性質

性質とは、これと言えるもの(sumti)でありながら、関係や性格を表すもの(selbri)です。

xendo は「親切である」という述語ですが、 ka xendo は「親切さ」です。

ここで注意したいことがあります。例えば xendo は「親切である」ですが、この語自体には「親切であるもの(x1)と、親切にされたもの(x2)と、その親切な振る舞い(x3)」という三つの意味が含まれます。 ka xendo は、(x1)である、ということなので、正確に言えば、「親切な人であることの性質」になります。ですから、例えば「親切な行動(x3)の性質」という意味ではありません。

違う例として、xlura という語を挙げます。この語には、

影響を及ぼすもの(x1)影響を及ぼされたもの(x2)その影響による行動や状態(x3)それをもたらす作用や感化力(x4)

という四つの意味を含み得ます。

lo ka xlura は(x1)の「影響を及ぼすものである性質」で、いわゆる「影響力」です。


「私が影響を及ぼすものであること」つまり「私の影響力」と言いたい時は、

lo ka mi xlura

と mi を付け足して、言えます。 純平の影響力なら lo ka la junpen. xlura ですね。

同じように、「私が影響を及ぼされることの性質」つまり mi が(x2)の時は、xlura の後(x2)の場所に mi を置き、

lo ka xlura mi

とします。 これはつまり「私の感受性」です。 あるいは、 se を使って、(x1)の場所に持ってきます。

lo ka mi se xlura

性質を言う場合に、 mi ではなく、不特定のものがそこに入る、と言いたい時には、 ce'u という語があります。 le ka ce'u xlura 「誰々あるいは何々が影響を及ぼすものであること」つまりは一般的な「影響力」ということが表せます。

le ka xlura ce'u

あるいは

le ka ce'u se xlura

「誰々あるいは何々が影響を受ける性質」つまり「感受性」になります。


さて、第七章では nu と du'u の違いを見ました。現実であることに関しては nu を使います。話者の頭の中にある、事実や提案などについては du'u を使います。 ka は、抽象的なことに関わるので、 du'u の仲間です。現実にあることというよりは、頭の中にあるものです。ただ、 ka は ce'u が入る場所を要求します。何かの「性質」なのです。 それに対して du'u は、必ずしも要求しません。 例えば、ledu'u ce'u xendo と言うなら、 leka ce'u xendo と同じ意味になります。


しかし ledu'u xendo だけなら、 leka xendo と同じ意味にはなりません。 ledu'u xendo は ledu'u zo'e xendo 「誰かが親切であること」という話者の頭の中にある事実を指しますが、「親切な人であることの性質」つまりその人の「親切さ」という意味にはなりません。

gismu の語自体が ka で表される「性質」を意味に含むこともあります。 例えば、 sisku 「探す」という語は ka の付く「性質」を探すという意味を持っています。 karbi 「比べる」という語は ka の付く「性質」において比べる、という意味を持っています。 他にも例を挙げます。

mi fange do leka ce'u se krasi le bartu be le tcadu

「(~は)町の外が源という性質において、私はあなたにとって見知らぬものだ。」あるいは「私は町の外の人なので、あなたにとっては見知らぬ人です。」

mi barda leka le xadni be ce'u cu clani

「(~の)体が長いという性質において、私は大きい。」つまり「私は背が高いので、大きい。」

mi mansa do leka ce'u pensi

「(~が)考える性質において、私はあなたを満足させる。」つまり「私の知性はあなたを満足させる。」

上の例で(~が)等と表した部分を、「誰が」あるいは「何が」と特定する場合には、 ka を使いません。du'u を使うことになります。

do djuno ledu'u mi pensi

「私は考えている、ということをあなたは知っている。」

lenu la naotos. bilma cu zmadu lenu la sizukas. bilma kei leka ce'u rinka
lenu zo'e ruble

「直人が病気であることは、静香が病気であることを上回る、弱まらせるという性質において。」つまり「直人のは静香のよりも衰弱させる病気だ。」


二つの性質を言いたい時はどうでしょう?例えば、

le pulji cu djica lenu djuno ledu'u makau tavla makau le nu jemna zercpa

「警察は知りたい、誰が誰と、宝石を犯罪的に取ることについて話したのか」つまり「警察は、宝石を盗むことを誰が誰に話したのかを知りたがっている。」

これを言い換えてみます。

le pulji cu sisku leka ce'u tavla ce'u lenu jemna zerle'a

「警察は、宝石を強奪することを誰が誰に話すという性質を探している。」

(ce'u が二つある時は、それぞれ別の物を指します。ce'u が ce'u と話すということは、自分自身と話す、という意味にはなりません。)


simxu を使った ce'u の例。

mi ce do simxu leka ce'u tavla ce'u lenu jemna zerle'a

「私とあなたは、宝石を強奪することについて、(~が)(~に)話す、ということをする性質の相互的な集団(セット)だ。」つまり「私とあなたは、宝石の強奪について話し合う。」

simxu leka draci fi ce'u ce'u

「相互的な集団(セット)だ、(~が作り手)で、(~が観客)の劇であるという性質において。」つまり「劇を書いたり相手の劇を見たりし合う。」

simxu leka draci fo ce'u ce'u

「相互的な集団(セット)だ。(~が観客)で、(~が役者)の劇であるという性質において。」つまり「劇を演じたり相手の劇を見たりし合う。」


量を扱う ni は ka のように使いますが、 ni も ce'u を取ります。

le ni le pixra cu blanu

と言えば、「絵が青であることの量」つまり「絵の青さ(度合い)」です。

le pixra cu cenba le ni ce'u blanu

「絵は変化する、青の量において。」つまり「絵は、青の度合いが変化している。」   ちなみに、ka を使うと意味が違ってきます。

le pixra cu cenba le ka ce'u blanu

「絵は変化する、青であることの性質において」つまり「絵は、青さ(色そのもの)が変化している。」