高等学校政治経済/政治/国際法と国際社会

国際社会

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  • 主権国家

今でこそ各国は自国の主権を明確に意識しているが、古代・中世では、そうではなかった。 主権国家の概念が出てきたのは、絶対王政などが背景にある。 ウェストフェリア条約(1648年)で、主権国家の概念が出てきた。このウェストフェリア条約とは、ドイツ三十年戦争を終了させるためにウィストフェリア地方で開催された国際会議での条約である。

  • バランス・オブ・パワー(勢力均衡)( balance of power )

近代の欧米では、もし各国の軍事力が釣り合っていれば、どの国が他国に侵略をしかけても可能性が少ないので、戦争が減らせるだろうというバランス・オブ・パワー(勢力均衡)( balance of power )の発想を、当時の人は考えた。

(※ 範囲外? :)現代では、「バランス・オブ・パワーの思想には、世界大戦や、冷戦中の軍拡などを引きおこした問題点がある」などの批判がある。(たぶん、現代社会あたりの教科書や参考書にも、そういう評論があるだろう。)
しかし、そもそもバランス・オブ・パワーの理論の前提条件として、5カ国ていどの国力が同じ程度の大国が存在している場合である事、という前提条件がある[1]。よって、そもそも冷戦の米ソ対立のような2国間の大国同士の対立は、この理論の適用外。


国際法

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国際法とは

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グロティウス

国家間の条約や、国際慣習が、国際法(こくさいほう)である。公海自由の原則も国際法である。

17世紀、オランダのグロティウスが、国家間の調停にも、自然法にもとづく法が存在するべきだと主張して、『戦争と平和の法』で、(現代でいう)国際法の考えを述べた。こののため、グロティウスは「国際法の父」と呼ばれる。

国際法では条文は必ずしも存在するとは限らず、グロティウスの当時は「公海自由の原則」は条文がない国際慣習であった。(公海自由の原則は、現在では国連海洋法条約などで成文化され条約化されている。)

戦争における捕虜(ほりょ)の取り扱いについてのルールも、国際法は定めている。このような、戦争に適用される国際法を戦時国際法(せんじ こくさいほう)という。

現在の国際社会では、大国よりも強い権力を持った国際機関は無く、国際機関は、大国が参加しないかぎり、あまり大きな影響力を持たないのが現状である。

国際法も同様に、大国には、あまり大きな強制力を持たない。

国際連合では国際法として普及している国際慣習を条文化する作業をしているが、国連には国際法を制定する権限は無く、あくまで国際法は条約や国際慣習などにもとづく。

ただし、国連も、国際慣習の一部ではあるので、国連および国連の整備した国際法についての条文は、国際法に比較的大きな影響をもたらす。

  • 国際法の分類

国際法に限らず、法律において、まだ立法化されていないが、慣習にもとづいて多くの国に守られている(事実上の)法のことを、「慣習法」という。(※ 普通科高校の範囲内。)

ある国際慣習が、まだ条約になってなくても、その国際慣習が多くの国に守られていれば、国際法であると見なされる。このような、国際慣習の状態の国際法のことを「国際慣習法」という。(※ 検定教科書の範囲内) 国際法では、このような国際慣習法も多い。

「公海自由の原則」も、グロティウスの時代では(今で言う)国際慣習法であった。

いっぽう、国際法のうち、条約などによって成文化された法律のことを、成文国際法(せいぶん こくさいほう)という。

国際法に限らず、国会などで立法化された法律のように、条文として文書化された法律のことを成文法という。(※ 普通科高校の範囲内。)

(※ 参考: 『高等学校商業 経済活動と法/法の分類』に、「慣習法」、「成文法」などの法律の分類についての説明がある。)

※ 対して、国際慣習法のことを「不文国際法」などともいう。

成分国際法は、必ずしも名前が「○○条約」のような名とは限らず、「○○宣言」とか「〇〇議定書」などの場合もあるので、内容と締結の相手で判断する必要がある。国家と国家の条約でなくとも、国家と国際機関との条約または協定などであっても、国際法になる。(※ NHK教育 『高校講座 政治経済』「第14回 国際関係と国際法 放送日:7月8日 」の見解)

国際的な司法

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国際司法裁判所(オランダ、ハーグ)
 
国際刑事裁判所(オランダ、ハーグ)

国内法を思い起こせば、国内法については、各国の国民が、その国の国内法に違反した場合は、その国の警察などから取り締まりを受ける。

しかし、国際法については、ある国が国際法に違反しても、その違反国を取り締まるような警察や世界政府のような組織が、けっして、どこかに用意されているわけではない。なので、国際法は、その実効性に限界がある。

また、ある国が、そもそも、ある国際条約を批准してなければ、その国際条約は、その(未批准の)国には拘束力を持たない。このように、国際法は、その拘束力に限界がある。(※ 清水書院の検定教科書に、このような記述がある。)

しかし、たとえ国際法の実効性・強制力などに限界があっても、多数の国が設立した国際機関が、国際法に違反した国や個人について、裁判をすること自体は可能である。


そのような国際法違反を裁く裁判所は、第一次世界大戦後の国際連盟の時代から常設仲裁裁判所として存在していた。 国際連合は、これに代わるものとして、1946年に国際司法裁判所ICJ、International Court of Justice )をオランダのハーグに設置した。これは、国家間の紛争や対立を裁くための裁判所である。 しかし、国際司法裁判所の裁判を開くには当事国双方の合意が必要なので、強制力が不十分である。

(※ 時事: ) 日本が初めて国際司法裁判所の係争国になった年度と事件内容は、2010年の捕鯨問題で日本がオーストラリアから提訴された事件であり、わりと最近の出来事である。(※ 2017年、センター試験に出題。その出題は上記の知識を知らなくても解ける問題になってる。)

(1990年代に起きたルワンダ内戦がキッカケとなり、) 2003年には国際刑事裁判所(ICC、International Criminak Court)がハーグに設置された。 集団的な殺害(ジェノサイド)、人道に対する罪、戦争犯罪、侵略に対する罪など、を裁く。 このICCの規定に、日本は2007年に加盟した。アメリカ・ロシア・中国・インドは、ICC条約には未批准である。


集団安全保障

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国際連盟や国際連合は、紛争の解決手段の一つとして集団安全保障(collective security)という概念を採用している。 集団安全保障とは、対立関係にある国もふくめて、国際紛争を平和的に国際会議などで解決しなければならなとする社会を目指すものである。

 
カント

集団安全保障にもとづいて国際平和を達成する国際機構というアイデアは18世紀にすでにあり、ドイツの哲学者カントの著作『永久平和のために』に表れている。

実際に、このような国際平和の機構が作られたのは、第一次世界大戦を終了させるためにアメリカ大統領のウィルソンが提案して設立された国際連盟(League of Nations )であった。

しかし、国際連盟の集団安全保障は、しばしば加盟国どうしが対立するなどのため、実効性が乏しく、また全会一致を原則としていたため加盟国が対立すると決定を下せず、このような理由などもあり、国際連盟は第二次世界大戦を防げなかった。


※ 日米安全保障条約やNATO(ナトー、北大西洋条約機構)の仕組みは、集団安保ではない。「日米安保」と「集団安保」は名前が似ているが、違う概念なので、混同しないように。



※ 範囲外: 国際法と国内法の優先順位

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もし、国連など国際機関での国際法の通説と、日本国内などある国での国内法が食い違っているとき、どちらを優先すべきなのでしょうか?

このような場合について、日本の法体系では、特に、法的なルールは定まっていません。

日本国憲法98条には「日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする。」とあります。

日本では、よく評論家などが、条約は通常の法律に優先する、などと主張する場合もありますが、しかし、そのような主張の評論には、憲法的な根拠はありません。

日本国憲法では、いっさい、条約を国内の通常の法律よりも優先せよ、などとは、定めていないのです。


さて、多くの先進国では、国際条約にもとづいて、通常の国内法を立法していく事があります。

まるで、国際条約が、憲法であるかのように、通常の法律を立法する事例が、多くあります。

日本でも、日本の批准(ひじゅん)した様々な国際条約にもとづいて、国内法を立法する場合があります。

このような政治慣習をもとに、「条約は通常の国内法よりも優先する」(?)と主張する評論家なども、多くいます。


しかし、このような国際条約を反映した立法は、けっして何かのルールに定められたものではないのです。なので、条約を批准したにもかかわらず、その条約を批准している諸外国のような立法をしない場合も、日本では、実際に、あります。

じっさい、労働関係の法律でも、教育関係の法律でも、同じような条約を批准しあっている国々どうしでも、それぞれの国で、その労働分野や教育分野の法律の内容が大きく違います。

そもそも、憲法で条約を「遵守」しなさいと言われてても、その「遵守」とやらの基準は憲法には存在していないので、条約を批准しただけでは、せいぜい理想を確認しただけぐらいの意味合いしか持たない場合もあります。


日本では、このように、条約と通常の国内法との優先関係は、あいまいになっています。


よく、右翼や左翼が、自分たちの都合のいい条約を、政策の根拠に主張することがあります。(※ 右翼、左翼については『高等学校政治経済/政治/右翼と左翼、保守と革新』を参照せよ。)

たとえば右翼なら、日米安全保障条約を根拠に、自衛隊の増強などの政策の正当性を主張したりします。いっぽう左翼なら、国連憲章などを根拠に、平和主義的な政策の正当性を主張したりします。

この際、あたかも条約に絶対にしたがわなければならないかのように、右翼や左翼が、主張したりすることも、よくあります。

ですが、そもそも条約どうし、理念が矛盾的に存在している場合もあります。例えば戦時における戦争の参加を前提にした日米安保と、戦争の違法化を目指した国連憲章は、そもそも原理的に理念そのものが矛盾的な状況にあります。

なので、そもそも、すべての条約に絶対にしたがうのは、条約どうしが矛盾している状況もあり、原理的にも無理な話です。


おそらく、実際に条約批准をした各国政府が可能なことは、せいぜい「条約を尊重する」という努力をすることぐらいです。


なお、そもそも法学的には、ある複数の法について、そのうちのある法の優先順位が高いことと、それが憲法のように上位規範の法律であるかどうかとは、いっさい別々のことです。

たとえば、国内法では、「特別法は一般法に優先する」という原則があります。(「特別法」とは何かについては『高等学校商業 経済活動と法/法の分類』を参照せよ。「民法の特別法として、民事訴訟法や商法がある。」のような言い方をする。)

右翼や左翼で、自分に都合のよい条約だけを根拠に選んで主張をするような人には、こういう「特別法」という概念をあまり知らないでいる無知な人も、きっと多くいるでしょう。つまり、商業高校でも習うような、特別法という法学的な概念すらしらずに、国際政治をかたりたがる、あたまの悪い評論家も、日本には、たくさん、います。

なので、あまり、評論家の無責任な言説を、あまり信用してはいけません。


なお、法学者などが「条約を守るべきだ」などと言っても、これはせいぜい、法学者が「憲法を守るべきだ」というのと同様のことでしか、ないでしょう。

そして、その憲法は、実際9条は、実際には解釈改憲によって形骸化しており、守られてません。


もちろん理想的には、憲法と条約と通常の国内法とのあいだに、矛盾がないのが、望ましいことは、言うまでもありません。そんなことは、いちいち法学者に、言われるまでも、ありません。

しかし、現実として、さまざまな政治的な事情により、憲法と条約と国内法とのあいだに、矛盾が生じることがあります。

  1. ^ 加藤利男 ほか著『現代政治学』、有斐閣、2012年3月20日 第4版 第1刷 発行、P60