「高等学校日本史B/占領と改革」の版間の差分

二・一ゼネスト
(過度経済力集中排除法)
(二・一ゼネスト)
※ 中学で「労働基準法」などについて習ったとおり。
 
また、1947年に片山内閣のもとで'''労働省'''が設置された。
 
== 復興と政治 ==
戦後は、戦災によって物資が不足してることもあり、政府は1947年、石炭や鉄鋼などの基幹産業に重点的に資材や資金を投資する'''傾斜生産方式'''(けいしゃ せいさんほうしき)を採用した。
 
さて、労働運動が高揚すると、労働者たち大衆の多くは社会党を支持した。
 
また、官公庁労働者を中心とする全国官庁共同闘争委員会は、吉田内閣打倒をスローガンとするストライキ('''二・一ゼネスト''')を計画したが、GHQの指令によって中止された。
 
新憲法公布後の1947年4月に行われた総選挙では、社会党が躍進して第一党になり、社会党が連立内閣で民主党(進歩党から再編)と国民共同党を連立し、社会党の'''片山哲'''(かたやま てつ)が組閣したが、翌年2月に連立政権内の対立で総辞職した。
 
ついで民主党総裁の'''芦田均'''(あしだ ひとし)が同じ3党の連立政権で組閣したが、疑獄事件(昭和電工事件)で10月に退陣した。
 
その後、民主自由党の吉田茂内閣(第2次)が成立し、長期に渡り政権を担当した。
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