Lojban For Beginners 日本語訳/様々な否定形
na を使って bridi を否定表現に変えるということは既にやりました。「~というのは真ではない」という形になるのでしたね。そしてこれでは英語における not との望ましくない混同も時に引き起こすことがわかりますね。例えば第4章でやったように、 mi na nelci ro gerku は「私が全ての犬を好きなのは真でない。」つまり「私は全ての犬が好きという訳ではない。」という意味であって「私は全ての犬が好きでない」という意味ではないのです。
na は、「sumti が特定の selbri に接続されていない」というだけでなく、「sumti がいかなる selbri にも接続されていない」ということも表すのです。ということで
mi na tavla la suzyn. 私がスーザンに話すというのは真ではない。
という文は、話し相手が富士山の岩盤層であっても私の知る人類であっても同じように正確なものです。しかし往々にして、否定の有効範囲を弱める必要が生じましょう。特に、 bridi 全体でなく selbri のみを否定することが出来たなら便利ですよね。これは即ち sumti 同士に何らかの関係があるということです(この selbri ではありませんが)。
bridi 全体でなく sumti だけを否定するための言葉は「na'e」です。なのでもし mi na nelci ro gerku と言ったときには、私がイヌ科の種に関して何の感慨も抱いていなくてもそれは真になることでしょう。しかし対して
mi na'e nelci ro gerku 私は 好き以外 全ての犬。
と言ったときには、「私と全ての犬について何かの関係があるが、それは好きという関係ではない」ということを表します。嫌っている必要はなくて、犬の詩を書いていたり、薬を処方していたりしても構いません。
もし全ての犬に対して「好き」の反対を言い表したいのでしたら、次のように言います。
mi to'e nelci ro gerku 私は 好きの反対(=嫌い) 全ての犬
to'e は selbri を反対の意味にします。to'e nelci は xebni 「嫌い」とほぼ一致する概念です。また、もしあなたが犬に興味がなければ、
mi no'e nelci ro gerku 私は 好きに関し中立 全ての犬
と言うことが出来ます。no'e は selbri の尺度の中間という意味を表します。
時と空間のように、ロジバンの否定は弱から強まで幅が広いのです。この灰色な感じはこの言語の至るところに充満していまして、これからの文法でも繰り返し出てくることでしょう。これはこの言語の論理的基礎と面白い対比を強く浮かび上がらせます。何故なら古典的な論理というのは「白か黒か」の領域だったのですから。