「中学校社会 歴史/満州事変」の版間の差分

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中華民国では、孫文の亡くなったあと、{{ruby|'''蒋介石'''|しょう かいせき}}が国民党の実権を握った。一方で、中国には辛亥革命のあと、各地で多くの[[w:軍閥|軍閥]]が、おたがいにあらそっていた。軍閥の中でも特に有力だったのが、満州から北京一帯を支配する{{ruby|張作霖|ちょう さくりん}}だった。
 
蒋介石の率いる国民政府軍が共産党をおさえて各地の軍閥を倒して統一を進めていた、1927年、国民政府軍が南京で外国の領事館などを襲撃すると(このとき、国民政府軍によって日本をふくむ各国の領事館の職員や居留民にも多数の死傷者が出た。南京事件。)、イギリスとアメリカは武力で報復したが、協調外交を進める日本は参加しなかった。これにより、政府の外交政策は軟弱であると批判されることになる。
 
1928年には国民党軍は北京にせまった。このとき、張作霖は北京から奉天に引き上げようとした。その列車の中で、張作霖は殺害され、満州占領のきっかけとなる([[w:張作霖爆殺事件|張作霖爆殺事件]])。
 
=== 満州事変 ===
満州現地に駐留していた関東軍は、軍閥や国民党よりも先に満州を占領しようと考えた。