「中学校社会 歴史/室町時代」の版間の差分

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[[ファイル:Emperor Godaigo.jpg|thumb|200px|後醍醐天皇。]]
 
1333年({{Ruby|元弘|げんこう}}3年)に新田義貞(にった よしさだ)らが鎌倉幕府を攻め落として、鎌倉幕府をほろぼした。鎌倉幕府がほろんだあと、後醍醐天皇は、摂政や幕府をおかず天皇を中心とした政治を行った。翌年1334年には年号を「建武」(けんむ)とさだめたので、これらの後醍醐の政治を {{Ruby|'''建武の新政'''|けんむのしんせい}}<ref>戦前までは主に「'''建武の中興'''(けんむのちゅうこう)」と呼ばれました。後醍醐天皇が目指したのは「新政」という「新しい政治」ではなく、天皇新政の「回復」でした。戦後は一般的に「建武の新政」と呼ばれます。</ref>という。だが、公家に多くの恩賞を与えるいっぽうで、武士への恩賞は少なかったので、武士は不満を持った。
 
新政をほろぼそうと{{Ruby|足利尊氏|あしかがたかうじ}}が武士の復権をかかげて兵をあげた。そして、尊氏の軍が後醍醐天皇の朝廷の軍に勝ち、建武の新政はわずか2年半ほどで終わった。