学習方法/小学校国語
小学校国語の学習、学習方法についての話題をまとめてみました。
※ 勉強法だけではなく世の中のあらゆる文章、発語は、活字になっていたりそれらしい立派な装丁がされているものでも、書き手、話し手の確かなものではない主観が含まれています。また、勉強法に関しては、教科書や参考書の最初の項に解説されていることも多く、それを大いに参考にして、基本的には素直に従うのがいいと思います。このページの一番最初の編集を踏襲して、この注を記しておきます。
漢字
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やはり小学校の学習では、
このページの
- 漢字の書かれた本(漫画でもいいですよ)を読んで覚える
- 漢字をノートなどに、たくさん書いて、覚える。
です。
国語ではほかにことわざや
学校では特に重要な漢字を選んで
覚え方としては、昔からよく行われている方法で、学校でもそうしてみようと教わるはずですが、国語のノートの
しかしほかにアイディアがあるなら、いろいろと ためしてみるのもいいと思います。
口語 編集
日本の国語辞典を見ても、まったく口語(こうご)は書かれていません。口語とは、話し言葉のことです。
だから、学校の勉強だけでなく、子供のうちは、自主的に子供向けの物語を読んだり、あるいはアニメでもマンガでもいいですが子供向け作品をいろいろと読んだりしないと国語力をつけるのは難しいです。べつに物語でなくとも構いませんが、子供むけの雑学(ざつがく)の本とかでも良いですが、ともかく自主的に本を読まないと国語力がつかないのです。
だけど「子供向け作品ばかりを読んでて平気なの」とか思うかもしれませんが、だけどその「だけど」すら広辞苑(こうじえん)のような分厚い辞書ですら載っておらず、「だけども」で調べないと載っていない有様です。あと、接続詞「あと」は口語を見なされて載っていない有様です。
広辞苑だけでなく、他社の一般的な国語辞典でも同様の有様です。
こういう、国語辞典と言いながら実質的に文語(ぶんご)事典という有様です。
辞書によっては流行語などを取り入れたりするくせに、接続詞「あと」は除外するという、フザケた有様です。
なので、外国人で日本語を学ぼうとしている人達や、海外駐在している日本人駐在員の子息などが、日本語の学習に困るという有様です。
外国人などは、けっして日本の国語学者の学説を学びたいのではなく、実際に日本人たちが話したり読み書きしたりしている日本語の(規則ではなく)法則性を外国人の日本語学習では知りたいのに、なのに現象や観察を無視して辞書は国語学者の規則ばかりを紹介している有様だからです。「なのに」も国語辞典には載っていません。ふざけていますね。どこがどう国語辞典なのでしょうかね。
これはつまり、口語の問題だけでなく、日本の小学校レベルの国語教育というのは、中学の英語教育とは異なり、けっして教科書だけでは国語の読み書き会話すら、授業だけでは上達するようには作られていません。
国語の習得は、たとえば家庭で親子で遊びながら会話もしたりとか、
親以外の人の色々な会話を聞いたりとか、子供むけ本などで色々な言い回しを読んだりした上で、
その上で学校教育で国語を習ったり先生の会話を聞いたりしたうえで、まともな国語力が習得できるようになっています。
日本の小学校教育は、「よく学び、よく遊べ」を両立して実践した上で、国語力が習得できるようになっているのです。
読書 編集
本を読もう 編集
こどもむけの本というのはまず
漫画
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漫画は,この国で
昔は
とはいえやはりかなり
学習漫画
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漫画の
一昔前は普通の漫画を読むことが許されない
一方
学習漫画が扱うテーマは、昔は
読み聞かせ や音楽
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大人に
小4から小6、高学年の読書 編集
小学校も高学年になると、学校での国語の学習も進み漢字も多く覚えて、様々な本が読書対象になるし、興味の対象になっていくと思います。
- ※ wikiコミュニティでは、特に知見は定まっていません。各自、自己責任でいろいろと試してください。
「国語」教科は文学の教科ではない 編集
この「国語」という教科の学習対象は、当然ですがその名の通り、日本国の国語である日本語を運用する能力を高めるための学問です。けっして、文学を研究するための学問ではありません。
ほかの教科が文学を教えないので、多少は文学も国語で教えますが、しかし主目的ではありません。主目的はあくまで、国語の運用力の養成と向上です。
にもかかわらず、大人のなかには、いまだに「国語」教科を文学教育だと勘違いして、ピント外れの教育論をとなえる人が まだまだ後を絶ちません。
文学だと誤解して、やれ「古文だけでなく、現代の映画やマンガを国語でも教えるべきだ」とか色々と言う人がいます。なお、マンガの様式(コマ割りとかフキダシとか)は、もうとっくに中学あたりで教えています。
検定教科書では、小4くらいからの古文よりも先に小2~3くらいで ことわざ (「犬も歩けば棒に当たる」とかのこと)を教えていますし、そのマンガや映画とかでもコトワザは使うし、何も教育を理解できてない大人が、いろいろと頭の悪い大人はいるのです。コトワザでは、古文的な言い回しを使うこともあります(たとえば「とらぬタヌキの皮算用」の打消しの助動詞「ぬ」とか)。
また、国語の習得に役立つなら、公立小中ですら、音声でも絵でも何でも使っています(文字以外も、国語教材に取り入れられています)。じっさい、すでに義務教育である小中の国語の検定教科書には、物語文であっても、挿し絵(さしえ)などのイラストがところどころあります。
絵本の原作のイラストを掲載したものだけではなく、小学校の古文でも、たとえば枕草子(まくらのそうし)の「春はあけぼの」なら、あけぼのの意味である日の出(ひので)前のようすのイラストが検定教科書に掲載されているほどです。
音声でも、一般販売されてませんが、教科書の掲載作品を朗読した音声メディアが学校専売品であります。
にもかかわらず、世間の少なくない人は、いまだにこの教科を文学の教育の科目だと誤解して、自分の考えた理想的な(つもりの)教育改革案などの教育論を語る人が、後を絶ちません。
ほか、もうすでに国語の「レポートの書き方」とかで、図表も使えと小学校でも指導しているのに、いまだに国語を文字だけの教育だと思ってる大人も多いです。
そういう教育ニワカの大人を、けっして相手してはいけません。