「中学校社会 歴史/戦国時代と安土桃山時代」の版間の差分
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※ ルイス=フロイスについては、中学の範囲外。清水書院など一部の教科書ではコラムなどで紹介されている。) |
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農民から年貢を取るための土地の調査を<big>検地</big>(けんち)という。
検知そのものは信長の時代からも行われていたが(※ 教育出版などの検定教科書に記述がある)、さらに秀吉は各地でちがっていた物さし(ものさし)の長さや
マスの基準(きじゅん)は、京都で使われていた京枡(きょうます)が全国の基準の枡になった。このような、秀吉が行った検知の改革のことを'''太閤検地'''(たいこう けんち)という。「太閤」(たいこう)とは「関白をやめた人」という意味であり、秀吉のことである。秀吉は関白をやめた後には「太閤」(たいこう)と名乗っていました。
そして記録によって、田畑の面積や、田の収穫高である<big>石高</big>(こくだか)、その田畑を耕す農民の名前などが記録される 検地帳(けんちちょう) が作られた。▼
▲そして検知の記録によって、田畑の面積や、田の収穫高である<big>石高</big>(こくだか)、その田畑を耕す農民の名前などが記録される 検地帳(けんちちょう) が作られた。
検地帳によって耕作者が、はっきりしたので、農民は田畑を持つ権利を認められたが、同時に年貢(ねんぐ)をおさめる義務をおうことになり、土地を勝手に離れる(はなれる)ことができなくなった。
また、これで、かつての荘園のように土地の権利がはっきりしない土地がなくなった。そして公家や寺社などの荘園領主としの権利は完全に否定され、公家などの勢力は衰えた。
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