「学習方法/中学校国語」の版間の差分

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しかしどちらにせよ、近代小説や古典文学にしたところで、学歴や偏差値や成績のためにあるのではありませんから、それぞれの興味に応じて、読んだり読まなかったり、自由に行動を選べるわけで、他人に対してあれしろこれしろなんて、云う権利も、云うだけの人間的な価値も、だれ一人ないと思います。
 
== 現代文学の入試対策 学習==
現代作家の文学作品については、著作権などの問題で、参考書で紹介する際に、手間やカネが掛かったりするのです。
 
現代文学が参考書に採録される場合は、著作権が生きていますし、作者も多くの場合存命なうえ、その作品にかかわっている出版社もありますし、その作品について紹介するときはそれなりの手間暇や精神力の注入、あるいはお金の動きもあると思います。
にもかかわらず、もし参考書で作品本文が紹介される作品は、それなりに紹介の価値があるからこそ、出版社が掲載したということなのです。
紹介の価値とは、たとえば過去に検定教科書に掲載されたことのある作品とか、あるいは有名高校の入試問題に取り上げられたこともあるとか、課題図書としてよく国語教科書などで推薦されやすい、とかです。
 
ですからそこで紹介されている作品、文章は重要な文章であろうという、前編集の主張があったのですが、まあおそらくそういうこと、そういう考えでいいのだとは思いますが、しかし実際には、手間暇がかかろうがかからなかろうが、お金がかかろうがかからなかろうが、古い作品だろうが新しい文章だろうが、その参考書の編集者たちがその作品を取り上げる意義があると学問者として、教育者として判断したから採録されているわけで、前述の議論に大きな意味があるとも考え難い所があります。
出版社が、いちいち手間とカネをかけて、著作権者や管理団体などに掲載許可を取りに行って、それで参考書に掲載してるわけです。なので、時間があれば、いちおう参考書・問題文に掲載された作品の本文くらいは読んだり、作中の漢字などの書取り練習などは、しておきましょう。
 
むしろ現代作品として採録の手間暇と経済に個別の差があるかもしれないので、その分、普遍的な価値よりも、コストがかからないことが優先された結果その作品が選ばれてしまう可能性もあるだろう。
また、現代文学は作品数が多すぎるため、どうせ現代文学のほとんどの作品は入試に出ないので、勉強法は、けっしてストーリーを丸暗記するのではダメです。勉強法は、問題集などを利用して、きちんと読解をする勉強法をしましょう。自分で読解した結果と、答えとを確認するため、解答や解説が必要なので、問題集などを利用する必要があります。
 
前編集にとって紹介の価値のある文章とは、たとえば過去に検定教科書に掲載されたこと、それなりある作品とか、あるいは有名高校の入試問題に取り上げら出題されたこともあるとか、課題図書としてよく国語教科書などで推薦されやすい、などのこかですを示しているようだ
教科書や参考書などの説明文や評論文などに書かれた内容は、ためになる内容もあります。芸術評論などの教養的な知識や、歴史評論、社会評論、そのほか雑学的な知識が増える内容もあります。しかし、せっかく読んでも、ためになるだけであり、高校入試に出しずらい場合もあります。
 
そして紹介の価値のある文章だから、よく読んだり、その文章の漢字書き取りや言葉の記憶など、よく学習しておくべきだというのが前編集の主張ですが、その文章に関して学習すること自体には異論ないのですが、しかし、文章の読解はともかく、漢字や言葉の練習に関しては、まず第一に優先なのは学校教科書の記述、文章だとも思える。これをみっちり書き取り、記憶学習するだけでも相当大変な事なので、それがよく出来ているなら、そのさらにオプションはもう何でもどんな文章でもいいのではないかとも思えます。
なぜ入試に、せっかく「ため」になるのに、その知識が出題されずらいかというと、国語の入試では歴史評論などの知識を問うわけにはイカナイから、です。
 
また、前編集で、現代文学は作品数が多いので、そして、そして入試にはほとんど出題されないので、ストーリーを丸暗記するのは勉強法として適切でないと書かれているけど、そもそも現編集者の立場では、暗記は常識的な、重要語句や漢字を覚えるためにするべきで、ある程度まとまった内容のある文章を、噛み砕いて理解することなく丸暗記することは、勉強法として推奨できない。
なので、中学生の勉強では、あまり多くの現代作品を読む必要はありません。
 
結局は前編集と同じ結論になるけど、現代文学の勉強に関しては、問題集などで、読解の練習、演習をしておくのがいいのではないでしょうか。
もし運悪く、あなたの地元の書店で売ってる中学国語参考書・問題集では現代作品の解説が見つからない場合、かわりに高校生用の高校国語の『現代文』の参考書で代用する必要があるかもしれません。
 
教科書や参考書の評論文や説明文には、ためになる内容も多いですね。芸術、社会、歴史、雑学的な知識が語られることも多いですよね。こういうものは特に成績とか、勉強とか、入試とか、そういうことはあまり気にしないまま、その物語に身をゆだねて、言葉と文章の世界を楽しんでしまえばいいのだと思います。
小学校の参考書ではダメです。小学生用・中学入試用の参考書では、高校入試には対応できません。
 
さて、このあたりで前編集の結論としては、「中学生の勉強では、あまり多くの現代作品を読む必要はない。」と、語られているのですが…。まあそうすること自体は別にいいけど、この前編集者はやたらあらゆる局面で、あれが必要ない、これが必要ないと、断定的に切り捨てているんですが、この姿勢って本当にこれでいいんですかね?
このように、現代文学の読解の練習方法は大変ですので、それよりも、まずは漢字の書取りとか、熟語の書取りとか、そういうのから勉強したほうが得(とく)でしょう。
 
彼は本当にこの世界に膨大に数がいる他者たちの必要と不必要を理解して知っている上で文章を書いているのだろうか?そもそも必要不必要って、誰にとって?
 
中学国語の参考書や問題集では、現代作品の解説は少ないようですね。もしその詳細な解説を読みたいのなら、高校国語現代文の参考書を読んで見るのもいいかもしれません。小学校の参考書は、読むこと自体得ることはありますが、入試や成績の上昇を目的とする場合は、あまり有効な学習方法ではないでしょう。
 
現代文学や現代の様々な文章、文献を読むこと自体は、中学生に限らずあらゆる世代の現代人にとって意義あることですが、中学生の国語科の勉強としては、特に成績や入試合格を目的とした勉強では、重要度はそれほど高くないようです。
 
== 私立高校対策の評論文について ==