「高等学校政治経済/政治/保守と革新、右翼と左翼」の版間の差分
削除された内容 追加された内容
102 行
ところでこの事を考えてる時に現編集者が思いついた、戯れ、冗談なんですが、あくまでもお遊びの戯言に過ぎないので、あまり本気にして怒ったりして欲しくないのですが、結局、保守対革新って、ヒトラー対スターリンなんじゃあないの?なんて思ったことはあるね^^;。
==
{| class="wikitable" style="text-align:center;"
121 行
|}
日本では、第二次大戦後、自民党のような政策が、
そのため、日本では、一般に
第二次大戦後の20世紀後半の日本では、マスコミなどの表現では、自民党が「保守政党」とされ、社会党や共産党が「革新政党」とされた。県議会や都議会などの地方議会では、知事が社会党や共産党の系列の議員である自治体(都道府県)なら革新自治体とよく呼ばれた。▼
▲また、第二次大戦後、冷戦が始まり、アメリカ寄りの立場が「右翼」「保守」とされ、いっぽうソ連寄りの立場が「左翼」「革新」とされた。
▲第二次大戦後の20世紀後半の日本では、マスコミなどの表現では、自民党が「保守政党」とされ、社会党や共産党が「革新政党」とされた。
右翼、左翼、という言葉とは別に、ある1つの政党が2つの派閥に内部分裂したとき、マスコミなどが便宜上、どちらかの派閥を右派(うは)と呼んで、もう一方を左派(さは)と呼ぶ場合もある。 第二次大戦後、日本の社会党
▲さて、ソビエト連邦が社会主義を政策に掲げたこともあり、「左翼」「革新」的な政策としては、経済政策による低所得者への保護や、積極的な福祉施策などが「左翼」的な政策である、とされた。(じっさいには、アメリカ陣営の国でも、スウェーデンのように資本主義であるが福祉政策に積極的な国もあり、そんなに「左右」の分類は単純ではない。だが、戦後の日本では、福祉政策が「左翼」「革新」として扱われた。)
▲例外として、民間の評論家などの中には、少数勢力だが「憲法改正による自衛隊の追認には賛成だが、アメリカ追従の政治体制には反対」とかの例外の勢力もいたが(例えば三島由紀夫(みしま ゆきお)など)、しかし、20世紀後半の歴史では、そのような反米かつ自衛隊賛成の勢力は少数勢力だった。
▲第二次大戦後、日本の社会党内で政策をめぐって、社会党内で2大勢力に分裂するときが何度かあったが、このような場合に片方の勢力がマスコミなどによって「社会党右派」と呼ばれ、もう片方が「社会党左派」といわれた。
▲さて、近年では、ほとんどの政党は、明確には右翼・保守、左翼・革新政策を打ち出さず、「中道」(ちゅうどう)を掲げる。
== 参考 ==
|