「学習方法/中学校国語」の版間の差分

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最近はいろいろ嫌なことも多いので、もういっそ、小学生や中学生や高校生、子供たちが武力蜂起して革命を起こして、毎日毎日調子に乗って威張って汚いことを口にして行為してばかりいる大人たちを、全員ぶっ殺しちまえばいいんじゃあないの?なんて思うこともあるね(^^;;;)。
 
== 高校入学後の国語について ==
2022年度から、高校では国語科目の構成が変わります。2019年以降の中学生が高校に入学する頃には、新カリキュラムが適用されてるかもしれません。
 
2022年以降の高校国語の必修科目でも、従来どおり、現代の文章に加えて、古文漢文や近代文学なども扱う可能性の高い見込みです。
 
2022年以降の高校国語では必修科目で『現代の国語』および『言語文化』という必修科目があり、『言語文化』で古典文学や漢文や近代文学などを扱うことになると思います。なので、結局、必修科目でも古文漢文や近代文学は、あつかわれるでしょう。
 
また、『論理国語』『文学国語』という選択科目が導入されるようです。
しかし世間ではデマで、「高校から文学が必修科目から無くなる! 」とかデマが流れています。デマの原因は、どうも「高校国語が(選択科目の)『論理国語』と『文学国語』の2つに分かれる!」という事を、必修科目から文学が分かれる根拠にしているようですが、しかし、そもそも『論理国語』『文学国語』などは(必修科目ではなく)選択科目です。
 
さて…この二つの選択科目に関して、前編集で、「ネット上では文学系の人がデマを拡散しています。」と記述されていたんだけど…。
中学生はデマにまどわされず、古文や漢文なども勉強しておきましょう。
 
そのネット上の発言、記述自体を現編集者は見ていないので、事実関係について正しい判断を下すことはできませんが…。
困ったことに、ネット上では文学系の人がデマを拡散しています。なるほど、こりゃあ、文学偏重の国語教育が問題視されるのも当然だし、『論理国語』の教育が必要視されるのも当然なわけですね。
 
…しかし世の中には確実に、他人を見下したがっている人間というのがいて、何が起こっても、何を聞いても、いちばん安易で簡単な、その事柄に関係する人間たちが馬鹿で愚かな意図を持っているからそれが起こり、その言論がなされると、と、すぐに解釈したがる人間がいるように思います。
 
実際に世の中で起こっている事や、ある人物の行動や言論は、実際には様々な解釈が可能で、その中には実相に近い解釈も、事実と大きく異なる恣意的な解釈もあると思います。
 
しかし世の中のある種の人間は、そういう時にいちばん安易な解釈、対象の人間が一番底の浅い考えで愚か者になる解釈を、確信的に、確信する人間が、確実にいるように感じています。
 
おそらくそういう人物は常に他者を見下して、基本的に馬鹿だと思っているのでしょう。だから常に他人が馬鹿な理由を探していて、その理屈に当てはまる出来事が起こると、常にその解釈だけが事実だと思い、他所を馬鹿にして愚弄して、それと比べて相対的に自分は賢いと、自己満足してうぬぼれに浸るのでしょう。
 
…という事を書くのは、そもそもほんとにそれはデマなのか?という疑問があるからです。
 
単に事実認識の間違いかもしれないし、他者の発言をデマと断罪するのは、そう簡単に口にすべきことではないでしょう。
 
少なくとも、何らかの悪意を持って嘘だと確信して世に吹聴しているのではない限り、デマという言葉を使うこと自体不適切ではないでしょうか。
 
== 方言の勉強は不要 ==