「高等学校古典B/大鏡」の版間の差分

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予備知識など
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『大鏡』(おおかがみ)は、平安時代後期の一〇〇〇年~一一○○年ごろに書かれ、平安時代の藤原道長など、摂関家(せっかんけ)として'''藤原'''(ふじわら)氏の一族が権勢を持っていた時代についての歴史物語。
作者は未詳。
作品の内容が、藤原一族の権力抗争のための行動については批判的であり、また作品が宮中の内情に詳しいことから、おそらく作者の立場は、藤原氏を批判的に見る立場にあった貴族または教養人であると思われる。
 
文体は、'''和文体'''である。歴史の記述のしかたは伝記ふうであり、ある時代の天皇の伝記(これを本紀(ほんぎ)という)、または主要人物の伝記であり(これを列伝(れつでん)という)、いわゆる'''紀伝体'''(きでんたい)である。
 
『大鏡』よりも前の時期に『栄華物語』(えいがものがたり、栄花物語)が書かれた。『栄花物語』の内容は、藤原氏を、ほめたたえる内容。
 
『大鏡』、『今鏡』(いまかがみ)、『水鏡』(みずかがみ)、『増鏡』(ますかがみ)の四つの歴史物語をまとめて「四鏡」(しきょう)と言う。
「四鏡」とも歴史物語。『大鏡』は、四鏡の中で最初に書かれた。
 
「大鏡」の「鏡」とは、上質の鏡が物を映し出すように、『大鏡』で歴史の真実を映し出そうという意図のようである。
 
== 三船の才 ==
=== 一 ===
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== 花山院の出家 ==
*全体の大意および予備知識など
花山院(かさんいん)天皇は、だまされて出家してしまった。また、出家前に、花山院(かさんいん)は天皇の地位からは退位してしまった。
 
この策略を考えたのは、藤原兼家(ふじわら かねいえ)である。文中の「東三条殿」とは藤原兼家のこと。
 
花山院が退位すると、次の天皇には、兼家の孫である春宮(とうぐう)が即位する。
 
そのため、兼家の一族が、天皇の外戚(がいせき)として権力を握れる。外戚とは母方の親戚のこと。
 
天皇を退位させるため、兼家の子である藤原道兼(みちかね)にウソをつかせた。もし花山院が退位して出家したら、道兼もいっしょに出家するというウソである。
 
実際には道兼(みちかね)は出家をしなかった。花山寺(はなやまでら)で天皇が出家をした直後、道兼(みちかね)は口実をつけて寺から都に帰った。
 
=== 一 ===
*大意