「高等学校美術I」の版間の差分

→‎高校までに受けた美術教育について: typo 教育学者の名は天野郁夫だった
(アーツ・アンド・クラフツ運動とバウハウスの話題が、情報科の教員研修資料にあったので、その内容を末尾に反映。)
(→‎高校までに受けた美術教育について: typo 教育学者の名は天野郁夫だった)
さて、日本の小中高の美術教育は、(「アーツ・アンド・クラフツ運動」ではなく)「印象派」という立場の芸術思潮です。「印象派」というのは、単純に言えば要するにゴッホやピカソ的な抽象画です。
 
なので芸術家の中には、アーツ・アンド・クラフツ運動などを教えずに印象派を教えるのは偏ってるのではないかと批判する人もいます(たとえば村上隆など<ref>[https://www.nicovideo.jp/watch/sm12926060 村上隆の芸術闘争論#2 日本の美術教育はどう特殊なのか(vs森川嘉一郎)] 投稿日時 2010/12/03 17:11、2021年9月8日に確認</ref>)。
 
まあ、アーツ・アンド・クラフツ運動を知らなくても、ダヴィンチの解剖図あたりからでも想像できるのかもしれないが。
 
別に日本流の印象派中心の教育を否定する必要はありませんが、自分たちが受けた教育がどういうものであるのかを知るのは、美術の学習において必要なことです。
 
なお、明治時代の日本における、小中高あありの美術教育の方針は、実は、工場労働者などの職人を育てるための目的であり、
手先の器用さを育成するための目的です。
 
なお、明治時代の日本における小中高あたりの美術教育の方針は、実は、工場労働者などの職人を育てるための目的であり、手先の器用さを育成するための目的です。出典は忘れましたが、たしか、科学史家の村上陽一郎(むらかみ よういちろう)だったか、あるいは教育学者の天野(あまの いくお)の著作で、そういう事が書いてあります。
明治初期、国家の中央政府での教育内容を考える会議の際、いろんな省庁の幹部に聞いたところ、当時の軍部がそういう美術をもちいた器用さ育成の教育方針に賛成だったとの事です。
 
明治初期、国家の中央政府での教育内容を考える会議の際、いろんな省庁の幹部に聞いたところ、当時の軍部がそういう美術をもちいた器用さ育成の教育方針に賛成だったとの事です。
 
== 出典など ==
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