「高等学校政治経済/政治/保守と革新、右翼と左翼」の版間の差分

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ところでこの事を考えてる時に現編集者が思いついた、戯れ、冗談なんですが、あくまでもお遊びの戯言に過ぎないので、あまり本気にして怒ったりして欲しくないのですが、結局、保守対革新って、ヒトラー対スターリンなんじゃあないの?なんて思ったことはあるね^^;。
 
==保守革新==
 
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日本では、第二次大戦後、自民党のような政策が、保守主義、あるいは保守(ほしゅ)な政策と言われた。いっぽう、社会党のような政策が革新(かくしん)な政策と言われた。これは、日本においては資本主義や天皇制についての態度が原因の一つとなっている。つまり、資本主義の経済体制と天皇制を維持するという意味で「保守」であり、資本主義と天皇制に批判的で、転換を求めるという意味で「革新」と呼ばれてきた。
 
そのため、日本では、一般に右翼思想は保守に含まれ、左翼思想は革新に含まれる。
また、第二次大戦後、冷戦が始まり、アメリカ寄りの立場が右翼」「保守とされ、いっぽうソ連寄りの立場が左翼」「革新とされた。
第二次大戦後の20世紀後半の日本では、マスコミなどの表現では、自民党が「保守政党」とされ、社会党や共産党が「革新政党」とされた。県議会や都議会などの地方議会では、知事が社会党や共産党の系列の議員である自治体(都道府県)なら革新自治体とよく呼ばれた。
 
さて、ソビエト連邦が社会主義を政策に掲げたこともあり、左翼」「革新的な政策としては、経済政策による低所得者への保護や、積極的な福祉施策などが左翼的な政策である、とされた。(じっさいには、アメリカ陣営の国でも、スウェーデンのように資本主義であるが福祉政策に積極的な国もあり、そんなに「左右」の分類は単純ではないだが、しかし戦後の日本では、福祉政策が「左翼」「革新」として扱われた。)
また、第二次大戦後、冷戦が始まり、アメリカ寄りの立場が「右翼」「保守」とされ、いっぽうソ連寄りの立場が「左翼」「革新」とされた。
 
例外として、民間の評論家などの中には、少数勢力だが「憲法改正による自衛隊の追認には賛成だが、アメリカ追従の政治体制には反対」とかのいう例外的な勢力もあったが(例えば三島由紀夫(みしま ゆきお)など)、しかし、20世紀後半の歴史では、そのような反米かつ自衛隊賛成の勢力は少数勢力だった。
第二次大戦後の20世紀後半の日本では、マスコミなどの表現では、自民党が「保守政党」とされ、社会党や共産党が「革新政党」とされた。
 
右翼、左翼、という言葉とは別に、ある1つの政党が2つの派閥に内部分裂したとき、マスコミなどが便宜上、どちらかの派閥を右派(うは)と呼んで、もう一方を左派(さは)と呼ぶ場合もある。 第二次大戦後、日本の社会党で政策をめぐって、社会党内で2大勢力に分裂するときが何度かあったが、このような場合に片方の勢力がマスコミなどや批評家によって「社会党右派」と呼ばれ、もう片方が「社会党左派」といわれた。
また、県議会や都議会などの地方議会では、知事が社会党や共産党の系列の議員である自治体(都道府県)なら「革新自治体」であると、マスコミなどによって言われた。(いっぽう、知事が自民党系の議員である自治体でも「保守自治体」とは言わないようである。Wikipediaにも、そのような記事はない。)
 
さて、近年では、ほとんどの政党は、明確には右翼・保守、左翼・革新政策を打ち出さず、「中道」(ちゅうどう)を掲げる。
さて、ソビエト連邦が社会主義を政策に掲げたこともあり、「左翼」「革新」的な政策としては、経済政策による低所得者への保護や、積極的な福祉施策などが「左翼」的な政策である、とされた。(じっさいには、アメリカ陣営の国でも、スウェーデンのように資本主義であるが福祉政策に積極的な国もあり、そんなに「左右」の分類は単純ではない。だが、戦後の日本では、福祉政策が「左翼」「革新」として扱われた。)
 
例外として、民間の評論家などの中には、少数勢力だが「憲法改正による自衛隊の追認には賛成だが、アメリカ追従の政治体制には反対」とかの例外の勢力もいたが(例えば三島由紀夫(みしま ゆきお)など)、しかし、20世紀後半の歴史では、そのような反米かつ自衛隊賛成の勢力は少数勢力だった。
 
一方、これら「右翼」「左翼」の用語とは別に、ある1つの政党が2つの派閥に内部分裂したとき、マスコミなどが便宜上、どちらかの派閥を「右派」(うは)と呼んで、もう一方を「左派」(さは)と呼ぶ場合もある。
第二次大戦後、日本の社会党内で政策をめぐって、社会党内で2大勢力に分裂するときが何度かあったが、このような場合に片方の勢力がマスコミなどによって「社会党右派」と呼ばれ、もう片方が「社会党左派」といわれた。
この場合、必ずしも、社会党右派の政策は右翼に対応しない。同様に、社会党左派の政策は、必ずしも左翼に対応しない。
 
さて、近年では、ほとんどの政党は、明確には右翼・保守、左翼・革新政策を打ち出さず、「中道」(ちゅうどう)を掲げる。
 
== 参考 ==