「小学校社会/6学年/歴史編/室町文化の誕生-室町時代」の版間の差分

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:明は、王朝をひらくと、将軍に対して、[[小学校社会/6学年/歴史編/歴史の始まり#朝貢|{{ruby|朝貢|ちょうこう}}(みつぎものを皇帝に贈ること)]]と倭寇の取り締まりを求めてきました。義満は、これを了承し明との間に公式の貿易を行います<ref>[[小学校社会/6学年/歴史編/歴史の始まり#朝貢|前に書いたとおり]]中国の皇帝は、みつぎものを受け取るかわりにそのお返しに数倍の価値の品物を与えるという、贈る側にとって得な貿易です。このような貿易を{{ruby|朝貢貿易|ちょうこうぼうえき}}といいます。</ref>。明へ派遣した船が、幕府の船でわかるよう、日本と明でおたがい{{ruby|勘合符|かんごうふ}}と言われる{{ruby|割符|わりふ}}<ref>文字が書かれ印が押された、紙や板などを二つに分けたものをお互い持って、会ったときに、その二つがぴったり合うかどうかで、正当な相手であるかどうかの証拠とするもの。</ref>をもって航海したため'''{{ruby|勘合貿易|かんごうぼうえき}}'''と言われます。
:勘合貿易は、幕府に大きな富をもたらしましたが、義満死後、将軍の力が弱まったため、中国地方の有力な守護大名である{{ruby|大内|おおうち}}氏がこれを引き継ぎやはり大きな利益をえました。
:勘合貿易で、日本は銅、いおう、[[小学校社会/6学年/歴史編/武家社会の始まり-鎌倉時代#日宋貿易|日本刀]]、{{ruby|漆器|しっき}}、{{ruby|扇子|せんす}}などを輸出し、明からは、{{ruby|生糸|きいと}}、織物、{{ruby|陶磁器|とうじき}}、書物が輸入されましたが、最も重要な輸入品は明の貨幣('''{{ruby|永楽通宝|えいらくつうほう}}'''<span id="永楽通宝"/>)でした。平清盛の時代から鎌倉時代にかけて多くの[[小学校社会/6学年/歴史編/武家社会の始まり-鎌倉時代#鎌倉時代の社会の変化と文化#宋銭|宋銭]]が日本に入って、日本の国内で「お金」として使われていましたが、「永楽通宝」はそれにも増して大量に輸入されたため、室町時代をとおして日本全国共通の貨幣となりました。貨幣の量が増えたため、商品の取引はますますさかんとなりました。
 
==== 室町時代の文化の特徴 ====
:室町時代になって、多くの武士が幕府のある京都に住むようになって、伝統的な公家の文化と、鎌倉時代の武家社会で誕生した武家文化の融合が見られるようになりました。また、各地での村の発達や商業の発展にともなう、庶民の文化が見られるようになりました。