「小学校社会/6学年/歴史編/歴史の始まり」の版間の差分

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::*「むら」や「くに」はなぜ大きくなっていかなければならなかったのか。-->
:[[#むら|こうして「むら(村)」ができると]]、村同士のあらそいがしばしば起こりました。その原因は、村と村の間に水源がある時にどちらが使うかというものであったり、不作などで食糧が足りなくなったのでとなりの村をおそって食糧をうばったりしたものだったのでしょう。相手の村に対抗するため、別の村と共同してあらそうことがあったかもしれません。
:強い村が弱い村をしたがえたり、村同士で共同したりして、村はだんだん大きなものとなっていきます。村が大きくなってくると、人の行き来もふえ、道を作ったりしなければならなくなります。<span id="市">また、人が集まると、人々は同じ農耕(稲作)ばかりではなく、野菜や果物を作ったり、魚をとったり、カゴなど竹細工や木工品を作ったりと別々のことをやって、それぞれ作った農作物や、とった魚や動物、作ったカゴなど工作品とを交換して生活を豊かにすることができるようになります。こうしたものの交換の場として、'''{{ruby|市|いち}}'''ができます。</span>
:田を耕したり、物を収穫したりする能力は人それぞれです。村の中にも豊かな人とそうでない人の差はできました。さらに、たとえば、広い田を持つ豊かな人は、田を持たない人に収穫の一部を与える代わりに自分の田をたがやさせたり、貧しい人の子どもをもらってきて育て、やはり、自分の農地で使ったりもしたでしょう。村のあらそいで負けた人々が、このような立場になることもあったとも考えられます。このころには、こうした豊かな人たちと、その人たちに支配される人々の差がでてきました。
:村が大きくなるにつれ、ばらばらの人をまとめるリーダーが必要になってきます。リーダーは、ため池・水路や道をつくったり、整備することの指示をしたり、市を開いたり、市でのもめごとをおさめたり(仲裁)、また、他の村とのあらそいでは武器を持って戦ったり、それを指揮したりしたでしょう。このリーダーには、上でのべた豊かな人たちがなったり<ref name="鉄"/>、そのような人の中で能力が高いために人々が押し上げたりしたのでしょう。知識をたくわえ、{{ruby|神|かみ}}の声として伝えて、そのようなリーダーになった人もいたかもしれません。