「高等学校保健体育保健/精神の健康」の版間の差分

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;「コミュニケーション障害」とは、 医学でいう「コミュニケーション障害」とは、盲目(もうもく)や、耳が不自由など、主に身体障害により、コミュニケーションが円滑に行えない状態のことをいう。
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;「コミュニケーション障害」とは、
医学でいう「コミュニケーション障害」とは、もともとの意味では、盲目(もうもく)や、耳が不自由など、主に身体障害により、コミュニケーションが円滑に行えない状態のことをいう。
 
ネットなどでは、人付き合いがヘタな人のことを「コミュ障」だの言うが、ネットのそれは医学的な用法ではないので、けっして混同しないように。
 
ただし、「社会的コミュニェーション障害」という概念が近年には提唱されており、それは、場の雰囲気が読めないなどの意味があり、ややネットの用法に近い。
 
 
なお、場の雰囲気が必ずしも正しい保証は無く、たとえば戦前の日本の世論が戦争賛美に突入していく空気(雰囲気)の形成過程の研究をした(戦後の)評論家の山本七平『空気の研究』などの優れた文献もあるが、しかし残念ながら日本の大衆のほとんどには、そこまでの読書の教養が無く、なので軽々しく「空気を読む」などの用語を使う一般人が日本には多いという惨状なので(しかも自身をリベラル派や国際的だと思ってる無教養さ)、日本の世間一般のいう「雰囲気」のような意味での「空気」などの用法には注意が必要である。
 
 
ほか、文字はよめても文脈を読めない、などが「社会的コミュニェーション障害」または「自閉症」や「アスペルガー症候群」の症例などとして分類されるが、しかしアメリカの場合は、米国の国語教育(英語教育)では、なるべく論理的に明確な文章を書くように指導されているし、責任の所在なども明確化するような文章の作文の指導が(米国の国語教育では)されている。
 
しかし日本の国語教育のような、論理性を無視して文学趣味に耽溺しているような国語教育(問題視されたので文部科学省の改革により、2022年から国語教育で「論理国語」という科目が追加されるようになった)のされている日本では、そのまま米国(国際基準だが実態は米国方式)の診断方法を適用するのは危険である事に留意すべきできであろう。
 
医学書にはそんな事は書かれていないが、残念ながら日本の医者は論理的な作文をする訓練を受けていないので(そういう教育は大学教育ですら義務化されていない)、論理的でない人が淘汰されない事にも留意すべきである。医学に限らず、日本では難関大学を卒業したようんば知識人でも、論理的な文章を書くトレーニングをまったく受けておらず、国際的に見て日本は論理的な文章のトレーニング(ロジカル・ライティング)が遅れている惨状であることが、たびたび教育評論などでは批判されている。
 
 
また、日本の医学書やら行政文書には書かれないが、日本の労働環境は、残念ながら先進国の中では、かなり劣悪であるのが有名事実である。(「カローシ」(過労死、karoshi)などの英語。ダンピング的な残業の蔓延。崩壊している終身雇用を前提とした転職環境の未熟さ。・・・以下略。)
 
日本の行政にとっては、税金を納めてくれる企業を批判するわけにもいかないので企業を放置するが、本来ならブラック企業のパワハラとして処分されるべき事例が、労働者側の適応障害や「うつ」や「社会コミュニケーション障害」などの精神疾患として分類されかねないような、劣悪な労働環境が見過ごされているかもしれない事も、留意しなければならない。
 
残念ながら、企業に雇われている産業医は、企業側に有利な診断をくだす傾向があり、たびたびジャーナリズムでは産業医による精神科診断について問題視されている。