聖書原典購読初級/4
わたしは愛を悦び、犠牲を悦ばない
編集חֶסֶד חָפַצְתִּי וְלֹא־זָבַ֑ח
編集 חֶסֶד 「愛」とも「いつくしみ」とも「真実」とも訳せる語。ホセア書においては、神と人(民)との間の契約関係にもとづく「愛」のこととも言われている。 220、41、 64、 126などに用いられている。ここでは次の動詞 חָפַצְתִּי の目的語。目的語は動詞の後に来るのが普通ですが、ここでは強調のため、文頭に置かれているのである。
חָפַצְתִּי חָפֵץ 「悦びとしている」のカル一人称単数完了形。ヘブライ語動詞の基本形(カル三人称単数男性完了形)は כָּתַב kātaḇ のように、普通、第二子音の母音はパタハであるが、中にはこのようにツェーレーのものもある。その多くは、いわゆる状態や質を表す動詞である(例: כָּבֵד kāḇēd「重い」、 זָקֵן zāqēn「老いている」)。
וְלֹא־ 「そして‥‥ない」。 וְ 「そして」+ לֹא־ 否定詞「‥‥でない」。 לֹא の次の語とのマッケーフ(maqqēph) で結びつけられているのは、音読の際、韻律上の理由などで、次の語と共に一語のように読むためである。単音節の否定詞( אַל־ 、 אֵן־ ( אַיִן の連語形)など)、前置詞( אֶל־ 、 עַל־ 、 כִּי־ 、 אֶת־ I/II(単独では אֵת )、その他の小詞( כָּל־ ( כֹּל の連語形、 ־ָ は小カーメツ!)、 יֶשׁ־ ( יֵשׁ の連語形)など)の場合に多い。なお否定詞 לֹא は、普通、否定する語の直前に来る。動詞の場合は動詞の直前。
זָ֑בַח 名詞 זֶבַח 「犠牲」の休止形。 לֹא と結び付いて「(わたしが悦ぶのは)犠牲ではない」。節の終わりや、節の途中でも文の一定の切れ目の終わりの単語は休止形をとる。休止形は単語により זֶבַח の場合のように母音が変わることがしばしばある。語の調子 (tone) が変わるのである。休止形は節の終わりでは ־ֽ シルーク (sillûq. 例えば創世記11でみると、 הָאָֽרֶץ׃ の א の下にある縦線記号)で、節の途中では ־֑ アナトハ('athnāḥ.この場合がそうである。(文法3.2.3.2参照))でわかる。その他の場合もあるがここでは省略する。なお זֶבַח のもとのことばは動詞 זָבַח 「動物を屠る」、また「祭壇」は זָבַח から派生した מִזְבֵּחַ mizbēaḥ。
ホセアのこのことばと同じ思想は、他に、預言書や詩篇に多くみられる(たとえばイザヤ書111-15、詩篇5116-17)。また、「福音書」によれば、このことばはイエスの特愛のことばでもあったようである(マタイ913、127参照)。