時間の相

これまで時制の言葉を用いて bridi を空間や時間の中に配置させることができましたね。でもこれだけでは単純化が過ぎます。時制は、話し手から見て出来事が過去か未来か現在かを表します。でもそれとは別に、出来事が起こる前なのか、もう終わった後なのか、それとも起こっているところなのか、ということも言いたいですよね。次の3つは違いますね。

まもなく宿題をするのかい?
まだ宿題をしているのかい?
もう宿題は終えたかい?

宿題をするという行動には始まりと途中と終わりがあります。最初の質問は、話題の時間が「宿題をすることの始まり」の前なのか後なのか訊ねるものです。2番目の質問は、話題の時間が「宿題をすることの途中」かどうか訊ねるものです。3番目の質問は、話題の時間が「宿題をすることの終わり」の後かどうか訊ねるものです。

それらを表わすのが相です。相は、過去から未来への一直線上の点とは関係なく、ある出来事が始まる前なのか、終わった後なのか、起こっているところなのか、を表現します。


ロジバンでは或る出来事を過去か未来かに関係なく、始まりがあり、その最中があり、終わりがある、という「輪郭のある形」としてとらえます。(ちなみにロジバンでは空間も相としてとらえることができます。)「相」つまり出来事の「輪郭のある形」を表現するのに、ロジバンでは、selma'o ZAhO を使います。これは時制のように挿入できますが、本当の時制と併用するときは時制が最初に入ります。

注:相は時制から独立です。未来の或る時点で何かが終了すること(例:「その時、医者に説明したことになる。」)も、過去において継続中だったこと(例:「私は医者に説明していた。」)も、今現在の出来事は必要ありません。


先の質問に必要な語を見て行きましょう。


始まる前を表すには、 pu'o を使います。(ちなみに pu は、「~の前に」です。)

終わったことを表すには、 ba'o を使います。(ちなみに ba は、「~の後に」です。)

その最中であることを表すには、 ca'o を使います。


mi ba'o tavla le mikce

「医者とはもう話した。」あるいは「(過去において)医者とはもう話したところだった。」あるいは「(未来において)医者とはもう話したことになる。」


mi ca'o tavla le mikce

「医者と話している最中だ。」あるいは「(過去において)医者と話しているところだった。」あるいは「(未来において)医者と話しているところになる。」


mi pu'o tavla le mikce

「これから医者と話すところだ。」あるいは「(過去において)これから医者と話すところだった。」あるいは「(未来において)これから医者と話すところになる。」


上記の例は、過去か未来か現在かは言われていません。これに時制の語を先に付けると、その出来事が過去の事なのか未来の事なのか現在かが言い表せます。

mi pu pu'o tavla le mikce

「私は、これから医者と話すところ、だった。」


mi ba ba'o tavla le mikce

「私は、医者ともう話したことに、これからなる。」


mi pu ba'o tavla le mikce

「私は、医者ともう話したところ、だった。」


mi pu ca'o tavla le mikce

「私は、医者と話している最中、だった。」