日付を表す gismu は detri であり、

x1(数)はx2(事)・x3(所)・x4(暦)の日付

という意味ですが、tcika と同様に殆どの場所が省かれる事になるでしょう。所については、根本的に違う時間帯域・惑星においての話をするとき位しか必要ないでしょうし、暦については、通常は西洋式のものが想定されますから。ここで例えばアラビア式や中国式の暦を使いたければ、4番目の場所に le xrabo や le jungo を挿入することで表現できます(ここにおいても文脈が重要だということに注意してください。イスラムの歴史についての文の中では明示しなくてもアラビア式の暦が想定されることになります)。

少し難儀なのが x1 です。混乱を避けるために以下の慣習があります

数字だけが入っているならばそれは日である。
例えば li pano ならば10日。
数字が2つ入っているならばそれは日・月である。
例えば li pano pi'e pare は12月10日。
数字が3つ入っているならばそれは日・月・年である(アメリカ式の月・日・年ではない)。
例えば li repa pi'e ze pi'e pasoxaso は1969年7月21日。

ということで以下のような表現が可能になりました。

li repa pi'e ze pi'e pasoxaso cu detri lenu lo remna cu klama le lunra
人が月へ行くというその出来事の日付は1969年7月21日だ。

ここで tcika と同じように出来事を初めに持ってくるのですが、多くの言語では「8月15日は私の誕生日です。」より「私の誕生日は8月15日です。」というような表現が好まれます。ロジバンでは場所付箋を使って後者のような順番に変更出来ます。

fe lenu mi jbena [kei] cu detri fa li pamu pi'e bi
私が生まれた日付は8月15日だ。

ここで登場した「kei」には抽象終了の役割があります。nu との対ですが構文上曖昧でなければ省略出来ます。そして se を使えば更に解りやすくなります。

lenu mi jbena cu se detri li pamu pi'e bi
私が生まれた日付は8月15日だ。

上のどちらにおいても lenu で始まる語句を cu の前に置いていますが、これは手っ取り早くて後々困らないロジバン技法なのです。cu は以前の構造をとても強力に区切るのです。

推察した方もいるかもしれませんが、ここにおいても「~という日付に」を表す sumti tcita である「de'u」が存在します(sumti tcita は採った元の selbri に似ているということを頭の片隅に記憶しておくとよいでしょう)。そういう訳で誕生日の別の教え方として次の様にも言えます。

mi jbena de'i li pamu pi'e bi
質問:detri に数字しか使えないとなると、日・月を言わずして年を言うというような事はいかにして実現するのでしょうか。

年を表す gismu である nanca は detri の代わりとしては使えません。なぜなら以下の配列構造を持つからです。

x1はx2(数(初期設定では1年))・x3(基準)の継続年数

つまりこれは、出来事の起きた年ではなく出来事の長さを年で与える言葉なのです。cmene にして切り抜けることが出来ますので、Robin がこの記事を書いている年は la pasososonanc. であり、Nick がこの記事を書いているのは la renonopananc. と表現することは可能です。

小ネタ:年の表現として nan. で終わるものを見かけることもあります。例えば la renonopanan. というように。
小ネタ:最近では、数字が1つのときにそれが表すことの初期設定を日でなく年にしてはどうかという議論が巻き起こっています。未だ決着はしていませんが。