トーク:日本史/近代
出典が少なすぎ
編集文章量に対し、出典が少なすぎます。細かく調べられていますが、しかし、ほぼ岩波書店だけの出版物(つまり事実上は岩波書店編集部の見解)に片寄っています。2022年の現状の編集での出典は下記のとおり。
参考文献
- 安井, 勝 (2019年). “日本型学校教育の改変による教職の質的転換”. 2020年6月3日閲覧。
- 笠原, 十九司 『南京事件』 岩波書店、1997年、2。ISBN 4-00-430530-6。
- 吉田, 裕 『アジア・太平洋戦争』 岩波書店、2007年。ISBN 978-4-00-431047-1。
- 小林, 英夫 『日本軍政下のアジア』 岩波書店、1996年。ISBN 4004303117。
- 竹内, 睦泰 『超速! 日本近現代史の流れ 増補改訂版』 ブックマン社、2004年。ISBN 4-89308-609-X。
調べる気はないので放置しますが、いちおう指摘。
たとえば、「ミッドウェー海戦」の章では、「この戦いでは、日本軍の連勝からきた気のゆるみとアメリカ軍による日本軍の暗号解析 (これにより空母3隻が派遣された) などが敗北の原因であった。」とありますが、出典がありません。このままでは編集者個人の推測です。
「原因だろう」とか控えめな表現にするならともかく、「原因だった」とするのは出典不足の感が否めないです。この文に一冊でも専門書による出典があればとりあえず教科書として役立ちますが、しかし現状の出典不足のままでは教科書風の文体をしているだけの感想文です。
ひとつの出版物・出版社だけの書籍を読んで細部を書くのではなく、複数の視点で検証するために別々の出版物、別々の出版社のものを読み比べる必要があり、wikiでは共通点と相違点をそれぞれ論じて書くべきです。面倒なので私はそれする気はないですが、現状の編集にはそういう問題があります。
また、参考文献は単に巻末に書名だけを挙げるだけではなく、第三者が検証しやすくするためにwiki中で議論になりそうなところの出典がどこの文献に存在するかの対応を紹介する必要があります。現状では、ちまたでよく歴史論争になっている部分に、ほとんど出典がありません。もしかして岩波の参考文献にあるのかもしれませんが、しかしwiki中であまり対応が紹介されておらず、残念ながら出典としてはあまり役立たない状況です。--すじにくシチュー (トーク) 2022年11月21日 (月) 11:19 (UTC)
- 妄想を書き連ねているアンタが何言ってるんだ?「ほぼ岩波書店だけの出版物」ということから「(つまり事実上は岩波書店編集部の見解)」という見解を導くこと自体が勝手な妄想じゃん。……で済ませてもいいんだけどね。
- まぁ、リクエストがあれば、ここで使えそうなのをいくつか挙げられるけど、それはまた後にしよう。
- まず、近代史の通史的なものだったら、岩波が圧倒的なのは当然といえば当然。質量ともに圧倒的だからね。それに並ぶのは吉川弘文館や山川くらいだから、大体、そのあたりを押さえるのは当然なんじゃないんですかね。あとは、ちくま学芸文庫に講談社学術文庫、新潮選書といった大手出版社の学術系出版物、それにやや保守的だがまともな近現代史研究者の執筆が多い中公新書(代表は『キメラ 満洲国の肖像 増補版』山室信一著)とかを扱えばいいんじゃないですかね。当たり外れがあるから、要精査だけど講談社現代新書や角川新書も悪くない。
- あと、先に言っとくけど、扶桑社だのWACだのは論外だからね。ありゃ、ただのプロパガンダ誌だ。大体、あのあたりにまともな歴史研究者ってどのくらいいるん?
- 出典ってのは、数をそろえることが問題じゃない。質をちゃんと見分けられなきゃいかん。正直言うが、すじにく大先生はその力ないでしょ(豆知識本を出典にしている段階でお察し)。まぁ、かくいう私も歴史研究を専門にしているわけじゃないから、ガチの専門書・学術論文は使えないし、だからこそ実績のある出版社の実績ある文献を使うほうがいいんだよ。--椎楽 (トーク) 2022年11月21日 (月) 15:14 (UTC)
- ついでに。ミッドウェーの敗因については、これ通説・定説じゃないかな。通説や定説には出典はいらないよ(大先生はいちいち「1941年に連合艦隊が真珠湾を爆撃した」というのにも出典を入れるのかね。)。むしろ、通説・定説を批判する方が出典がいる。
- ちなみに、今手元にあるもので挙げると……
- 「初期作戦の大勝からくる驕りにくわえて、日本海軍の偵察能力の低さ、暗号解読など情報戦での立ち遅れ(中略)を敗因として指摘することができる。」(『アジア・太平洋戦争』吉田裕著、岩波書店、2007年 p.89)
- 「初戦の勝利とおごりと情報・索敵の不足ないし軽視によって(後略)」(『十五年戦争小史』江口圭一著、筑摩書店、2020年(底本は1991年)p.242)
- 今持っていないから、後日確認になるけど、『失敗の本質―日本軍の組織論的研究』(戸部良一他著、中央公論新社、1991年)とか『ミッドウェー海戦(第一部/第二部)』(森史朗著、新潮社、2012年)とか、さらに『MCあくしず vol.30』(苦笑)も大戦初期の圧倒的な勝利が驕りにつながり、これも敗因につながったということが書いてあったと思うけど。
- なお、『はつ恋連合艦隊』(本吉基著、イカロス出版、2007年)は「(作戦が)『米側が日本側の思い通りに動いてくれる』ことを前提にして立てられていた」(p.132)「甘い想定の上で作戦計画を立てていた」(同)とあり、「日本側の驕り」を直接には指摘せず、におわせる程度にとどめていますな。--椎楽 (トーク) 2022年11月21日 (月) 16:18 (UTC)
「学説」と「主張」を区別して書いたつもりだが問題か
編集「約20万人から30万人、少なくとも15万人以上の人々が殺害された」という記述を「多くの人々が殺害された」という表現に変えて、注釈に次のようなことを記述しました。
「南京事件の死者数をめぐる学説は、最大で20万人から1万人程度までさまざまである。虐殺はほとんどなかったという説もある。また、死者数は30万人以上だという主張や、虐殺はなかったという主張もある。」
学界においては、南京事件の死者数は、20万人から1万人程度までだと推定されていることはご存知だと思います。また、虐殺はなかったという「主張」があるのもご存知だと思います。
死者数「30万人」は中国政府などが主張していますが、日本の学界においては膨大な数という見方が多く、当時の南京市の人口(20万人)などに照らしても、おおよそ正当な見方だと考えています。
そのため、「南京事件の死者数をめぐる学説は、最大で20万人から1万人程度までさまざまである。虐殺はほとんどなかったという説もある。」として学説を書き、続けて「また、死者数は30万人以上だという主張や、虐殺はなかったという主張もある。」として主張を書いて、「学説」と「主張」を区別して詳述したつもりだったのですがどういったところに問題があったのでしょうか。
「約20万人から30万人、少なくとも15万人以上の人々が殺害された」という現在の記述では、どこからどこまで「学説」でどこからが「主張」なのか不明で理解し難いと思うのですがどうでしょうか。--義務教育学校及び高等学校学習指導要領 (トーク) 2023年1月27日 (金) 17:51 (UTC)
- 出先でスマホからの記述の上、まだまだ続くよ月末進行orzなので、手短に書く。
- 出典の分析と批判(ここでいう批判とはダメ出しにあらず)しないで、意見とやらを載せるのは大問題です。
- 例えれば、まともな学説たる相対性理論と、トンデモ説でしかない反相対性理論とを意見だの主張だのという便利な言葉で併記するのは、あたかも相対性理論と反相対性理論とが対等であるかのようにみせかける詐術です。
- 南京事件の否定論はまさに、これにあたるのですが。
- ……というか、これ言うの何度目? --椎楽 (トーク) 2023年1月28日 (土) 05:26 (UTC)
- 「出典の分析と批判」は編集者の仕事ではなく読者の仕事です。
- 相対性理論と反相対性理論の話であれば、「学説」と「主張」を明確に区別して書けば「相対性理論は学説と書いてあるけど反相対性理論は主張としか書いていないからデタラメかも」と読者側が裏読みするはずなので問題ありません。
- そんなに気になるのであれば冒頭に「裏読み必須」とでも書いておけば良いのではないでしょうか?
- 南京事件の否定論については、学説的には成立していないでしょうが、そういう「主張」があるのも事実です。--義務教育学校及び高等学校学習指導要領 (トーク) 2023年1月28日 (土) 05:39 (UTC)
- 仮に私が国史教科書にバリバリ依拠して書いても「国史教科書」を出典として明記すれば、読者側は出典を考慮して「正しい」か「正しくない」かを判断できます。
- 「正しい」か「正しくない」かを決めるのも読者側の権利だと思います。編集者の権利ではないと思います。--義務教育学校及び高等学校学習指導要領 (トーク) 2023年1月28日 (土) 05:42 (UTC)
- というか編集者による一方的な出典の排除は情報統制に当たると思います。(「学説」と「主張」を混同して書くのも情報統制といえるでしょう。)--義務教育学校及び高等学校学習指導要領 (トーク) 2023年1月28日 (土) 05:45 (UTC)
- 「「出典の分析と批判」は編集者の仕事ではなく読者の仕事です」って……(呆)。君、モノを書くのに絶望的に向いてないよ。--椎楽 (トーク) 2023年1月28日 (土) 05:58 (UTC)
- ウィキは基本的に大量の出典に基づいて通説からデタラメともいえる主張まで書き、最終的に読者に判断させるスタイルだったはずです。--義務教育学校及び高等学校学習指導要領 (トーク) 2023年1月28日 (土) 06:00 (UTC)
- Wikibooks:中立的な観点もあるので。--義務教育学校及び高等学校学習指導要領 (トーク) 2023年1月28日 (土) 06:04 (UTC)
- 「君、モノを書くのに絶望的に向いてないよ」
- 一般的には取捨選択が求められるので私の(取捨選択せずにやたら細かく書く)書き方は絶望的でしょうが、ウィキはそういう方針だったはずです。--義務教育学校及び高等学校学習指導要領 (トーク) 2023年1月28日 (土) 06:15 (UTC)
- やれやれ。「中立的観点」を完全に誤解·誤読しているね。
- ウィキペディアの中立的観点の「中立的な観点とは、全ての観点を平等に扱うことではありません。」や「中立を達成するために」を読んできなさい。
- 君みたいな理解が少なくないor意図的にやっている人間がいるから、日本語版ウィキペディアの信頼性は低いって言われるんだよ。--椎楽 (トーク) 2023年1月28日 (土) 07:13 (UTC)
- ついでに言うと、君の言うことは中立じゃなくて無責任ね。--椎楽 (トーク) 2023年1月28日 (土) 07:50 (UTC)
- 「「出典の分析と批判」は編集者の仕事ではなく読者の仕事です」って……(呆)。君、モノを書くのに絶望的に向いてないよ。--椎楽 (トーク) 2023年1月28日 (土) 05:58 (UTC)
- というか編集者による一方的な出典の排除は情報統制に当たると思います。(「学説」と「主張」を混同して書くのも情報統制といえるでしょう。)--義務教育学校及び高等学校学習指導要領 (トーク) 2023年1月28日 (土) 05:45 (UTC)