「学習方法/小学校全般」の版間の差分

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むずかしそうに聞こえますが、上述の章で述べたような定期的な復習を行った上で、さらに、小学校の高学年からは、市販の(平均レベルの)参考書などをつかって勉強していれば、簡単に解決します。
 
 
== 馬鹿な大人たち団体の提案する教育改革にダマされないように ==
世間では、馬鹿な大人が、よく小学校教育に口出ししてきます。
 
馬鹿な大人たちのつくる団体でも、小学校で習う内容くらいなら知ってるので(でも 知ってるだけ)、口出しをしてくるのです。
 
そして日本では、民主主義という建前(たてまえ)なので、馬鹿な大人の団体の提案する教育改革の提案を、けっして無視・黙殺することができません。
 
なので、規模のあるていど大きい団体の主張する教育改革の提案が、テレビ・新聞などで紹介される場合があります。
 
よくある提案の例が、「義務教育でも飛び級や留年を認めろ!」とか「小中学校でも金融や法律のことをもっと教えろ!」という提案です。そう改革すれば自分たちが有利になると勘違いしてるかようです。「自分たちは賢い」と勘違いしているようです。
 
 
しかし、じつは教科書をつくった教科書の執筆者の人たち(大学教授ばかり)が優秀なだけなのです。そして実は文部科学省の官僚(かんりょう)が賢いのであり、子供でも覚えやすい内容を、小学校教育に選んでいるだけです。
 
馬鹿な大人は、「自分は小中学校の教育内容を理解している」ともりですが、じつは暗記が出来てるだけで、ろくに理解できてません。教科書にかいてあった説明の文章ごと暗記しているだけです。
 
じつは本当は理解できてないから、高校で習うことがロクに理解できてない大人たちばかりなのである。
 
 
 
どうも「飛び級」などを主張する馬鹿な大人は、「自分が賢いので、学生時代の自分は物覚えが良かった。だから政府は、自分には飛び級を認めるべきだった。」と勘違いしているようです。滑稽ですね。)
 
しかし、彼ら馬鹿な大人の提案はデタラメな内容ばかりなので、けっして鵜呑み(うのみ)にしてはいけません。
 
 
義務教育の内容ってのは、その年齢にあった内容が選ばれています。
 
たとえば、歴史の教育などは、あまり人生経験のない子供のうちから細かく教えても、非効率です。歴史ってのは、基本的に、今はなくなってしまった昔のものを、大人が子供にかたりつぐものであるので、今の時代にはそのままでは役立たないし、目の前に実物が用意しづらいので(カネが掛かる)、なので小学校では6年生くらいで歴史を教えるのです。
 
また、政治の選挙の仕組みなども同じです。選挙権がもらえるのが18歳からなので、その直前に教えるのが効率的なのです。なので、小学校では小6で、中学校では中3で、選挙の仕組みなどを教えます。(もしかしたら法律の改正などで選挙制度が変更する場合があるので、あまり子供のうちに細かいことを教えても無駄なのです。)
 
 
;見分け方
教育改革を提案する大人が、はたして馬鹿な大人なのか、それとも賢い大人なのか、見分ける方法は簡単です。
それは
:・ その大人は、自分で手を動かして、なにかを作れるのか?
:・ 自分で教科書をつくれるのか?
:・ 絵をかいたり、作曲したり、・・・そういうのができるのか?
を見分ければいいのでです。
 
物理学者のファインマンは「'''作ることができないものは、理解したことにならない'''」と言ってます。
 
ならば、教科書を書けない人は、当然、教科書を理解できていないのです。
 
また、教科書をつくるために、絵を書いたり、作曲することも必要です。(小学校の教師は、生徒の手本になるために、5教科のほかにも、絵の練習や、音楽の練習、体育の練習、さらには部活動の勉強もしています。)
 
 
世の中には、自分ではなにも作れないのに、理解したつもりの馬鹿な大人が多いのです。
 
 
しかし、税収など財政のお金の都合により、「なにかを作る」教育は、日本をふくむ世界各国では残念ながら、後回しの教育になっています。貧乏な家の子供は、なにかを作りたくても、材料や設備すら買えないので、家庭では練習できず、なかなか上達しません。(わからやすい例が、コンピュータ・グラフィックなど、コンピュータ関連のコンテンツ。昔はパソコンの値段が高く、貧乏な家庭の子はなかなか練習できなかった。その少し前の時代は、映画やアニメなど、撮影や音響の設備にお金の掛かるコンテンツだった。)
 
貧乏人を差別するわけにもいかないので、仕方なく、「なにかを作る」教育は後回しになっています。
 
なので義務教育では仕方なく、なにかを作る授業を、副教科(図工・音楽など)に回しているのです。そして、入試にも、副教科は、基本的に出題されません。
 
 
なのに、バカな人間は、5教科しか勉強しません。それでも、日本では大学入試に合格できるからです(外国でも同様の傾向)。むしろ、入試に出ない余計なことは勉強せず、入試に出る教科だけを勉強するほうが、受験競争では有利です。
 
 
なので、バカな大人は、5教科だけを勉強して有名大学に合格して「自分は頭が良い」と勘違いするのです。
そして、そういうバカな大人たちが、教育改革に口を出してきます。
 
しかも困ったことに、彼らは有名大学の卒業生だったりするで、日本では権力を持っているので、マスコミなどは、彼らを無視できまでせん。
 
 
しかし、じつは彼らは馬鹿ですので、無視しましょう。自分で何も作れない人は馬鹿です。
 
彼ら馬鹿のくせに権力のある大人は、自分では何も作らないので、他人に命令してばかりで、「新しくて便利なものを作れ!」と命令してばかりです。しかし、具体的に今まである物をどう作り変えると、便利になるかは、何もいえません。なぜなら、何も理解できてないからです。
 
 
近年の日本では、「数学ができる人は頭いい」とか「いや、物理学のできる人が頭いいのだ」とか「理科系の科目のできる人は頭いいのだ」とか言う議論が多いですが、しかし、自分で何も作れないなら、彼らは、じつは理解できてない馬鹿です。
 
 
そもそも、歴史上の多くのまともな物理学者は、自分で実験設備の組み立てくらいはします(東大の理系学生とかですら、学生に研究用の実験装置の組み立てをさせたりする(教育目的や経費節約などの理由もある) )。実験設備を作らないなら、せめて理論くらいは作って欲しいものです(ちなみに「学術論文」には、その学者のつくろうとする(提案する)理論が書かれる)。
 
つまり何も作ってないということは、そもそも大した知能労働をしてないって事ですので、無視しましょう。