「中学校社会 歴史/世界恐慌と各国の対応」の版間の差分

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ニ・ニ六事件について、二・二六事件 2007年8月4日 (土) 03:44 を引用。
五・一五事件について 五・一五事件 2007年8月4日 (土) 03:43 から引用。
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1929年にアメリカでは株価が大暴落しこれが世界に飛び火した(世界恐慌)。各国は不況を乗り切ろうとし、アメリカは'''フランクリン・ルーズベルト'''大統領のもとで'''ニューディール'''(新規巻きなおし)政策を取り公共事業を活性化させるもあまり上手くはいかず不況は尾を引いていた。英仏はその膨大な植民地に物を言わせてブロック経済政策をとり第三国との貿易を制限した。ソ連は5カ年計画を行い計画経済を成立させ一見恐慌の影響を受けていないような状態だったがウクライナなどでは多数の餓死者を出すなどの惨事もあった。
 
この世界恐慌の影響を最も受けていたドイツでは、社会不安から'''ヒトラー'''率いる国家社会主義ドイツ労働者党('''ナチス''')が台頭し、1933年に政権を獲得した。ナチ政権はアウトバーンの建設などでドイツ経済を復活させたが国民の不満のはけ口を人種差別に求めユダヤ人などの「劣等民族」とされた人種は迫害を受けたり虐殺されたりした。このヒトラー率いるナチ政権のドイツを、現在ではナチス・ドイツという。イタリア王国も、ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世の子分であるベニート・'''ムッソリーニ'''率いるファシスト党がローマに進軍し独裁体制を固めた。大日本帝国も、昭和天皇の政権掌握と共に治安維持法の時代に突入し、民主主義思想・共和制思想・反戦思想は特高警察によって烈しく弾圧された。これらのような独裁政治や全体主義を「'''ファシズム'''」という。
 
当時の軍部は社会不安から国民にも支持される形で1931年に'''満州事変'''(まんしゅうじへん)<ref>当時、満州では排日運動が激しく権益防衛のため軍部が独断で引き起こした</ref>を誘発し満州国を建国。この国は事実上日本の傀儡政権であったが日本影響下では経済発展を遂げ日本の恐慌脱出にも貢献した。
 
1932年の5月に海軍青年将校らが、犬養毅らを襲撃するクーデター未遂事件が発生した。( '''五・一五事件'''(ごいちご じけん) )。1936年の2月にも陸軍青年将校らが、首相・大臣を襲撃する事件が起こり( '''ニ・二六事件'''(にいにいろくじけん) )徐々に軍部の内政干渉が起こり始めていた。しかし相次ぐ政党政治への不信感から国民は軍部を支持していた。
 
:※ 五・一五事件
::1932年5月15日当時の首相 犬養毅を海軍の青年将校らが暗殺した事件。これにより政党内閣が終わった。
 
:※ ニ・二六事件
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===終戦から国際社会への復帰まで===
====戦後の改革====
敗戦後、日本を占領した連合国軍(具体的には[[w:連合国軍最高司令官総司令部|連合国軍最高司令官総司令部]])の主導の下、様々な改革が行われた。
 
==出来事==
年表中の単語のリンク先はウィキペディア。
===大日本帝国年間===
:(※ リンク先はウィキペディア。時間が無いときは、見に行かなくて良い。)
* [[w:1926年|1926年]](昭和元) - 大正天皇死去、摂政宮裕仁親王即位
* [[w:1929年|1929年]](昭和4) - [[w:世界恐慌|世界恐慌]]がおこる。
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===日本国年間===
:(※ リンク先はウィキペディア。時間が無いときは、見に行かなくて良い。)
* [[w:1945年|1945年]](昭和20) - [[w:GHQ|GHQ]]占領軍統治はじまる
* [[w:1946年|1946年]](昭和21) - 男女[[w:普通選挙|普通選挙]]となって初の国政選挙である衆議院議員総選挙。