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比較生産費説、リスト、国際分業の垂直的分業と水平的分業
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== 第二次大戦後の経済体制 ==
=== 金本位制とその崩壊 ===
世界恐慌の後、欧米主要国はブロック経済を推し進めた。そのようなブロック経済が国家間の対立を生んで戦争の一因になったという反省にもとづき、第二次大戦期の終盤ごろから、戦後の国際経済のありかたが国際会議で話し合われた。
 
1944年にアメリカのブレトンウッズでの国際会議が話し合われ('''ブレトンウッズ会議'''、'''ブレトンウッズ合意'''、Bretton Woods Agreement)、それらの会議などにより、自由貿易が推進され、また国際的な経済の安定化のため'''国際通貨基金'''(IMF、1947年〜、International Monetary Fund)や'''国際復興開発銀行'''(IBRD、1946年〜、International Bank for Raconstructuion)が設立された。
 
また、'''関税及び貿易に関する一般協定'''('''GATT'''、「ガット」、1948年発効、General Agreement on Tariffs and Trade)では関税の引き下げなどの自由貿易が目指された。このような第二次大戦の経済秩序を'''ブレトン・ウッズ体制'''または'''IMF=GATT体制'''という。
 
第二次大戦後、外国為替相場は金(きん)に裏付けされた金本位制だった。金1オンス=35ドル の交換をアメリカ合衆国が保証し、また、各国は自国通貨を一定額のドルと交換する固定相場制だった(戦後当初の日本は、1ドル=360円)。
 
しかし、しだいにアメリカ合衆国から金が流出していき、そのため、ついに1971年にアメリカのニクソン大統領(Nixon)が金とドルとの交換を停止すると発表した('''ニクソン・ショック''')。
 
これにより、固定相場が崩れた。
 
そのあと、ドルの切り下げ(1オンス=38ドル、1ドル=308円とするなど)で、固定相場制の維持を目指すスミソニアン協定がなされたが、しかし固定相場を維持できず、最終的に先進国は1973年から'''変動相場制'''に移行した。
 
1976年にIMFが変動相場制を正式に追認した('''キングストン合意'''、Kingston System)。
 
1980年代、レーガン大統領のレーガノミクス(Reganomics)と言われる政策により、財政赤字と貿易赤字の'''双子の赤字'''(ふたご の あかじ)が発生した。ドル高の是正(ぜせい)のため(つまり、これからドル安にするため)、1985年には、各国が協調してドル安にするために為替介入するという合意('''プラザ合意''')がなされ、ドル安が進んだ。
 
プラザ合意の成果が行き過ぎ、急激なドル安になったので、こんどは1987年のG7会議で、ドル安を抑えようという合意('''ルーブル合意'''、Louvre Accord)がなされた。
 
=== 国際貿易のWTO化 ===
第二次大戦前のブロック経済が国家間対立を生んだという反省もあり、1948年の'''関税及び貿易に関する一般協定'''('''GATT'''、「ガット」、General Agreement on Tariffs and Trade)では関税の引き下げなどの自由貿易が目指された。
 
GATTの特徴として、すべての加盟国を平等に扱う( 無差別・最恵国(さいけいこく)待遇 )という仕組みがあり、GATTは「自由・無差別・多角」の3原則を掲げてスタートした。
 
そして、GATTは発足以来、さまざまな'''多角的貿易交渉'''('''ラウンド'''、Round)を行い、それを通じて、加盟国の関税の引下げなどを実現してきた。
 
1963年のケネディ・ラウンド(Kennedy Round)では、一括して工業製品の関税を平均35%引き下げた。
1993年代の'''ウルグアイ・ラウンド'''で(Uruguay Round)は、農産物も例外無しとして議論が及び、また、サービス貿易や'''知的財産権'''('''知的所有権''')の国際ルールについても、議論が及んだ。
 
(なお、1973年〜79年には、東京ラウンドが開催されている。)
 
そして、1995年には、ウルグアイ・ラウンドでの合意を実施するために、GATTを発展させて'''世界貿易機関'''('''WTO'''、World Trade Organization)が設立された。
近年では2001年に中国がWTOに加盟した。
 
また、2001年からカタールのドーハで'''ドーハ・ラウンド'''が開かれ、交渉が続いている。ドーハ・ラウンドの交渉は難航しており、停滞している。
 
ドーハ・ラウンドの難航もあり、各国は、ラウンドによる一括的な貿易自由化ではなく、2国間の'''自由貿易協定'''('''FTA''')などで貿易の自由化を進め、国際競争に勝とうとしている。
 
 
== 貿易の理論と現状 ==
[[File:David ricardo.jpg|thumb|'''リカード''' イギリスの経済学者で、主著に『経済書くおよび課税の原理』がある。]]
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高度経済成長時代の「国際収支の天井(てんじょう)」は、1970年代には国際収支が黒字になり、解決された。
 
 
== 地域的な連合 ==
=== EUの歩み ===
(※ EUは経済統合だけでなく外交や安全保障などの連携も目指した国際機関であるが、本ページでは主にEUの経済統合について説明する。)
 
ヨーロッパでは、1967年には、ヨーロッパ経済共同体(EEC)とヨーロッパ石炭鉄鋼共同体(ECSC)とヨーロッパ原子力共同体(EURATOM)が統合され、'''EC'''('''ヨーロッパ共同体'''、European Communities)が成立した。
 
ヨーロッパでは、ECが1992年の'''マーストリヒト条約'''により、1993年に'''EU'''('''欧州連合''')となった。また、EU化にともない、1999年からは金融分野の共通通貨として'''ユーロ'''(Euro)が導入され、2002年からは現金通貨としてユーロが流通するようになった。
 
また、2007年に'''リスボン条約'''が調印され(2009年にリスボン条約が発効)、EU大統領(欧州理事会常任議長)やEU外相(外務・安全保障政策上級代表)が置かれるようになった。
 
 
ギリシャでは2010年〜2011年に財政危機が発生した。
 
そのため、EUでは'''欧州安定メカニズム'''(ESM)が2012年に設置された。
 
なお、ギリシャ財政危機により、ユーロが対ドル、対円(日本円)に対して下落した。
 
なお、イギリスはユーロに加盟していない。
EUに加盟をしていても、ユーロに加盟していない国がある。
 
イギリス・デンマーク・スウェーデンは、ユーロに加盟してない。
 
=== 他地域の経済統合 ===
他地域での経済統合では、APEC(アジア太平洋協力会議、発音:エイペック)、NAFTA(北米自由貿易協定、発音:ナフタ)などがある。
 
北アメリカでは、1992年に'''NAFTA'''('''北米自由貿易協定'''、発音:ナフタ)が、アメリカ・カナダ・メキシコにより、結成された。
 
いっぽう、南米では、1995年にブラジル・アルゼンチンなどにより'''南米南部共同市場'''('''メルコスール'''、MERCOSUR)が結成された。
 
なお、近年、南北アメリカ共通の経済統合の「米州自由貿易地域」(FTAA、Free Trade Area of America)を結成しようという動きがあるが、まだ実現していない。
 
東南アジアでは、ベトナム戦争を背景に、自由主義勢力が社会主義勢力に対抗するため、1967年にインドネシア・マレーシア・フィリピン・シンガポール・タイの5ヶ国からなる東南アジア諸国連合(ASEAN)が発足した。ベトナム戦争の終結などもあり、ASEANは地域間の経済・外交協力などをする機構へと変遷していった。そして、ベトナムも95年にASEANに加盟した。
 
アジア・太平洋地域では、1989年から'''オーストラリア'''の提唱で'''APEC'''('''アジア太平洋協力会議'''、発音:エイペック、Asia Pacific Ecomic Cooperation)が結成され、オーストラリアや日本・中国・韓国や北アメリカなどの国が加盟しており、域内の貿易・投資の自由化などを目指している。
 
近年、'''環太平洋経済連携協定'''('''TPP'''、Trans Pacific Partnership)について議論されており、アメリカやオーストラリアなどが交渉に参加しており、日本も交渉に参加しており、原則的に加盟国間ですべての関税の撤廃を目指すようだが、内容にはまだ未定・不明な事項がある。
 
TPPはもともと2006年にシンガポール・ニュージーランド・ブルネイ・チリの4ヶ国が結んだ経済協定である。
この4ヶ国の経済協定に、アメリカ合衆国やオーストラリアが参加を表明し、日本の貿易相手として重要なアメリカ・オーストラリアなどの国が加わったこともあり、日本もTPPを意識せざるを得なくなった。
 
=== 未分類 ===
アジア通貨危機は1997年にタイで起こり始め、タイの通貨バーツが暴落し、暴落は各国に及び、韓国などにも及んだ。