「高等学校世界史B/17〜18世紀のヨーロッパの文化と社会」の版間の差分

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なお、フランシスコ=ベーコン(1561年生まれ)と名前の似ているロジャー=ベーコン(1214年生まれ)は、スコラ学の学者であり、中世のルネサンスなどを通じて得られたイスラーム科学の情報に詳しく、ロジャーは実験や観察の重要性を主張した。 スコラ学者のなかにも、ロジャー=ベーコンのように、現実的で改革的な人もいた。
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{{コラム|デカルト、ベーコン「スコラ学はクソ学問だ」|
フランシスコ=ベーコンの職業は法律職でもあり、国会議員でもあったりして、ベーコンのいう「帰納法」などは、おそらく、法改正などの改革の必要性を念頭においており、「古典や文献に書いてあっただけの机上の空論ではなく、現実を受け入れよ」という、旧態依然とする既得権益に対する批判的な意味があるのだろう。きっと、ベーコンが著書で批判した既得権益のなかには、当時の既存の哲学者も含まれるだろう。
 
実際、ベーコンの言う「帰納法」の背景事情として、キリスト教神学の(聖書などの)古典研究的な「スコラ学」という学問体系を、(スコラ学の当初はともかく)もはやスコラ学は形骸化したものだとして、ベーコンは著書『学問の進歩』でスコラ学を批判したという背景がある。
 
なお、そのスコラ学とは、11世紀ごろから流行した学問で、タテマエでは特定の思想や哲学をもたず学問的に古典などを研究しようという方法だったが、しかし、実態はキリスト教中心の神学であり、神学の権威をギリシア哲学などで補強しようという実態だった。
1561年生まれのベーコンが「帰納法」という擁護を明示する前から、 1473年生まれのコペルニクスなどの科学者がとっくの昔に、帰納法的に観測事実にもとづいて地動説を発見しており、べつに帰納法による思考法はベーコンの発明ではない。ベーコンは用語を発明しただけである。
 
なお、フランシスコ=ベーコン(1561年生まれ)と名前の似ているロジャー=ベーコン(1214年生まれ)は、スコラ学の学者であり、イスラーム科学の情報に詳しく、ロジャーは実験や観察の重要性を主張した。
 
スコラ学者のなかにも、ロジャー=ベーコンのように、現実的で改革的な人もいた。しかし、ロジャーは、アラブ思想を広めたという罪によって、キリスト教フランシスコ会によって逮捕され投獄されてしまう。
 
のちの時代にスコラ学がフランシスコから批判されるという事は、つまり、ロジャーの没後から、やがてスコラ学者は机上の空論ばかりを主張するような人ばかりになったのだろう。
 
1561年生まれのフランシスコ=ベーコンが「帰納法」という擁護を明示する前から、 1473年生まれのコペルニクスなどの科学者がとっくの昔に、帰納法的に観測事実にもとづいて地動説を発見しており、べつに帰納法による思考法はベーコンの発明ではない。ベーコンは用語を発明しただけである。
 
じつは、哲学では、「経験主義」と「合理主義」の対立がある。「経験」とは、言葉だけを見れば、物理学などの実験も含まれるが、しかし実態は、「経験主義」は、たびたび体験主義とはき違えられ、感覚主義に陥った。
 
デカルト(フランス人)は1596年生まれであるが、デカルトは「合理主義」に分類される。デカルトが「帰納法」でなく「演繹法」を重視したのは、もしかしたら、ともすれば感覚主義に陥りがちな自称「経験主義」(笑)への反発があってのことだろう。
 
デカルトのような数学者からすれば、おそらく、デカルトにとっては帰納法だろうが演繹法だろうが、数学的に正しい公式さえ発見できればどちらの思考法でも良いと思っているだろう。おそらくデカルトは、単に、当時のスコラ学と数学とを、一緒にされたくなかったのだろう。感覚主義的な自称「経験主義」(笑)の自称「帰納法」(笑)なんかが数学に持ち込まれたら、デカルトは困るので、アンチテーゼとして「演繹法」を主張したにすぎないのだろう。
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そういう視点で「われ思う、ゆえに我あり」を解釈しなおせば、本音は「わたしは神のためにあるのではなく、ましてや教会やスコラ学のために私があるのではない」という、皮肉だろう。
 
 
そもそも、まともな文献ってのは、分析しやすいように(課題をモジュール化しやすいように)系統立てて章立てをされたり段階的にテーマを設けて作られているし、数学の論文とかもそう記述されるし、だからモジュール化しづらい記述方法をされている文献ってのは、例外として古典の史料を除けば、そもそも学問的な価値が低い文献なんですよ。
 
膨大な過去の文献を読まないと全体像がつかめずに研究を始められないような学問(スコラ学みたいな三流学問)は、そもそも、価値が低いんですよ。
 
だから、そういう文献をありがたがってる連中(スコラ学者)は、そもそも頭が悪い。
 
デカルトの時代になってまで、もはやスコラ学とかの研究をやってる連中は、実際に未知の課題を解決するのが目的じゃなくって、勉強している自分に陶酔してるだけの馬鹿なんですよ。
 
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