「学習方法/中学校国語」の版間の差分
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しかしどちらにせよ、近代小説や古典文学にしたところで、学歴や偏差値や成績のためにあるのではありませんから、それぞれの興味に応じて、読んだり読まなかったり、自由に行動を選べるわけで、他人に対してあれしろこれしろなんて、云う権利も、云うだけの人間的な価値も、だれ一人ないと思います。
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現代文学が参考書に採録される場合は、著作権が生きていますし、作者も多くの場合存命なうえ、その作品にかかわっている出版社もありますし、その作品について紹介するときはそれなりの手間暇や精神力の注入、あるいはお金の動きもあると思います。
紹介の価値とは、たとえば過去に検定教科書に掲載されたことのある作品とか、あるいは有名高校の入試問題に取り上げられたこともあるとか、課題図書としてよく国語教科書などで推薦されやすい、とかです。▼
ですからそこで紹介されている作品、文章は重要な文章であろうという、前編集の主張があったのですが、まあおそらくそういうこと、そういう考えでいいのだとは思いますが、しかし実際には、手間暇がかかろうがかからなかろうが、お金がかかろうがかからなかろうが、古い作品だろうが新しい文章だろうが、その参考書の編集者たちがその作品を取り上げる意義があると学問者として、教育者として判断したから採録されているわけで、前述の議論に大きな意味があるとも考え難い所があります。
むしろ現代作品として採録の手間暇と経済に個別の差があるかもしれないので、その分、普遍的な価値よりも、コストがかからないことが優先された結果その作品が選ばれてしまう可能性もあるだろう。
▲前編集にとって紹介の価値のある文章とは、
そして紹介の価値のある文章だから、よく読んだり、その文章の漢字書き取りや言葉の記憶など、よく学習しておくべきだというのが前編集の主張ですが、その文章に関して学習すること自体には異論ないのですが、しかし、文章の読解はともかく、漢字や言葉の練習に関しては、まず第一に優先なのは学校教科書の記述、文章だとも思える。これをみっちり書き取り、記憶学習するだけでも相当大変な事なので、それがよく出来ているなら、そのさらにオプションはもう何でもどんな文章でもいいのではないかとも思えます。
また、前編集で、現代文学は作品数が多いので、そして、そして入試にはほとんど出題されないので、ストーリーを丸暗記するのは勉強法として適切でないと書かれているけど、そもそも現編集者の立場では、暗記は常識的な、重要語句や漢字を覚えるためにするべきで、ある程度まとまった内容のある文章を、噛み砕いて理解することなく丸暗記することは、勉強法として推奨できない。
結局は前編集と同じ結論になるけど、現代文学の勉強に関しては、問題集などで、読解の練習、演習をしておくのがいいのではないでしょうか。
教科書や参考書の評論文や説明文には、ためになる内容も多いですね。芸術、社会、歴史、雑学的な知識が語られることも多いですよね。こういうものは特に成績とか、勉強とか、入試とか、そういうことはあまり気にしないまま、その物語に身をゆだねて、言葉と文章の世界を楽しんでしまえばいいのだと思います。
さて、このあたりで前編集の結論としては、「中学生の勉強では、あまり多くの現代作品を読む必要はない。」と、語られているのですが…。まあそうすること自体は別にいいけど、この前編集者はやたらあらゆる局面で、あれが必要ない、これが必要ないと、断定的に切り捨てているんですが、この姿勢って本当にこれでいいんですかね?
彼は本当にこの世界に膨大に数がいる他者たちの必要と不必要を理解して知っている上で文章を書いているのだろうか?そもそも必要不必要って、誰にとって?
中学国語の参考書や問題集では、現代作品の解説は少ないようですね。もしその詳細な解説を読みたいのなら、高校国語現代文の参考書を読んで見るのもいいかもしれません。小学校の参考書は、読むこと自体得ることはありますが、入試や成績の上昇を目的とする場合は、あまり有効な学習方法ではないでしょう。
現代文学や現代の様々な文章、文献を読むこと自体は、中学生に限らずあらゆる世代の現代人にとって意義あることですが、中学生の国語科の勉強としては、特に成績や入試合格を目的とした勉強では、重要度はそれほど高くないようです。
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