Lojban For Beginners 日本語訳/ぼかす言い方

ぼかす言い方

事柄の表現についてもう少し見てみます。 例えば、 cinri と言う語には

x1 (事)は x2 の関心を惹く

という定義があります。ロジバンにおいては、関心を惹くのは例えば「誰々」ではなく「誰々が何々をすること」です。和夫さんに惹かれるのは、和夫さんのしゃべり方だったり、和夫さんの服装感覚だったり、和夫さんがこれこれであるという点に惹かれる、とロジバンでは表現するわけです。

では単に、「和夫さんに惹かれる、和夫さんって面白い」、と言いたい時はどうするのでしょう?つまり、「これこれだ」とは特に言いたくない時です。

lenu la kazuon. cu ___ cu cinri

特定をしない言い方としては、 zo'e がありました。例えば、 mi klama le barja 「私はバーに行く」は、 mi klama le barja zo'e zo'e zo'e 「どこどこから何々という経路で何々という乗り物で私はバーに行く」ということです。

しかし zo'e は「する」ことには使えません。上の文の mi も le barja も zo'e で言い換えられますが、 klama をzo'e で言い換えることはできません。

「する」ことの内容を特定しない言い方は co'e を使います。

mi co'e le barja

「私とバーは何々だ。」となります。「私はバーに行く」かもしれないし、「私はバーから来た」かもしれないし、「私はバーで寝る」かもしれませんが、とにかく、「私はバーに関係にする」ということです。

ですから、こう言えます。

lenu la kazuon. cu co'e cu cinri

「和夫さんは何々だから惹きつける。」

co'e は、

dasni [loi zirpu]

「紫に身を包む」 かもしれないし、

dansu [la zgikrnrokenrole]

「ロックンロールに踊る」 かもしれないし、

tavla [bau la lojban.]

「ロジバンをしゃべる」 かもしれませんが、ここでは言われていない、というわけです。

しかし、もっと便利な言い方もあります。ロジバンでは、lenu ___ cu co'e kei という言い回し( kei は nu の終端子。nu の句には kei が終わりに付きます)が多いのですが、これを tu'a で言い替えられます。

tu'a da

は、

lesu'u da cu co'e kei

「あるものが何々であるということ」

ということです。(da は「あるもの」、 su'u は一般的なことを述べる時に使います。)

ロジバンでは語に対応するものが「事柄」と定義されているが、その事柄をいちいち言いたくない、という時に tu'a は役立ちます。 「和夫さんは惹きつける」は短くこう言えます。

tu'a la kazuon. cinri

「和夫さんの何々が、惹きつける。」つまり「和夫さんは面白い。」


同じことは fenki という語にも言えます。 fenki の定義はこうです。

(事/行為)は x2 の観点で狂気の沙汰

「誰」が狂っていると言わずに、「誰々が何々をすること」が狂気の沙汰と表現するわけです。

tu'a la naoton. fenki

「直人さんはおかしい。」