「教育勅語」の版間の差分

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==== 肯定的な評価 ====
 
:* 現代語訳での12の徳目は、日本の伝統的道徳観が込められており、一種の模範となるものがあってもいいのではないかと言う意見もある。
:* 多くの国や宗教で古くから普遍的にある道徳を、明治当時の日本の国情に合わせて記述したものにすぎない、というような意見もある。
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== 原文 ==
 
朕&#xe0101;惟フニ我カ皇&#xfa50;皇宗國ヲ肇&#xe0101;ムルコト宏遠&#xe0101;ニ德ヲ樹ツルコト深厚ナリ我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世世厥ノ美ヲ濟セルハ此レ我カ國體ノ&#xfa1d;華ニシテ敎育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス爾臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦&#xe0101;相和シ朋友相信シ恭儉己レヲ持シ博&#xe0101;愛衆ニ及&#xe0101;ホシ學ヲ修メ業ヲ習&#xe0101;ヒ以テ智能ヲ啓&#xe0101;發シ德&#xfa38;ヲ成就シ進&#xe0101;テ公&#xe0101;&#xfa17;ヲ廣メ世務ヲ開キ常ニ國憲ヲ重シ國法ニ遵&#xe0101;ヒ一旦緩&#xe0101;急&#xe0101;アレハ義勇&#xe0101;公&#xe0101;ニ奉シ以テ天壤無窮&#xe0101;ノ皇運&#xe0101;ヲ扶翼&#xe0102;スヘシ是ノ如キハ獨リ朕&#xe0101;カ忠良ノ臣民タルノミナラス又以テ爾&#xfa50;先ノ遺&#xe0101;風ヲ顯彰スルニ足ラン<br>
朕&#xe0101;惟フニ我カ皇&#xfa50;皇宗國ヲ肇&#xe0101;ムルコト宏遠&#xe0101;ニ德ヲ樹ツルコト深厚ナリ<br>
斯ノ道&#xe0101;ハ實ニ我カ皇&#xfa50;皇宗ノ遺&#xe0101;訓ニシテ子孫臣民ノ&#x4ff1;ニ遵&#xe0101;守スヘキ所&#xe0101;之ヲ古今ニ通&#xe0101;シテ謬ラス之ヲ中外ニ施シテ悖ラス朕&#xe0101;爾臣民ト&#x4ff1;ニ拳&#xe0101;々服&#xe0101;膺シテ咸其德ヲ一ニセンコトヲ庶&#xe0102;幾&#xe0101;フ
我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世世厥ノ美ヲ濟セルハ此レ我カ國體ノ&#xfa1d;華ニシテ敎育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス<br>
爾臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦&#xe0101;相和シ朋友相信シ恭儉己レヲ持シ博&#xe0101;愛衆ニ及&#xe0101;ホシ學ヲ修メ業ヲ習&#xe0101;ヒ以テ智能ヲ啓&#xe0101;發シ德&#xfa38;ヲ成就シ進&#xe0101;テ公&#xe0101;&#xfa17;ヲ廣メ世務ヲ開キ常ニ國憲ヲ重シ國法ニ遵&#xe0101;ヒ一旦緩&#xe0101;急&#xe0101;アレハ義勇&#xe0101;公&#xe0101;ニ奉シ以テ天壤無窮&#xe0101;ノ皇運&#xe0101;ヲ扶翼&#xe0102;スヘシ<br>
是ノ如キハ獨リ朕&#xe0101;カ忠良ノ臣民タルノミナラス又以テ爾&#xfa50;先ノ遺&#xe0101;風ヲ顯彰スルニ足ラン<br><br>
斯ノ道&#xe0101;ハ實ニ我カ皇&#xfa50;皇宗ノ遺&#xe0101;訓ニシテ子孫臣民ノ&#x4ff1;ニ遵&#xe0101;守スヘキ所&#xe0101;<br>
之ヲ古今ニ通&#xe0101;シテ謬ラス之ヲ中外ニ施シテ悖ラス朕&#xe0101;爾臣民ト&#x4ff1;ニ拳&#xe0101;々服&#xe0101;膺シテ咸其德ヲ一ニセンコトヲ庶&#xe0102;幾&#xe0101;フ
 
明治二十三年十月三十日<br>
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御名御璽(ぎょめい ぎょじ)
 
== ほぼ直現代語訳 ==
(文部省図書局『聖訓ノ述義ニ関スル協議会報告書』(1940年)より。明治天皇から勅語を賜った文部大臣が管轄する文部省自身による、「正式な現代語訳」とされる文章)
天皇である私が思うに、我が天皇家の祖先が、国を始めてから、大きく広く道徳を樹立すること、深淵である。
 
私の臣民たちよ、よく忠義に、よく孝行に、億兆が心をひとつにして、世世、その美をなせるのは、これは私の国体の「精華」(読み「せいか」、意味: 真髄、優れた点)であり、教育の根源は、まさに、ここにある。
 
あなたたち臣民は、父母をうやまいなさい、兄弟は友(仲良く?)にしなさい、夫婦は相和(?)しなさい、人に対してはうやうやしく、自分に対しては慎みぶかく振る舞いなさい、、博愛を衆に及ぼしなさい、学問を修めて業(仕事のこと?)を習いなさい、もって智能(知恵と能力?)を啓発しなさい、德器(道徳? 人格?)を成就しなさい、進んで公益を広めて世務(「せむ」または「せいむ」と読む、世の中のつとめ)を開きなさい、いつも国憲を重視して国法に従いなさい、いったん緩急あれば義勇をもって公のために働き、天地のきわまりがないように(※ 永遠に?)「皇運」(皇室の運命?)を扶翼(助ける?)するべきである。
 
このように、ひとり、天皇である私が忠義と良識の臣民であるだけでは不十分であり、
あなたたちが祖先の遺風(※ 「威風」ではなく「遺風」に注意)を懸賞するべきである。
 
朕が思うに、我が御祖先の方々が国をお肇めになったことは極めて広遠であり、徳をお立てになったことは極めて深く厚くあらせられ、又、我が臣民はよく忠にはげみよく孝をつくし、国中のすべての者が皆心を一にして代々美風をつくりあげて来た。これは我が国柄の精髄であって、教育の基づくところもまた実にここにある。
この道は、まさに、わが天皇家の遺訓であり、子孫である臣民も一緒に遵守(じゅんしゅ)すべき事であり(※ 「順守」ではなく「遵守」であることに注意)、古今を通じて、間違いはなく(※ つまり「正しい」と主張している)、(国の?)内外を問わず、もとることはない(「もとる」とは、道徳から外れるという意味。つまり、「もとらない」=道徳的に正しい)。
 
汝臣民は、父母に孝行をつくし、兄弟姉妹仲よくし、夫婦互に睦び合い、朋友互に信義を以って交わり、へりくだって気随気儘の振舞いをせず、人々に対して慈愛を及すようにし、学問を修め業務を習って知識才能を養い、善良有為の人物となり、進んで公共の利益を広め世のためになる仕事をおこし、常に皇室典範並びに憲法を始め諸々の法令を尊重遵守し、万一危急の大事が起ったならば、大義に基づいて勇気をふるい一身を捧げて皇室国家の為につくせ。かくして神勅のまにまに天地と共に窮りなき宝祚(あまつひつぎ)の御栄をたすけ奉れ。かようにすることは、ただに朕に対して忠良な臣民であるばかりでなく、それがとりもなおさず、汝らの祖先ののこした美風をはっきりあらわすことになる。
(天皇である)私と、その臣民であるあなた達とで、一緒に、拳々服膺(「けんけんふくよう」)して(※ 「拳々服膺」で1つの四字熟語、 意味は「しっかりと心に刻んで忘れない」という意味。元ネタは漢文『中庸』)、皆でその徳をひとつにする事を懇願する。
 
ここに示した道は、実に我が御祖先のおのこしになった御訓であって、皇祖皇宗の子孫たる者及び臣民たる者が共々にしたがい守るべきところである。この道は古今を貫ぬいて永久に間違いがなく、又我が国はもとより外国でとり用いても正しい道である。朕は汝臣民と一緒にこの道を大切に守って、皆この道を体得実践することを切に望む。
 
== 語釈など ==