出来事の時間について述べたかったら、時間だけでなく出来事自体についても述べなければいけません。tcika の2番目の場所は 状況/出来事 です(「人」には時間がありませんが「出来事」には時間があります)。という事でそこの sumti に入るものがモノではなく出来事だという事をどうにか示してやらねばいけません。それを踏まえると

la daucac. tcika le mi klama

のような文が成立しないことがわかりますね。これでは「私が行くのは10時だ」ではなく「私の行く人の時間が10時だ」になってしまいます。意味不明ですね。

この問題は「nu」で解決することが出来ます。この意味は「状況/出来事」であり、抽象子と呼ばれます。抽象子には他に「ka(性質)」「ni(量)」などがあります(完全なリストを見るには The Complete Lojban Language, p. 269 を参照してください)。ここでの nu の役割は bridi 全体を selbri の場所に置けるようにすることです。また、更に拡張した使い方をすれば(前に冠詞を置くことによって)sumti の場所にも置けるようになります。したがってこんな文が作れるわけです。

la ribin. salci
ロビンが執り行う。

la jbonunsalci cu nu la robin. salci
ロビンが執り行うロジバンの催しもの。

mi nelci le nu la robin salci.
私はロビンが執り行う催しものが好きだ。

nu で sumti を導く為には le や lo を付けることが多いです。しかし実際はこれらは別々の言葉です。

la daucac. tcika le nu mi klama

(cu が出てきていないことに注意してください。これは la daucac. についてはそれが cmene であり、klama については nu が抽象化して隔離しているからです)。