第二次バルカン戦争
第二次バルカン戦争は第一次バルカン戦争の講和条約後の不満により1913年6,7月に発生した戦争。
第一次バルカン戦争
編集詳しくは「第一次バルカン戦争」を参照。
オスマン帝国の衰退に合わせてバルカン半島のブルガリア、ギリシャ、セルビア、モンテネグロはバルカン同盟を組織して1912年、オスマン帝国へ侵攻した。その後のロンドン条約ではマケドニアの領有に関し利害が対立し、その後が決定せずに終わった。
経過
編集1913年6月29日にブルガリアはセルビア、ギリシャ両国へ侵攻した。しかし、セルビア、ギリシャ両国は軍事同盟を結んでおり、その後ルーマニア、モンテネグロ、オスマン帝国も参戦し、7月30日にはブルガリアは講和を要求し、ブカレストで講和交渉が開かれた。
講和とその後の影響
編集ブカレスト講和条約でブルガリアはマケドニアのみならず、南ドブルジャ、エディルネを各国に割譲。また、この二度のバルカン戦争で多くのヨーロッパ領土を失ったオスマン帝国は第二次バルカン戦争で敗れたブルガリアと接近。これは第一次世界大戦へとつながることとなった。(両国ともに第一次世界大戦では中央同盟国として参戦。)