今までに出てきた冠詞として、cmene のための la 、sumti のための le 、数のための li を見てきました。なので、 li bi は「8という数」を表すわけですが、こんなのは数学の世界以外ではあまり使われませんよね。もっと私たちが言いたいのは、「3人の人」とか「2匹の猫」とかいうことの筈です。

数学者向け:ロジバンには数学のための言葉が豊富にあり、いかなる数学的思考をも表現することができます。The Complete Lojban Language, Chapter 18.に記載されていますが、この初心者コースでは登場しません。

そのために le を使うという方法があります。数字の前につけるか後に付けるかで意味が変わってきます。

le ci gerku
その3匹の犬

ci le gerku
その犬のうちの3匹

しかし、ただ「3匹の犬」と言いたいときはどうすればよいのでしょう?そんなときは、別の冠詞である「lo」を使います。lo の論理はかなり複雑(lo prenu cu klama の意味するところが「最低でも1人がいて、その人(達)が行く」ということであるというように)なのですが、基本的な意味は「本当にそれであるもの」ということで、十中八九英語の a または some と同じ使われ方をします(ロジバンの言葉を英語に置き換えて説明するのは malglico の名のもとに非難されるべき最悪の罪なのですが、現段階で lo を説明するにはこれが最良の策なのです)。

論理学者向け: 対照的に、the が lo と同じ意味を呈することはありません。英語では「the dog」は、「本当に犬であるもの」というだけでなく「本当に犬であって、すでに私が認識しているもの」という意味になります(これこそが「A dog came in. A dog was black.」と「A dog came in. The dog was black.」が異なる理由です)。ロジバンでは「le gerku(私が犬と呼ぶもの)」を用いることによりこの問題をかわしています。英語での場合に話者がどの犬のことを指しているのかという理解は聞き手によるものです。それと同じように le gerku という単語を聞いたときに頭の中で何と結びつけるかというのも聞き手によるのです。

ということで、ci lo gerku という文は「本当に犬であるもののうち3匹」、つまり簡単には「3匹の犬」という意味になります。しかし lo ci gerku という文となると、「世界中でたった3匹しかいない、犬というもの(のうち1匹または複数)」という意味になり、明らかにおかしくなってしまします(この lo と le の違いという問題を明らかにしたいのでしたら、数学者や論理学者向けになりますが The Complete Lojban Language の関連項目を調べるとよいでしょう)。 さてここで、「3人の男が1つのピアノを運んだ」という文について考えてみましょう。この文には潜在的に2つの意味があります。この文が個々人について述べているのだとすれば、「Aさんがあるピアノを運び、Bさんもそのピアノを運び、Cさんもそのピアノを運んだ」と解釈できるでしょう。この文がグループひとまとまりについて言っているのだとすれば、「AさんとBさんとCさんが一緒に1つのピアノを運んだ」という解釈になるでしょう。
こういう問題が出たときに大抵の自然言語では、2つの解釈のうち本当はどちらなのかを文脈や妥当さによって決めています。しかしロジバンは論理的な言語ですから、このような混乱は許しません。今までに習った le と lo は「別個」の解釈をすると決められています。ですから、次の

ci lo nanmu cu bevri le pipno

はただの「3人の男(nanmu)がそのピアノ(pipno)を運んだ(bevri)」という意味ですし、次の

ci lo gerku cu batci mi

はただの「3匹の犬が私を噛んだ」という意味になるのです。朝に1匹の犬に噛まれ、昼に1匹の犬に噛まれ、夜に1匹の犬に噛まれたのかもしれません。もしくは人生で犬に3回噛まれたことについて言っているのかもしれません。犬それぞれについての関係は言及していないのです。
しかし、もしこれらの人や犬を群としてとらえたいのであれば、次のように表すという決まりがあります。

lu'o ci lo nanmu cu bevri le pipno
lu'o ci lo gerku cu batci mi

「lu'o ~」の意味は「~から成る群」。”個々のばらばらな集まり”を”結束した集まり”へ変えるという役割があります。ですから先ほどの犬の例で言えば、犬達を1つのグループにまとめるという役割を果たします。コンピューターで遊ぶ戦略ゲームが好きなら、lu'o をユニット形成のための「グループ化」コマンドだと思ってください(「グループ化解除」のコマンド「lu'a」もあります)。更に重要なのは、1グループで行動する際に必ずしもグループ内の全員がその行動をしていなくてもよい、ということです。犬の1グループが噛みついたと見なすためには、その中のたった1匹さえ噛みついていればよいのです。
le につくときはもっと単純です。le pano ninmu が「その10人の女性」で、 lu'o le pano ninmu は「その10人の女性の1群」となります。ここで、10人の女性が別々の状況で私にキスするということを想定すれば、

le pano ninmu cu cinba mi

という文を作ることができます。しかし「10人の女性からなる1群に私はキスされた」という内容を想定したのならば

lu'o le pano ninmu cu cinba mi

と書きます。このとき必ずしも全員にキスされている必要はありません。
数が明らかでなくても使えるので、lu'o le と lu'o lo は便利な概念です。しかし数を言わなくてもグループ(群)化できるようにする言葉もありまして、それぞれ「lei」「loi」といいます。なので先ほどの、男性とピアノの話は「loi nanmu cu bevri le pipno」と言えますし、女性がキスする話は「lei pano ninmu cu cinba mi」とも言えます。それぞれ「男性が一緒にピアノを運んだ。」「10人からなるその女性達1群が私にキスした。」という意味になります。

中・上級者向け:実は数を明示しない loi nanmu cu bevri le pipno という表現は「世の全ての男性がピアノの運搬に関わった」ことを含意してしまいます。そして厳密に考えればこれは正しいのです(3人の男性がピアノを運んだなら、男性というものがピアノを運んだことにもなるでしょう)。けれども実情を表現するのには適したやり方ではありません。
それでは「3」という要素を先ほどの「loi nanmu cu bevri le pipno」という表現に復活させるにはどうすればよいのでしょう。もしかして「loi ci nanmu cu bevri le pipno」?これではこの宇宙に男性というものが3人しか居ないことになってしまいます。それなら「ci loi nanmu cu bevri le pipno」?しかしこれだと3群の男性達の話になってしまいます。正解は(The Complete Lojban Language, pp. 132–133 に記載されている殆ど知られていない仕組みを拡張することによって作られる)「loi ci lo nanmu cu bevri le pipno(男性3人からなる1群がピアノを運んだ。)」という表現です。lu'o を使った「lu'o ci lo nanmu cu bevri le pipno」と似ていますね。そしてロジバンを学んでいくといずれ「loi はたくさん使われているのに lu'o lo はあまり見かけないな。」と気づくことでしょう。