「小学校社会/6学年/歴史編/江戸時代の文化-江戸時代Ⅱ」の版間の差分

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:*世の中が安定し、経済が発展したため、幕府の支出が増える一方で、収入源である米の価格が下がるという状況になり、幕府の財政は厳しいものとなっていました。吉宗は、倹約と増税・新田開発、米価をあげることにより幕府の財政を回復させ、また、優秀な人材を登用できるようにし、{{ruby|大岡忠相|おおおかただすけ}}などを用いました。これを'''{{ruby|享保|きょうほう}}の{{ruby|改革|かいかく}}'''と言います。
:第9代将軍{{ruby|家重|いえしげ}}(将軍在位1745年-1760年)
:*{{ruby|田沼意次|たぬまおきつぐ}}'<span id="田沼"/>を用いて、商業を振興したり、印旛沼の開発などをして、景気を良くすることにつとめました。田沼意次が活躍した時代を「'''{{ruby|田沼|たぬま}}時代'''」といいます。
:第10代将軍{{ruby|家治|いえはる}}(将軍在位1760年-1786年)
:*田沼意次の政治が続きました。商人を利用して経済を活発にしたのですが、役人の汚職が噂されました。
:第11代将軍{{ruby|家斉|いえなり}}(将軍在位1787年-1837年 大御所:-1841年)
:*{{ruby|飢饉|ききん}}やそれにともなう百姓一揆・打ちこわし<ref>江戸や大阪といった都市の民衆が、政治などに不満を持った大きな商人などの店を集団でこわすことを言います。都市における百姓一揆みたいなものです。</ref>が増え、また、幕府の財政が再び悪化したため、田沼意次はやめさせられました。それに代わって{{ruby|松平定信|まつだいらさだのぶ}}'<span id="定信"/>が老中{{ruby|筆頭|ひっとう}}に任命され、倹約などをすすめることで、幕府の財政の立て直しをはかりました。これを、これを'''{{ruby|寛政|かんせい}}の{{ruby|改革|かいかく}}'''と言います。
:*経済活動が、上方中心から江戸へと移ってきて、江戸の町民文化が盛んになりました。これを「'''[[#化政文化|{{ruby|化政|かせい}}文化]]'''」といいます。
:第12代将軍{{ruby|家慶|いえよし}}(将軍在位1837年-1853年)