ここでは資料として、「倫理」で扱った先人たちの言葉を紹介する。

凡例 編集

  • ここでは原則として現代日本語訳を載せる。
  • 引用中の「……」は中略を示す。

青年期の課題と人間としての在り方生き方 編集

人間としての自覚 編集

ソクラテス以前のギリシア哲学 編集

  • タレス
「タレスは万物の始元を水であるとした。そして世界は生きた(生命をもつ)ものであり、神々(ダイモーン)に充ち満ちているとした。」(ディオゲネス・ラエルティオス(加来彰俊訳)『ギリシャ哲学者列伝(上)』岩波文庫)
  • ヘラクレイトス

以下は『初期ギリシア哲学者断片集』(山本光雄訳, 岩波書店)による

「河は同じだが、その中に入る者には、後から後から違った水が流れよってくる。」(断片12(p.33))
「同じ河に二度はいることは出来ない」(断片91(同上))
「この世界は、神にせよ人にせよ、これは誰が作ったのでもない、むしろそれは永遠に生きる火として、きまっただけ燃え、きまっただけ消えながら、つねにあったし、あるし、またあるだろう。」(断片30(同上))
「万物は火の交換物であり、火は万物の交換物である(後略)」(断片90(同上))
  • デモクリトス
「ノモス(人間側の取り決め)において色はあり、ノモスにおいて甘さはあり、ノモスにおいて苦さはある。だが、真実においてあるのは原子と空虚。」(断片125)

ソクラテス 編集

  • 無知の知
「私はその神託(『ソクラテスよりも賢い者はいない』というもの――引用者)を聞いて、こう思案しました。『神は、一体何をおっしゃっているのだろう。何の謎かけをしておられるのだろう。私は、知恵ある者であるとは、自分で すこしも意識していないのだから。神は、私がもっとも知恵ある者だと主張されることで、一体何を言われているのか。まさか、噓をつかれるはずはない。 それは、神の掟 に適わないことなのだから」と。
そして長い間、神が一体何を言っておられるのか、困惑していました。そしてその後で、まったく気が重いながらも、神の意図をめぐって次のような探求へと向かったの です。
私は、知恵があると思われている人の一人を訪ねました。可能ならそこで神託を論駁して、神の託宣に対してこう示そうと思ったのです。『この人が、私より知恵ある者です。あなたは、私がそうだ、とおっしゃったのですが』と。  
そこで、その人をよく吟味しながら──名前を挙げてお話しする必要はないでしょうが、政治家の一人でした──その吟味で次のような経験をしました。アテナイの皆さん、その人と対話をしていて、私にはこう思われたのです。
『この人は、他の多くの人間たちに知恵ある者だと思われ、とりわけ自分自身でそう思いこんでいるが、実際はそうではない』 と。  
そこで私は、その人が自分では知恵があると思っているが実際はそうでない、ということを当人に示そうと努めました。このことから、私はその人に憎まれ、また、そこ に居合わせた多くの人たちにも憎まれたのです。
私は帰りながら、自分を相手にこう推論しまし た。
『私はこの人間よりは知恵がある。それは、たぶん私たちのどちらも立派で善いことを何一つ知ってはいないのだが、この人は知らないのに知っていると思っているのに対して、私のほうは、知らないので、ちょうどそのとおり、知らないと思っているのだから。どうやら、なにかそのほんの小さな点で、私はこの人よりも知恵があるようだ。つまり、私は、知らないことを、知らないと思っているという点で』と。」(プラトン(納富信留訳)『ソクラテスの弁明』 (光文社古典新訳文庫) pp.21-23. 光文社)

プラトン 編集

アリストテレス 編集

ヘレニズムの哲学 編集

ストア派 編集

エピクロス 編集

儒教の思想 編集

孔子 編集

孟子 編集

荀子 編集

老荘思想 編集

老子 編集

荘子 編集

諸子百家の思想 編集

天の思想 編集

  • 天=運命
「天を楽しみ命を知る、故に憂へず。(天理の自然に従うことを楽しみ、天命の当然の分に安んずることを知っている、それ故にその心中には何の憂え恐れもない。)」(『新釈漢文大系 63 易経 下』p.1419)

墨子 編集

法家 編集

兵家 編集

ブッダ 編集

大乗経典 編集

イエス 編集

国際社会に生きる日本人としての自覚 編集

法然 編集

親鸞 編集

道元 編集

江戸時代の儒教 編集

国学 編集

賀茂真淵 編集

本居宣長 編集

庶民の思想 編集

石田梅岩 編集

安藤昌益 編集

福沢諭吉 編集

中江兆民 編集

内村鑑三 編集

近代文学者たち 編集

西田幾多郎 編集

和辻哲郎 編集

現代日本の思想家たち 編集

現代に生きる人間の倫理と思想 編集

モラリスト 編集

モンテーニュ 編集

パスカル 編集

経験論 編集

ベーコン 編集

以下の引用は全て『世界の大思想6 ベーコン』(河出書房新社,1969年)より。

  • 帰納法
「諸学について大きな希望は、正しい段階を、中断や杜絶なく、連続的に、ここの事例から低次の一般的命題へ、それから中間の一般的命題へと、つぎつぎに高次の命題へ上って、最後にもっとも一般的な命題に到達するようになるとき、はじめていだくことができる。」(『ノヴム・オルガヌム』第一巻・104)
「一般的命題をうちたてるさいには、これまで用いられてきたのとは別の形式の帰納法を考えださなければならない。……というは、単純枚挙による帰納法は子どもじみたものであって、その下す結論はあぶなっかしく、矛盾的事例によってくつがえされることを免れず、そしてたいていの場合、あまりにも少数の、それも手近にある事例だけによって断定を下すからである。しかしながら、諸学と技術の発見と証明に役立つ帰納法は、適当な排除と除外によって自然を分解し、そうしてから否定的事例を必要なだけ集めたのち、肯定的事例について結論を下さねばならぬ(後略)。」(『ノヴム・オルガヌム』第一巻・105)
  • イドラ(幻影)論
「人間の知性をすでにとらえてしまって、そこにふかく根をおろしているイドラと誤った概念は、ただ、人びとの精神をとりかこんで、真理がはいってくることをむずかしくしているだけではなく、真理がはいってくることを許され認められるようになったのちも、人びとがあらかじめ用心して、できるだけ、それらのものに対して身を守らないかぎり、それらは、いざ、学問を革新しようとすると、ふたたびあらわれてじゃまをするであろう。」(『ノヴム・オルガヌム』第一巻・38)
「人間の精神をとりかこんでいるイドラには四種類ある。それらに(説明の便宜のために)名をつけて、わたくしは、第一のものを種族のイドラ、第二のものを洞窟のイドラ、第三のものを市場のイドラ、第四のものを劇場のイドラとよぶことにした。」(同第一巻・39)
「種族のイドラは、その根基を人間性そのものに、人間という種族または類そのものにもっている。」(同第一巻・41)
「洞窟のイドラは各個人のイドラである。各人は(人間性一般に共通の誤りのほかに)自然の光をさえぎったり弱めたりする個人的な洞窟や穴のようにものを持っているのであって……人間の精神は(各個人によって別々であるかぎり)さまざまにうつり変わり、動揺し、いわば偶然によって左右されるものであることは明らかである。」(同第一巻・42)
「なおそのほかに、いわば人類相互の接触と交際からおこるイドラがあるのであって、わたくしはそれらのイドラを、人びととの結びつきと交わりのゆえに、市場のイドラとよぶ。人々は語ることによってたがいに結ばれるが、……言語がまちがって不適当に定められると、知性は実におどろくべきほど妨害されるわけである。」(同第一巻・43)
「最後に、哲学のさまざまな学説から、そしてまた証明のまちがった法則から人びとの心に入ってきたイドラがあるのであって、わたくしはそれを劇場のイドラとよぶ。」(同第一巻・44)

ヒューム 編集

合理論 編集

デカルト 編集

スピノザ 編集

カント 編集

ヘーゲル 編集

ホッブズ 編集

唯物論 編集

「世界、……即ち、存在するすべてのものの集まり全体は有形的である。つまり、物体であり、量的な大きさを持っている。すなわち、長さ、幅、奥行きである。また物体のすべての部分は物体であり、同様に大きさをもっている。したがって宇宙のすべての部分は物体であり、物体でないものは宇宙の部分ではない。そして宇宙はすべてであるから、その部分でないものは無であり、したがってどこにも存在しない」(『リヴァイアサン』第4部第46章)

社会契約論 編集

以下の引用は全て『リヴァイアサン(1)』『リヴァイアサン(2)』(岩波文庫,1992年改訳版)より

  • 自然状態における人々
「人びとが、かれらすべてを威圧しておく共通の権力なしに、生活しているときには、彼らは戦争とよばれる状態にあり、そういう戦争は各人の各人に対する戦争である……そのような状態においては、勤労のための余地はない。なぜなら、勤労の果実が確実ではないからであって、したがって土地の耕作はない。……学芸も文字もなく社会もなく、そしてもっともわるいことに、継続的な恐怖と暴力による死の危険があり、それで人間の生活は、孤独でまずしく、つらく残忍でみじかい。」(『リヴァイアサン』第1部第13章)
  • 社会契約
  • 国家の生成

ロック 編集

経験論 編集

  • 知性の研究について
「私たちが自分自身の心を照らしだせる灯火はすべて、自分自身の知性について()ることのできるものはすべて、非常に楽しいだけでなく、他の物ごとの探求に当たって私たちの思惟を導くうえに大きな利益をもたらすだろう」(『人間知性論』第一巻・第一章・1)
  • 認識論の構想
「私の目指すところは、人間の真知の起源と絶対確実性(サーティンティ)と範囲を研究し、あわせて信念(ビリーフ)臆見(オピニオン)同意(アセント)の根拠と程度を研究することである。したがって、心の物性的考察に立ち入らないだろう。……現在の私が目指すところにとっては、人間の認識機能が取り扱わなければならない対象にたずさわるようすを考察すれば十分だろう。」(同 第一巻・第一章・2)
  • 観念について
「この語(観念)は、およそ人間が考えるとき、知性の対象であるものを表すのに最も役だつと私が思う名辞なので、私は心象(ファンタズム)思念(ノーション)形象(スピーシズ)の意味するいっさいを、いいかえると、思考に際して心がたずさわることのできるいっさいを、表現するのにこの語を使ってしまい、頻繁に使わないわけにはいかなかったのである。……私たちの最初の研究は、どのようにして観念が心に入ってくるかということだろう。」(同 第一巻・第一章・8)
  • 生得原理の否定

社会契約論 編集

ルソー 編集

ミル 編集

マルクス 編集

ニーチェ 編集

ハイデッガー 編集

サルトル 編集

デューイ 編集

現代と倫理 編集