高等学校古文/歴史書/史記/鴻門之会

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概要 編集

戦国の世を治め、中国史上最初の中央集権国家とも言うべき秦帝国を樹立した始皇帝が没すると、それまでの圧政と腐敗、また、宮中の政争による統制の乱れから、各地で反乱が相次いだ。それら各地の反乱を糾合する形で楚王を奉じた将軍項羽の軍は、秦朝を攻め滅ぼそうと首都咸陽(この一帯を函谷関の内側と言うことで「関中」という)に向かった。このとき、楚王は、先に関中に入った方を関中王とする旨を約していた。楚王は、実際の政治力や軍事力を有しておらず、いわば、項羽の傀儡であり、項羽が最初に関中に入ることを見込んでの約束であった。その状況で、項羽は、秦の主力である章邯の軍を下すなど、秦朝打倒に大きな活躍をした、しかし、同時に関中への進軍はそれだけ遅れたのである。

一方、項羽配下(名目上は楚王配下である)の劉邦は、別働隊として強力な敵と遭遇することもなく、先に咸陽に至り、秦王子嬰を降服させ、関中一帯を占領した。凱旋した項羽は、関中に入ろうとしたところ、函谷関が劉邦の軍により閉ざされていた。不快に思った項羽は、配下の黥布に函谷関を破らせ鴻門に陣し、劉邦を攻めようとした。

項羽の下にあった、項羽の伯父である項伯は、劉邦の幕僚である張良と古くからの友人であり、密かに張良に使いを送り逃亡を勧めたが、張良はそれを断り、劉邦に、項羽の元に向かい謝罪するよう告げた。


以下がその模様である。

後に王朝の始祖となる劉邦にとって、生死を分ける瀬戸際であり、かつ、項羽と劉邦という2大英傑の直接対決の場となる、史記の中でも最も有名な一節である。

登場人物 編集

項羽側

項羽(項籍、項王)
楚の将軍。実質は反秦軍を総帥する。戦略に秀でるも、性格は粗暴。
范増
項羽の軍師。
項伯
項羽の叔父、項羽の軍にあって、これを保佐する。楚の名門出身であるが、楚が秦に滅ぼされた後、各地を流浪。このときに張良に匿われるなど恩義を受ける。
項荘
項羽の従弟。

劉邦側

劉邦(沛公)
平民上がりの楚王配下の将軍。後の漢王朝の始祖となる。
張良
劉邦の軍師。
樊噲
劉邦配下の武将。豪傑で知られる。劉邦の妻呂雉(後の呂后)の妹呂須の夫であり劉邦にとっては義弟に当たる。

本文 編集

第1段:劉邦の謝罪 編集

沛公旦日從百餘騎來見項王。

沛公旦日百餘騎を從へ項王に見えんと來たる。
沛公(劉邦)は、翌朝百余騎を従えて、項王(項羽)に面会を求めてやってきた。
  • 「旦日」:翌朝、「」は夜明け。

至鴻門、謝曰「臣與將軍戮力而攻秦。將軍戰河北、臣戰河南。然不自意能先入關破秦。得復見將軍於此。今者有小人之言、令將軍與臣有卻。」

鴻門に至りて、謝して曰はく「臣と將軍は力を戮せ秦を攻む。將軍は河北に戰ひ、臣河南に戰ふ。然して自ら意はずして能く先んじて關に入り秦を破る。此に復た將軍に見ゆを得。今、小人之言有り、將軍と臣をして卻有らしむ。」
鴻門に到着して、(劉邦は)謝罪していった、「私と将軍は力を合わせて、秦を攻めました。将軍は河北(黄河の北)で戦い、私は河南で戦いました。私は運良く、先に関中に入って秦を破ることができました。そして、ここで再びお目にかかることができたのです。今、つまらぬ者の言葉で、将軍と私を離間させようとしています。」
  • 」(新字体:):並列の接続詞。
  • 」(=):しりぞける。
  • 令將軍與臣有卻:「令」+目的語A「將軍與臣」+述語B「有卻」
    「AをBにさせる」:「將軍と臣(劉邦)」(の間)を「卻(互いを斥ける状態)」にさせる。

項王曰「此沛公左司馬曹無傷言之。不然、籍何以至此。」

項王曰はく「此沛公左司馬曹無傷之を言ふ。しからざれば、籍何を以て此に至らん。」
項羽は言った、「それは、あなたの左司馬である曹無傷が言ったのだ。そうでなければ、どうして、私がそんなこと(劉邦を攻めようとしていること)をしようか」

第2段:項荘、劉邦の命をねらう 編集

項王即日因留沛公與飲。

項王即日因りて沛公を留め與に飲む。
項羽はそのまま、劉邦を留めて酒宴を催した。

項王、項伯東向坐。亞父南向坐。亞父者、范增也。沛公北向坐、張良西向侍。

項王、項伯東向し坐す。亞父南向し坐す。亞父は范增なり。沛公北向し坐す、張良西向し侍す。
項羽と項伯は東向きに座り、亜父は南向きに座った。亜父とは范增のことである。劉邦は北向きに座り、張良は西向きに伺候した。
  • 亜父:父に次ぐ者の意、「」(新字体:)は「~の次」を意味する。

范增數目項王、舉所佩玉玦以示之者三、項王默然不應。

范增數(たびたび)項王に目し、佩ぶる所の玉玦を挙げて、以て之に示すこと三たびす。項王默然として應ぜず。
范増は何度も項羽に目配せして、帯びた玉玦を持ち上げ、(劉邦を殺せと)暗示することが何度もあった。項羽は黙って応えなかった。
  • 「玉玦」:玉石製の平たいドーナツ型の帯止め。

范增起、出召項莊、謂曰「君王為人不忍、若入前為壽、壽畢、請以劍舞、因擊沛公於坐、殺之。不者、若屬皆且為所虜。」

范增起ちて、出で項莊を召して、謂ひて曰はく「君王人と為り忍びず。若(なんじ)入りて前にて壽を為せ、壽畢すれば、劍舞をもって請ひ、因りて坐にて沛公を擊ち、之を殺せ。不者(しからず)んば、若が屬皆且に虜する所と為らん。」
范増は、席を立って外に出、項荘を召し出して言った、「将軍様は、人情がでて、冷酷にはなれないようだ。お前が中に入ってお祝いを述べよ。それが終わったら、祝いの剣舞をさせてもらい、時を見計らい、沛公を刺し殺してしまえ。そうしなければ、お前とお前の一族は、皆(劉邦の)虜にされてしまうだろう。」
  • 」:ここでは、呼びかけの代名詞「汝(なんじ)」
  • 」:終わる。

莊則入為壽、壽畢、曰「君王與沛公飲、軍中無以為樂、請以劍舞。」

莊則ち入りて壽を為す、壽畢して、曰はく「君王と沛公飲するに、軍中以って樂と為すこと無し、以って劍舞せんを請ふ。」
項荘は、すぐに宴席に入ってお祝いを述べた、それが終わると言った、「お殿様と沛公様がせっかく宴席を共にするのに、軍中であるため、何の楽しみもありません。慰みに、私に剣舞を舞わせてください」

項王曰「諾。」

項王曰はく「諾。」と。
項羽は「よろしい」と言った。

項莊拔劍起舞、項伯亦拔劍起舞、常以身翼蔽沛公、莊不得擊

項莊劍を拔き起ちて舞ふ、項伯亦(ま)た劍を拔き起ちて舞ひ、常に身を以って沛公を翼蔽するに、莊擊すを得ず。
項荘は立ち上がって剣を抜いて舞い始めた、項伯もまた、剣を抜いて舞い始め、ずっと身をもって沛公をかばうようにしたため、項莊は劉邦を撃つことができなかった。

第3段:張良、樊噲に援けを求める 編集

於是張良至軍門、見樊噲

是於いて、張良軍門に至り、樊噲に見みゆ
そこで、張良は(外にでて)軍門に行き、樊噲と会った。

樊噲曰「今日之事何如?」

樊噲曰はく「今日之事何如(いかん)?」
樊噲が「今日の事(交渉)はどのようですか(いかん)?」
  • 何如」:(状態、状況をたずねる疑問詞)どのようか? 訓読は、伝統的に「いかん」。

良曰「甚急。今者項莊拔劍舞,其意常在沛公也。」

良曰はく「甚だ急なり。今、項莊劍を拔き、舞ふ,其意は常に沛公に在るなり。」
張良は言った、「大変な緊急事態だ、今、項荘が剣を抜いて舞っているが、ずっと沛公を狙っている」

噲曰「此迫矣、臣請入、與之同命。」

噲曰はく「此迫れるか、臣入るを請ふ、之と命を同じうせん。」
樊噲が言った、「これは切迫している。私に入らせてください、殿様と生死を同じにしましょう」


噲即帶劍擁盾入軍門。

噲即はち劍を帶び、盾を擁して、軍門に入る。
樊噲は、すぐに剣を帯びて盾を携え、軍門に入った。

交戟之衛士欲止不內、樊噲側其盾以撞、衛士仆地。

交戟之衛士止め內(い)れざらんと欲するも、樊噲其盾を側(そばだ)て以って撞き、衛士地に仆(たお)る。
入り口の衛兵は、中に入れるまいと止めたが、樊噲は持っていた盾でついて、衛兵を倒した。
  • 「交戟之衛士」:は「ほこ」、これを二人の兵が交わし、入り口を塞ぐもの。

第4段:樊噲の論陣 編集

噲遂入、披帷西向立、瞋目視項王、頭髪上指、目眥盡裂。

噲遂に入る、帷を披きて西向して立ち、目を瞋(いか)らして項王を視る。頭髪上指し、目眥尽く裂く。
樊噲はついに宴席に入った、とばりをまくって、(項羽を正面にして)西を向いて立ち、目を怒らせて、項羽を見た。その髪の毛が怒りで逆立っており、まなじりは裂けるように見開いていた。

項王按劍而跽曰「客何為者?」

項王劍を按じ而跽して曰はく「客、何(なん)為(す)る者か?」
項羽は剣を引き寄せ、片膝立ちになって言った、「お前は何者か?」

張良曰「沛公之參乘樊噲者也。」

張良曰はく「沛公の參乘樊噲なり。」
張良が、「沛公の参乗の樊噲という者です」と答えた。
  • 「參乘(参乗)」:貴人の馬車に同乗し、護衛するお付きの者。

項王曰「壯士、賜之卮酒。」

項王曰はく「壯士なり、之に卮酒を賜へ。」
項羽は、「立派な男だ、こいつに酒を与えよ」と言った。
  • 「卮酒」:杯に入った酒

則與斗卮酒。

則ち斗卮酒を與ふ。
そして、一斗の酒を与えた。
  • 「斗」:約2リットル

噲拜謝、起、立而飲之。

噲拜謝して、起ち、立ちながら之を飲む。
樊噲は伏してお礼を言い、立ち上がって、そのまま、一息で飲み干した。

項王曰「賜之彘肩。」

項王曰はく、「之に彘肩を賜へ。」
項羽は、「こいつに豚の肩肉を与えよ」と言った。

則與一生彘肩。

則ち一生彘肩を與ふ。
そして、一塊の生の豚の肩肉を与えた。
  • 「一生彘肩」:「一」は「一塊の」、「生」は「調理をしていない、なまの」の意。当時であっても、豚を生で食す習慣はないため、「生」は衍字との説もあるが、これは、樊噲の迫力を演出するため、「なま」であったろうとする説が有力。

樊噲覆其盾於地、加彘肩上、拔劍切而啗之。

樊噲地に其の盾を覆へし、彘肩を上に加へ、劍を拔き切りて之を啗(くら)ふ。
樊噲は、盾を地面において、豚肉をその上に置き、剣を抜いてこれを切って、むさぼり食った。」

項王曰「壯士,能復飲乎?」

項王曰はく、「壯士なり,能く復た飲むか」と
項羽は、「豪傑だな、もう一杯飲めるか」と聞いた。

樊噲曰「臣死且不避、卮酒安足辭!

樊噲曰はく、「臣死すら且つ避けず、卮酒安んぞ辭するに足らんや!
樊噲が言った、「私は、死すらこれを避けようとしません、一杯の酒をどうしてお断りしましょうか。

夫秦王有虎狼之心、殺人如不能舉、刑人如恐不勝、天下皆叛之。

夫(そ)れ、秦王虎狼之心有り、人を殺すこと舉ぐる能はざるが如し、人を刑すること勝(た)へざるを恐るるが如し、天下皆之に叛く。
そもそも、秦王は虎や狼の心を持ち、人を殺すことは枚挙にいとまが無く、処刑することは、(それが多すぎて)できないことを恐れるほどでした、ですから、天下は皆背いたのです。

懷王與諸將約曰『先破秦入咸陽者王之。』

懷王諸將と約して曰はく『先んじて秦を破り、咸陽に入る者、之を王とす。』
懷王は諸将と約束して言いました、『先に秦を破って、咸陽に入った者を(関中の)王としよう。』と、

今沛公先破秦入咸陽、豪毛不敢有所近、封閉宮室、還軍霸上、以待大王來。

今沛公先んじて秦を破り、咸陽に入る、豪毛として敢(あへ)て近づく所のもの有らず、宮室を封閉し、軍を霸上に還へし、以って大王の來たるを待つ。
そして、沛公が、先に秦を破って、咸陽に入ったのです。(それなのに、王として振る舞わず)少しも、財貨を自分の物とせず、宮室を封印し、軍を霸上まで戻し、大王様(項羽)が来るのを待ったのです。

故遣將守關者、備他盜出入與非常也。

將を遣はし關を守らしむ故は、他盜の出入と非常に備へてなり。
将兵を派遣し、函谷関を守らせたのは、盗賊が出入りしたり、非常に備えたものです。

勞苦而功高如此、未有封侯之賞、而聽細說、欲誅有功之人。

勞苦(はなはだ)しく、功高きことかくの如くに、未だ封侯之賞有らず、而(しか)るに細說を聽きて、有功之人誅せんと欲す。
苦労は並大抵の物ではなく、功績が高いことはこのようであるのに、まだ恩賞はありません、一方、つまらないことを聞いて、功績のある人を誅殺しようとしています。

此亡秦之續耳、竊為大王不取也。」 

此れ亡秦之續なるのみ、竊(ひそ)かに大王の為に取らざるなり。
これは、滅びた秦の二の舞に他なりません、はばかりながら、大王がすることではないと思います。

項王未有以應、曰「坐。」

項王、いまだもって応ふるあらずして、曰はく「坐せ。」と
項羽は、応える言葉を失って、「座れ」と言った。

樊噲從良坐。

樊噲良に從ひて坐す。
樊噲、張良の隣に座った。

坐須臾,沛公起如廁,因招樊噲出。

坐して須臾にして,沛公起ちて廁に如く,因りて樊噲を招きて出ず。
(樊噲が)座ってしばらくしてから、沛公が立ち上がって便所に行こうとした、その時、樊噲を招きともに外に出た。

第5段:劉邦、九死に一生を得る 編集

沛公已出、項王使都尉陳平召沛公。

沛公已(すで)に出づ、項王、都尉陳平をして沛公召さしむ。
沛公が外に出た後、項羽は都尉陳平に沛公を呼びに行かせた。

沛公曰「今者出、未辭也、為之柰何?」

沛公曰はく「今出づるに、未だ辭せず、之を為すは柰何(いかん)?」と
沛公は「今、出て来たところで、辞去の挨拶もしていない、どうしたものだろうか?」と(樊噲に)聞いた。

樊噲曰「大行不顧細謹、大禮不辭小讓。如今人方為刀俎、我為魚肉、何辭為。」

樊噲曰はく「大行は細謹をかへりみず、大禮は小讓を辭せず。如今、人方(まさ)に刀俎たり。我は魚肉たり、何ぞ辭を為さん。」と。
樊噲曰はく「大事を行うときは、些細な慎みなど問題にせず、大いなる礼には、小さな謙譲など問題ではありません。今、向こうは丁度包丁とまな板で、こちらは魚や肉です。どうして別れの挨拶をする必要がありましょうか」と。

於是遂去。

是に於いて遂ひに去る。
こうして、沛公は、そのまま退去することとした。

乃令張良留謝。

乃(すなは)ち張良をして留め謝せしむ。
そして、張良を留めて、陳謝させることとした。

良問曰「大王來何操?」

良問ひて曰はく「大王何ぞ操りて来るか」
張良は「大王は、何を土産に持ってきましたか」と尋ねた。

曰「我持白璧一雙、欲獻項王、玉斗一雙、欲與亞父、會其怒、不敢獻。公為我獻之」

曰はく「我持ちて、白璧一雙を項王に獻ぜんと欲し、玉斗一雙を、亞父に與へんと欲す、其怒に會ひ、敢へて獻ぜず。公我に為りて之を獻ぜよ」
「私は、一対の白璧を項王に献上し、一対の玉斗を、亞父に差し上げようと持ってきたが、その怒りにあって、献上することができなかった。あなたが私に代ってこれを献上してくれ」と言った。

張良曰「謹諾。」

張良曰はく「謹みて諾す。」と
張良は「かしこまりました。」と答えた。

當是時、項王軍在鴻門下、沛公軍在霸上、相去四十里。

是時に當たり、項王軍鴻門の下に在り、沛公軍霸上に在り、相去ること四十里なり。
このとき、項王の軍は鴻門に在り、沛公軍は霸上にあって、その距離は四十里ほどであった。

沛公則置車騎、脫身獨騎、與樊噲、夏侯嬰、靳彊、紀信等四人持劍盾步走、從酈山下、道芷陽閒行。

沛公則ち車騎を置き、身を脫して獨り騎し、樊噲、夏侯嬰、靳彊、紀信等四人劍盾を持して步走する者と、酈山の下より、芷陽を道し閒行す。
沛公は、馬車をおいて、脱出するのに馬に乗って、樊噲、夏侯嬰、靳彊、紀信と言った四人の剣盾を持って並走する者と、酈山の下から、芷陽抜け道を通って逃れた。

沛公謂張良曰「從此道至吾軍、不過二十里耳。度我至軍中、公乃入。」

沛公、張良に謂ひて曰はく「此道從り吾軍に至るに、二十里を過ぎざるのみ。我軍中に至るを度(はか)りて、公乃(すなは)ち入れ。」と
沛公は、「この道を通って我が軍に戻るのに、二十里も行けばよいだろう(逃げ切れるだろう)。私が、自軍の勢力圏にはいるのを見計らってから、あなたは、宴席に戻りなさい。」と張良に命じた。

沛公已去、閒至軍中、張良入謝、曰「沛公不勝桮杓、不能辭。

沛公已に去り、軍中に至るを閒くに、張良入り謝して、曰はく「沛公桮杓に勝へずして、辭する能はず。
沛公が立ち去って、自軍に戻ったことを聞くと、張良は酒宴に戻って陳謝して言った、「沛公は酔っぱらってしまって、退去の挨拶もできません。

謹使臣良奉白璧一雙、再拜獻大王足下、玉斗一雙、再拜奉大將軍足下。」

謹んじて、臣良をして白璧一雙を奉じて、再拜して大王の足下に獻じ、玉斗一雙を、再拜して大將軍の足下に奉ぜしむ」
謹んで、私張良に、一対の白璧を項王の足下に献上し、一対の玉斗を大将軍の足下に、献上するよう申しておりました。

項王曰「沛公安在?」

項王曰はく「沛公安くにか在る?」と
項羽は、「沛公は、どちらにおいでか」と聞いた。

良曰「聞大王有意督過之、脫身獨去、已至軍矣。」

良曰はく「大王之を督過するに意有りと聞きて、身を脫して獨り去る、已に軍に至るか。」と
張良が、「大王様がお責めになるお積もりだと聞いて、(おそれて)ここを抜け出て一人戻りました、すでに軍に到着している頃でしょう」

項王則受璧、置之坐上。

項王則ち璧を受け、之を坐上に置く。
項羽は、白璧を受け取って、手元に置いた。

亞父受玉斗、置之地、拔劍撞而破之。

亞父玉斗を受け、之を地に置き、劍を拔き撞きて之を破る。
范増は、玉斗を受けとり、地面におくや、剣を抜き衝いて粉々に砕いてしまった。

曰「唉!豎子不足與謀。奪項王天下者、必沛公也、吾屬今為之虜矣。」

曰はく、「唉! 豎子與(とも)に謀るに足らず。項王の天下を奪ふは、必ず沛公ならん、吾が屬今に之の虜とならん。」
そして言った。「ああ、小僧、ともに計略を語るに足らない、項王の天下を奪うのは、必ず沛公であろう、私の一族は彼の捕らわれ者になるだろう」

沛公至軍、立誅殺曹無傷。

沛公軍に至ちて、立ちどころに曹無傷を誅殺す
沛公が軍にもどると、すぐさま曹無傷を誅殺した。