「中学校国語 古文/平家物語」の版間の差分

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祇園精舎~~の節のあとの、「遠く異朝(いてう、イチョウ)をとぶらへば、」の節を追加。
与一の節の口語訳を記述中
61 行
「助けまゐ(イ)らせんとは存じ候へども、味方(みかた)の軍兵(ぐんぴょう)、雲霞(うんか)のごとく候ふ。よものがれさせ給はじ。人手にかけまゐ(イ)らせんより、同じくは、直実が手にかけまゐ(イ)らせて、後の御孝養(おんけんやう)をこそ仕り(つかまつり)候はめ。」
と申ければ、
「ただとくとく首をとれ。」
とぞのたまひける。
 
86 行
 
 
:若武者を討ち、しばらくしてから、熊谷は若武者の腰の袋の中から、一本の笛を見つける。戦場にあっても笛を手放さない優雅さに、源氏の武士たちも心を打たれる。
:のちに、この若武者の正体は、平敦盛(たいらのあつもり)、大夫敦盛(たいふあつもり)であることが分かり、年は17歳であることが分かる。
 
:このようなことから、熊谷は、出家を願う思いが強くなっていった。
のちに、この若武者の正体は、平敦盛(たいらのあつもり)、大夫敦盛(たいふあつもり)であることが分かり、年は17歳であることが分かる。
 
このようなことから、熊谷は、出家を願う思いが強くなっていった。
 
:(※ 教科書では、敦盛の件については、ここまで。このあと、以下のような内容に続く。)
128 ⟶ 126行目:
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頃(ころは二月(にんぐわつ)十八日の酉(とり)の刻ばかりのことなるに、をりふし北風(ほくふう)激しくて、磯(いそ)打つ波も高かりけり。
 
舟は、揺り上げ揺りすゑ(え)漂へば、扇もくしに定まらずひらめいたり。
 
沖には平家、舟を一面に並べて見物す。
140 ⟶ 138行目:
与一目をふさいで、
 
「南無八幡大菩薩(なむはちまんだいぼさつ)、我が国の神明(しんめい)、日光(につくわう、ニッコウ)の権現(ごんげん)、宇都宮(うつのみや)、那須(なす)の湯泉大明神(ゆぜんだいみやう(ミョウ)じん)、願はくは、あの扇の真ん中射させてたばせたまへ。これを射損ずるものならば、弓切り折り白害して、人に二度(ふたたび)面(おもて)を向かふべからず。いま一度(いちど)本国へ迎へん(ムカエン)とおぼしめさば、この矢はづさせ(ハズサセ)たまふな。」
 
と心のうちに祈念(きねん)して、目を見開いたれば、風も少し吹き弱り、扇も射よげにぞなつたりける。
 
 
与一、鏑(かぶらを取つてつがひ、よつぴいて(ヨッピイテ)ひやう(ヒョウ)ど放つ。
 
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小兵(こひやう)といふぢやう、十二束(そく)三伏(みつぶせ)、弓は強し、浦響くほど長鳴りして、あやまたず扇の要(かなめ)ぎは一寸ばかりおいて、ひいふつとぞ射切つたる。
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::現代語訳(げんだいご やく)
時は二月十八日の鳥の刻(=午後六時)ごろのことであったが、折から北風が激しく(吹い)て、磯に打ち付ける波も高かった。舟は(並みのため)上へ下へと揺れて漂うので、扇も竿の先に静止しておらず、ひらひらとしている。沖では平家が、舟を一面にならべて見物している。(いっぽう、)陸では源氏が、馬のくつわを並べて、これを見守る。
 
どちらも、どちらも、晴れがましい情景である。与一は目をふさいで、
かぶらは海へ入りければ、扇は空へぞ上がりける。
 
「南無八幡大菩薩(なむはちまん だいぼさつ)、わが故郷の神々の、日光の権現(ごんげん)、宇都宮大明神と、那須の湯泉(ゆぜん)大明神よ、願わくは、あの扇の真ん中を射させてください。(もし、)これを射損じるものならば、弓を切りおって(私・与一が)自害(自害=自殺・切腹など)し、人に(他人に)二度と顔を合わせるつもりはありません。いま一度、(私を)故郷に迎えてやろうとお思いになるなら、この矢を外させないでください。」
しばしは虚空(こくう)にひらめきけるが、春風に一(ひと)もみ二(ふた)もみもまれて、海へさつとぞ散つたりける。
 
と(与一が)心のうちに祈り(いのり)念じて、(与一が)目を見開いたところ、風も少し弱まり、扇も(静かになり)射やすくなった。
夕日(せきじつ)のかかやいたるに、みな紅(ぐれなゐ)の扇の日出(い)だしたるが、白波の上に漂ひ、浮きぬ沈みぬ揺られければ、沖には平家、ふなばたをたたいて感じたり、陸には源氏、えびらをたたいてどよめきけり。
 
与一は鏑矢(かぶらや)を取ってつがえ、十分に引きしぼって(「よっぴいて」=「よく引いて」の音便)、ひょうと(矢を)放った。
 
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あまりのおもしろさに、感に堪へざるにやとおぼしくて、舟のうちより、年五十ばかりなる男(をのこ)の、黒革をどしの鎧(よろひ)着て、白柄(しらえ)の長刀(なぎなた)持つたるが、扇立てたりける所に立つて舞ひしめたり。
 
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小兵(こひやう、コヒョウ)といふぢやう(イウジョウ)、十二束(そく)三伏(みつぶせ)、弓は強し、浦(うら)響くほど長鳴りして、あやまたず扇の要(かなめ)際(ギワ、ぎは一寸ばかりおいて、ひいふつ(ヒイフッ)とぞ射切つ(キッ)たる。
 
鏑(かぶらは海へ入りければ、扇は空へぞ上がりける。
 
しばしは虚空(こくう)にひらめきけるが、春風に一(ひと)もみ二(ふた)もみもまれて、海へさつ(サッ)とぞ散つたり(チッタリ)ける。
 
夕日(せきじつ)のかかやいたるに、みな紅(ぐれなゐ、クレナイ)の扇の日出(い)だしたるが、白波の上に漂ひ(タダヨイ)、浮きぬ沈みぬ揺られければ、沖には平家、ふなばたをたたいて感じたり、陸には源氏、えびらをたたいてどよめきけり。
 
 
あまりのおもしろさに、感に堪へざるにやとおぼしくて、舟のうちより、年五十ばかりなる男(をのこ)の、黒革をどしの鎧(よろひ)着て、白柄(しらえ)の長刀(なぎなた)持つたる(モッタル)が、扇立てたりける所に立つて舞ひしめたり。
 
伊勢三郎義盛(いせのさぶらうよしもり)、与一が後ろへ歩ませ寄って、
162 ⟶ 177行目:
「御定(ごぢやう)ぞ、つかまつれ。」
 
と言ひければ、今度は中差(なかざし)取つて(トッテ)うちくはせ、よつぴいて、しや(シャ)頸(くび)の骨をひやうふつ(ヒョウフッ)と射て、舟底へ逆さまに射倒す。
 
平家の方(かた)には音もせず、源氏の方にはまたえびらをたたいてどよめきけり。
168 ⟶ 183行目:
「あ、射たり。」
 
と言ふ(イウ)人もあり、また、
 
「情けなし。」
175 ⟶ 190行目:
 
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::現代語訳(げんだいご やく)
(※ 編集中)
 
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