「高等学校世界史探究/南アジアの古代文明」の版間の差分

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ナーガールジュナ
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古代のインドの農業では、インダス川の流域では、乾燥した気候であり、小麦が主要な農産物であった。
いっぽう、ガンジス川の流域では、湿潤な気候であり、稲やヒエ・アワが主要な農産物であった。
 
古代インドの民族も、北インドを中心とした'''アーリア系'''と、南インドを中心とした'''ドラヴィダ系'''とに分かれる。
 
== インダス文明 ==
インドでは、青銅器をつくれる'''インダス文明'''が、紀元前2500〜紀元前2300年ごろに起きた。民族については、ドラヴィダ人がインダス文明を作ったと考えられてるが、まだ学術的には不明である
[[File:Mohenjodaro Sindh.jpeg|thumb|280px|'''モエンジョ=ダーロ'''の遺跡(いせき)。 世界遺産になっている。]]
 
遺跡では、下水道や浴場などの公共施設もそなえ、レンガ造りの建物のある、'''モエンジョ=ダーロ'''という都市を作っている。遺跡には、モエンジョ=ダーロのほかにも、ハラッパーなどの遺跡がある。
遺跡には、穀物倉庫や沐浴場(もくよくじょう)などがあった。
 
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前600年ごろから、王族や商工業者が力を持ち、バラモンによる支配に不満をもった。
このような時代のなか、バラモンの身分的な支配を否定する、'''ジャイナ教'''や'''仏教'''などの宗教が現れた。
ジャイナ教の開祖である'''ヴァルダマーナ'''は、禁欲的な苦行や不殺生などによって、解脱できると説いた。仏教の始祖'''ガウダマ=シッダールタ'''(Gautama Siddhartha、のちに'''ブッダ'''、buddha)は、解脱に必要なのは苦行かどうかではなく、正しい方法で修行すること('''八正道'''、「はっしょうどう」)によって、解脱できると説いた。
 
「八正道」とは、八つの正しい修行法なので、「八正道」という。
 
:(※ 高校「倫理」科目で、「八正道」などの仏教の内容を教わる可能性がある。このため、高校「世界史」の大学入試でも、「八正道」などの用語知識が問われる可能性がある。)
 
[[File:Maurya Dynasty in 265 BCE.jpg|thumb|マウリヤ朝の領域。265年、アショーカ王の頃の版図。]]
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マウリヤ朝3代目の'''アショーカ王'''のときに、インドをほぼ統一した(ただしインド南端部を除く)。これがインド史上、初めてのインド統一である。
 
アショーカ王は、武断政治を改めたのだろうか、(あるいは反乱を防ぎたいのだろうか、軍隊による暴力を独占したいのか、)仏教に帰依し、仏教を厚遇した。そしてアショーカ王は'''仏典の結集'''(けつじゅう、編纂のこと)を支援して、社会倫理を法勅(ほうちょく)とした'''ダルマ'''(真理、法)を発し、ダルマを刻んだ石柱などを各地に作らせた。またアショーカ王は、病院や道路や貯水池などを作らせた。
 
アショーカ王の死後、マウリヤ朝は衰退し、帝国は分裂した。
 
仏教は'''セイロン島'''(スリランカ)にも前3世紀に伝わり、のちにセイロン島は'''上座部仏教'''(じょうざぶ ぶっきょう)の中心地になった。
 
== クシャーナ朝と大乗仏教 ==
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クシャーナ朝のカニシカ王は、大乗仏教を保護した。
 
インドでは、はじめ、ブッダを像にすることは恐れ多いと考えられていたが、しかしヘレニズム文化のギリシア彫刻などの影響を受けて、インドで仏像が作られるようになった。仏像が作られる前の時代には、菩提樹(ぼだいじゅ)などを、仏像のかわりに、拝めていた。
 
仏像などの美術が、ガンダーラを中心に広がったので、この時代のインド美術を'''ガンダーラ美術'''という。
 
大乗仏教の体系化については、2世紀〜3世紀に'''ナーガールジュナ'''(龍樹、りゅうじゅ)によって大乗仏教が体系化された。
 
南インドでは、サータヴァーハナ朝が成立した。この王朝は、北インドから、多くのバラモンをまねいて、北インドの文化も取り入れた。