歴史学習で使う時代の表し方には、まず「時代」があります。これは、「{{ruby|奈良|なら}}時代」「{{ruby|江戸|えど}}時代」などと、大きなことがら(都や天皇が変わる)ごとに時代を変えていく表し方です。
* 西暦
{{ruby|西暦|せいれき}}は、[[w:イエス・キリスト|イエス・キリスト]]が生まれたとされる年を西暦1年として年を表す表し方です。現在は{{CURRENTYEAR}}年です。
* 世紀
そして、幕府の権力は、{{ruby|朝廷|ちょうてい}}をしのぐほどになりました。
また、幕府は、武士のための{{ruby|法律|ほうりつ}}をととのえました。
* 武士のくらし
最終的には暴風雨のえいきょうにより元軍が引き上げたので日本が勝利しましたが、元との戦いでは元軍の火薬を用いた新兵器(日本では「てつはう」と{{ruby|呼|よ}}ばれた)、毒矢、元軍の集団戦に苦戦しました。
[[ファイル:Mōko Shūrai Ekotoba.jpg|thumb|700px|1274年のモンゴル軍の{{ruby|襲来|しゅうらい}}において、矢が飛びかい、てつはうが{{ruby|炸裂|さくれつ}}する中を、モンゴル帝国連合軍へ斬り込んでいくこうげきする御家人の <big>{{ruby|竹崎季長</big>(|たけさき すえなが)}} と、応戦・{{ruby|逃亡|とうぼう}}するモンゴル兵]]
画像右の合戦の絵は、<big>{{ruby|蒙古襲来絵詞</big>(|もうこしゅうらいえことば)}}という絵巻物の一部の絵です。
「蒙古(もうこ)」とはモンゴルのことです。
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1度目の戦いのあと、幕府は次の元モンゴル軍(げがせめこんぐん)でくるの侵攻(しんこう)に備え、九州今の{{ruby|福岡|ふくおか}}県にある{{ruby|博多|はかた}}湾の{{ruby|沿岸(|えんがん)}}に石塁(せ こうげきるい)を築かせます。(石塁(せきるい)とは、防御のぐための{{ruby|石垣(|いしがき)}}ですある'''{{ruby|石塁|せきるい}}'''を築かせました。)
1281年に、元の軍勢は、14万人もの大軍を率いてふたたび日本に おそいかかりましたが、日本が勝利しました。
:(※ 検定教科書でも、光村図書の教科書が「石るい」という表記をつかってます。)
この2度の元軍の{{ruby|襲来|しゅうらい}}を あわせて '''{{ruby|元寇|げんこう}}''' といいます。
1281年に、元(げん)の軍勢(ぐんぜい)は、ふたたび日本に おそいかかります。今度の元(げん)軍は14万人もの大軍(たいぐん)です。
二度目のたたかいでも、日本が勝ちます。
この2度の元軍の襲来をあわせて、元(げん) 対 日本の戦争のことを <big>元寇</big>(げんこう) という。
:(※ 「元寇」という呼称は、のちの江戸時代に徳川光圀(とくがわみつくに)の編纂した『大日本史』に出てくる。)
3度目の襲来はなかった。
御家人は元寇で多くの費用を使ったが、幕府は 御恩(ごおん) としての褒美(ほうび)の土地を、じゅうぶんには用意できなかった。元寇は日本国内での防衛戦なので、新たに日本が獲得した領土は無いのである。 ▼
このため、御家人は幕府に不満を持つようになった。
[[ファイル:Adachi yasumori & takezaki suenaga.jpg|thumb|250px|『蒙古襲来絵詞』(もうこ しゅうらい えことば)より鎌倉の安達泰盛邸で先駆けの功を訴える季長(右)]]
さきほど紹介した竹崎季長(たけさき すえなが)も、恩賞(おんしょう)の少なさに不満をもった御家人(ごけにん)の一人で、そのため幕府に自分の功績(こうせき)をうったえでるために、彼の元寇での活躍を記した絵巻物(えまきもの)を手下のものにつくらせた結果、さきほどの蒙古襲来絵詞(もうこ しゅうらい えことば)が出来たと言われています。
▲御家人は元寇で多くの費用を使 っいましたが、幕府は 御ご{{ruby|恩 (ご|おん ) }}としての 褒美(ほうび )の土地を、 じゅうぶん十分に は用意できなかった 。元寇は日本国内での防衛戦なので、 新た{{ruby|御家人|ごけにん}}は{{ruby|幕府|ばくふ}}に 日本が獲得不満を持つようになりました 領土は無いのである。
* その他
{{ruby|鎌倉|かまくら}}時代には、{{ruby|彫刻(|ちょうこく)}}で、<big> {{ruby|金剛力士像</big>(|こんごうりきしぞう)}}が、つくられました。(※<!--※ 教育出版の小学教科書で紹介している。)-->
:※ ウィキペディアに金剛力士像の見やすい画像が無用意できないので、ここには画像を省略のせません。
金剛力士像がある場所は、{{ruby|奈良|なら}}県の{{ruby|東大寺|とうだいじ}}の{{ruby|南大門|なんだいもん}}にあります。
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