「高等学校世界史探究/第二次世界大戦と新しい国際秩序の形成 学習のポイント」の版間の差分

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ポーランドに侵攻
挙国一致内閣、善隣外交、金本位制の停止
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== 世界恐慌の対策として、列強は何をしたか? ==
* イギリス
イギリスでは、労働党のマクドナルド内閣が、財政が悪化したので失業保険の給付を削減したら、マクドナルドは労働党から除名された。こうして、いったん労働党のマクドナルド内閣が分裂し、マクドナルドがいったん辞職したが、マクドナルドは保守党と自由党と提携して再度、「'''挙国一致内閣'''」を組織して、緊縮財政および'''金本位制を停止'''した。
 
そして1932年のカナダで開かれたオタワ会議で、イギリス連邦内の関税を下げた。こうして、イギリスのブロック経済化は進み、「ポンド=ブロック」(スターリング=ブロック)が形成されていった。
 
 
* アメリカ
1931年にアメリカのフーヴァー大統領(共和党政権)は、賠償金支払いを1年間延期させる猶予を与える'''フーヴァー=モラトリアム'''を宣言したが、あまり効果が無かった。
 
アメリカでは、1933年の選挙でフランクリン=ローズヴェルト(民主党政権)が就任して、ニューディール政策により(※ 中学で習ったとおり。)、農業調整法 (AAA) や全国産業振興法 (NIRA) を制定したり、土木公共事業としてテネシー川流域開発公社 (TVA) を設置して公共事業を行った。また、ワグナー法で、労働者の団結権を認めた。
 
 
なお、フランクリン=ローズヴェルト政権は外交では、キューバの独立を認め、「善隣外交」と呼ばれた。(「善隣外交」という名前は、おそらくセオドア=ローズヴェルトの「棍棒外交」への皮肉だろう。)
 
善隣外交に方針転換した背景として、不況対策として、アメリカの地元のカリブ海諸国との経済的な結びつきを強固にしたかった、と思われる。(ドル=ブロック)
 
なお、のちに経済学で、ニューディール政策のような公共事業などによる経済対策の理論が、のちにケインズなどによって理論化されてゆく。
 
* フランス
フランスも、植民地との経済的むすびつきを強め、植民地外からの輸入規制をした。(フラン=ブロック)
 
 
== ドイツの王室は、どこに行った? ==
中学の歴史教育では、「世界恐慌の影響で、ドイツではヒトラーが台頭した」などと習いますが、