「中学校社会 歴史/世界恐慌と各国の対応」の版間の差分

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二二六事件について記述。
画像を追加。五族協和ポスターとか、二二六事件の投降広告とか
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=== 満州事変 ===
[[File:Manchukuo map 1939.svg|thumb|600px|満州国の位置。Manchukuoが満州国。1939年ごろ。]]
[[File:満州国建国ポスター.jpg|thumb|満州国の建国時のポスター。 「五族協和」をうたっており、そのため、右から順に日本・モンゴル族・満州族・朝鮮族・漢民族が書かれている。]]
中国大陸の東北部にある満州で、日本軍により1931年に'''満州国'''(まんしゅうこく)が建国されます。
 
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[[ファイル:Kanji Ishiwara2.JPG|thumb|200px|left|石原莞爾(いしはら かんじ)]]
[[File:Puyi-Manchukuo.jpg|thumb|right|200px|溥儀(ふぎ、プーイー)]]
 
陸軍課長であった石原莞爾(いしはら かんじ)は、満州を占領する口実をもうけようとして、満州の日本軍は自作自演(じさくじえん)の事件を起こさせた。
 
どういう事件かというと、柳条湖(りょうじょうこ、リウティアオフー)ちかくの南満州鉄道(みなみ まんしゅう てつどう)の線路を爆破した事件である。この自作自演の事件を '''柳条湖事件'''(りょうじょうこ じけん) と言う。
 
日本軍である関東軍は、この柳条湖事件を中国側のしわざだと断定し、奉天などの都市を占領し支配下においた。
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しかし、日本の世論および政府の斉藤首相および内田(うちだ)外務大臣などは、リットン報告書(リットンほうこくしょ、英:Lytton Report)の日本に有利である意図を理解せず、報告書が満州国の建国をみとめるべきでないと主張してることからリットン報告を日本に不利な内容とおもい、報告書の提案に反発した。
 
[[File:国際連盟からの脱退.jpg|thumb|1933年の、日本の国際連盟からの脱退を報じる新聞記事。(1933年2月25日)]]
 
日本から国際連盟におくられた全権の松岡洋介(まつおか ようすけ)は脱退に反対し、収集のための連盟での演説に努力をした。
 
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さて、建国後の満州国は、日本からの投資もあり好景気になって経済や工業が発展していき、工業国になっていき、満州では自動車なども生産できるようになった。
 
日本政府は満州を「王道楽土」(おうどう らくど)「五族協和」(ごぞく きょうわ)などと宣伝した。また、満州を開拓するための満蒙開拓団などを募集したので日本から多くの移住者が満州に移り住んだ。そのほか、朝鮮や中国など周辺の地域からも多くの者が満州に移住した。
 
 
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=== 二・二六事件 ===
[[ファイル:Troops_occupying_Nagata-cho_2.jpg|right|thumb|250px|二・二六事件]]
[[File:兵に告ぐ.jpg|thumb|昭和の二・二六事件のときの、反乱軍に投降を呼びかける政府広告。]]
犬養の後継の首相は、軍隊出身の元・海軍大臣で穏健派の斉藤実(さいとう まこと)首相になったが、それでも軍隊の暴走は収まらなかった。斎藤実の政府は満州国を承認したが、それでも軍隊内の強硬派は議会への不満が収まらなかった。