「香港の歴史」の版間の差分

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香港政庁は古典的な[[w:自由放任政策|自由放任政策]]を採用して、政府規制を極力押さえ、税率を低くして産業育成を図った。このため、繊維産業を中心とする輸出型の[[w:軽工業|軽工業]]が発達し、[[w:李嘉誠|李嘉誠]]のような企業家も出てきた。中国貿易の中継貿易港としても発展し、香港はやがて[[w:シンガポール|シンガポール]]、[[w:台湾|台湾]]、[[w:大韓民国|韓国]]とともにアジア四龍と呼ばれる経済発展を遂げる。
 
[[w:1967年|1967年]]に[[w:文化大革命|文化大革命]]が起こると、香港でもその影響下に暴動が発生し、[[w:紅衛兵|紅衛兵]]が[[w:深セン|深圳]]方面から越境し、香港警察と銃撃戦になることもあったが、間もなく[[w:周恩来|周恩来]]が長期的な利益から香港を回収しない方針を明らかにし、香港暴動は沈静化した。
[[w:1970年代|1970年代]]に入ると、[[w:租借地|租借地]][[w:新界|新界]]の租借期限が次第に近付いてくるため、英国政府は新界租借の延長を中国に求めたが、中国は応じなかった。しかし、この頃には租借期限問題にどのような結末を付けるかまだ誰にも予測できなかった。