トーク:法学入門

最新のコメント:7 年前 | トピック:法学の学習ガイドと科目「法学入門」を混同してるのでは? | 投稿者:すじにくシチュー

法的感覚は、『法学入門』等を読むことによってはじめて得られるものではなく、誰もが幼い頃に親しんだ童話や絵本がそのはじまりと言ってよいでしょう。その一例として、かつてはよく読まれていた〝PINOCCHIO〟(ピノキオ)が揚げられます。これは、現在は安価なDVDで観ることができますが、アニメの背景にある小道具などにも西洋の新旧さまざまな思想が込められていてなかなか凝っていますが、それはさておき、法解釈学的には、どうして「木の人形」なのか、そして、この「木の人形」が自活したときにどのような問題が生じたのか、最後に、この「木の人形」が「人間」になったことは何を意味するのか、条文の形式性とその解釈がどの範囲までで妥当と言えるのかということと対応させてイメージすることが大切です。というのは、特に、童話は、大人が子どものために、さまざまな社会状況および現象に、一定の解釈を施して作られたものだからです。つまり、童話とは、ひとつの壮大な解釈体系なのです。これについては、自活させられた木の人形とは、1つの法的概念であること、例えば、記された自由やさまざまな権利であることは、すぐに分かるでしょう。童話としてもう1つ揚げれば、他には、〝THE LITTLE HOUSE〟(ちいさいおうち)があり、こちらは、これ自体観念的に変わらない「小さい家」を通して、物事の価値が、どのようして成り立っていくのか、私法的感覚および公法的感覚の交錯が鋭く描かれています。この感覚は、できれば原書絵本の❝distance❞(近時のコロナ感染でよく耳にするようになった言葉です)の構文上等の位置や絵本での表出頻度を意識して読むとよいでしょう。そして、この物語を通して、交錯のないもの触れないもの・空白観の感覚を培うことが、一方で、できればよいでしょう。《補足》

《追記;回想を機に若干を》23年前、部外者として昭和的民法解釈方法(論)の総纏めのようなものを聴講いたしました。本来なら講師の方のお弟子さんのお一人でもそこにいたのであれば、いい意味でバトンが支障なく受け渡されたのであろうはずが、講師の方も古巣から「あなたはもう過去」と言われたとのことで(2回ほど繰り返して言われていました)、やはりお嫌だったのだと推察します。ただ、どんなものでも、やはり前向きにあるべきで、この意味で今忘れないうちに輪郭をお話しすれば、現実、コモンセンスとも言い表せられる常識が根源的な拠り所であって、明示的に具体的にざっくばらんに、一方で「これは私のもの」他方で「いいやこれは私のものだ」とカッカしている両者を前にして「(丁重に)まあ、とりあえずでいいですから、まずは落ち着いて落ち着いて、あなたはこれを私のもの、もうひとりのあなたもこれを私のものといいますけれども、傍から見て、あなたのものはそれでしょう、もうひとりのあなたのものはあれでしょう、おふたりとも、それとあれをみて、どうですか、それもあれも、これではないでしょう、ここをちょっと確かめてみてください」と控えめに言ってみる(傍観者なんだから)。それでもモメていて「ふつうは(一般的とは両者には言わない;傍観者の立場ゆえ一般も特段も区別はされ得ない)、だいたいこうでしょう(と利害の全体を)、先ずはこれが大切なんでしょう、次いでこれが大切でしょう(常識的な価値の大きい小さい)」と言って、両者を冷まさせるように試みる。こういうことをしていきながら折り合いをつけていくのが現実ということらしい。さて、やりとりの中で、一般的にはこうなんだと説を上げたところでそれは部外者の意見の域であって、そんなことをしたら、(お前は関係ないと)両者はもっとカッカしてしまうし、通常はこういうふうなんですよと法の理を伝えたところで、私達のことがどうして通常と言えるんだとまたカッカしてしまう。学説とは、どんなに立派に見えることを言ってみても、結局は次元のことなる2種類であって、(一裁判官のようなものも含めて)意見のようなものと、更に解釈しなければ適用できない学説的意見があるということでしょう。だからこそ、こういったものに手間を割くなら、カッカしている両者をなるべくいい方向にもっていくような調整的なことしたほうが有意義でしょう。この有意義さに一役買うのが段階的な価値観、この段階は両者をカッカしている状態から冷ましていくことそのものです。学説というと何かそれ自体明瞭で一般的なものと思ってしまいがちだけど、[聴講者のあなたも今回]学説も解釈なしにはいられない抽象性を孕んだものと分かったでしょう。…ふと回想したのでメモしておきました。この問題ついて老若男女専門職の方の深化に期待します。では、さようなら。以上の署名の無いコメントは、221.191.23.67会話/whois)さんが[2015年5月10日 (日) 05:07]に投稿したものです。

現在に至っては、情報技術(IT)の安定的運用が難しいことは周知の事実となっています。どのように対策を講じても安全性に限界のある状況において、法的感覚を体系的(構成的)に表現する能力が求められているように思います。これには、例えば、富井政章や岡田朝太郎などの古典的書物が参考になります。これらには、論調は現代ではない時代的な近代性が感じられ、読みづらいところがありますが、法的概念の構成および関連的記述には、個別的物理的な機器等に振り回されない、法的概念の安定性が志向されているように思われます。 2015年8月23日(日)以上の署名の無いコメントは、61.119.230.191会話/whois)さんが[2015年8月22日 (土) 22:59‎]に投稿したものです。

内容構成上、これ以上の内容追加は無理があるために何方かが以前に投稿されていた格調高い権威的記述を戻し当方の追加内容を削除しました。2011年10月26日(水)以上の署名の無いコメントは、60.37.94.75会話/whois)さんが[2011年10月26日 (水) 03:19]に投稿したものです。

全面的に書き直す必要がありますがーーーなら貴殿がかいたらどうか。批判なら容易である。ヘンテコナものは書かないようにするのでしょうね。--210.233.5.28 2007年4月3日 (火) 14:51 (UTC)返信

はじめにこのページの赤リンクを作ったのは私なので、当然そのうち書く予定でしたが、執筆の催促めいたことをされた場合は後回しにすることにしてますので、残念ですけど当分放置します。こころおきなくご執筆を。あまりおかしい内容なら記述の除去だけやるかもしれませんけどね。--倫敦橋 (Londonbashi) 2007年4月3日 (火) 14:58 (UTC)返信

Tomzo 氏も倫敦橋 (Londonbashi) 氏も削除するばかりでなく、加筆して盛り上げてください。あまりおかしい内容ではと恐れる事はない。--210.155.77.36 2008年1月2日 (水) 00:31 (UTC)返信

あなたは、大学で法学を履修したことが無いと思うので、勝手なことが書けるのでしょうが、流石に、この内容は畏れ多くて書けません。著名な著作を列挙しますので、それを読んでおいてくださいというのが、法を学んだ者としての初学者への良心です。--Tomzo 2008年1月2日 (水) 02:12 (UTC)返信


恐ろしく権威に弱いお方ですね。まるで、封建的な100年前の世代の人の言動のような気がします。もう時代が変わってしまっているのですよ。昔はそのような態度が奨励されたと思うがもう今はそんな亡霊のような価値観を持つ必要はなくなりました。今は今で物事は対処されませんか。まだブロックがすんでいないようなので早くされたい。--210.155.26.190 2008年1月2日 (水) 05:26 (UTC)返信
ええ、たわごとを聞くくらいなら権威の言葉の方がありがたいです。多分、たわごとを言う人は封建時代だろうと何時だろうと言っていたと思います。あなたにあなたの嫌いな権威である孔子の「学而不思則罔、 思而不学則殆」という言葉を贈ります。もっと「学んで」下さいね。とりあえず210.155.26.190もブロックしておきます。--Tomzo 2008年1月2日 (水) 05:41 (UTC)返信
すじにくシチューと申します。童話の読み聞かせは小学校レベル以上の法律教育には不要でしょう。なぜなら小学校6年の社会科の公民分野ですら、衆議院や参議院の仕組みなどの、童話よりも専門的な事を習います。一方、大人による子供への童話の読み聞かせは、幼稚園や小学校1年など情操教育などとして、既に児童生徒に教育済みでしょう。また、童話中の「公的感覚」といいますが、小中高校の国語科目でならう近代文学作品や古文作品ですら、夏目漱石や平家物語とかを思えば分かるように、社会的な発想を作中で扱ってるでしょう。--すじにくシチュー (トーク) 2016年7月14日 (木) 10:35 (UTC)返信

『シネマで法学』って書籍が有斐閣から出版されてたようですが、たぶんIP氏は、この本を曲解したんでしょう。なお有斐閣の名誉のため捕捉しておくと、Amazonや有斐閣のウェブサイトを見た限り、当然、この著書では、法学者がきちんと専門的な解説をつけており、けっして単に映画の内容紹介だけで放ったらかしなんて事は無いようです。--すじにくシチュー (トーク) 2016年10月30日 (日) 04:50 (UTC)返信


法的感覚の涵養には、法学書のみならず、さまざまな分野の書物を可能な限り読み’込む’ことが大切なのは勿論ですが、一般には受け取られやすい科学の絶対性に対して、相対的で観察眼の多角性を与えてくれる書物は特に有用です。例えば、広告的には高まりませんでしたが、川崎薩男『数学の序説』(共立出版)は、グループディスカッションの意味あいでもその1つでしょう。(通りすがり より))>以上のコメントは、221.18.2.35会話/whois)さんが[2017年6月30日 (金) 03:05(UTC)]に投稿したものです(Kyubeによる付記)。

法学学習の効果について、どなたか本文にコメントしていただけないでしょうか。例えば、いろいろな考え方を知って相手を理解する寛容性とか、現代病理現象であるIT機器、特に漢字や英文等変換機能の利便性による感覚の退化に対する議論・初等的意味での自立的な作文効果とか、お願いします。なお、個人的には、学説、例えば、憲法の樋口博士・民法の星野博士を伝統的法学の最後と位置付けするのか、それとも、その後の学説のはしりと位置付けるのか。そうすると、憲法の長谷部先生(『価値の迷路』)や民法の大村先生(『生活民法』)等、実務法学とは一線を画す学術味の深いものへの系譜とか面白いと思うのですが。(通りすがり より)))>以上のコメントは、221.18.2.35会話/whois)さんが[2018年3月16日 (金) 23:38(UTC)]に投稿したものです(Kyubeによる付記)。

かつて法学の先生から当たり前と言われメモっていたことを書き込みました。う〜ん、最近、胃腸の具合が…。(生鮮食品の防腐剤の適量使用を願う者より)以上のコメントは、221.18.2.35会話/whois)さんが[2018年5月14日 (月) 05:48‎(UTC)]に投稿したものです(Kyubeによる付記)。

書籍の追記と誤字の訂正をしました。前々から周りを見ていて思ったことですが、例えば、コンビニなどでの買い物で食べ終わった後のゴミとか、ペット散歩時のフンの後始末とか、外を歩きながらガムを噛んだ後の始末とか、ほとんどの人はコンビニの分別ゴミ箱,家庭のゴミ箱,包み紙にくるんでとりあえず服のポケットに入れるとかするもので、これら多くの人はいろいろな法的な意味もいわばまともに解釈できることと思いますが、そうでない人はそもそも法的なものについてどのような感じ方をするものなのでしょうか。気になるところです。最近、そうでない人をたまたま見てしまったので…。おしまい。(生鮮食品の防腐剤の適量使用を願う者より)以上のコメントは、221.18.2.35会話/whois)さんが[2018年5月15日 (火) 05:37‎(UTC)]に投稿したものです(Kyubeによる付記)。

法学の学習ガイドと科目「法学入門」を混同してるのでは? 編集

民法とか、商法とかの、推薦図書の紹介は、「法学学習ガイド」とかのページを別途作って、そこで紹介すべきだと思います。現在の記事内容は、法学の学習ガイドと科目「法学入門」を混同してると思います。--すじにくシチュー (トーク) 2016年10月30日 (日) 04:56 (UTC)返信

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