わたしは愛を悦び、犠牲を悦ばない

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חֶסֶד חָפַצְתִּי וְלֹא־זָבַ֑ח

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ホセア書66

‏ חֶסֶד ‎「愛」とも「いつくしみ」とも「真実」とも訳せる語。ホセア書においては、神と人(民)との間の契約関係にもとづく「愛」のこととも言われている。 2204164126などに用いられている。ここでは次の動詞 ‏ חָפַצְתִּי ‎ の目的語。目的語は動詞の後に来るのが普通ですが、ここでは強調のため、文頭に置かれているのである。

‏ חָפַצְתִּי ‎ ‏ חָפֵץ ‎「悦びとしている」のカル一人称単数完了形。ヘブライ語動詞の基本形(カル三人称単数男性完了形)は ‏ כָּתַב ‎ kātaḇ のように、普通、第二子音の母音はパタハであるが、中にはこのようにツェーレーのものもある。その多くは、いわゆる状態や質を表す動詞である(例:‏ כָּבֵד ‎ kāḇēd「重い」、‏ זָקֵן ‎ zāqēn「老いている」)。

‏ וְלֹא־ ‎「そして‥‥ない」。‏ וְ ‎「そして」+ ‏ לֹא־ ‎ 否定詞「‥‥でない」。‏ לֹא ‎ の次の語とのマッケーフ(maqqēph) で結びつけられているのは、音読の際、韻律上の理由などで、次の語と共に一語のように読むためである。単音節の否定詞(‏ אַל־ ‎、‏ אֵן־ ‎(‏ אַיִן ‎ の連語形)など)、前置詞(‏ אֶל־ ‎、‏ עַל־ ‎、‏ כִּי־ ‎、‏ אֶת־ ‎I/II(単独では ‏ אֵת ‎)、その他の小詞(‏ כָּל־ ‏(‏ כֹּל ‎ の連語形、‏ ־ָ ‎ は小カーメツ!)、‏ יֶשׁ־ ‎( ‏ יֵשׁ ‎ の連語形)など)の場合に多い。なお否定詞 ‏ לֹא ‎ は、普通、否定する語の直前に来る。動詞の場合は動詞の直前。

‏ זָ֑בַח ‎ 名詞 ‏ זֶבַח ‎「犠牲」の休止形。‏ לֹא ‎ と結び付いて「(わたしが悦ぶのは)犠牲ではない」。節の終わりや、節の途中でも文の一定の切れ目の終わりの単語は休止形をとる。休止形は単語により ‏ זֶבַח ‎ の場合のように母音が変わることがしばしばある。語の調子 (tone) が変わるのである。休止形は節の終わりでは ‏ ־ֽ ‎ シルーク (sillûq. 例えば創世記11でみると、‏ הָאָֽרֶץ׃ ‎ の ‏א‎ の下にある縦線記号)で、節の途中では ‏ ־֑ ‎ アナトハ('athnāḥ.この場合がそうである。(文法3.2.3.2参照))でわかる。その他の場合もあるがここでは省略する。なお ‏ זֶבַח ‎ のもとのことばは動詞 ‏ זָבַח ‎「動物を屠る」、また「祭壇」は ‏ זָבַח ‎ から派生した ‏ מִזְבֵּחַ ‎ mizbēaḥ。

ホセアのこのことばと同じ思想は、他に、預言書や詩篇に多くみられる(たとえばイザヤ書111-15詩篇5116-17)。また、「福音書」によれば、このことばはイエスの特愛のことばでもあったようである(マタイ913127参照)。