平安時代は、平安京遷都ののち、鎌倉幕府開設までの約400年間を指す。ここでは794年から1185年までを解説する。

貴族政治の展開 編集

天皇は次第に廷臣たちに従属するようになった。中でも有力貴族の藤原氏は11世紀を通じて絶大な勢力を持った。律令国家は変質して荘園(後述)を経済基盤として摂関政治が展開した。

荘園公領制の成立と武士の成長 編集

8世紀末から9世紀にかけて、律令国家の基盤であった班田性が崩れ、貴族・寺社の私的大土地所有が発達した。彼らの大土地のことを荘園という。10世紀以降、中央政権の衰退に伴い、荘園・公領の耕作を請け負った豪族が次第に土地の耕作権を持つようになり、自立した経営を営み始めた。「荘園・公領の耕作を請け負った豪族」のことを田堵という。また「次第に土地の耕作権を持つようになり、自立した経営を営み始めた」段階の彼らを有力名主という。地方では、耕地と経営を守るために武装化した有力名主、郡司在庁官人武士階級に成長した。彼らは、近隣の武士、さらには中央貴族・寺社勢力との対立抗争を通じて荘園の管理権を握るだけでなく、排他的な政治力を蓄えながら勢力を伸張させ、古代社会を克服し、歴史の前面に登場した。

国風文化 編集

9世紀になると日本は大陸とのつながりを断ち始め、学んだものを翻案するようになった。平安初期には仮名が作られ、中期以後は独自の美的感覚が京都の朝廷貴族の間に生まれて国風文化と呼ばれた。

院政 編集

荘園を経済基盤として院政が展開した。