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その後、上海でも戦闘が始まり、日本と中国とは全面的な戦争に入っていきます。そして12月には、日本軍は中華民国の首都の南京を攻略しました。(おそらく日本は首都の南京をおとせば蒋介石が降伏するだろう、と考えていたのでしょう。)国民党の支配者の蒋介石は、日本軍の南京の攻略の前に、すでに南京から脱出しており、日中戦争は、つづきました。
 
のちの東京裁判({{節リンク|中学受験社会/歴史/下巻|東京裁判(極東国際軍事裁判)|南京事件の認定}})では、このとき、南京の住民や捕虜が多数殺害されたと認定されました(南京事件)。この事件の犠牲者数をはじめとする実態については、さまざまな見解があり、いまだに明らかとなっていません。
日本軍による南京攻略のとき、中国の民間人や捕虜が多数殺害されました(南京事件)。これは1937年12月から1938年初めごろまで続いたといわれています<ref>南京大{{ruby|虐殺|ぎゃくさつ}}事件ともいいます。死傷者数をはじめとする実態については、研究者による調査や研究が続いていますが、いまだに全容は解明されていません。この事件は1938年初めごろには欧米のマスコミで報道され、日本軍にたいする非難がおこりました。当時の日本のマスコミは政府によって検閲されていたため、報道されることはなく、大多数の日本人は戦後にこの事件について知りました。</ref>。
 
この日中戦争では、ソビエトやアメリカ、イギリス、フランスは、中国に軍事物資などを援助していて、中国側を支持していました。アメリカは、主に中国の国民党を援助しました。アメリカは援助にとどまり、まだ、戦闘には参加していません。
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ただし、沖縄や奄美(あまみ)や小笠原諸島(おがさわら しょとう)では、アメリカが直接、統治することが決まっていました。
 
*=== 東京裁判(とうきょう さいばん極東国際軍事裁判 ===
 
戦争を指導した人間は、戦争犯罪人(せんそうはんざいにん)として、裁判にかけられて、東条英機など7名が死刑になった。この戦争指導者への裁判を東京裁判(とうきょうさいばん)あるいは極東国際軍事裁判(きょくとう こくさい ぐんじさいばん)と言いいます。
==== 戦争犯罪人の処罰 ====
戦後、戦勝国は、戦争を指導したとする人物などを「戦争犯罪人」として、裁判にかけ、処罰しました。東条英機元首相など、7名が死刑になりました。
 
この裁判を、'''東京裁判'''(極東国際軍事裁判)といいます。この裁判では、戦勝国側の「戦争犯罪」というべき行為は処罰されず、敗戦国側の「戦争犯罪」のみが処罰されたことや、日本側に有利な証拠は無条件に排除(はいじょ)されるなど、ずさんな部分があり、今日まで判決の信頼性などをめぐって論争が発生しています。
 
==== 南京事件 ====
この東京裁判では、日本軍による南京攻略時に、南京の住民や捕虜を巻き込んで20万人以上が殺害されたと認定されました(南京事件)。この事件の犠牲者数をはじめとする実態については、さままざまな見解があり、いまだに明らかにされていません。
 
犠牲者数に関する主な見解としては、日本の学界における1万人~20万人までの範囲の説<ref>1万人~20万人、という説が日本の学界の説というわけではありません。例えば、1万人という説や、15万人という説、20万人という説などがある場合に、その範囲が1万人~20万人に収まるという意味です。</ref>、中国側が発表した30万人という説などがあり、人数は定まっていません。当時の南京の人口は20万人程度だったと推定されています。
 
=== 戦後の改革と日本国憲法 ===