「小学校社会/6学年/歴史編/歴史の始まり」の版間の差分

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:佐賀県の吉野ヶ里遺跡は、昔から、遺物の出土が見られた土地でしたが、工業用地開発にあたり調査をしたところ、1989年に弥生時代の大規模な集落あとであることが発見されました。
:この遺跡は、まわりを{{ruby|濠|ほり}}でかこまれた {{ruby|環壕|かんごう}}集落 であるところに特徴があります。ほりの内側からは、多くの高床倉庫が見つかっています。ほりは集落を守るためにめぐらされたと考えられています。
:また、矢がささった人骨も見つかっており、これらのことから、人々のあいだで争いがあったことができます。おそらくは、米作りによって、食料生産が増えたので人口が多くなって、それぞれの集落で、さらに多くの人口を養うために米の生産量を増やす必要が生じ、集落どうしで、土地や水をめぐっての争いが起きたのだろうと思われています。このような争いが、身分の差を作っていった理由の一つだとも、思われています。
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=== 「むら」から「くに」へ ===
;「くに」の誕生<!--