化学平衡

編集

可逆反応において、順方向の反応と逆方向との反応速度がつりあって反応物と生成物の組成比が巨視的に変化しなくなる状態を扱う分野である。

可逆反応

編集

水素とヨウ素の混合気体を容器に入れ、一定温度に保っておくと、一部が反応してヨウ化水素を生じ、水素・ヨウ素・ヨウ化水素の混合気体になる。また、この容器にヨウ化水素だけを入れて同じ温度に保っておくと、一部が分解して水素とヨウ素が生じ、やはり水素・ヨウ素・ヨウ化水素の混合気体になる。

このように、水素とヨウ素の化合、ヨウ化水素の分解のように、ある反応に対してその逆の反応も起こるとき、一方を正反応、他方を逆反応といい、このどちらも進むような反応を可逆反応とよぶ。また、一方向にしか進まない反応を不可逆反応という。

平衡移動

編集

ルシャトリエの原理

編集

可逆反応が平衡状態にあるとき、温度や圧力の条件を変化させると、正反応または逆反応のどちらかが進んで、新たな平衡状態になる。この現象を平衡移動という。

可逆反応が平衡状態にあるとき、濃度・温度・圧力といった条件を変化させると、条件の変化を和らげる向きに反応が進んで、平衡が移動する。これは、ルシャトリエの原理(平衡移動の原理)とよばれる。

条件変化を和らげる向きとは、条件変化の効果を打ち消す向きに反応が進むことを示している。つまり、圧力を上げれば、総気体分子数が少なくなる圧力が下がる向きに反応が進み、温度を上げれば吸熱する向きに反応が進むことになる。

例えば、    について考える。

ここで、  の濃度を増加させると、  の増加をやわらげる方向、  が減少する右へ平衡が移動する。  の濃度を減少させると、  の減少をやわらげる方向、  が増加する左へ平衡が移動する。

圧力を大きくすると、圧力の増大をやわらげる、つまり、気体分子の数が減少する右に平衡が移動する。圧力を小さくすると、圧力の減少をやわらげる、つまり、気体分子の数が増加する左に平衡が移動する[1]

温度を上げるると、温度の増加をやわらげる方向、つまり、吸熱反応の左に平衡が移動する。温度を下げると、温度の減少をやわらげる方向、つまり、発熱反応の右に平衡が移動する。

平衡定数

編集
 

のような可逆反応が起こるとき、この反応系が化学平衡に達すると、化学平衡のときの各物質の濃度の間には、Kを定数として、次の関係が成り立つ。

 

この関係を化学平衡の法則といい、そのときの定数Kを平衡定数という。1つの反応系では、温度が決まれば平衡定数は一定値をとる。あるいは、上で定義された平衡定数の定義が、濃度の平衡によることから濃度平衡定数ともいい、その意味で表す際には、記号Kcを用いる。

化学平衡の法則の証明は簡単である。右向きの化学反応    個の分子    個の分子   の衝突によって起こる。この衝突が起きる確率は、   に比例する。たとえば、反応系の中に微小な区画を考えて、その微小区画の中に分子が存在するとき分子は衝突すると考えることにすると、1個の分子   が微小区画に存在する確率は、   に比例する。また、2個の分子   が微小区画に存在する確率(つまり、2個の分子   が微小区画において衝突する確率)は、   に比例する。このように考えていくと、微小区画に   個の分子    個の分子   が存在する確率は、  に比例することがわかる。これは、ある微小区画において、分子が衝突する確率だが、微小区画がどこにあっても、そこで衝突が発生する確率は変わらないから、これが、反応系において衝突が発生する確率であることは明らかだろう。

次に、左向きの化学反応   が起きる確率も、同様に   に比例する。平衡状態では、右向きの反応と左向きの反応が起きる確率は等しい。その反応の頻度は、それぞれ    に比例するのだから、この2つの量は比例する:

 

これは、化学平衡の法則に他ならない。

圧平衡定数

編集

上で定義された濃度平衡定数とは異なる平衡定数として、各々の反応物・生成物の分圧   をもとに定義する平衡定数がある。平衡時の分圧を考えると、次のように圧平衡定数   が定義される。

濃度平衡定数と圧平衡定数には、反応式が

 

で表わされる場合に、分圧がモル濃度と比例することから、次の関係式がある。

 

この関係式を導出する。理想気体の状態方程式の

 

は、圧力Vを右辺に移動すれば、

 

と、圧力   とモル濃度   の関係式となり、圧力と温度とが比例する。この   を状態方程式を、圧平衡定数の式に代入すれば、

 

以上の計算例は、2個の反応物から2個の生成物が生じる反応式の場合だったが、他の反応式でも同様に、圧平衡定数と濃度平衡定数の関係式がある。

電離平衡

編集

酢酸を水に溶かすと、次のように電離し平衡状態になる[2]

 

このような化学平衡を電離平衡という。

酢酸の電離平衡についても、化学平衡の法則を当てはめると、

 

となる。この平衡係数を電離定数という。


弱塩基についても同様に考える。

アンモニアの電離では、

 

より、  

ここで、  はほぼ一定と考えて、電離定数    として、

 

である。

弱酸・弱塩基の電離

編集

濃度c[mol/L]の弱酸HAの水溶液では、電離度をαとすると、[H+]と[A-]はcα[mol/L]となる。 従って、電離定数Kaは、次のように表される。

       
電離前      
電離      
平衡      
 

ここで、電離度   が1より十分に小さい場合、   と近似して、  である。これより、 を得る。

(無限等比級数を知っている場合、この近似は次のように理解することが出来る。  のとき、無限等比級数の和より、  である。つまり、 

この水溶液の水素イオン濃度は   である。


次に、電離度   が1より十分に小さくない場合は、   と近似することはできない。

  より、 二次方程式    について解いて、   である。

水素イオン濃度は   である。


電離度がだいたい   の場合、  の近似を行うことが出来るが。  のときは近似は行わない。

水の電離

編集

水はわずかに電離して、電離平衡の状態になっている。

 化学平衡の法則より、水の平衡定数Kは次のようになる。
 

水はわずかにしか電離しないので、濃度[H2O]の値はほぼ一定とみなせる。そこで、  とすると、

 

これより、[H+]と[OH-]の積の値も温度一定のときに一定値となる。この  水のイオン積という。

25℃におけるKwの値は

 

このイオン積の値は酸や塩基中など常に成り立つ。

また、温度がかわると水のイオン積の値は変化する。

水のイオン積と常温付近の温度の関係は、下記のとおり。

温度 Kw/(mol2/L2)
20℃ 0.29×10ー14
25℃ 1.01×10ー14
30℃ 1.47×10ー14

また、水の電離は吸熱反応であり(※ 上の表と関連づけて覚えよう。)、熱化学方程式は

  

である。

水素イオン指数 pH は   で定義されるものであった。

水酸化イオンについても、   を定義する。(「ピー オーエイチ」と読む) pHとpOHについて、イオン積から次の公式が成り立つ。

  より両辺の対数をとって、  から

 

あるいは

 

加水分解

編集

弱酸と強塩基の塩、または弱塩基と強酸の塩は水に溶けると、ほとんど完全に電離し次のように加水分解する。


弱酸と強塩基の塩(酢酸ナトリウムの場合)

 

 


弱塩基と強酸の塩(塩化アンモニウムの場合)

 

 


ここで、酢酸イオンの加水分解の平衡定数  

 

である。   は一定と考え、  と置くと

 

が成り立つ。この   を加水分解定数という。


アンモニウムイオンについても同様に考える。平衡定数  

 

加水分解定数   を定義すると

 


加水分解定数   と、弱酸または弱塩基の電離定数   または   について

 

 

が成り立つ。


実際、酢酸ナトリウムの場合、   より  

また、塩化アンモニウムの場合、  より   である。

塩のpH

編集

弱酸と強塩基の塩を水に溶かすと、塩は完全に電離し、一部が加水分解し水酸化物イオンが生じるため液性は塩基性を示す。

弱酸と強塩基の塩(酢酸ナトリウムの場合)

 

 

同様に、弱塩基と強酸の塩の水溶液は酸性を示す。

弱塩基と強酸の塩(塩化アンモニウムの場合)

 

 


ここで、弱塩基と強酸の塩である   塩化アンモニウム水溶液の水素イオン濃度を求める。

塩化アンモニウムは完全に電離するため、電離後のアンモニウムイオンの濃度は   である。

 


電離したアンモニウムイオンの内、加水分解するアンモニウムイオンの物質量の割合   加水分解した /電離した  を定義し、  を加水分解度呼ぶ。


アンモニウムイオンの加水分解の量的関係は次の表のとおりである。

         
電離後      
加水分解      
平衡      

加水分解度   が1より十分に小さい場合

 [3]

より、   である。

水素イオン濃度は   である。(  はアンモニアの電離定数、  は水のイオン積)

演習問題

  酢酸ナトリウム水溶液のpHを、酢酸の電離定数  、水のイオン積   で表せ。

緩衝液

編集

少量の酸や塩基を加えたり、薄めたりしてもpHがほとんど変化しない溶液を、緩衝(かんしょう)あるいは緩衝溶液という。弱酸とその塩、または弱塩基とその塩の混合水溶液などが緩衝液として使われる。また、このようにpHを一定に保つような作用を緩衝作用という。

代表的な緩衝液として、酢酸 CH3COOH と酢酸ナトリウム CH3COONa との混合水溶液を考えてみよう。この溶液中の酢酸ナトリウムは、電離してCH3COO-とNa+とを生じる。一方、酢酸も電離するが、酢酸ナトリウムの電離により生じるCH3COO-の影響で、ルシャトリエの原理により、電離平衡は大きく酢酸の側に偏る。従って、実際には酢酸はほとんど電離せず、酢酸分子として水中に存在している。このとき、ブレンステッド・ローリーの定義によると、酢酸はブレンステッド酸、酢酸イオンはブレンステッド塩基である。

まず、この混合溶液に酸を加えると、生じたH+は酢酸イオンと反応して、酢酸を生じる。これにより、[H+] はほとんど増加しない。また、この混合溶液に塩基を加えると、生じたOH-は酢酸分子と反応して中和される。従って、[OH-] もほとんど増加しない。

この溶液において緩衝作用が最大になるのは、酢酸と酢酸イオンのモル濃度が等しいときである。


生物は体内のpHの変化に弱いため、緩衝液を体液として持っている。詳しくは高等学校生物を参照。

溶解平衡

編集

例えば、塩化ナトリウムを水に加えていくと、やがて溶けきれなくなり、飽和溶液になる。このような状態を溶解平衡といい、 の電離平衡が成立する。ここで、この飽和溶液に濃塩酸を加えると、新たに塩化ナトリウムが沈殿してくる。これは、濃塩酸を加えることにより[Cl-] が増加し、ルシャトリエの原理により上式の平衡が左に移動するからである。濃塩酸の代わりに塩化水素ガスを吹き込んでも同様の結果が得られる。

このように、ある電解質の飽和溶液に、その電解質を構成するイオンと同じ種類のイオン(共通イオン)を生じる別の電解質を加えることで、もとの電解質の溶解度が減少して沈殿を生じる現象を、共通イオン効果という。

溶解度積

編集

塩化銀AgClのような難溶性の塩でも、水に加えれば、わずかながら電離をする。

 

この難溶性の塩の場合も、以下のように平衡定数が定義できる。

 

[AgCl]の濃度の値は、一定値と見なせるから、これを右辺に移項して、

 

として、式が得られる。この式の、

 

を塩化銀の溶解度積(solubility product)といい、記号KSPで表す。

平衡定数Kが温度のみの関数であり、[AgCl]は一定と見なせることから、溶解度積KSPもまた温度のみの関数で濃度に無関係である。


塩化銀以外の他の難溶性の塩に対しても、同様に溶解度積が定義できる。一般の塩   に対しては、溶解度積の定義KSPは、反応式が次の式の場合、

 

化学平衡の法則より  

溶解度積 KSP は、

 

で定義される。


塩化銀の水溶液に、塩化ナトリウムNaClを加えると、塩化ナトリウムは容易に電離することから、溶液中の塩素イオン濃度 [Cl]- が増える。すると、平衡定数を一定に保つには、 銀イオン濃度 [Ag]+ を減らさなければならなくなる。従って、塩化銀の電離が減少し、塩化銀銀の沈殿が生じる。これは共通イオン効果の一種である。 塩化ナトリウムの代わりに、塩酸HClや塩化カリウムKClなどを加えても塩化銀の沈殿現象は起こる。

この場合、銀イオンと塩素イオンのイオン積[Ag]+ [Cl]-が溶解度積 KSP よりも大きくなると沈殿を生じる。

[Ag]+ [Cl]- > KSP   ・・・沈殿を生じて、 [Ag]+ [Cl]- = KSP となる。
[Ag]+ [Cl]- ≦ KSP   ・・・沈殿を生じない。
  1. ^ 反応式を見てみると、左辺の気体分子は合計で4、右辺は2である。つまり、右の反応が進むと気体分子数が減り、左の反応が進むと気体分子数が増える。
  2. ^ より正確には、 であるが、このように略す。
  3. ^   に注意