「高等学校世界史B/契丹と宋と周辺地域」の版間の差分

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和平派の'''秦檜'''(しんかい)と主戦派の'''岳飛'''(がくひ)らが対立した
新たに手形(てがた)として交子(こうし)や会子(かいし)が
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以降、約100年ほど、南宋に比較的平和な時代が訪れる。
そして約100年後の1279年、モンゴル帝国の元(げん)軍によって南宋は滅ぼされる。
 
== 南宋の経済 ==
経済の中心は江南に移り、江南の開発が進んだ。
南宋宋はおおいに経済発展した。
 
水はけの悪い低湿地を干拓するために堤防で囲んでつくられた田を'''囲田'''(いでん)という。囲田が多くつくられた。
このようにして田の面積が増大し、「蘇湖(そこ)熟すれば(じゅくすれば)、天下(てんか)足る(たる)。」といわれた。
 
 
この時代、商取引が増大し、今までの銅銭のほか、新たに手形(てがた)として'''交子'''(こうし)や'''会子'''(かいし)が用いられるようになった。そして、手形が紙幣として使われるようになった。
また、高額な取引などでは、金や銀が地金のまま、用いられた。
 
同業組合が、都市では、つくられるようになった。商人の同業組合である'''行'''(こう)、手工業者の組合である'''作'''(さく)などがつくられた。
 
城外にも商業地が多くつくられるようになり、また交通の要所なども商業地として発展し、これらの新しい商業地は'''草子'''(そうし)や'''鎮'''(ちん)といわれた。
 
対外貿易も活発になった。また、'''羅針盤'''(らしんばん)が実用化された。
 
'''木版印刷'''が普及した。
'''火薬'''と羅針盤が実用化され、イスラーム世界を通じて、ヨーロッパに伝わっていった。
 
茶などの嗜好品や、陶磁器などの工芸品なども、特産品として普及した。
 
茶が唐代から普及しはじめていたが、宋代になってますます茶は普及し、江南で茶が多く栽培され、茶は重要な輸出品になった。
 
== 宋の文化と芸術 ==