諸国では選挙を通じた民主主義体制が機能しており、また技術革新や組織経営を通じた産業振興政策が実施されていた。

イスラム体制

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ファイル:Muhammad callig.png
ムハンマド(570年?-632年)はイスラム教の創始者。アラブにおける政治指導者でもある。メッカで商人の家庭に生まれ、行商のユダヤ教やキリスト教に触れてアラブの多神教に疑問を覚えていたところで啓示を受けてイスラム教を創始した。ムハンマドへの啓示は『コーラン』にまとめられており、聖典とされている。

20世紀に復興した政治勢力の一つにイスラム教も挙げられる。イスラム教は北アフリカ、中東、アジアの一部において信仰されている世界宗教であるが、1970年代にマルクス・レーニン主義の政体が見直されるようになり、イスラム復興運動は政治運動としての社会的な支持を獲得するだけでなく、いくつかの事例では政体の再構築において重要な役割を果たしている。1979年に発生したイラン革命によってイランは宗教指導者ホメイニによりイスラム国家として再建され、スーダンやパキスタンでもイスラム教に基づいた政治改革が行われた。そもそもこのようなイスラム体制においてイスラム教とは単なる宗教ではなく、人生哲学であり、道徳を定義し、また国家と個人の政治的あり方を方向付けるものである。イスラム教はアラブにおいて啓示を受けた預言者ムハンマドにより創始され、イスラム共同体は歴史的には王朝の分裂や交代を経ながらも中東を中心に東南アジアから北アフリカに至る世界的な政治勢力へと発展した。イスラム的な政体は原理主義的な形態から多元主義的な形態までさまざまなものがある。イランは原理主義的なイスラム体制を選択しており、15名の聖職者から組織されるイスラム革命評議会を通じて宗教的権威を統治権力として制度化している。国民は選挙によって立法府を構成する代議士を選出することができるが、司法府はイスラムの教えを遵守する憲法保護委員会によって承認されなければ就任できない。シャリーア(Shari'a)というイスラムの法は1990年代の政治改革の後にも継続して法的または道徳的な原則として存在し続けてきた。またアフガニスタンのイスラム原理主義勢力であったタリバンはより厳格な神権政治を実践していた。一方で多元主義的な政体についてはマレーシアの事例を挙げることができる。マレーシアの国教はイスラム教であるが、国家の政治指導者は宗教指導者であるものの、その統治の形態としては民主主義に基づいた政体を採用している。異なる民族がそれぞれ多党制の枠組みの中で統合マレー国民組織などの政党を組織し、議会を運営してきている。

民主主義論

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政治学における民主主義(democracy)についての議論は政治思想史において最も重要な論点の一つであった。古代ギリシアにおいてもプラトンやアリストテレスは民主主義的な理念や政体の是非を問題としており、彼らは民主主義を財産と知性を兼ね備えた市民による統治の体制であると捉えている。しかし近代に入った19世紀においては民主主義は大衆による統治を含意するようになり、現代では民主主義は世界各地の政体で一般的に導入されている。民主主義については自由主義者だけでなく、保守主義者、社会主義者、共産主義者、無政府主義者などの立場から議論が提出されており、民主主義の理念、民主主義体制の問題とその解決方法、民主主義の実践的モデルなどが示されてきた。

民主主義の理念

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民主主義の歴史的な起源は古代ギリシアの民主主義に求められる。古代ギリシア語で民主主義という言葉には人民(demos)による統治(kratos)という含意がある。したがって民主主義の基本的な概念とは政治体制のあり方として人民による統治を意味している。しかしこの民主主義の基本的な概念にも議論の余地がある。民主主義において統治の主体である人民とは誰を指しているのか、人民の統治は具体的にどのような統治のあり方を意味するのか、そして人民による統治はどこまで拡大することができるのか、などの問題がある。

民主主義の基礎

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ジャン・ジャック・ルソー(1712年-1778年)はジュネーブ出身の哲学者。フランス革命への思想史的な影響を及ぼしたことでに知られ、フランスに移ってからは知識人との交流を通じて啓蒙主義の思想に接触し、多分野にわたって著作を残した。政治学に関する彼の著作には『人間不平等起源論』、『社会契約論』など。

民主主義の特徴の一つとして考えられていることは、君主制や貴族制の政治体制と比べて政治権力が人民に均等に分配されていることである。人民全体に政治権力を与えることとは基本的にその国家を構成する人口の全体を意味するが、しかし実際には全ての民主主義体制は政治参加に対して制限を加えられている。古代ギリシアにおいて民主主義体制を採用していたアテナイでは、参政権を認められていたのは財産と教養を身につけた一部の市民だけに限られていた。古代ギリシア人にとって民主主義は多数者(demos)による統治を意味するものであったためである。民主主義は政治的平等を意味するものではなく、女性や奴隷、外国人を除く20歳を超えた成人男性の市民階級だけが政治に関与していた。ヨーロッパ地域における民主主義の国家においても20世紀になるまで一部の人々には参政権が認められていなかった。イギリスでは1928年になるまで女性は投票することができず、アメリカでも1960年代の初頭までアフリカ系に参政権は認められなかった。またすべての民主主義体制で21歳以下から15歳以上の成人年齢に達していない子供に対して参政権の制約が維持されている。民主主義体制における政治権力のこのような不均等な配分は、民主主義の主体である人民とは純粋に各個人を指すのか、共通の利益のために団結した集団を指すか、という判断によって異なっている。社会思想家のジャン・ジャック・ルソーが提唱した民主主義の理論は後者の立場を選んでおり、各個人が持っている私的意志(private will)ではなく人間の集団が持っている一般意志(general will)に基づいている。つまり民主主義において人民とは実際には多数派を意味するものであり、これは古代ギリシアの多数者による統治という原則を厳格に適用し、多数派の意志を少数派の意志に優先させる民主主義体制のあり方を理論化したものである。このような民主主義は多数派の専制をもたらしうる多数主義の形態をもたらすという見方がある。つまり民主主義の問題には人民が誰であるかだけでなく、どのように統治が行われるのかが含まれている。民主主義は被治者である人民を統治者と同一化するために政治参加の手続が整備されなければならない。例えば直接民主主義(direct democracy)ではこの政治参加の手続について、参政権を持つ市民全員が一同に大会議に集合して政治的意思決定を行う方法を選択している。また間接民主主義(indirect democracy)の方法があり、市民によって選出された代議士が政治的意思決定を行うこととなっており、代議民主主義(representative democracy)とも呼ばれる。また人民のための政府こそが民主主義の理想であるという考え方から全体民主主義(totalitarian democracy)と呼ばれる政体も提示されており、これは人民に選出された単独の指導者が発揮する政治的リーダーシップで運営される民主主義である。この最も極端な形態としてイタリアのファシスト政権やドイツのナチス政権のような独裁政権が例示できる。このような民主主義の多様性を整理したいくつかのモデルが示されており、ここでは古典的民主主義と現代の民主主義に大別している。

古典的民主主義

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ジェレミー・ベンサム(1748年-1832年)はイギリスの哲学者。オックスフォード大学で法学を学ぶものの法律家にならず著述家として生計をたてた。道徳哲学の領域において効用の最大化を正義の基準として定める合理的な道徳理論である功利主義を主張し、それを応用した社会問題の改革を提唱した。彼の著作には『統治論断片』、『道徳と立法の原理』など。

古典的な民主主義として参照されるのは古代ギリシアの都市国家ポリス、特にアテネにおいて発達した政体である。4世紀から5世紀にわたってアテネで行われていた直接民主制の理念を反映した体制と見なされており、ルソーやマルクスの民主政に関する思想に影響を与えながらも近代の政治体制で全面的に模倣されているわけではない。アテネ型の民主主義の政府は大会議によって運営されており、具体的には全ての市民が所属する議会での投票により意思決定が実施される。この会議は一年の間に40回も開催され、議会には50以上の委員会が設置され、全ての市民が生涯のうち最低一回は日替わりで交代される委員長の役務を勤めていた。このようなアテネの民主主義に対する批判を展開したプラトンは人々の集合が統治者としての知恵を備えているという認識に基づいた政治的平等に懐疑的であった。プラトンは国家を統治するためには人民により統治を行う民主主義ではなく、理性を発揮することができる哲人王により統治を行う独裁主義がより正当であることを主張している。ただし、当時のアテネで採用されていた民主主義体制を観察すると、人口の中で大多数を構成する奴隷が市民階級から排除されていたために、厳密な意味での民主主義が行われていたわけではなかった。17世紀から18世紀にかけてアテネで成立していた民主主義は新しく見直され、ロックは所有権を個人の自然権(natural rights)の前提としながら議論している。ロックによれば所有権は神から与えられた人間の基本的な権利であり、したがって人間は自らの所有物である身体や財産を自由に扱うことが許される。個々人が自らの利益のために自由に結ぶ契約から成り立つものが政府であり、民主主義とはその個々人の自由な意志を議会を通じて政府に反映させる体制である。ただし、ロックは投票を行う議会の成員は財産を持つものと限定しており、一概に人々に投票権を認めているわけではない。ジェレミー・ベンサムやジェームズ・ミルは功利主義(utilitarianism)の観点から民主主義に寄与した。ベンサムは全ての個々人が快楽を追求して苦痛を回避するものであるという考えから、社会を最善の状態として「最大多数のための最大幸福」という理念を提唱した。これは絶対主義の元で多数者の苦痛によって成り立っている少数者が幸福であるという状態を拒否するものであり、ベンサムは万人が平等に快楽を獲得する権利を持つという平等主義の思想に寄与した。この平等主義により民主主義体制において一部の財産を持つ市民階級だけではなく、全ての人々が投票を通じて民主政に参与する権利を持つことが正当化されることとなった。

現代の民主主義

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近代的な民主主義のモデルを提唱した人物の一人であるミルが強調する点は個々人の能力をより高い調和のもとで向上させることを促進する点である。このような民主主義の見方は本質的に教育的な要素を含むものであり、投票権は女性に対しても拡大されうる権利とされている。さらにミルは地方自治体の独立した権威をも提唱している。あらゆる政治的な意見に平等に価値があることを信じ、結果としてミルは全ての個々人に均等に付与する投票権から成り立つ多元的な民主主義体制を主張する。しかしながら、このような民主主義の性質はアレクシス・ド・トクヴィルによって「多数派の専制」をもたらし得る可能性が指摘されている。つまり多数派が常に正しい選択を行うとは限らないため、ミルも熟議民主主義(deliberative democracy)もしくは議会制民主主義を支持している。このような民主主義は政治的決断に主眼を置いた民主主義であったが、ヨセフ・シュンペーターは別の着眼から民主主義の枠組みを提唱している。シュンペーターの民主主義は人民の代表を選出する政治的方法に主眼を定めている。選出された議員により構成された議会は政府がどのように存続されているかを審査して存続させるべきかどうかを判断する役割を担っている。ここでの民主主義のモデルは自由や平等の価値観に基づいていないものであり、それまでの熟議民主主義の立場から批判されるモデルである。ただし、シュンペーターは自身の民主主義の在り方を維持するためには素質を持つ政治家の存在、特定の領域に限定された政治的決断、政府の行政機能を担う近代的官僚制の準備、そして民主主義の方法を使用する国民自身の自制心が不可欠であると論じている。

民主主義の実態

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民主主義は政治制度の理念として理論化されてきただけでなく、政治の実態として記述されてきた。現代において民主主義とは市民に平等に与えられた投票権に基づいて選挙で選出された代議士が政治活動を行う政治制度を意味するが、権力の健全な配分や経済的な平等と政治的な平等の関係について議論が分かれている。ここでは民主主義に対する多元主義、エリート主義、マルクス主義の立場をそれぞれ概観する。

多元主義の理論

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ジェームズ・マディソン(1751年-1836年)はアメリカの政治家であり、政治思想家。プリンストン大学で学び、大陸会議や連合会議での政治家としての経歴を持ち、大統領に就任した。多元主義の政体、連邦主義の国体を主張したことで知られる。著作にはハミルトンやジェファーソンと共に『ザ・フェデラリスト』がある。

多元主義の原点にはロックやモンテスキューが論じた自由主義の思想がある。しかし多元主義の構想が具体化されたのは、ジェームズ・マディソンの構想によるところがある。アメリカが植民地同盟から連邦制へと移行する上で、マディソンは抑制が不十分な民主政が多数派主義をもたらし、人民の名の下に個人の権利を侵害する危険があることを指摘した。そして社会における多元的な利益や団体が存在することを踏まえた上で、権力分立(separation of powers)、二院制主義(bicameralism)そして連邦主義(federalism)に基づいた統治機構を考案した。多種多様な少数派による統治の可能性を政治制度として確保することによって、マディソンは多元主義的な民主主義の運営を促進し、社会の多様性と多元性を反映させた。マディソンの民主主義のモデルはロバート・ダールの理論にも援用されている。ダールはアメリカのニューヘブンやコネティカットの都市における権力関係についての実証的な観察を通じて、政治過程において一部のエリートが恒常的に政治過程を支配することはできないことを明らかにした。またチャールズ・リンドブロムとの共著の中でダールは全ての市民による統治と区別する意味で全ての人々による統治をポリアーキーと定義した。このような多元主義的な民主主義は統治する側と統治される側の関係から特徴付けることができる。それは選挙時における政党の間の競合関係、また特定の利益を追求する圧力団体の政治活動を通じて、多元主義的な民主政では常に統治者と被治者が政治的なコミュニケーションの経路が構築されているという点である。ただし多元主義の立場に立脚しながらも多元主義的な民主主義は議論が分かれる論点もある。マディソンの民主制は多数派を細かい少数派に分割することによって単に人民から政治権力を遠ざけているに過ぎないというような批判がその一種である。また多元主義的な政体を統治することの困難性に対する指摘も考えられる。ダールは経済的資源の不平等な所有が結果的には政治権力の集中の傾向をもたらすことを指摘している。この問題はマルクス主義の観点も論じられており、後に概説する。

エリート主義の理論

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エリート主義(elitism)は自由民主主義や社会主義における平等主義の思想に対する批判の学説として発展してきた。エリート主義はグエンターノ・モスカやヴィルフレド・パレートなどにより理論として展開してきている。エリート主義の観点から民主主義を把握すれば、それはエリートという少数の集団によって常に政治権力が掌握されているという意味で錯覚である。モスカは著作の中であらゆる社会には支配する階級と支配される階級が存在していることを論じた。なぜなら、支配するために必要な権力資源は常に偏って社会に存在しており、したがって議会制民主主義においてもその原理は不変であると考えた。パレートは政治権力となりうる資質として大衆を操作する狐の資質と暴力によって支配する獅子の資質があると提起しており、ロバルト・ミヘェルスは寡頭制の鉄則(iron law of oligarchy)が発揮されるために民主制においても大規模な組織は必然的に少数の指導者により支配されることになると論じた。このようなエリート主義は民主主義が今日において必ずしも理念どおりに運営されていないことを指摘するものである。近年のエリート主義の議論にはライト・ミルズによるアメリカの都市行政における権力関係の研究がある。ミルズは民主制の社会においても権力エリートと呼ばれる勢力により支配が行われており、それは実業界、アメリカ軍、政治的党派の三つの勢力が主体となった支配であると主張した。この三つの勢力が結合することで重要な意思決定が主導されるものというのがミルズの見方である。この見方に対して既に触れたダールの多元主義的な民主主義の見解が対立するが、エリート主義はダールのような見解に対して特定の問題を意思決定の政治過程から排除する暗黙裡の権力である非決定権力の重要性を軽視していると批判する。またモスカのような一元的なエリート集団を認識するエリート主義ではなく、競合的なエリート集団のモデルを提起するエリート主義の見方もある。このようなシュンペーターは民主主義の記述的なモデルとして競合する複数の集団を指導するエリート集団が多元的に存在し、彼らが相互に競合し合いながら意思決定が行われていると見なした。

マルクス主義の理論

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ウラジミール・レーニン(1870年-1924年)はロシアの社会主義者であり革命家である。マルクス主義の研究を行い、ボルシェヴィキの政治指導者としてロシア革命とソビエト連邦の成立に貢献した。彼の著作には『帝国主義論』、『国家と革命』などがある。

マルクス主義の立場から民主主義の政治を観察する場合には階級分析に基づいた経済関係、特に生産手段の独占に基づいた権力関係を認識する。そして民主主義と資本主義の間の関係から支配階級(ruling class)の権力によって支配されたブルジョワ民主主義の存在を指摘する。マルクス主義にとって民主主義が政治権力を社会全体、つまりあらゆる階級に配分されることはありえない。マルクス主義はエリート主義と同様に究極的には少数の手中に権力が集中していると考えるが、一方でマルクス主義は権力資源の重要性を認める要素は経済的要素に限定されている。そしてマルクス主義は民主主義が支配階級が経済的利益を追求するために資本主義の経済体制や階級権力による支配の関係を保持しようとするブルジョワ民主主義であると主張する。マルクス主義の考える民主主義とは人民の民主主義(people's democracy)である。マルクスは「プロレタリアートの革命独裁」の時代を経て、資本家の民主主義から労働者の民主主義へ置き換えられることで共産社会が実現すると考えた。ロシア革命を指導したレーニンは「すべての権力をソビエトへ」と宣言してマルクスの考えた民主化の構想を実践した。レーニンは自身の政党ボルシェヴィキこそが労働者階級の政党とし、社会主義革命を実現する政治勢力と位置づけた。ソビエトにおけるレーニン主義の民主主義は他国の共産主義国家における民主主義のモデルともなったが、この民主主義のモデルには共産党の政治権力を抑制する制度的な仕組みがないだけでなく、労働者階級に対して直接的な責任を負う仕組みもなかった。現代のマルクス主義は暴力革命とは異なる社会主義への民主的な道を選んでおり、その意味で民主主義に対する見方はマルクス・レーニン主義とは異なっている。ユルゲン・ハーバーマスのような新マルクス主義の見解に立脚すれば、民主主義的な政治過程は政府が一般的な人々の欲求に応答することを強要し、国家の責任の積極的な拡大をもたらすものと見なされる。ただし、長期的には資本主義的な民主主義体制は政治的正当性を維持することが困難となりうる問題があることをハーバーマスは指摘している。

国家論

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国家(state)とは一定の国土において主権の下で統治を行っている政治的共同体である。国家とは公教育から社会福祉、経済政策、安全保障などの統治行為の主体であり、取引や結婚、信仰などの個人的な領域を構成する社会は国家の権威の対象と位置づけることができる。政治学において国家は最も重要な主題の一つであり、制度的構成や社会に対する影響などが分析されてきた。ここでは国家とは政治学的な観点からどのように定義されてきたのか、そして国家は規範的にどのような評価をされてきたのか、そして国家の社会に対する責任と政治的役割とは何であるかを概説する。

国家の諸理論

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国家権力の本質とは何か、国家はなぜ存立しているのか、このような国家の問題について応答するために国家の理論が提示されている。イデオロギー的、もしくは分析のための概念的な相違から国家論ではいくつかの立場から複数の理論が示されている。ここではリヴァイアサンの国家、単元主義の国家、資本主義の国家の学説を示すことによって、国家の全体像を概説する。

社会契約の国家

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トマス・ホッブズ(1588年-1679年)はイギリスの政治哲学者である。オックスフォード大学を卒業し、ピューリタン革命の際に王党派と見なされたためにフランスへ亡命し、帰国後も著述活動を続けた。近代政治哲学において国家理論を社会契約説の観点から基礎付けた『リヴァイアサン』の著者として知られる。他の著作に『市民論』、『ベヒーモス』などがある。

国家とは主権を伴う政治組織であり、一定の領土とそこに住む人民を支配し、時には強制力を伴う命令を下すことができる。このような性質を持つ国家を政治学的に説明しようとした政治哲学者トマス・ホッブズは国家を怪物リヴァイアサンとして見なした学説を示している。彼は国家が存立する以前の人間の自然状態とは「万人の万人に対する戦争」であったと論じている。なぜならば、彼の見解によれば個人とは自らの生存を維持する自己保存の原則に従って行動するものであり、またそのように行動することは自然権として認められていた。したがって、この戦争状態から脱却するために人々は自然権の自由な行使を停止し、その代わりに契約によって共通の権力を構築することが必要となった。ホッブズはこの社会契約によって構築される権力を国家の本質と把握した。ホッブズはこの社会契約により定められた内容に臣民と主権者の関係も含められていると述べている。国家を組織する人民は主権者に対して自らの自然権を委譲し、主権者によって保護される代わりに臣民として主権者の命令に服従することが求められた。平和を手にする望みがある限り、平和へと進めという自然法にこの社会契約は従ったものであった。リヴァイアサンとは有機的な臣民の組織化と主権者による統合によって成立するこのような国家のモデルを指したものである。ホッブズの国家モデルとは異なる形でありながらも、社会契約の形式を維持した国家論としてロックの学説を挙げることができる。ロックは自然状態についてホッブズのような戦争状態を想定しておらず、自然法の範囲内において自由に行動することができる平和状態であると考えた。ただしこの種類の自然状態においても犯罪行為が少なからず発生する恐れがあるために、これを抑制もしくは法執行を行わなければならない。しかし個人では公平な決断を行うことが難しく、個々人だけでその責任を負うこともできないために、結果として各人が契約を結ぶことで政府を設置しなければならなくなる。ロックの見解でも、国家とはこのような社会契約によって成立している政治組織であり、したがって国家権力はこの社会契約に反して個々人の所有権を侵害するようなことがあってはならないとされる。社会契約に基づいた国家論はルソーも提示しており、彼の理論でも自然状態は自己保存だけではなく憐れみの情を持った人間がそれぞれ自立しながら自由に生活していると想定されている。ただしルソーの国家の起源についての見解はロックの見解とは異なり、人間が自然状態で持っている自由や平等をより積極的に追求した結果生まれた産物であると捉えている。ホッブズ、ロック、ルソーにより発展された社会契約説に基づく国家論は現代においてはロールズの国家論に影響を与えている。

資本主義の国家

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フリードリヒ・エンゲルス(1820年-1895年)はドイツの哲学者である。実業家であった父の家業を継いだが、マルクスとともに社会主義の研究を進め、またマルクスに経済援助をも行っていた。マルクスと共著で研究を発表しており、マルクスの死後には『資本論』遺稿を編集した。彼の著作には『イギリスにおける労働者階級の状態』、『家族・私有財産・国家の起源』などがある。

国家が備えている権力装置としての側面についてマルクス主義の国家が階級闘争と関連しているとする国家理論を示している。この見解によれば、国家は本質的に社会における中立的な機関ではなく、社会の経済的構造に由来するものとして理解することができる。つまり社会に存在する支配する側の階級と服従する側の階級との間に闘争が発生しており、国家とはその階級闘争の道具と位置づけられると見なしている。マルクス主義の理論的な開祖であるマルクスとエンゲルスは体系的な国家理論を構築する著作を発表しているわけではなかったが、彼は国家が社会における上部構造(superstructure)であり、これは社会生活を営む上で不可欠な経済的基盤である下部構造に依っていることを指摘している。しかし明確に国家と資本家階級の関連について定義しているわけではないので、マルクス主義の論者の間での議論には二つの見方が並存している。一つは国家が社会において支配階級であるブルジョワジー(bourgeoisie)の社会的基盤により成立しているというレーニンなどが採っている見方である。もう一つはフランスの内乱の分析に基づいた国家が階級から相対的な自律性を備えているという見方である。両方ともに近代社会における階級の存在を背景とした国家を位置づける理論的枠組みである。ただし、マルクスは国家の存在を完全に否定していたわけではなく、資本主義の体制から共産主義の体制に移行する上で被支配の階級であるプロレタリアート(proletariat)による革命的独裁体制を導入することを議論している。マルクスの見解では国家は特定の階級が他の階級に対して支配を確立するための道具であり、したがってすべての国家は必ずある階級の独裁であると言える。プロレタリアートによる独裁を認めることはブルジョワジーによる反革命(counter-revolution)を阻止するための一時的な手段であり、最終的には完全な共産主義の社会の実現を目指している。このようなマルクスの国家理論は現代の新マルクス主義に継承されている。アントニオ・グラムシは現代の特定の階級が経済的な支配だけでなくイデオロギー的な支配を確立している情勢を指摘し、知的な指導力または文化的な統制を意味する覇権(hegemony)の概念を国家論に導入した。またミリバンドは特定の階級から不釣合いに選出されたエリートの代理人として国家を把握し、パーランツァスは国家を経済的または社会的な権力の構造を明らかにした。このような研究は資本主義の国家は自らの機構が作動する社会システムそのものを永続的に維持するよう活動することを示唆している。

多元主義の国家

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ジョン・ガルブレイス(1908年-2006年)はカナダ出身の経済学者である。カリフォルニア大学を卒業して戦時中には経済政策の立案に携わり、ハーヴァード大学では経済学の教授として教鞭をとるだけでなく大使としてインドに勤務した経験も持つ。現代においてケインズの経済理論を発展させ、公共政策の役割を重要視していた。彼の著作には『ゆたかな社会』、『新しい産業国家』などがある。

多元主義の国家論は自由主義者によって主張されており、国家が社会において中立的で調整的な役割を果たしていると考える。ホッブズやロックの国家理論では、個々人の社会契約によって設置された政府が自然状態の不自由さや野蛮さを国民全員のために取り除くものとして捉えられている。政府は個々の市民にとって中間的な立場にあり、特定の集団のためだけに活動するようなことは想定されていない。したがって、国家とは全ての市民の権利のために活動する中立的な存在と言えるものであり、常に万人に共通の公益を追求するものと考えられる。20世紀においてこの議論は自由民主主義の体制にある国家の役割を位置づける上で援用され、多元主義の国家理論では特定の社会階級の利益や利益団体の影響から中立的な立場にあると考えた。この議論の前提となっているものに国家とは政府に積極的に服従する存在であり、つまり官僚や裁判官、警察官や軍人など選挙で選出されていない政府組織の構成要素が政府の命令に対しては厳格に従うという前提がある。また国内において政治的な活動が効果的に行われることも前提となっている。つまり政党政治における支持獲得のための競争や利益団体の政府に対する働きかけが国民世論をそのまま反映していることが想定されている。ただし現代の多元主義の論者はこの前提に対して批判的な見解を示しており、ダールやリンドブロム、ガルブレイスは古典的な多元主義の国家論が想定していたより複雑な政治過程があり、また国民全体の公益が反映される可能性が限定的であると考えている。ガルブレイスの見解によれば、少なくともアメリカにおいて大恐慌以前には政治に影響力を持っていたのは大企業だけであったが、労働問題が深刻化してからは労働組合が対抗する影響力を持つようになった。そして将来的には公共政策を通じて経済を調整する政府も加わり、大企業、労働組合、政府が将来のアメリカの民主政治を主導するようになると考えた。経済現代の多元主義の見解によれば官僚の事務次官などの国家のエリートは国民の利益とは異なる個々の部署や組織のための利益を追求する可能性が常に認められる。したがって、政府が必ず中立的な存在であるとは限らなないのである。このような多元主義の議論は、ノードリンガーが発展したような、国家を中心とした自由民主主義のモデルの構築に伴って参照されている。

国家の役割

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国家の役割は国家が何をするべきかという規範的な観点から考察することができる。国家の役割は政治的立場によって正当化できるものもあれば、必要悪として正当化できるものもある。国家の役割を理解するためにはいくつかの立場から国家の機能や責任を考えることが必要である。一つの基本的な考え方として、国家の役割は国家と市民社会の間に発生する権力と自由の均衡を踏まえて研究できる。ここでは最小国家、社会民主国家、全体国家の観点から国家について論じる。

最小国家

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最小国家(minimal state)とは国家の自由主義的なあり方であり、個人が自由の領域が最大限に国家権力の影響から守られている状態を確保したものである。これは社会契約説に基づいた国家像でもあり、ある意味において国家を可能な限り消極的な役割に位置づけようとしている。この最小国家の立場に基づけば、国家が果たさなければならない中心的な役割とは平和を維持しながら個々人が自らの生活を営むことを可能とする社会秩序を維持すること、すなわち安全保障の領域に限定される。自由主義の立場にあったロックは、国家の活動を「夜警(nightwatchman)」と特徴付けており、社会に対する日常的な権力の行使を権利(right)侵害の観点から拒否していた。そして第一に国家は治安を安定化させ、第二に個々人の間で交わされる契約や合意の履行を確実なものとし、第三に外敵からの攻撃に対して防衛することを国家の役割として挙げた。したがって、最小国家では警察、司法、軍隊などの政府組織の役割は抑制されており、経済の運営、文化の保存、道徳的判断などの政治的な問題についての責任は市民社会が担うものとされている。つまり経済介入、文化統制、道徳の強制は最小国家の役割として完全に排除されている。しかし最小国家のモデルも時代に応じて変化しつつある。現代における新右翼の議論において最小国家の理念は古典的な最小国家の理念を修正したものである。新右翼は国家の原初的な状態に回帰する必要性を主張している。ノージックはロックが論じたような自由主義的な最小国家は個人の権利の中でも特に財産権を保障することを大前提とし、ミルトンなどは経済学的な観点から国家の介入によって効果的な自由競争が妨げられると考えていたことを指摘する。新右翼の立場に基づけば国家の役割が最小限であることは支持できるが、役割を及ぼすことができる領域について次のような修正が行われる。それは国家の経済的な機能について、インフレーションを可能な限り低い水準に留め、また完全競争となるように促進しなければならないというものである。国家が経済の安定化を保証することは安全保障と並ぶ最小限の役割の範疇に加えられる。事例としては現代におけるアジアの新興国である台湾、シンガポール、マレーシアなどは最小国家の代表的な事例と見なすことができる。

社会民主国家

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ジョン・メイナード・ケインズ(1883年-1946年)はイギリスの経済学者である。ケンブリッジ大学で学び、インド省や大蔵省を歴任しながら経済学の研究を進め、公共投資政策を理論的に基礎付けた。経済状態を有効需要の調整によって管理することを提起して経済学におけるケインズ主義を確立した。著作には『講話の経済的帰結』、『雇用・利子および貨幣の一般理論』などがある。

発展途上国ではしばしば経済発展や社会福祉のために、社会への積極的な介入が実施される。これは社会民主国家(social-democratic states)と呼ばれる国家のあり方として捉えることが可能であり、社会民主国家は最小国家とは異なる公平性(fairness)、平等性(equality)、または社会正義(social justice)の原理に基づいて活動する。これらの国家は国家が市民社会の経済活動や社会状況において経済政策、社会福祉、国民教育などの幅広い領域にわたって日常的に重要な役割を果たしている。社会民主主義の立場に立脚した議論の重要な論拠となる議論に主にケインズ主義(Keynesianism)と福祉国家(welfare states)がある。ケインズは経済成長の促進や完全雇用の調整などの経済政策を通じて国家が資本主義経済を管理することを構想していた。このようなケインズ主義の考え方の背景には自由放任政策が経済の不安定化、失業問題、また時には恐慌という社会不安をもたらすという見方がある。古典的なケインズ主義では国家は公共事業の実施を通じて雇用を創出し、余剰の資本の投資を主導的に促進することを通じて景気回復を試みる役割が与えられている。歴史上では大恐慌に陥ったアメリカが従来の緊縮財政ではなくニューディール政策によって積極的に経済に介入することを試みた事例がある。この政策ではケインズ主義の立場に基づきながら公共事業により学校や道路の建設、開発計画や産業復興によって景気の回復を促進した。次に福祉国家とは市民の生活水準を向上させることを促す福祉政策を積極的に行うことに責任を持つ国家である。グリーンは自由主義の立場から国家が担うべき役割が個人の自己実現の上での障害を取り除くことであると考えていた。つまり人間の価値とは人格の完成に求められるのであって、自由はその完成に至るための手段であると捉える。グリーンは個人の人格が完成するために積極的な自由が不可欠であり、これを実現するために国家がその自由を社会に対して保障するべきであるという国家の役割を確立しようとした。したがって、個人の社会的自由のために国家は財の再分配、所得保障、その他さまざまな社会福祉を行うべきであると論じられる。福祉国家を実践していると見られる現代の国家にはオーストリアやスウェーデンなどの国家があり、例えばスウェーデンでは社会福祉の規模が比較的大きく、課税と社会保障に対して国民所得のうち約7割を社会が負担している。

全体主義

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フリードリヒ・ハイエク(1899年-1992年)はオーストリア出身の経済学者である。ウィーン大学で法学を学んだ後にアメリカに渡り、各地の大学で教鞭をとっていた。景気循環や資本蓄積に関する経済学的な研究で評価されているだけでなく、理性主義や集産主義に対する批判を行ったことで知られる。彼の著作には『隷従への道』、『科学による反革命』などがある。

最小国家や社会民主国家よりも強大な権力伴う役割を担う国家の形態もある。全体主義(totalitarianism)は経済だけではなく教育、文化、宗教、さらに家庭生活にも及ぶ広範囲かつ強力な国家権力を指し示す概念である。全体主義の形態を採用している国家はそれほど一般的な国家ではないが、近代以後にはヒトラー政権のドイツ、スターリン政権のソビエトなどは全体主義の国家の事例としてしばしば取り上げられる。全体主義の本質は市民社会の活動を抑制し、また生活における私的領域が国家によって制限されることにある。国家主義(statism)とは社会発展や政治、経済の問題を解決するために国家権力が介入することを主張する政治的な信念の一種であり、全体主義の国家体制を特徴付ける要素でもある。ただし、国家の役割が経済的領域にのみ制限されているならば、それは集産国家(collectivized states)の概念で理解できる。集産国家は社会における経済活動のすべてを国家の統制下に置き、事例としては多くの共産主義国家が該当する。集産国家の特徴は市場経済の代わりに指令経済(command economies)を施行していることであり、これは中央集権的な組織によって作成された計画に従いながら経済活動を組織化する経済体制である。この国家の集産化(collectivization)は根本的には私的な財産を共有化する社会主義の原理によって正当化されている。この考え方はマルクスとエンゲルスなどによって提唱されたものであり、特定階級によって独占された財産を社会によって所有することを志向するものであった。このような集産国家を目指していたソビエトは指令経済を維持するために経済領域を超えて国家権力の拡大が進み、警察権力や官僚権力の強大化をもたらす結果となる。ハイエクは全体主義の国家についての研究で社会が持つ自律的な市場経済の機能を停止し、国家が指令経済を導入することを計画化と呼ぶ。経済領域での計画化が推進されることは必然的に社会の全ての領域に及ぶ計画化をもたらし、最終的には権力を掌握している少数の人々に対して社会が隷従することを余儀なくされることを指摘する。

ナショナリズム論

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国民(nation)とはラテン語の「生まれる(nasci)」という言葉に由来しており、文化的、心理的、政治的な要因からもたらされる複合的な現象である。近代以後において国民は政治秩序の主たる要素と見なされてきており、例えば個々人に権利を認めているように国際法は国民に対して政治的独立と自決権を認めている。しかし国民の形成を理解するためにはナショナリズム(nationalism)のイデオロギーや政治運動を把握する必要がある。歴史的には革命や戦争によってナショナリズムは助長されており、フランス革命はその後に発展するナショナリズムの元型を示す事件であった。ここではナショナリズムの概念とそれをもたらす基盤について概観し、さらにナショナリズムの諸理論について述べる。

ナショナリズムの基盤

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国民(nation)とは「誕生すること」を意味するラテン語のNasciに由来する言葉であり、文化的、心理的、または政治的要素に基づいて形成されている複合的な社会的な単位である。政治的には国民とは政治的な共同体を共有する団体であり、現代の多くの国民国家はナショナリズムによって基礎付けられている。ナショナリズムとは国民が形成される政治的な過程であり、またそれを推進する運動であり、またそれを正当化するイデオロギーでもある。ここではナショナリズムの一般的な特徴について概説することによって、ナショナリズムの基礎的な理解を促したい。

文化的共同体の基盤

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ヨハン・ゴットフリート・ヘルダー(1744年-1803年)はドイツの哲学者、文学者である。ケーニヒスベルク大学でカントの哲学の影響を受け、ヨーロッパ各地を遍歴した後にワイマールに落ち着いた。ドイツにおける啓蒙主義への批判とロマン主義の運動において知的な指導者となり、言語学や哲学の研究に影響を与えた。著作には『言語起源論』、『人類歴史哲学考』などがある。

一般に国民とは民族のことを意味し、民族という文化的な共同体によって構成されている考え方はヘルダーやフィヒテの議論にまで遡ることができる。ヘルダーは国民とは風土や地域性といった自然地理的な環境に影響を受け、生活習慣や労働慣習、人々の態度を共有する存在と見なしていた。特にヘルダーが重要視していたのは言語が果たしている役割であり、人々の伝統や歴史的な記憶を体現する媒体と考えた。例えば歌謡、神話、伝説などの言語活動に反映される人々の精神(volksgeist)は国民を創造する根源的なものと位置づけていた。だからこそ、ヘルダーは文化主義の立場からナショナリズムを分析していたのであり、自国民の文化的伝統を自覚することの重要性や国民としての歴史的な記憶の意義を強調していたのであり、ドイツの国民的意識はグリム兄弟の童話やワーグナーの歌劇に示される伝説や神話によって構築されると論じていた。ヘルダーのナショナリズムの見解は現代の社会心理の分析によっても裏付けられており、人々は帰属意識や集団的な同一性を獲得するために集団を形成する傾向があることが分かっている。言語を中心とする文化的共同体として成立するナショナリズムの見方は特に19世紀におけるヨーロッパ諸国での国民形成を説明しているが、しかし古代の社会においてもナショナリズムがありえた可能性を示している。アーネスト・ゲルナーの歴史学的な見解ではナショナリズムが産業化という側面と関連していると考えられている。ゲルナーの理論で示唆されているのは、ナショナリズムが近代に特有の現象であり、産業化において社会の流動性が高まり、個人主義的な競争がもたらされると新しい文化的基盤を構築する必要が発生した事態である。したがってナショナリズムとは伝統社会と近代社会を区別する新しく成立した文化的共同体であると捉えることができる。またフリードリヒ・マイネッケは文化的国民と政治的国民を区別しており、文化的国民とはまず高度な民族的アイデンティティを確立し、かつそれが国民的アイデンティティと交錯することによって成立している。つまり文化的国民は一種の有機体であり、自然的または歴史的な要因によって政治的要因よりも強く結合されたものである。

政治的共同体の基盤

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国民には民族としての文化的なアイデンティティよりもむしろ市民の忠誠や政治的な団体性を強調することが含意されている場合がある。ルソーの議論はこのような近代的な意味での国民、ナショナリズムを論じた初期の思想家であり、フランス革命のナショナリズム運動に影響を与えた人民主権と一般意志の概念を提唱した。ルソーは貴族的な政治体制を批判する上で政府が人民の一般意志に立脚しなければならないことを主張した。フランス革命によって形成されたナショナリズム運動はフランス国民という近代的な観念として結実することになる。これはヘルダーなどが想定していたような民族的な共同体ではなく、政治的な共同体としての国民であった。政治的共同体について歴史学的な観点からエリック・ホブズボウムは新しい伝統の創出に着目する。同時にホブズボウムは民族のような文化的共同体の延長として国民という政治的共同体を理解する立場を退ける。そしてナショナリズムを近代という時代に特有な現象、19世紀的な現象として理解する。当時の社会では国民国家の成立や公用語の制定、義務教育の導入による社会的な統合が進められていた。ナショナリズムとはこのような時代背景に基づいてもたらされたものであり、だからこそ国民という存在は近代より前には存在しなかったと考えられる。ベネディクト・アンダーソンの立場もこれに類似しており、国民を想像の共同体(imagined community)として理解しようとする。アンダーソンの着眼点は個々人が互いに知り合っている対面社会と近代的な国民が成立した社会の決定的な相違点として幅広い国民的アイデンティティが共有されていることにあった。国民が存在するということは個々人が直接的な体験によって知りうる人々とだけ社会的な一体感を持つのではなく、出版産業、マスメディア、教育を通じた社会化の過程によって、個々人が間接的にしか知りえない人々とも一体感を持つことを意味している。

ナショナリズムの諸理論

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政治学においてナショナリズムの概念には複数の意味合いを含んでいる。一般にナショナリズムは対内的な側面から集団の団結と自立を促すものであり、一方で対外的な側面から征服や植民地化を促すものでもある。さらにナショナリズムはそのような効果をもたらす象徴的な理念またはイデオロギーとしての側面と、そのような過程をもたらす政治運動としての側面を持っている。ここでは四つの理論を概観することで、ナショナリズムという現象の複合性を描き出していく。

自由主義的ナショナリズム

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ジュゼッペ・マッツィーニ(1805年-1872年)はイタリアの政治家。ジェノヴァ大学を卒業後に一度弁護士となるが、革命運動に参加するようになる。やがて独自の政治団体を組織してイタリアの統一と自由共和制の樹立を主張する。1848年革命が勃発した際には執政官として加わるも短期政権に終わっている。著作には『ナショナリティについて』、『人間の義務』など。

自由主義的ナショナリズムはヨーロッパの歴史においては典型的なナショナリズムの形態であり、フランス革命に端を発している。フランス革命では自由主義的なイデオロギーを掲げて王制が打倒され、その後に改めてナショナリズムに基づいた共和制の国民国家が樹立された。しかし、その後にナショナリズムの概念はさまざまな政治状況において用いられながら拡散していったが、イタリアにおける1848年革命は自由主義的ナショナリズムの古典的な在り方を体現していた。この革命では国民としての独立と統一に基づいた共和制の政治体制が希求されていた。革命の首謀者の一人でもあったジュゼッペ・マッツィーニはイタリア統一のためにナショナリズムの運動を主導していた政治指導者であったが、彼はイタリアのナショナリズム運動が自由主義的な共和制の確立へと方向付けることを主張していた。同様の主張をラテン・アメリカの独立指導者であったシモン・ボリバルも行っており、彼もナショナリズムの運動を自由主義的な政治体制に結びつけることを目指していた。自由主義的ナショナリズムが依拠している共通の理論的な基盤とは人間は本来的には国民という組織的な集合体によって区分された存在であり、国民それぞれが独自の同一性を持っているという前提である。そして、これはルソーが論じていた人民主権(popular sovereignty)の理念のもとに国民を自立させようと試みる考え方でもある。このような考え方が成立した背景には19世紀におけるヨーロッパではさまざまな民族集団を含んだ帝国が存在していた事情があった。マッツィーニの見解によれば、彼の政治運動はイタリア統一のためだけではなく、オーストリアの専制的な支配からイタリアが脱却するための運動でもあり、最終的には民族自決権(natinal self-determination)の回復を求める活動だと位置づけられている。このような各国民の自決権を実現しようとする自由主義的なナショナリズムは第一次世界大戦後にウッドロー・ウィルソンによっても主張されており、彼は文化的にも政治的にも統一されている国民を中心に国際秩序を構築することによって国際平和を実現しようとしていた。

保守主義的ナショナリズム

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オットー・フォン・ビスマルク(1815年-1890年)はプロイセン・ドイツの政治家。貴族階級に生まれ、ゲッティンゲン大学とベルリン大学で学んだ後に兵役を経てビスマルク家の家督を継いで政界に入る。統一事業を通じてドイツ帝国の建設に貢献し、外交交渉にも携わった。著作に『人間と政治家』、『思想と回想』など。

保守主義的ナショナリズムは自由主義的ナショナリズムと比べて新しい形態のナショナリズムである。19世紀の中葉における保守主義者によって主導されたナショナリズムは伝統的なナショナリズムと異なる理念に基づいていた。それは国民の自決権というよりもむしろ、国民的な愛国心の観念に由来する社会秩序の保持を伴うナショナリズムの理念である。保守主義の見解では国民という共同体の中で伝統や歴史を共有しながら人間が存在していると考えるので、ナショナリズムの原理においても国民への忠誠心や国民としての自意識をより強調する。しかも、これは特に国民の存亡を左右するような緊急事態においてますます強調されるものである。このような保守主義的ナショナリストには歴史的に見ればイギリスのベンジャミン・ディズレーリ、ドイツのビスマルク、ロシアのアレクサンドル3世などが挙げられる。特にビスマルクは統一ドイツのために典型的な保守主義的ナショナリズムを活用した政治指導者であった。ビスマルクはドイツ統一以前にはプロイセンの首相であったが、ドイツ系以外の文化圏を多数支配していたオーストリア帝国を排除しながらドイツ国民の統合を主張した。彼の保守主義的ナショナリズムが明確に表明された1862年の鉄血演説では、ドイツ統一のために必要なものは自由主義イデオロギーではなく、あくまで力であることが述べられている。ビスマルクはドイツのナショナリズムと大規模な軍備拡大を結びつけ、近隣諸国のデンマーク、オーストリアやフランスとの戦争に勝利を収めた。このことが、最終的にドイツ帝国の樹立を可能とするような政治環境を創出することに寄与した。このように保守主義的ナショナリズムでは危機に直面した国民が団結することによって政治的な共同体を保持することが重要視されるナショナリズムであり、自由主義的ナショナリズムと異なる理念を持っている。自由主義的ナショナリズムと保守主義的ナショナリズムのより直接的な相違点は国民が共有している伝統に対する価値観と社会革命の認識である。保守主義的ナショナリズムでは古来より継承されてきた伝統に基づいて社会が成立しており、自由主義もしくは社会主義のイデオロギーから主張されるような急激な社会改革に対して否定的である。なぜなら、本質的に保守主義的ナショナリズムが想定している国民の本質が文化的共同体としての民族であり、歴史の中で形成されてきた美徳や道徳であり、また民族の言語や宗教、伝統的な社会制度を通じて共有されている一体性にあるためである。

膨張主義的ナショナリズム

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アドルフ・ヒトラー(1889年-1945年)はドイツの政治家。オーストリアで生まれ、第一次世界大戦に従軍した後に後にナチ党となるドイツ労働党の活動に参加する。反ユダヤ主義と膨張主義的なゲルマン主義を主張し、政権についてからは再軍備と第二次世界大戦、そしてホロコーストを進めた。著作には『わが闘争』、『続・わが闘争』など。

膨張主義的ナショナリズムはより軍事的かつ好戦的な特徴を持つナショナリズムの形態である。ナショナリズムは集団の対内的な団結や統一の追求だけでなく、平行して対外的な独立や自立の追求をもたらす。膨張主義的ナショナリズムが出現するようになったのは19世紀末のヨーロッパ列強の間においてであり、列強は帝国主義的な政策を進めながら世界各地の植民地をめぐる対立を繰り広げていた。当時の国際情勢の中で列強の自国の優越感に基づく大衆的なナショナリズムと帝国主義的な膨張政策としての植民地化が次第に結びつくようになった。このような列強の膨張の対立は第一次世界大戦と第二次世界大戦をもたらす要因の一つとなった。第一次世界大戦ではフランス、イギリス、ロシアとドイツ、イタリア、オーストリア・ハンガリーの対立、第二次世界大戦では日本、イタリア、ドイツとソビエト、フランス、イギリス、中国、アメリカの対立が背景にあった。このような膨張主義的ナショナリズムを主張した人物としてフランスのシャルル・モーラスやドイツのアドルフ・ヒトラーを挙げることができる。モーラスは個人に対して国民こそが重要であると考えており、個々人の人生に比べれば国民の統合と存続こそが優先されるべきことだと論じた。さらに彼の議論はこのようなナショナリズムにとって自由民主主義的な政治制度は望ましくないという主張によっても特徴付けられる。なぜならば、モーリスは国民という存在は古典的な美徳とキリスト教の価値観により形成されているものであるためである。モーラスの見解に示されているように、膨張主義的ナショナリズムは自由主義的ナショナリズムや保守主義的ナショナリズムと比べて自由民主主義を基礎付けている自由や平等の理念に対して敵対的である。ヒトラーのナショナリズムは膨張主義的ナショナリズムの他国民に対する敵対的または好戦的な性格を表している。このような考え方においては他の国民との関係が自己と他者の明瞭な関係に置きなおされ、それは時に急進的な人種主義や排外主義をもたらすことになる。ヒトラーは自らの政治的主張として急進的な反ユダヤ主義を主張しながら、ドイツの対外的な膨張主義に結びつけた。自著の中でこの主張は三段階の計画として提案されている。第一にドイツだけでなく周辺諸国にも居住するドイツ人を結集し、第二にドイツの生存圏を確保しながら強力な帝国を建設する。そして最後にはヒトラーがアーリア人による世界支配を実現する。これは一国を超えた国民的統合を目指す汎ナショナリズム(pan-nationalism)の主張であると言える。

多文化主義

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ファイル:IsaiahBerlin.jpg
アイザイア・バーリン(1909年-1997年)はイギリスの哲学者。ロシア統治下のラトビアで生まれ、戦争や革命を避けてイギリスへ移る。オックスフォード大学を卒業し、第二次世界大戦では外務省の職員として勤務した。戦後に啓蒙主義の思想史の研究をはじめ政治哲学の研究でも業績を残した。著作には『自由論』、『ハリねずみと狐』など。

文化的または政治的に統一された国民の観念は1960年代以後に台頭した多文化主義の思想と対決するようになる。多文化主義の概念には一つの社会の中で複数の異なる文化的な集団が並存することで文化的な多様性がもたらされていることを記述する意味合いがある。これは人種的、民族的、言語的な多様性をそのまま保障されている多元的な社会に見出される特徴である。さらに多文化主義を規範的な観点から見れば、それは文化的な多様性を担う社会内部の諸々の集団に固有の信仰や言語の自由を尊重する思想的な立場である。ナショナリズムをめぐる政治動向は近代における国民国家としての同一性を問題としてきたが、多文化主義は同一性の差異と文化の多元性において許容されるべき範囲を問題とする。このような立場が出現してきた背景には人種主義への反省や移民の増大に伴う文化摩擦が問題となってきたためである。アメリカでは建国された当初から多様な人種や民族から形成された多民族国家であったが、多文化主義が政治問題として明確に争われるようになるのは1960年代に黒人に対する人種差別への批判が政治運動として成立してからであった。同じようにオーストラリアでも多文化主義が政府によって自覚的に政策の理念と位置づけられるようになったのは、アジアからの移民が増加していた1970年代に入ってからである。イギリスにおいて多文化主義は国内におけるアフリカ系やアジア系の文化的共同体と白人の文化的な軋轢を克服することを推進する立場となっている。このような多文化主義の古典的な説明にミルの考察を挙げることができる。ミルは社会が多元的であることが個人と社会にとって重要であると主張しており、それは道徳的、文化的、宗教的な信念を選択する余地があることは本質的に個人の自由を保障するためであり、同時に多様な価値観は民主的な議論の健全な活性化をもたらすことで社会を発展させることができるためである。またバーリンは多文化主義が価値の多元主義として理解できることを示唆することで多文化主義の理論を基礎付けた。彼は人間にとって普遍的に良い生活の観念は実在せず、数多くの観念の競争が実在すると考えた。つまり、個人について考える限り、人生の価値や目標をめぐる競合がなけれならない。また社会についても、政治的な空間を人々が共有できるように道徳的、文化的な信念を許容しなければならない。

国際政治学

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国民国家が統一的な行為主体として捉えられ、また国家間の利害の一致や対立が増大するに従って、近代的な国際関係が構築された。国際政治とは国際関係において発生する政治的な相互作用であり、現代の国際政治は特定の地域における国際関係だけではなく、地球全域に及ぶ範囲の国際関係を扱っている。伝統的な理解では国家が国際政治において最重要の行為主体であり、したがって国内政治と国際政治には明確な区分を設けることが適当と考えられた。したがって国際政治とは国境の外側で発生する事態であると見なすことができるが、後に社会のグローバル化が進むにつれて国内政治と国際政治の絶対的な区別を見なおす見解も示されている。ここでは国際政治のこのような変化について理解するために、国際政治を説明する主要な立場と世界秩序を規定する構造について述べる。

国際関係の理論

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国家の間に発生する政治的な関係については通商や戦争を通じて古代ギリシアの頃から認識されてきたが、国際システムを説明する学説が構築されるようになったのは三十年戦争の終結時に締結されたウェストファリア条約に基づいた国際関係が成立してからであった。このウェストファリア条約によってヨーロッパでは主権を持った独立国家が主体となる国際関係が成立したのである。

理想主義

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イマヌエル・カント(1724年-1804年)はプロイセンの哲学者。ケーニヒスベルク大学で自然科学を学び、後に同大学の論理学と形而上学の教授となった。政治哲学の領域では社会契約説の考え方に基づきながら、個人の自然権を確実なものとする国家、そして恒久平和を実現するための国家の連合を提唱した。彼の重要な著作には『純粋理性批判』、『法論』、『永遠平和のために』などがある。

国際政治の学説において理想主義(idealism)とは道徳的または規範的な立場に基づいた理論であり、そのためユートピア主義(utopianism)が発展した政治思想と捉えることもできる。ユートピア主義の立場から中世のアクィナスは道徳的な根拠に基づいて国際関係での行動を規定することを主張し、さらに正当化できる戦争として正戦(just war)の条件を定めることで戦争行為を制限することを試みた。それは正当な権威者により戦われること、正当な原因の下で戦われること、そして正当な意図で戦われることの三つの条件を課すものであった。イマヌエル・カントはこのようなユートピア主義の政治思想を世界政府の構想に向けて発展させることで理想主義の体系的な政治理論を構築した。カントは戦争を禁止する恒久的平和のために、国家の恣意的な原理ではなく普遍的な原理にしたがって世界の政治秩序が組織されるべきであるという国際主義(internationalism)に特徴付けられる思想を発展させた。国際主義の前提には戦争の発生が不利益となるような人間の普遍的な道徳、もしくは自由貿易を通じてもたらされる国際的な相互依存の重要性が強調されている。このような国際主義は仮に侵略行為を行った国家があれば、それに対して他の国家が集団的な制裁を加える集団的安全保障(collective security)とそれを基礎付ける国際法(international law)による武力紛争の抑制を積極的に肯定している。カントの理想主義の思想は第一次世界大戦後にウッドロー・ウィルソンにより設置された国際連盟によって体現されることとなり、その試みは一度は失敗するが第二次世界大戦後には国際連合として再建された。国際連合の元ではそれまで国家の主権として認められてきた武力行使が原則として違法化され、国連の下に置かれる安全保障理事会で侵略行為が認定されれば軍事的、非軍事的な制裁措置が可能であることが定められた。理想主義の理論は冷戦期の世界でさらに発展され、新理想主義(neo-idealism)の理念と運動をもたらした。1970年代にはカーター政権はアメリカの外交政策の諸目標が人権(human rights)に基づいていることを主張し、核兵器などの大量破壊兵器や無差別攻撃をもたらす兵器や武器の保有、ベトナム戦争やイラク戦争など特定の戦争の遂行に対して人道的な立場から反対する平和主義(pacifism)の運動が市民運動として広がりを見せた。新理想主義の立場から改めて近世以来の正戦論の重要性も再評価されるようになり、ゲリラ戦争、内戦、対テロ戦争などの冷戦以後に現れた新しい紛争状態に対する理想主義の立場が研究されるようになった。

現実主義

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エドワード・ハレット・カー(1892年-1982年)はイギリスの外交官であり、歴史学者。ケンブリッジ大学の卒業後に外務省に入省し、退職後にウェールズ大学で研究者となる。ロシア革命の歴史についての研究だけでなく、第二次世界大戦をもたらした国際関係について理想主義だけでなく現実主義の立場から論じたことで知られる。著作には『危機の二十年』、『革命の研究』などがある。

国際政治に対する立場として現実主義は長い伝統を持っている。遡ればトゥキディデスのペロポネソス戦争の叙述や孫子の戦略思想にも現実主義の思想が認められ、近代的な現実主義の思想を展開した人物にはマキアヴェッリやホッブズがいる。しかし現代の国際政治における現実主義の立場が明確化されたのは世界大戦の時期であった。現実主義は人間が自己保身のために行動する側面を重視し、国際政治が国益の追求とそのために権力政治の方法がなされていると認識する立場を採用する。したがって、現実主義の前提は国家が国際社会における最も重要な行為主体であるということである。現実主義者のカーやモーゲンソーは第一次世界大戦と第二次世界大戦を防ぐことができなかった国際政治の経験を踏まえながら、理想主義の限界を指摘しながら世界秩序を安定化させるために勢力均衡(balance of power)の理論を提唱した。これは膨張や侵略を進める傾向にある国家に対して別の国家が国力を増大または同盟によって国力の統合を図ることによって、相互に侵略的行為を抑制する国際関係の形態を言う。また世界では資源や権力、資財が平等に分配されているわけではないために、それら国力の要素が集中している大国(great power)を中心としながら勢力均衡の国際関係が展開することも論じられた。その必然的な結果として国際秩序は大国が従属国、植民地、または経済ブロックなどを含む勢力圏(spheres of influence)によって構成されるようになると考えた。実際に冷戦期においてアメリカを中心とする西側諸国とソビエトを中心とする東側諸国に世界が分断され、またアメリカはソビエトの進出を阻止するための封じ込め政策を展開することになる。現実主義の理論は1980年代に入ってから再検討され、新現実主義と呼ばれる理論を生み出すことになる。新現実主義者のウォルツは国家を中心とした勢力均衡の分析が中心であった従来の理論に対して国際関係の構造を中心とした勢力均衡の理論を提唱した。国際システムの構造において勢力がどのように分布しているかによって、国際政治の動向を分析することが可能となった。

マルクス主義

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イマニュエル・ウォーラーステイン(1930年生)はアメリカの社会学者。コロンビア大学大で社会学の博士号を取得し、カナダやアメリカの大学で世界システムの研究と教育を行ってきた。後にアフリカ研究と政治経済学、そして歴史学のアナール学派の理論を応用して世界システム論を確立した。著作には『近代世界システム』、『世界経済の政治学』など。

国際政治においてマルクス主義の理論は他の理論とは異なる着眼点を持っており、それは経済力と国際資本が果たす役割を強調していることに特徴付けることができる。マルクスとエンゲルスは基本的に国内の階級闘争を視野に治めながらブルジョワジーとプロレタリアートの対立の構造を研究していたものの、共産党宣言の最後の部分で世界の労働者の団結をはっきりと呼びかけていた。マルクス主義の理論を国際政治に応用して研究を前進させたレーニンは帝国主義の分析を通じて高度に発達した国内での資本主義が海外への軍事的征服と植民地化に結びつけたことを結論付けており、この理由こそが第一次世界大戦の原因であったことを主張している。彼の見解によれば、宗主国と植民地の関係はブルジョワジーとプロレタリアートの関係のように、経済的な従属(dependence)が発生しているのである。そして第一次世界大戦の本質的な性格とはアフリカやアジアの植民地をめぐるヨーロッパの宗主国による帝国主義のための戦争であった。このような階級、従属、資本主義という基本的な考え方は現代のマルクス主義において理論的に発展が進んだ。古典的マルクス主義の研究者が国民的な資本主義システムに注目していたのに対して新マルクス主義の研究者は20世紀の国際関係において展開されている世界的な資本主義システムに注目している。支配と従属という構造に対する分析は1対1の関係ではなく先進国という中心国グループと途上国という周辺国グループとして分析されるようになり、より規模の大きな国際関係を分析することが可能となった。プレビッシュとシンガーの研究は植民地が消滅した現代世界においても交易の体制が先進国に有利に働くために先進国と途上国で従属がもたらされると考えた。このような従属の問題に対してイマニュエル・ウォーラーステインは国家を中心とするのではなく世界全体を単一のシステムと捉えながら、その内部で中核、準周辺、周辺と分化していると考えた。世界システムの中で機能している中核、準周辺、周辺はそれぞれ世界経済システムの中に組み込まれており、中核はその時代で最先端の産業を持つ地域であり、周辺は中核へ資源や食糧などを供給する低開発の地域である。ウォーラーステインはこのようなシステムに対する抵抗があることを指摘しており、20世紀の社会主義運動や民族解放運動などは反システム運動として理解できることを論じている。

多元主義

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ナオミ・クライン(1970年生)はカナダ出身のジャーナリスト、社会活動家。トロント大学で学んだ後に編集者の仕事と平行して社会活動を行う。グローバリゼーションや企業による支配に対して批判的な立場から、現代の資本主義経済の評論を行うだけでなく、社会活動家としてアジアやラテンアメリカを歴訪する。著作には『ブランドなんか、いらない』、『貧困と不正を生む資本主義を潰せ』などがある。

多元主義の理論が国際政治の研究に導入されるようになったのは1960年代のアメリカにおいてであった。伝統的な国際政治の理論に対して多元主義の理論は多種多様な集団や団体の存在を強調しており、国家だけを中心とする現実主義や理想主義とは異なる視角を示している。ジョン・ボートンは国家を中心とした国際政治の研究に限界があることを指摘し、世界政治の中で国家だけでなく多国籍企業(Multinational corporations)、非政府組織(Nongovernmental organization)などの行為主体を含めて分析する必要を主張している。したがって、多元主義の研究ではグリーンピース、パレスチナ解放機構、アムネスティ・インターナショナルなどの組織を研究対象と見なしながら全ての行為主体が世界政治という同一の舞台で活動しているものと想定する。古典役な多元主義の理論は経済的な交流や相互依存によって国際平和が促進されることを主張した研究者のカール・ドイッチュがいる。ドイッチュはヨーロッパにおける経済交流がヨーロッパの社会的な統合をもたらし、政治的な一体化を可能とすることを主張した。経済的相互依存が国際関係に与える影響についてコヘインとナイの研究は従来の国際政治の理論が経済的領域を軽視していたと批判し、貿易や投資、環境や人権などの争点領域にも重要性があることを踏まえながら非政府組織や国際的な市民運動が政治的な影響力を持つことを論じた。ナオミ・クラインはグローバル化を背景としながら、ナイキなどの多国籍企業がブランド力を使って発展途上国の労働市場を利用しながら低価格の商品を大量生産しており、結果として企業権力を行使しながら途上国を搾取していると論じる。そのような多国籍企業の活動は結果としてその地域の産業を衰退させ、しかも経営環境に応じて撤退することでその地域に深刻な失業問題を引き起こす。ナオミによれば、そのような多国籍企業の活動に対抗するために反企業運動が展開されており、それは世界中の市民団体のネットワークを通じて新しい形で展開されている。

世界秩序の理論

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歴史において世界秩序はいくつかの種類の形態を示しながら発展しており、近代に入るまでの典型的な世界秩序として無政府状態、封建主義、または帝国によって特徴付けることができる。近代以後においては行為主体の単位として国民国家が成立したことを背景として、世界秩序は国家を中心としたウェストファリア体制が形成された。しかし現代では国際連合の創立や世界経済の一体化を通じて新しい世界秩序の理論が議論されており、ここではその基礎的事項について概説する。

グローバリゼーション

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ノーム・チョムスキー(1928年生)はアメリカの言語学者であり哲学者。ペンシルベニア大学で言語学の博士号を取得し、後にマサチューセッツ工科大学の教授となる。政治的な問題に関する評論活動も行っており、ベトナム戦争や対テロ戦争でのアメリカの外交政策やグローバルな資本主義に対して批判を加えている。著作には『アメリカン・パワーと新官僚』、『アメリカの「人道的」軍事主義』など。

1980年代にはグローバリゼーション(globalization)という用語は国際関係における過程や経営戦略の概念、イデオロギー的な用語として用いられるようになっていた。その多義的な性格から、グローバリゼーションという事態は複合的な状況によって構成されているものだと理解できる。その最も基本的な特徴は伝統的な国家を中心とした世界秩序からの脱却であり、ジャン・ショルテによる研究では人々の間における脱領土的な関係の成長と結び付けられて考察されている。例えば文化的な側面からグローバリゼーションを調べると、異なる言語や宗教を持つ諸国民のあいだで、世界的に標準化された情報や商品の使用や普及が見られる。特にコカコーラやマクドナルドなどの多国籍企業による国際展開や情報技術を通じたハリウッドの映画産業の国際進出などはこのような文化的グローバリゼーションの具体的な事例として挙げることができる。政治的な側面からグローバリゼーションについて検討すると、地域や国家を越えた国際機関(international organization)の発展とその影響力の拡大を認めることができる。具体的な事例としては国際連合、北大西洋条約機構、世界銀行、ヨーロッパ連合などの活動を挙げることが可能である。いずれの場合でも従来の国民国家だけでは解決することが難しく、国際安全保障や国際経済の問題などのように多国間での国際協調が必要な問題に対処するために設置されている。現代におけるグローバリゼーションの先駆的な理論家の一人であるウォーラーステインは世界システムの研究でこの現象の経済的側面について分析を加えており、またフクヤマはグローバリゼーションと世界的な民主化の流れとを結び付け、グローバリゼーションが自由民主主義の政体の普遍化をもたらすし、それが歴史の終わりとなると予見した。冷戦に勝利したアメリカによって一極支配的な国際関係が出現すると、グローバリゼーションの分析にアメリカの単独主義的な外交政策とアメリカによって主導される新世界秩序に対する批判が付け加えられた。そのような立場に立つ論者の一人のチョムスキーは1991年の湾岸戦争はアメリカとその友好諸国の連合は中東地域の石油資源をめぐる利害を反映していると指摘している。チョムスキーが主張していることは国際法の言説というものが列強諸国による国益の追求と権力闘争を覆い隠しているということである。

リージョナリゼーション

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ジャン・モネ(1888年-1979年)はフランスの実業家であり行政官。大学には入学せずロンドンのシティへ移り、第一次世界大戦から第二次世界大戦後にかけて国際機関の要職を経験し、戦後には欧州石炭鉄鋼共同体の実現に政治手腕を発揮し、同機関の初代委員長に就任した。著作には『回顧録』、『相互依存の初代政治家』がある。

既に説明したグローバリゼーションの見解に対して異なる見解としてリージョナリゼーション(Regionalization)として提起されている。国際政治学においてリージョナリゼーションの立場を選択する人々は、従来の特定の地域を領有する国民国家が安全保障や経済的安定性を達成することが困難になるにつれて、地域的に接近している特定の近隣諸国と連繋するようになると考える。グローバリゼーションとリージョナリゼーションの関係を明確に述べることは難しいが、一般にリージョナリゼーションはグローバリゼーションへと向かう途中経過と位置づけることが可能であり、国民国家の安全保障や経済の機能は次第に国家の範囲を超えた地域協力や地域連合を通じて総合されていく。一方でグローバリゼーションとは全く異なる動向であると位置づける見方もあり、リージョナリゼーションはグローバリゼーションの傾向に対する反発、抵抗として考えることもできる。その最も典型的な事例としては19世紀から20世紀にかけて見られ、第一次世界大戦の一因ともなった経済的ナショナリズムの発生とそれに基づいた各国の保護主義(protectionism)の政策を挙げることができる。リージョナリズムの立場に立つ研究としてはハンチントンの文明の衝突の研究がある。彼は資本主義と共産主義というイデオロギー的な対立を背景とした冷戦の終結によって、21世紀の世界秩序では新たに文明のあいだの対立を背景とした国際関係が形成されることを論じている。ハンチントンの理論によれば、現代の世界には西欧文明、中華文明、日本文明、ヒンドゥー文明、イスラム文明、ラテンアメリカ文明、東方正教会文明、そしてアフリカ文明という文化的基盤を確立している主要な文明が存在しており、文明圏は中核国が中心となりながら複数の国家から構成されている。しかし、同時に文明の間には互いに異質な文化を排除しようとすることから断絶と政治的緊張が生じる。このような世界政治の構図は広く批判されたものの、2001年9月11日にイスラム原理主義勢力により実行されたアメリカ同時多発テロを説明する学説として評価もされた。一方で、リージョナリズムは文化的な視点だけでなく地域的な経済統合の過程としての側面も持っている。第二次世界大戦が終結してからヨーロッパでは各国の経済復興と国際協力の促進のために伝統的な国家の枠組みを越えた地域的な統合運動が成長を見せた。その運動は1952年にジャン・モネが初代委員長となる欧州石炭鉄鋼共同体(European Coal and Steel Community, ECSC)の創設として結実した。この共同体はフランスとドイツにおける石炭と鉄鋼の生産を共通に管理する着想から生まれた国際機関であり、後の欧州連合(European Union, EU)の発展の基礎となった。このようなリージョナリズムの過程は人間の経済的な必要や社会的な交流に往事ながら統治機構は漸進的に形成されていくという機能主義(functionalism)の理論によって説明することが可能であり、他の事例としては北米自由貿易協定(NAFTA)、東南アジア諸国連合(ASEAN)などを列挙することができる。

国内政治

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政治学においてしばしば国民国家が統一体として把握されているが、微視的な観点から見れば内側にさまざまな諸勢力を内包していることが分かる。国内政治の水準から観察すると、国家と国民は同一ではなく、また国民も地域ごとに相違があり、また社会的背景も千差万別である。ここには地方自治に関する領域と社会集団に関する領域を含むことができる。地方自治では中央集権や地方分権という中央と地方の関係が中心的な焦点である。また近代社会の内側に存在する人種や階級などの多様な差異や利害がさまざまな社会集団の存立を促し、国内政治においてしばしば影響力を発揮することが政治学において重要である。ここでは地方自治と社会集団がもたらす政治的問題について概説する。

地方自治

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現代においては国民国家が統一された政治的単位として扱われているにもかかわらず、国内政治における諸々の行為主体とそれらが織りなす権力関係は検討されなければならない。地方自治は国内政治を規定する基本的な中央政府と地方政府の関係を反映する政治学的な研究領域であり、これは連邦制と集権制の二つに大別して描き出すことができる。それぞれの政治制度は中央政府に対する地方政府の自律性の度合いによって区別することが可能である。集権制は政治統合、地域的均一性、社会的平等性、経済発展により特徴付けられ、連邦制は政治参加、責任の分割、地域的な正統性、そして自由により特徴付けられる。連邦制と集権制の均衡はその国家の地理的、歴史的背景、さらに政治的、経済的、社会的要因によって左右される。

連邦制

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ピエール・ジョゼフ・プルードン(1809年-1865年)はフランスの社会思想家。酒造職人の家庭に生まれて働きながら著述活動を行い、二月革命に加わったが政争に敗れて投獄される。古典的な無政府主義の思想家として知られ、後世の社会主義にも影響を与えた。著作には『経済的矛盾の体系』、『連合主義原理』など。

連邦制(federal systems)とは国家の統治機構を地域によって区分する政治制度であり、これを採用している国家としてはアメリカ、ブラジル、パキスタン、オーストラリアなどを列挙することができる。少なくとも理論的には、連邦制は中央政府と地方政府が相互に権力を監視し、均衡させている。連邦制は政治的統一性と地域的多様性の妥協の上に成り立っており、また強力になりがちな中央政府の政治権力の効果を多数の地方政府によって抑制する必要に基づいている。連邦制の理論が成立した契機一つとして1787年のアメリカにおけるフィラデルフィア憲法制定会議があった。この会議の成果はアメリカ合衆国憲法としてまとめられ、アメリカは中央政府である連邦政府と地方政府である州政府の設置が定めて連邦制を導入した。憲法制定に携わったハミルトン、マディソン、ジェイの三人の中心的人物は強力な連邦政府を整備すると同時に、これを政治的に監視と抑制を働かせることができるよう現在では50の州政府に政治的な自由を保障している。この連邦制の原理は個人に認められていた政治的自由を地方自治においても拡大するものであった。無政府主義の哲学者であったプルードンは連邦制の原理として無政府主義の理論を応用している。彼は連邦制を基礎的な自治体の関係を集約したものと定義し、可能な限り国家権力を最小限にとどめる最小国家の必要を主張した。この考え方は厳密には連邦(federal)というよりも、より個々の地方政府の自律性を強めた連合(confederation)と見なすこともできる。連邦制の特徴の一つとして中央政府と地方政府が持つ権力の及ぶ範囲が区別されていることがある。具体的には行政機関や立法機関がある程度の自主的な権限を行使することが可能であり、例えばドイツやオーストリアでは連邦政府の行政機関は政策決定を行い、地方政府は詳細な政策実施が行われている。また異なる特徴としては中央政府と地方政府の協力のために、地方政府は中央政府の政策決定の過程に介入しなければならないことがある。このような干渉の可能性はしばしば議会を通じながら確保されており、オーストラリアの事例を挙げると6つの州政府ごとに連邦政府の議会で議席が分配されているのはその一例である。また委任は集権制において分権化を最大限に促進するための手段であり、連邦制への移行としての性格も指摘できる。

集権制

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アレクサンダー・ハミルトン(1755年-1804年)アメリカの政治家である。アメリカ独立戦争に従軍した後に法学を学び、外交や国政に携わっている。民主主義への警戒から中央政府の役割を重視する立場をとっており、アメリカにおける伝統的な保守主義者として位置づけられている。『ザ・フェデラリスト』の主要執筆者であり、他には『製造業に関する報告書』など。

現代の国家の多くが集権制(unitary systems)の統治体制を採用しており、これらでは権力を国家の中枢に一極化させている。イギリスの国会は、少なくとも理論上において、最高の立法機関として位置づけられている。したがって、国会により制定された法律はイングランドやスコットランドの議会が制定した法律に対してより重要であり、集権的な権力関係を構成している。言い換えれば、イギリスにおいては集権制において国会が権力の中枢であり、これに優越するような地方における立法機関の存在を認めていない。しかし、集権制は地方自治(local governance)の責任や中央から地方への委任(devolution)の問題が絡み合うことで複雑な側面も認められる。最も簡潔な意味では、地方自治とは村落や都市など特定の地域において同地域に居住する住民により運営されている統治を指す。例えばアメリカにおいては86000以上の地方自治体が設置されており、全体で1100万名を雇用している。これは連邦政府が雇用する800万名よりも大きな人数である。しかし地方自治が重要なのはその人的資源だけでなく、民主主義的な統治制度であるためでもある。イギリスでは伝統的に中央政府の下に地方政府が政治的に従属している、地方民主主義(local democracy)の特徴が備えられている。つまり地方政府における自治の実現とは地方政府における民主主義であり、ミルの説明によれば、この地方民主主義に基づいた人々の政治参加は彼らの政治の教育にも繋がり、結果として民主的な市民の成長を促進するものと考えられている。また行政業務やそれに伴う権限の委任は中央政府に対する地方政府の台頭や時には民族的ナショナリズム(ethnic nationalism)の形態を取った圧力という国内政治の状況によって左右されてきた。1570年代には集権制を確立していたスペインでは、それぞれが自治権を行使する50の地区に分割されてきたが、1975年から1979年にかけて新たに設置された議会の下で17の自治共同体に再編された。またスペインのバスク地方における自治権を要求する政治運動は分離独立を主張するテロリズムの基盤となっている。ハミルトンは連邦主義者ではあったが、中央政府と対立しうる政治勢力の存在の問題を認識しており、強力な中央政府が政治的にも経済的にも重要であると考えていた。彼は中央政府によって地方の産業政策をも促進することを構想している。

社会集団

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民族集団

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マーカス・ガーベイ(1887年-1940年)はジャマイカ出身の実業家であり政治活動家。イギリスの新聞社で働いた後に母国で黒人問題に関わるようになり、アメリカで貿易会社を立ち上げる一方で黒人の地位向上を求める政治運動を指導し、強制送還された後は政治家となった。著作には『マーカス・ガーベイの哲学と意見』、『人々へのメッセージ』など。

第二次世界大戦が終結してから世界各地で民族意識の高まりがすすみ、1960年代には政治における民族性が重要な問題となった。このような事態は近代国家におけるナショナリズムの成立によって重要性を失ったという考え方を揺るがした。実際に民族集団を中心とした政治運動は1960年代から1970年代にかけてカナダのケベック、イギリスのスコットランドやウェールズ、スペインのバスクなどで盛り上がりを見せていた。アメリカにおいてもこの時期には黒人運動が注目するべき政治勢力にまで成長し、彼らはマーカス・ガーベイやマーティン・ルーサー・キングのような指導者の下でアフリカへの帰還をスローガンとしながら政治運動を展開した。この黒人という民族性で団結した政治運動は過激な革命的な立場から穏健な修正的な立場までを包括しており、黒人の権利や政治的環境に対する主張を展開した。このような黒人による政治運動はアメリカ国内における民族政治の側面を浮き彫りにし、白人からの人種的な抑圧に対する抵抗に起因していた。黒人の民族的なアイデンティティは支配的な白人文化と対決することを可能とし、伝統的に形成されていた白人に対する黒人の従属を拒否する政治運動をもたらした。同様に民族としての政治的な団結はスコットランドやウェールズではイングランドに対する経済的な従属を拒否として表れており、イギリス国内における地域的な経済格差を是正するよう政治的な主張が展開される。このような諸事例を背景としながら、政治学ではポスト近代の現象として民族政治を位置づけて分析されることがある。ゲルナーは近代における文化的な凝縮性に基づいたナショナリズムや産業社会はポスト近代の時代の推進力となっている可能性を指摘している。ポスト近代においては伝統的なアイデンティティを弱体化させ、より多様性が促進される。その原因となっているのが市場個人主義の普及や社会的な流動性の増大であり、近年ではグローバリゼーションによって国民という静態的な社会的アイデンティティーが弱化している事態である、と彼は考えている。民族意識の高まりはしばしば他の民族への対抗として表面化しうるものであり、アフリカやアジアの地域においては特に顕著に見られる場合がある。1960年代のナイジェリアでの紛争やスーダンでの内戦、スリランカでの内戦などが挙げられる。また1994年のルワンダでは民族的な対立が大量殺戮を引き起こす事例は国内政治において重大な武力衝突を引き起こすことを示している。

社会階級

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アントニオ・グラムシ(1891年-1937年)はイタリアの政治思想家、革命運動家。トリノ大学に入学するが退学して労働運動に加わり、イタリア共産党の創設に携わった。議員に選出されるが、ファシスト政権と対立して投獄され、獄中生活で多くの著述を行った。新マルクス主義を理論的な発展させただけでなく、覇権の概念を提唱したことで知られる。著作に『現代の君主』、『知識人と権力』などがある。

近代において産業社会が成立してから、階級という集団は一般に社会的な区分の中でも特に政治的に重要視されてきた。社会階級は社会における経済格差や社会区分を反映し、不平等な地位や財産の分配に基づくものとして、類似した政治的、経済的な立場を共有していると考えられていたためである。同時に特定の社会階級は他の社会階級との対立関係や協調関係を結ぶことによって政治的活動を展開することができると指摘されてきた。階級政治の理論を提示した先駆的な研究としてはマルクス主義の理論がある。マルクスは一つの社会の中で財産を独占して搾取しているブルジョワジー階級と反対に従属的な地位に置かれて搾取されているプロレタリアート階級という二つの階級モデルを示し、二つの階級の経済的な利害を巡る闘争を理論的に導出した。しかし、この二元論的な階級闘争の理論は19世紀に産業社会の構造が複雑化するに従って見直しが必要となった。現代のマルクス主義の理論では富をある階級が独占していることを強調しながらも、ブルジョワジーとプロレタリアートの双方の内部に経営者や技術者から成る中間層が存在することを想定している。例えばマルクーゼは都市プロレタリアートの穏健化に失望しながら、代わりに学生や女性、民族的少数派、第三世界が潜在的な革命勢力となることを期待していた。またグラムシはマルクスが想定したような社会階級間の矛盾が階級闘争を引き起こすという理論を見直した。彼の理論によれば、社会の支配層は道徳的価値、文化または社会制度を通じて強制するだけでなく従属する階級の同意させる。グラムシはこのような支配構造を覇権と呼んでおり、支配者に好都合なイデオロギーや政治秩序を受け入れることに同意されることで機能していると考える。社会階級の実証的な研究によれば、1990年におけるイギリスでは全人口のうち約10パーセントの富裕層が約50パーセント以上の富を保有し、反対に約20パーセントの人々が全国的な平均の50パーセント以下の取得で生活していることが分かっている。ガルブレイスの研究ではこのような経済的な格差が政治学的に検討されており、近代社会において経済的に示される階級と政治的な選考に因果関係があることを指摘し、このような社会的不平等の議論は最下層と呼ばれる階級の存在が想定されるようになった。最下層は広い意味において経済的に貧しいだけでなく、政治的にも活動的であると考えられている。マーレーの研究では最下層の出現を社会福祉への依存と人格的な不適合から説明しており、このような観点から見れば社会福祉は貧困をむしろ悪化させる傾向があることが主張される。同時にこの研究では依存の文化と呼ばれる慣習が人々の自主的な活動を弱体化させ、自尊心を奪う結果をもたらしていることが論じられている。

ジェンダー

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メアリ・ウルストンクラフト(1759年-1797年)はイギリスの著述家であり社会思想家。経済的困窮と家庭内暴力から家出した後に著述家として活動するようになり、フランス革命勃発の際には擁護にまわり、実際にパリを視察している。ルソーの思想に影響を受けており、男女同権と教育の機会の均等を主張してフェミニズムの立場を展開した。著作に『少女の教育についての論考』、『女性の権利の擁護』がある。

性別に基づいた区別は伝統的な社会制度の中に色濃く認めることが可能であり、現代のジェンダー研究者はこれを社会階級における抑圧のようにある種の政治的な現象として見做す。ジェンダーという概念は男性と女性の間に生じる社会的または文化的な相違を指す概念であり、その社会において女性と男性の集団の間にあるさまざまな政治的な権力関係を反映するものと考えられている。このような研究の背景には1960年代におけるフェミニズム運動の勃興があり、同時期からジェンダーについての政治学的な重要性が認められるようになった。実際に1996年の統計調査によれば、世界各国の議会で議席を持つ女性議員は1割に満たない。ジェンダーの古典的研究はフランス革命を契機としてウルストンクラフトによって示されている。彼女の研究では男性と比べて女性の教育機会が制限されていることを指摘し、そのことによって女性は自らの理性を洗練させる機会が奪われていると論じた。そして、男性は女性に対して家事や育児に専念することを強制し、ますます女性を教育の機会から遠ざける結果となるという解釈を示した。ジェンダーに基づいた抑圧についてミルにとっては男性側に重要な原因があることを認めており、女性が教育を受けることができるような制度上の規制を取り除くことを主張した。エンゲルスはマルクス主義の立場からジェンダーの問題を分析し、一夫一婦の家族制度の歴史的起源は政治的な不平等と女性の経済的搾取を正当化するための制度であり、合法化された売春であるという議論を提起した。このような古典的な研究を踏まえると現代のジェンダー研究はウルストンクラフトやミルが述べたような自由主義的フェミニズムの潮流、エンゲルスが論じたような社会主義的フェミニズムの潮流に加えて、アメリカからラディカルなフェミニズムの潮流が生まれてきた。この立場は理論的な一貫性が乏しく曖昧な体系であったにもかかわらず、今日のジェンダーの問題について幅広い見解を含んでいる。例えばボーヴォワールの研究によればジェンダーの問題について女性は男性と全く同じ本性を持っているものの、女性の身体という条件によって妨げられてきたと考える。したがって、女性は医療技術や生殖技術の研究開発が進むにつれて身体を制御し、男性と同一視できるようになると将来を予測している。このようなラディカルな立場は両性偶有を目標として掲げており、同時に男性性という性格に含まれる性差別、父権支配を攻撃する。

政治経済学

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政治学は経済は社会のあらゆる領域に影響を及ぼしている点について国家の役割や社会的平等の観点から関心を示してきた。イデオロギー的な区別に立脚すると経済体制の在り方について競合する二つの考え方、資本主義(capitalism)と社会主義がある。資本主義は経済体制について国家の介入を望ましいものとは見なさないが、社会主義では反対の立場が示される。伝統的なマルクス主義の議論では政治とは経済的基盤により条件付けられた上部構造(superstructure)であると位置づけており、政治過程は経済的基盤に基づいた階級の構成を反映していると論じた。その経済が政治に与える影響の評価に程度の差はあるものの、社会経済的要因が政治分析にとって無視することができないという主張は否定できない。ここでは資本主義体制と社会主義体制について政治経済学の観点から概説する。

資本主義体制

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資本主義(capitalism)という経済体制は市場(market)における買い手と売り手の取引に基づいている。その一般的な特徴としては、交換によって財やサービスが各人に分配されること、個々人が生産手段を保有すること、市場の法則にしたがって経済が運営されていること、そして原則的に自己利益によって経済活動が動機付けられていることなどがある。ここでは資本主義の二つの異なる制度について解説する。

企業資本主義

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アダム・スミス(1723年-1790年)はイギリスの哲学者であり経済学者。グラスゴー大学やオックスフォード大学で学業を修める。大学教授、家庭教師を経て税関職員として勤務した。近代経済学の古典的研究として重要な理論を示し、例えば労働を価値の源泉と考える労働価値説や自由な競争による市場の効率性を論じた。著作には『道徳感情論』、『国富論』などがある。

現代の世界において資本主義体制はアメリカやイギリスをはじめとしてさまざまな西欧諸国で導入されているが、中でも企業資本主義(enterprise capitalism)は厳密な意味での資本主義の理念を追求した経済体制として区別することができる。アダム・スミスは私有財産と利潤獲得の動機に基づいた自由市場には社会の全体的な利益を最大化することができると古典的な研究で述べている。なぜならば、市場においてある商品の需要と供給の均衡や不均衡が価格として反映され、それに伴って需給の均衡が自律的に調整されるためである。そのために、各個人が社会全体の利益を考えていなくても、各人が自分の利益を拡大しようとすることによって、社会全体の経済的な豊かさを確保することができることをスミスは経済学の基礎に据えた。この自由市場に基づいた経済体制の研究はフリードマンやハイエクによって現代的な研究にも受け継がれ、現代の経済政策にも重要な理論的基礎を提供している。企業資本主義の体制ではこのような市場の機能を最大限に活用するために経済的自由を拡大し、さまざまな領域での市場化(marketziation)をもたらすことになる。これは政府による経済政策に含まれている社会福祉や、それまで商品としては扱われてこなかったような財やサービスの市場での規制を緩和し、企業活動として参入することを意味している。企業資本主義の利点の一つは市場経済を通じた財やサービスの適切な配分だけでなく、市場での企業間の競争を促進することで急速な技術革新が可能となることなどが挙げられる。一方で問題点としては、企業資本主義の下では経済的不平等が拡大することが避けられないことがある。またこのような経済体制のモデルでは消費者の欲求や各企業の能力を超える経済競争に展開することが想定される。第二次世界大戦後のアメリカの経済は典型的な企業資本主義の事例として取り上げることができる。1945年から1990年にかけてアメリカは自由市場の機能を拡張しながら高い経済成長を維持し、企業の研究開発による急速な技術革新を遂げることができた。一方でアメリカでは所得格差が社会的緊張を長期間にわたって引き起こしてもいる。

社会資本主義

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社会資本主義(social capitalism)はヨーロッパで発展した資本主義の形態であり、特にドイツ、オーストリア、スウェーデン、フランスなどで認められる。社会資本主義の経済体制はスミスの市場経済の古典的な理論よりもフリードリヒ・リストの経済理論に基づいて解説することができる。リストは政治権力の経済的な重要性を強調しており、外国から国内の幼稚産業を保護することの意義を論じる。リストによれば、その社会の経済が発展するためには一定の段階を経なければならず、したがって諸外国との競争関係の中でその社会が経済発展するためには産業基盤が成熟するまでの政府の保護が求められる。またリストは生産力の源泉には知的教育や法的秩序、社会制度など社会全体の精神的要素も含まれている。このようなリストの立場から見れば、資本主義体制にはその経済社会の発達段階や形態の相違が認められなければならない。また社会資本主義体制においては社会市場(social market)の機能が不可欠であることがミュラー・アルマックにより提唱されている。社会市場は市場原理に加えて社会福祉や公務員制度を通じて整備された社会制度により調整された市場である。社会市場はより幅広い社会的目標を達成するための市場であり、自由市場と比べて協調を重視する。社会資本主義の利点は1960年代までのドイツが奇跡的な経済復興を達成したことに示されている。社会資本主義においては、社会市場の機能に基づきながら労働力を教育訓練によって熟練させ、科学技術の維持発展を可能とする。しかし、社会資本主義は一方でグローバリゼーションのように市場構造の変化に対応する上で硬直的な経済体制であり、またこのような経済体制を維持する上で社会全体が支払わなければならない費用は自由市場と比べれば高くなる。第二次世界大戦後にドイツはこの社会資本主義のシステムを採用しており、ドイツの経営組織はもこれに対応して社会的パートナーシップに基づいて構成されていた。社会資本主義が社会と市場を結び付ける経済体制であるという主張に対する反論として、このような社会市場を管理するための費用は国際競争の激化や経済の福祉的機能の弱化を背景に有効性が低下しつつある。

社会主義体制

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社会主義(socialism)は市場ではなく計画(planning)に基づいた経済体制の類型である。その一般的な特徴としては、少なくとも理論上においては、まず各人の欲求を充足させるための体系性を備え、社会における富は経済の指令を発する部門によって公的に管理されており、経済計画に基づいて資源が効率的に分配されることになる。さらに労働が協働に基づいて実施されていることも特徴の一つである。ここでは社会主義の経済体制をさらに二つの類型を用いることによって説明する。

国家社会主義

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ヨシフ・スターリン(1878年-1953年)はソヴィエトの政治指導者。ロシア革命の活動家として共産党に参加し、レーニンの死後に政権を掌握した。国家社会主義の経済政策として富農の撲滅や農業の集団化を政策として実践し、またマルクス主義の思想にロシアのナショナリズムの概念を導入した。著作には『レーニン主義の基礎』、『マルクス主義と民族問題』などがある。

国家社会主義(state socialism)とは一般的には国家の計画の下に経済を運営する経済体制であり、歴史的に1917年のロシア革命において成立したソビエト連邦の経済体制に認められる。この経済体制は1920年代のレーニンによる新しい経済政策によって組織され、スターリンにより1930年代に本格的に始動した。国家社会主義は国家の集産化、つまり全ての経済資源を国家の管理下に置くことに基づいている。ソビエトでは指導計画のシステムが経済政策を左右しており、共産党の最高組織がその計画を運営することが可能となっている。中でも国家計画委員会がその中心的な役割を担っており、経済全体におよぶ資源の再配分と取引の統制、価格の調整、徴税などの業務を掌握している。このような経済計画を実施する上では経済相の責任の下に国家が管理する銀行、工場、商店、集団農場などの企業の労働指導として実行される。ソビエト以外の現代の事例ではキューバの経済体制があり、キューバは国家による計画に基づいて経済が運営されており、教育部門や医療や福祉の部門では無償でサービスを受けることが可能となっており、ほぼ全ての国民がサービスを受けている。しかしながら、計画に基づいた国家社会主義の経済体制では経済計画を立案する上での困難がある。経済全体を計画するために必要な情報は膨大かつ複雑なものであり、国家組織がそれらの情報を集約して適切な計画を作成するためには大きな労力と費用が必要である。しかも、計画は時間の経過とともに更新されなければならず、経済の成長や変動に伴って見直され続けなければならない。計画立案だけでなく計画を実施する段階にも困難があり、ソビエトの労働者は必ず仕事を持っていたが、失業する事態や賃金待遇が改善される機会がないために彼らを労働意欲を刺激することが難しかった。政治的問題としてミロヴァン・ジラスは1957年に西欧の資本主義社会における資本家の階級に対応し、国家社会主義体制で計画を立案する官僚制が新しい階級となっていると指摘した。このような批判者は国家社会主義の経済体制が実際には経済的資源の適切な分配を行なっておらず、一部の国家組織のエリートにより集中してしまっているために、国家資本主義(state capitalism)の経済体制となってしまっていると考えた。

市場社会主義

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ミハイル・ゴルバチョフ(1931年生まれ)はソヴィエトの政治指導者。モスクワ大学卒業後にソ連共産党に入党し、書記長としてペレストロイカを推進したソ連時代最後の政治指導者であった。従来の計画経済の路線を修正して市場の規制緩和を進め、ソ連の社会主義経済の改革に努めた。著作には『ペレストロイカ』、『ゴルバチョフ回顧録』などがある。

市場社会主義(market socialism)とは国家社会主義と比べれば社会主義に市場の競争原理を導入した経済体制として特徴付けられる。このような経済体制の歴史的事例としては1940年代におけるスターリンからチトー政権の間のユーゴスラヴィアや1956年以後のハンガリーなどが挙げられる。同じような考え方はソビエトでもゴルバチョフによって1985年から1990年にかけて実施され、その計画は再建を意味するペレストロイカと呼ばれた。ゴルバチョフは個人営業や協同組合を容認することを通じて、中央計画に基づく経済体制を修正することを提唱し、経済的自由の範囲を拡張した。経済学者のオスカル・ランゲはオペレーションズ・リサーチに基づきながら新古典派の経済理論の研究と市場社会主義の理論を結びつけている。ランゲの学説によれば、市場による価格調整と同じように国家運営によって経済を効率化することが可能であり、そのためには市場原理を部分的に社会主義に導入することが必要であると論じる。つまり、このような市場社会主義が資本主義体制と決定的に異なる点には特定の市場での取引が規制されていることである。例えばソビエトにおいては市場原理が部分的に導入されてからも、労働者の雇用を保障するために労働市場が存在しない。労働力は自由な取引ではなく計画の範囲に含まれているために、特定の企業にあらかじめ分配されている。そのために企業は事業規模を拡大するために労働力を補填することができない。

第三の道

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エルンスト・フリードリヒ・シューマッハ(1911年-1977年)はドイツ出身の経済学者。ボン大学、オックスフォード大学などで経済学を修め、イギリスを拠点に経済学者としての研究と著述活動を行った。経済学の研究を通じて仏教的な経済哲学を詠唱し、道徳の重要性を強調したことで知られる。著作には『スモールイズビューティフル』、『混迷の時代を超えて』など。

資本主義と社会主義という二つの相反する機能をそれぞれ重視する経済体制についてはさまざまな見解が示されてきた。その議論では二つのどちらにも属さない立場として第三の道(third way)を選択する立場も出現した。歴史的には第三の道を主張し始めた初期の論者には協調主義(corporatism)を重視するムッソリーニがおり、経営と労働を一個の有機体として構成していると考える。しかし1945年以後にスウェーデンで発展したケインズ的な社会民主主義が全く異なる形の第三の道を示し、福祉システムと高い課税によって社会的平等を確保する経済体制が提唱された。しかし、この第三の道も1980年代から1990年代にかけてのグローバル経済の発展によって、スウェーデンも激しい国際競争に対抗するために福祉政策を後退せざるをえなくなった。第三の道として示された立場のもう一つに環境主義的な立場がある。この立場からは資本主義も社会主義も広い意味においては産業主義(industrialism)という理論的基礎を共有しており、どちらも人間の物質的な利益を充足させることを主要な目標として経済体制を構想していることを指摘する。環境主義の議論では単純に経済成長を追求するだけでなく、自然環境をも考慮に入れた経済体制が求められていると主張し、持続可能性に基づいた経済成長を追及しようとする。このような立場から経済体制の理論を展開した論者にシューマッハがいる。シューマッハは人間の存続と自然環境との関係をどのように結びつけるかが重要な経済問題であると認識し、道徳性の経済的重要性を指摘することによって、仏教哲学と呼ばれる経済哲学を確立しようとした。

市民社会論

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中世における封建主義には認められなかったが、近代の市民革命によって社会は市民社会(civil society)という新しい体制を獲得した。一般に市民社会は政府による統治の対象と位置づけられるが、政治学ではまず政府はどのように社会を組織化しているのかが問題となる。社会を構成するさまざまな価値、集団、態度または行為が政治過程にどのように影響しているかが問われる。市民社会に関心を向ける理由の一つは、政府に対する社会の市民文化や政治コミュニケーションまたは正統性(legitimacy)が損なわれると政治的な不安定を招く恐れがあるためである。ここでは市民社会がどのように構成されているか、そして政治的安定をどのように維持しており、どのような場合に不安定化するかについて述べる。

市民社会の構成

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市民社会はさまざまに定義されてきたが、一般的に国家の権威の下に法によって統治された社会もしくは政治共同体と言える。古代において市民社会は家族や結社などの自治的な領域として捉えられてきたが、近代においてはヘーゲルが市民社会の領域について家族とは切り離し、市場と結びつけながら利己主義の領域と定義された。現代において市民社会の概念は自立した個々の市民が活動する領域として変化しつつある。ここでは市民社会を構成している要素として市民文化、市民教育、マスメディアを取り上げている。

市民文化

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ロバート・パットナム(1940年生まれ)はアメリカの政治学者。スワースモア大学やイェール大学などで政治学を修め、ミシガン大学教授での教授を経てハーヴァード大学教授に就任する。イタリアの調査を通じて民主主義の基盤として社会資本が重要であり、またアメリカ社会における共同体の衰退を論じた。著作には『哲学する民主主義』、『孤独なボウリング』などがある。

人々が社会の中で政治的な態度や価値観を獲得していく上で、例えばバークは伝統と慣習、マルクスはイデオロギー、ヘルダーは民族精神を強調した。これらはいずれも政治体制を保つことに寄与する一般的な要因であるが、現代の政治学の研究成果としてアーモンドやヴァーバが『市民文化』の中でアメリカ、イギリス、ドイツ、イタリア、メキシコの五つの民主主義国家における政治的態度には相違点があることを報告している。その相違は三つの政治文化の類型によって整理されている。第一の類型は参加型であり、この政治文化は政治に対して市民が参加することに意欲的であるだけでなく効果的になされていることが特徴である。第二の類型は臣民型であり、このような政治文化のもとでは市民は受動的で政府に対しても影響力を行使することがない特性がある。第三の類型は未分化型であり、これは宗教や伝統と政治的役割が分離していないために国民としての帰属意識がほとんど認められない傾向にある。この三つの類型はあくまで理念型であるために実際の事例は混合的な政治文化であるが、アメリカには特に参加型の傾向が強く認められた一方で、イギリスはアメリカほど参加型の傾向を認めることができなかった。また参加型のような市民文化がドイツやイタリア、メキシコの事例ではそれほど顕著に表れないことも報告されている。しかしながら、このような研究に対しては幅広い批判が寄せられている。例えばアーモンドとヴァーバの調査では成熟した民主主義が心理的モデルによって捉えられているが、この点については議論の余地がある。つまり、政府に対する受動性や国民としての帰属意識という心理的要素だけで民主主義を支えている市民文化を完全に捉えることができない可能性が指摘できる。また別の批判の根拠として、その国民の市民文化の性格がその国家の民主主義の性格を左右しているというアーモンドとヴァーバの前提にも疑問が寄せられる。その国民の市民文化はその国家の民主主義の状態を反映しているに過ぎない可能性を二人は潰しきれていないためだ。さらに加えるならば、アーモンドとヴァーバの研究手法はその国民の国民性や文化を市民文化として扱う傾向にあることも批判の対象として指摘されうる。このような研究手法ではその社会の内部における政治的な下位集団の構図を見過ごすことになり、それは階級や人種のような社会的紛争を無視することになる。

市民教育

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ジョン・デューイ(1859年-1952年)はアメリカの教育学者・哲学者。バーモント大学、ジョンズ・ホプキンス大学で学び、ミシガン大学とシカゴ大学で教授職に就く。デューイは民主的な政治体制の基盤として市民社会だけでなく学校が重要であると考え、具体的な教育方法にも言及した。著作には『民主主義と教育』、『公衆とその諸問題』など。

マスメディア

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ウォルター・リップマン(1889年-1974年)はアメリカの記者・政治評論家。ハーヴァード大学を最優等賞を受賞して卒業し、政治記者として雑誌や新聞の編集に携わった。大衆社会におけるジャーナリズムの機能と重要性について論じたことで知られている。著作には『世論』、『幻の公衆』などがある。

政治的安定性

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正当性

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ユルゲン・ハーバーマス(1929年生まれ)はドイツの哲学者・社会学者。ゲッティンゲン大学、ボン大学で学び、ハイデルベルク大学やフランクフルト大学で教鞭をとった。現代社会における公共性の質的変化やコミュニケーション的行為の理論を論じた。著作には『公共性の構造転換』、『コミュニケイション的行為の理論』などがある。

革命

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代議制・選挙・投票

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民主主義の手続には代議制(representation)、選挙(election)、投票(voting)が関係している。これらは民主主義の枠組みとして密接に関連しているが、個別の性質を備えた活動として捉えることができる。民主主義の理念においては投票権を持つ有権者と選挙によって選出される代議士が政治的な意志を共有することが目指されている。しかし民主主義の現実では有権者と代議士の意志が同一視することや、選挙によって公益が代表されていると見なすことは極めて困難である。民主主義において代議制、選挙、そして投票行動は民主主義の実態を検討する研究対象であり、また実際に選挙に参加する有権者の投票に関する判断や代議士の選挙戦略に寄与することができる。

代議制

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信頼モデル

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トマス・ペイン(1737年-1809年)はイギリスの社会思想家。

委譲モデル

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ケネス・アロー(1921年生まれ)はアメリカの経済学者。

選挙

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選挙の機能

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デイヴィッド・イーストン(1917年生まれ)はアメリカの政治学者

選挙制度

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コンドルセ(1743年-1794年)はフランスの数学者。

投票行動

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社会学的モデル

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アレクシス・ド・トクヴィル(1805年-1859年)はフランスの歴史家、政治学者。

合理的選択モデル

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アンソニー・ダウンズ(1930年生まれ)アメリカの政治学者。

政党政治

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政党(political party)は現代の政治において基本的な主体であり、政府権力の獲得を目指す人々によって組織された政治団体を言う。歴史的に政党は民主主義の政治制度が形成された19世紀に創設され、その後には政党政治が近代国家の運営に重要な役割を果たしてきた。国家と市民社会の中間、また政府組織と社会集団の中間において政党は介在し続けてきた。政党政治の領域は政党そのものの機能や組織に関する領域と政党同士の関係に関する政党制の領域に大別することができる。政党は特定のイデオロギーや政治構想の下で団結し、政治的利害の表出、指導者の輩出などの機能を持つ。また政党制は相互の勢力関係や分布状況によって区分されており、状況によって政党政治の形態が変化すると考えられている。

政党

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政党の分類

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政党の機能

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トマス・ジェファーソン(年-年)

政党の組織

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モーリス・デュヴェルジェ(年-年)

政党制

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一党制

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二党制

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ジョヴァンヌ・サルトーリ(年-年)

多党制

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アンジェロ・パーネビアンコ(年-年)

団体政治

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団体政治(group politics)は社会に存在するさまざまな団体によって行われる政治的相互作用を指している。団体政治において団体は社会において何らかの利益の下で団結しており、政府の公共政策に影響を及ぼすことを目的として圧力を行使する主体である。団体政治を構成する団体にはさまざまな種類があるが、例えば少数派民族や特定の業界人によって組織される団体などが利益団体(interest group)または圧力団体(pressure group)と呼ばれる。団体政治の形態には各団体の影響力が並存した多元主義的な形態が想定されうるが、協調主義や新右翼の観点から団体政治の異なるモデルが示されている。

政治団体の理論

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政治団体の分類

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(年-年)デイヴィッド・ヒューム

多元主義モデル

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ロバート・ダール(1915年生まれ)はアメリカの政治学者。アイオワで生まれ、イェール大学で政治学を修め、農務省と陸軍での勤務を経てイェール大学で教鞭をとる。コミュニティ権力構造についてミルズと論争したことや民主主義についての研究で知られる。著作には『統治するのは誰か』、『ポリアーキー』などがある。

協調主義モデル

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新右翼モデル

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ファイル:Mancur Olson.jpg
マンサー・オルソン(年-年)

社会運動

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古典的社会運動

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ローレンツ・フォン・シュタイン(年-年)

現代の社会運動

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ベティ・フリーダン(年-年)

司法

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司法府は政府組織の中でも法的な違反に対して判決を下す機関である。国家は法律(law)を制定し、その遵守を強制する権力を持つが、司法とは個別の事案に対して制定された法律を解釈することで違法性を判断する活動である。司法府が準拠する法とは立法府によって制定された憲法、民放、刑法などの法体系であり、そこに社会生活を秩序付けるための法的な関係が定義されている。この法的関係とは人権や市民権などのような特定の行為を行うことを許す法的資格の権利(right)と、兵役義務や取引上の支払い義務などの特定の行為を行うことが強いられる法的資格の義務(duty)から成立している。司法府は憲法や法律で定められたこのような法秩序に基づきながら、実際の社会における事案に適用し、また権力分立の一角として立法府や行政府の活動を抑制している。

憲法

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法の支配

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ザミュエル・フォン・プーフェンドルフ(年-年)

人権

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ジョン・ロック(1632年-1704年)はイギリスの政治家であり哲学者。オックスフォード大学を卒業し、アンソニー・アシュリー・クーパー伯爵の顧問として論争に加わり、革命で一時的に亡命している。自然状態における個人の自然権として私有財産権を導入し、社会契約に基づく国家の成り立ちについて考察し、古典的な自由主義の思想を提示した。著作には『統治二論』、『寛容に関する書簡』など。

司法府

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司法府の役割

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司法府の活動

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ソクラテス(年-年)

立法

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国家において立法府(assemblies)とは法律を制定する機関であり、伝統的に国家全体の政治的な意志を代表する機関とされてきた。立法府では人々の支持を受けた政治家が公開された場所に集まり、現在起こっている政治問題について議論し、法案の作成を通じて政策を打ち出す。歴史的には古代ギリシアの民会やイギリスの等族会議、フランスの三部会などがあるが、近代以後においては普通選挙に基づいて選出された代議士により構成される議会が形成された。モンテスキューの見解によれば、立法府の政治的役割とは政府の権力分立の一端を担う機関であり、立法権を独占して政府の権力が無制限に拡大することを抑制する機能を持っている。

立法府の制度

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立法府の構造

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立法府の機能

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シャルル・ド・モンテスキュー(年-年)

立法府の活動

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立法府の政策

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(年-年)ゲオルグ・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル

立法府の影響

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ファイル:Marsilius of Padua.jpg
(年-年)マルシリウス

行政

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政府の統治行為において政策や法律を実行する活動が行政(executive)であり、国家組織においてこの責任を担う機関が行政府である。行政は一般大衆にとって政府組織を代表する主体であり、軍隊を指揮し、官僚の活動を指導する役割を担っている。そのために行政の指導者は対内的にも対外的にも国家の責任者として認識される。より狭く定義するならば、行政は国家のあらゆる政策に関して意思決定と調整を行うものである。そのために国家組織において行政府は重要な政治権力を掌握するものであり、司法府や立法府との均衡に基づいてその行動が抑制されている。しかしながら、必ずしも内閣制度や大統領制度などによって行政において認められる権限は一定ではない。また心理的要素を含む政治リーダーシップによってその行動は左右される。

行政府制度

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行政府の機能

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大統領制

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内閣制度

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政治的リーダーシップ

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個人的才能

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フリードリヒ・ニーチェ(年-年)

社会的現象

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政治的技術

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官僚制

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官僚(bureaucracies)は政治学において国家の行政機構を示し、さらに政府の行政活動を実際に執行する組織であると捉えられている。社会学の研究によれば近代社会において官僚は政府組織だけでなく企業体や労働組合、政党の形態としても現れるものである。特に政府組織の官僚は政策問題に対して権限や影響力を保有しているために政治学では行為主体として重要視されている。現代の民主主義の政治体制においても官僚支配のモデルは無関係ではない。ミルは自らの議論の中で代議制の政治体制を構築する際に官僚機甲を構築したが、官僚は単純に政府が打ち出した方針に従って活動する行政機構ではない。公的機関として官僚は見なされており、経済動向などの特定の政策領域において政治家とは異なる行動をとりうる主体として把握される。官僚についての研究には官僚機構がどのような制度を持っているか、さらに制度的特性に基づいてどのような活動をとりうるかの二つの問題があり、ここではそれらについて概説する。

官僚の制度

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官僚の役割

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[[ファイル:|thumb|right|150px|ロベルト・ミヒェルス(年-年)]]

官僚組織

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官僚の活動

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官僚モデル

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ファイル:Robert K Merton.jpg
ロバート・マートン(年-年)

官僚の権力

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レフ・トロツキー(年-年)

武装組織

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政軍関係

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政軍関係(civil-military relations)とは一般に文民社会と軍事組織の関係であり、狭義には社会の利害を反映した国家と軍隊の指導層である将校団の関係と言うことができる。軍事組織は国家安全保障に対して軍事的機能を提供するものである。しかしながら、その文民社会で支配的な平和主義や軍国主義などの価値観が軍事的機能の準備や使用を妨げる場合がある。政軍関係論ではこのような社会の政治的要請と軍隊の機能的要請の権力的またはイデオロギー的な関係に注目し、戦争における政治的意思決定や軍人の政治的役割、文民統制の在り方、軍隊と社会の関係などについて検討する。

軍事行動

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フーゴー・グロティウス(年-年)

文民統制

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カール・フォン・クラウゼヴィッツ(年-年)

警察行政

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治安維持

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バールーフ・デ・スピノザ(年-年)

警察国家

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公共政策論

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政策(policy)とは一般に個人、集団または政府などの行為主体が持つ行動計画である。公共政策(public policy)は政策の中でも政府などの公的機関による政策を指している。政治の過程の中で政策と入力の反対である出力に該当するものであり、その実態は社会に対する政府の影響力や権限を反映する。政治学の政策分析では政策がどのような効果があったかに着目するだけではなく、政策形成の過程にも着目する。また規範的な観点からその政策を通じて政府がどのようにあるべきかを問題とする場合もある。ここでは公共政策が計画されてから実施されるまでを分析した政策理論、そして政策領域をいくつかに大別した上でそれぞれの政策分野について概説する。

意思決定の理論

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政策過程において意思決定は中心的な機能である。厳密には意思決定は政策形成の段階に位置づけることができるが、政策実施や政策評価においても政治的な影響を与える。意思決定は必ずしも団体や人物によっては同じ方法や原理に従って行われているわけではないが、民主的な政治体制であっても権威主義的な政治体制であっても、政策を分析する上で一般的な政治的意思決定の理論を参考にすることができる。ここでは合理主義モデル、漸進主義モデル、官僚主義モデルの三つのモデルから意思決定の理論を概観していく。

合理主義モデル

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意思決定のモデルは基本的に人間の合理性として経済的利得を最大化する原理、もしくは功利性を最大化する原理を前提とする。このようなモデルはアンソニー・ダウンズの公的選択理論にも応用されており、この理論では人間が自己の物質的な満足を求めて利益を追求する存在として定義されている。このような立場では問題の本質が明確であること、目的の選択が個人的な選好に基づいていること、利用可能な手段が効率性の観点から評価することが可能であること、そして意思決定は目標を達成する最適な手段の選択を通じて行うことができることを根本的な前提としている。このような合理的な意思決定を主張した論者の一人であり、功利主義の理論家であったベンサムは社会全体の功利性を最大化することができるように計算した上で政策に関する意思決定を行うことを主張していた。ベンサムは快苦を基準として個々人の快楽を最大化し、苦痛を最小化する道徳的な原理を確立し、功利の概念で社会全体の快苦を定量化して計算することを試みていた。このような意思決定のモデルには明確に計算することが可能な合理性に基づいた説得力があり、政策立案者は規範的にこのような意思決定のモデルを実践することが求められる。しかし、合理的な計算は一意的に定義可能な個人の選考がなければ成立せず、もし集団や組織が集権的な組織形態を持っていなければ選好を一意的に定義することはできなくなるという問題がある。また現実的な問題として、意思決定における合理性はどれほど確実な原理であるのか明らかではないことがある。ハーバート・サイモンの研究では限定された合理性(bounded rationality)の概念が導入されており、意思決定は本質的には異なる価値判断と計算に基づいた諸成果を妥協させる活動として描き出されている。さらに合理的行為者のモデルの問題点として現実そのものではなく現実に関する信念や仮定によって意思決定が左右される可能性がある。特にイデオロギー的な価値観や世界観を意思決定の関係者が持っているならば、合理的な計算が行われるより前の状況の認識の段階で決定的な偏向が政策仮定に加わることになる。

漸進主義モデル

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チャールズ・リンドブロム(1917年生)はアメリカの政治学者。イェール大学で経済学や政治学を教え、比較経済学会やアメリカ政治学会の会長を歴任している。政策決定の分析を通じて政策の変化とは政治的相互交流を通じた調整過程によって少しずつ変化する漸進主義のモデルを提唱した。著作には『政策形成の過程』、『民主主義の知性』などがある。

合理主義に基づいた意思決定の説明では実際の意思決定の非合理的な側面を説明することが難しい。この問題を修正した漸進主義のモデルがチャールズ・リンドブロムによって提唱されており、意思決定が不完全な情報と低い水準の理解に基づいて形成される傾向があると捉える。したがって、意思決定者は既に実行した行動の効果の情報を受けながら既存の行動のパターンの中で決断する傾向があると言える。そしてリンドブロムは政策決定者が問題を解決するのではなく問題を回避しようと試みる傾向がより大きくなることを示した。ただしこの漸進主義のモデルは実証的というよりも規範的であり、リンドブロムはこれがより柔軟な意思決定を可能とするモデルであるという見解を示している。この立場では多元主義的な民主主義における政策形成に漸進主義が適合することを強調するものであり、応答性や柔軟性がもたらされると考える。しかし、このような立場は一方で革新的な提案を排除し、また長期的な展望に立った計画を否定するものであると批判できる。

官僚主義モデル

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ファイル:Graham T. Allison.jpg
グレアム・アリソン(1940年生)はアメリカの政治学者。ハーバード大学で博士号を取得した後に同大学のケネディ行政大学院の教授となる。クリントン政権の下で防衛政策に国防総省のスタッフとして携わっている。キューバ危機の研究から対外政策の意思決定をモデル化した研究で知られている。著作には『決定の本質』、『核テロ』など。

政策仮定の諸段階

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政策理論では公共政策がどのような形成過程を経ているかを分析している。政策過程は一連の行動や出来事が関連しており、公共政策はその政策過程の結果として発現されるものである。

政策形成

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アンドリュー・ギャンブル(1947年生)はイギリスの政治学者。ケンブリッジ大学で博士号を取得後、シェフィールド大学教授を経て、ケンブリッジ大学教授となる。著作には『自由経済と強い国家』、『資本主義の妖怪』など。

政策実施

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ファイル:Aaron Wildavsky (1930-1993).jpg
アーロン・ウィルダフスキー(年-年)

政策評価

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ファイル:Thomas R. Dye.jpg
トーマス・ダイ(年-年)
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参考文献

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