ここでは、経済学の基礎的事項について確認しながら、世界経済における経済の動向に配慮した経済学的解説に努めることにする。高等学校政治経済のテキストも参照せよ。

経済変容と現代社会編集

現代社会の変容は、工業化・IT化に続く。

経済の変容編集

世界経済の変容編集

日本経済の変容編集

現代経済の仕組み編集

世界経済編集

経済学編集

社会保障制度編集

年金や健康保険から公衆便所まで。

  • 過労死:過労死はしたくない。しかし手を動かす奴だけが偉いなんて言ってるようじゃあ、した方がいいんじゃあない?^^;;;
  • 福祉国家:福祉は必要だよね? しかし昔の方がやはり不備は多かったか…最も今でも…
  • 社会保険年金制度:年金制度は必要だが、経済的に破綻しないように運営するのはかなり困難。

世界経済編集

日本経済の国際化による日本と海外の国々との関係とこれからの課題について学習しましょう。

  • 貿易:貿易はやはりバランスが大事か?
  • 国際収支:貿易で赤字になった国があるの?
  • 為替:1ドル=1円じゃ駄目?

世界経済の変容と発展編集

世界経済の発展編集

環境問題編集

自然環境問題を経済で解決できるでしょうか。

  • 都市と環境:ごみ問題、大気汚染、水質汚濁、渇水、オゾン層の破壊、こうした問題を私たちは解決できるのでしょうか。
  • 持続可能な発展:「宇宙船地球号」
  • 生態系と環境:生態系を守ることこそ、私たちの未来に必要です。
このページ「経済学基礎」は、まだ書きかけです。加筆・訂正など、協力いただける皆様の編集を心からお待ちしております。また、ご意見などがありましたら、お気軽にトークページへどうぞ。

未分類編集

資源の希少性編集

原則としては、資源とは有限のものでしょう。むしろ無限と考える方が不自然だし、実際にはだれも考えていない。

しかし例えば再生可能エネルギー、太陽光なんかはほぼ無限と見なしていますよね。しかしシビアに考察すると、やはりそれも有限。

例えば水なんかはどうでしょうか。これは地球上を循環しているもので、現実的には無限とみていますが、やはり手に入りにくい地域はありますし、シビアに考えると有限ですよね。

クルーグマンやスティグリッツやマンキューなど、多くの経済学者も、彼らの教科書で、資源の希少性が経済学の前提であると説明している。(なお、日本の高校の「公共」教科書でも、たとえば帝国書院(教科書会社のひとつ)の検定教科書で、「資源の希少性」を紹介している。)

なお、経済学・商学などで「希少性」は英語で scarcity である[1]

また、人々が望んだからと言って、それを生産できるとは、かぎらないと、マンキューは説明している。

たとえば医薬品として、エイズの完全治療薬を望んでも、それは現状の医学では生産不可能。

数百年前の時代を上げれば、たとえば結核や らい病 の治療薬のなかった時代もあった。この話も、誰もがあっさりと納得、あるいはいまさら言うなという感じでしょう。

また、資源を超えた量の生産も不可能。

この「資源の希少性」は、よく経済学の教科書で、「経済学の原理」のひとつとして挙げられている。

法則? 原理?編集

需要と供給の法則、なんて経済学では出てくるでしょうが、そもそも「法則」law とは、なんでしょうかね?

例えば、「現在でも、よくある傾向」、だという指摘もある。ある程度の多くの国で、ある程度の長期や複数回にわたって、よく発生する現象で、今でもよくある現象の事、要するに緩やかな決まりで、法則に当てはまらない例外もある。

たとえば、「需要と供給の法則」の例外のひとつとして「メニューコスト」という概念もあり、生産者側の価格改定には費用が掛かるので価格改定が後回しにされやすい、と。

つまり、どちらかというと法則どおりの現象のほうが遭遇しやすいだろうという、多数の経済学者の信念がある。

その国の言語の違いという問題もある。英語の law 、法律も法則も英語では law です。

例えば物理学では「法則」はかなり厳密な決まりで、基本的に例外は許さない。

しかし本当に例外はないのかという疑問は持てる。何らかの超自然的な理由で、時々は物理法則をキャンセルできるかもしれない。

自然科学の実験をしている時、気にして観察している時だけその法則が満たされるとか…

例えば量子力学には観測問題とか、不確定性原理、そして物理現象の確率的解釈というのもある。

勿論現代の物理学は、観測者自身を系に組み込んだり、確率の数学的記述を厳密化したりと、厳密な法則記述のための工夫がさまざまなされている。

例えば原理 principle なんて言葉があったり、数学では定理、公理、公準なんて言葉も使う。

経済学でいう「原理」principle とは何ですかね?

文脈や論者にもよりますが、「原理」とは普通の場合、いくつもある「法則」のうち、なかでも基本となる少数の法則のことです。

数学で言えば公理や公準に近いものですかね。

「資源の希少性」の原理と、「需要と供給の法則」なんて言いますが、むしろ「資源の希少性」は法則というよりは、前提事実と言ったところでしょうか。

「原理」と「原則」はともに英語では principle、根源的な法則、事実を示すものでしょう。

法則の厳密性は当然、学問分野で変わってきます。そしてそれはそれぞれの学問者の、感覚や経験などで、誰もが知って身に着けている事でしょう。

合成の誤謬編集

合成の誤謬とは、個人や個々の企業にとっては合理的な行為でも、社会全体としては、不合理で意図しない結果に至ることですね。

例えば企業が経営の健全化を目指して、人件費を削減する。すると個人の収入は減るから、個人消費は減る。景気は低迷し、企業の売り上げも減る。

家庭の節約はどうでしょうか。

個人消費は減るし、節約対象の商品は売れなくなる。景気は悪くなるし、消費されないから生産もしない。

個人スケールで見た場合の合理的な行動と、国家規模の全体的な規模で考えた場合の合理的な行動は異なる。

しかし国家規模の合理的な行動とは何でしょうか?

先ず、国家という集団の化け物の実在性を認めるか?

それとも国家とは何らかの方便なのだろうか?

おそらく国家規模の合理的な行動とは、その構成員である国民の幸せに結びつくものでしょう。

限界消費性向を低下させる(つまり限界貯蓄性向を高める)ことは、GDPの低下をまねく可能性がある[2]。つまり国家全体の生産が低くなるわけですが、生産とは仕事をすることそのものでしょう。仕事をすればするほど幸せという訳ではない。

GDPはとりあえず上昇させたいという固定観念はあるが、これ自体どこまで妥当か。

国際競争を考えると、国家の経済力は必要だが、GDPを上げることを盲目的に目指す以外に、国家の安寧を満たす方法はないのか。

誰かの支出は誰かの収入編集

誰かが貨幣を支払ったら、それは他の誰かの収入になっているでしょう。

それは一国の通貨だけではなく、各国、世界全体でその関係が成り立つ。

我々がアメリカ人から貿易として何かを買いたい場合、先ず、円で払うか、ドルで払うかが問題になりますよね。相手が円の受け取りを拒否するなら、自分が外貨を持っていないなら、両替商に円をドルに換えてもらうことになる。

そうすると自分が払った円は両替商の収入になる。そして我々はアメリカ人から商品を受け取る。アメリカ人はドルで収入を得るが、それは両替商が支払ったお金。両替商は商売として貨幣の交換をしているわけだから、払ったドルより受け取った円の方が価値が高いものになっているでしょう。

複数、多数の主体があって、それぞれが一定の数値を持っている。そしてその数値をお互いにやり取りできるなら、その数値の総体、総数は保存されるでしょう。一番の典型例は、物理学のエネルギー保存則。

しかし現実には貨幣の総量が一定である保証はない。

変わり者がお札を燃やしたら、総量は減りますよね。一方政府がお札を印刷して、その分を回収することなく放逸に使ったら、その国の貨幣の総量は増えていく。

会計学から考えてみる編集

経理の初歩編集

幾つか、費用に関する用語を説明します。

  • 人件費

会社、法人が雇用者、労働者に支払う給料は、人件費ですね。従業員のために支払われる費用です。

  • 固定費

固定費というのは、企業の生産量や売り上げの増減とは関係なく発生する、一定の費用の事です。地代、減価償却費、固定資産税、などですね。債券の利子も会計分野では固定費に含めるという。

  • 変動費

反対語は変動費ですね。変動費用。生産量や売り上げによって増減する費用。原材料費、外注費、運賃、など。

人件費は固定費か変動費か? 会計に詳しいらしい前編集者も言及を避けているので、たいして詳しくない現編集者ももちろん知りません。

  • 減価償却費

事業用の建物、機械設備、備品などの取得費用ですが、会計上は普通耐用年数によって、徐々に費用として計上します。つまり購入したときにお金は払ったとしても、会計上毎年その費用を分けて少しづつ計上する。

逆に少しずつお金を計上して費用にした結果、耐用年数が来ますので、費用が完全に計上された時点でその設備の価値は0円になると見ていい。つまり備品の資産価値が減っていく、その部分の支払いをしたと会計上見なすわけです。

減価償却の基準は(つまり購入費を毎年どう計上するか)省令や法律や業界の制度などによって、あらかじめ決まっているので、経理の際には、その制度に従って経理処理する。

国民経済計算編集

国民経済計算の指標として知られるGDP(国内総生産)やGNP(国民総生産)から、その国の資産の減価償却の金額を差し引いた金額のことをネットDPまたはネットNPといい、それぞれNDP(国内純生産)またはNNP(国民純生産)と略記します。

つまり、

NDP = GDP - 減価償却費
NNP = GNP - 減価償却費

です。

Net domestic product. 正味の、純粋な国内の生産。net はフランス語由来の形容詞で cleanを意味し、「網」を意味する同じ綴りで古英語由来の net とは別系統の英語のようです。

国内総生産は、国内の事業者の売り上げから、原材料費(中間財・サービス)の支出を引いた物を積算したもので、国の生産、事業や労働で生み出した付加価値を示していると考えています。

一方減価償却費は、その間に建物、車両、産業機械が劣化し、それを現状に戻すための価格を示していて、生産分からその分消費、減耗しているともみなせるので、NDP は国内の生産の状態を知るための別の指標として提示されています。

GDP やGNP の頭文字G はグロスの略で、Gross は、会計でいう粗利(あらり)を示す形容詞です。会計学でいう「粗利」とは、売上高から売上原価(その商品をつくるために掛かった費用)を差し引いたものです。

人件費は引かず、支払う税金も引かず、原価(原材料)だけ売上高から引き算する。それが粗利(あらり)です。

粗利を英語で gross profit と言います。 profit とは「利益」「利潤」という意味です。

つまり仕事をして生産した分だけ利益になると見ていいと思います。

GDPの算出式は、

GDP = 家計による支出+企業による支出+政府支出+(輸出-輸入)
GDP = C + I + G + (X − M)

w:en:Gross domestic productw:国内総生産、などを参照してみてください。

C とG とI は最終財・サービスに対して行われた支出を数えます。事業者が行った生産の積算は、最終的には最終財・サービスに対する支出になります。

家計はほぼすべて、最終財・サービスに対して支出しているでしょう。

企業は、中間財・サービスに支出してそれをもとに生産し、一方で最終財・サービスを購入することもあるでしょう。

中間財にしろ最終財にしろ、輸出したものは国内の支出には含まれませんね。

C + I + G + X に含まれる中間財、最終財(最終財はそれまでの中間財の生産価値を含んでいる)のうち、輸入したものは国内の生産には含まないでしょう。

GDPの計算基準は国際連合が決めたものがあり、定期的に改訂される。w:2008SNA等の記事も参照してみて下さい。

C + I + G + X と M が同額なら、事実上 GDPはゼロだが、この場合は輸入したものをすべて消費し、さらに輸入したものをそのまま輸出していることになるから、矛盾ではない。

なんらかの生産行為が行われているなら、事実上GDP がゼロになる事は無いだろう。

しかし、経済分析として、前編集者の指摘が完全に無意味だという訳ではない。

分析の精密さのためには貸借対照表のように複式簿記的に扱うべきであるという意見はある。

家計による国内消費額の総計、企業支出の総計、政府支出額の総計、輸出額の総計、輸入額の総計、といった金額をそれぞれ個別に計測して、それらの金額を比較することにより、複式簿記的に分析することにも意義はあるだろう。

前編集者の指摘として、経済分析において、

産業関連表、
資金循環表、
国民貸借対照表、
国際収支表、

などの統計表を、経済系の省庁は作成する事が望ましい、という(※ 参考サイト 国民経済計算の見方、使い方 財団法人 日本経済教育センター)。

GPD と産業関連表を関連付ける、複式簿記にたとえて議論する、などの発想は、各種書籍にも記述されているという[3]

確定申告、減価償却、国民純生産編集

国民純生産を計算するためには企業の減価償却の金額の情報が必要でしょう。この金額において、経済全体で固定資本の減耗分は測定しづらい、正しく推定できないという主張もあります。

企業も確定申告するので、自社の減価償却費もその時点で税務署に申告します。

減価償却費に応じた税金の控除もあります。建物、車両、産業機械は必要経費ですからね。

減価償却の計算のルールは、日本の国税庁などの省令や、または経理業界などの制度によって、厳密に定められています。

税に関する申請は虚偽があると罰せられるので、その意味では、企業の減価償却費のデータはおおむね正確だろうと考えられます。

なお、個人でも企業でも確定申告は2種類ある。

比較的に簡単に計算できるが(税の)控除の特典の少ない「白色申告」
事前の申し出が必要でさらに計算方法も厳密で難しいが控除の特典が多く、多くの場合納税額が少なくなる「青色申告」

多くの企業が基本青色申告を利用している。

フローとストック編集

フロー(英: Flow)とは、一定期間内に流れた量をいい、ストック(英: Stock)とは、ある一時点において貯蔵されている量をいう。以上Wikipediaから引用。

ある関数がある時、その微分がフロー、その関数を積分して元に戻すとストック、と、いう事も言えるかもしれません。ただし積分は積分定数を持つので、フローからだけではストックを作れません。

この節では前編集者が試みた経済学を会計学と関わらせて語るという試みを、現編集者が多少修正して記述している。

簿記(ぼき、英語: bookkeeping)とは、企業などの経済主体が経済取引によりもたらされる資産・負債・純資産の増減を管理し、併せて一定期間内の収益及び費用を記録することである。再びWikipediaから引用。

普通高校では簿記の学習はない。主に資格取得としての学習だというイメージはある。

お金に関するフローとストック、具体例編集

例えば…

Aさん:貯金が10億円あって1億円の家に住んでいるが、就職していなくて給料の収入が0円。

Bさん:貯金は1000万円で3000万円の親元の実家に住んでいる、会社勤めしていて年収が500万円。

話を簡単にするため、AさんもBさんも株投資や不動産投資はしていないとする。

経済学や経営学では、貯金や、保有する不動産や保有株式そのものの相場での購入費用などの金銭的価値などを合わせてストックとする。

いっぽう、収入や、株の配当益、不動産などを他人に貸したときの賃貸収入などの運用益はフローですね。

つまりAさんはストックが11億円で、フローは日々の支出という事になります。

Bさんは、まあ、ストックは4000万程度、日々の収入や支出がフローになる。

AさんBさんの生活、どちらがうらやましいか、意義がある生活か、豊かか、などの議論は無意味でしょう。人生いろいろ、お金も色々経済もいろいろ。

会計との関係編集

複式簿記などの会計の勉強をするときは、簿記では「フロー」と「ストック」という用語こそ使ってないものの、フローとストックを区別することになります。

GDP や GNP はフローについて語っていると見ていいですよね。

経済計算ではフローに関する話題の方が多いでしょうか。

例えば国家全体に関するストックを見るには、まず国家貨幣がどのくらい流通しているか、そしてその他に金銭的価値を持つものとして、土地、建物、証券、各種動産不動産、機械類や芸術品、貴金属・宝石など、価値のあるものはすべて資産としてのストックになるでしょう。

過去のある年度から現在までの各年ごとのGDPの累積額をストックとする計算法もあります。

しかしGDPとは生産その物で、生産物には資産として残るものもあるが、一方でその場で消費されるもの、無形の行為も生産の一つではある。

固定資産、建物や機械設備などの減価償却によって、ストックの資産価値は下がっていくと見れるから、ネット計算で、つまり国民純生産(NNP)の累積額で計算する方式をとる方が良いかもしれない。

経済学的な諸概念編集

機会費用編集

たとえば、大学に留年を1回したとしましょう。

で、大学の学費が年間で100万円だとしましゅう。


そうすると、あなた(およびアナタの家は)100万円の損をしたように感じるでしょうか?


実は、それ以上の損をしているかもしれません。それがこれから話す「機会費用」(opportunity cost[4])です。


あなたが留年して卒業が1年遅れたとすると、定年までに(パート労働ではなく)フルタイムで働ける年数も(少なくとも)1年減ります。


すると、そのぶんの賃金を手にする機会も減ったことになります。


たとえば、一般の会社に就職して、フルタイムで1年間働けば、どんなに低賃金の会社でも、普通は年間200万円くらいの給料はもらえます。


すると、損した金額は、大学の学費100万円だけでなく、さらに+200万年の計算をする必要があるかもしれません。

つまり、合計300万円、損したことになるかもしれません。


こういった考え方が、機会費用です。


さて、合計額の300万円のほうが機会費用の金額なのか、それとも200万円のほうが機会費用の金額なのか、そういうことはあまり本質的でないので、説明を省略します。

パレート効率編集

しばしば「経済効率」という用語がニュースや経済評論などであるが、しかし現代の主流の経済学では、じつは経済「効率」は、特殊な事例をのぞいて数値化できていない。

そして、さらに経済学でいう、厳密に定義できる「効率」とは、じつは一般の国語や英語でいう効率とは、意味が異なる。

※ なのでエコノミストのいう「経済効率」などの表現は、けっして鵜呑みにせず、注意深く吟味しよう。ある評論家が「経済効率」といっても、その意味はもしかしたら 1人当たりGDP のこととか、あるいは労働時間あたりの1人あたりGDPなどの労働生産性なのかもしれない。

経済学でいう「効率」とは、しばしば、「パレート効率」 (Pareto efficient)という概念のことである場合が多々ある。(昔は「パレート最適」と訳されていたが、最近は「パレート効率」や「パレート効率的」などとも訳されるようになった。)

パレート効率とは、たとえば、100人の民間人がいて、もし政治家などが経済政策で環境を変えたとき、その民間人100人の誰か一人以上に不利益・不満などを与えてしまう状況のとき、経済政策を変える前のもとの状態は「パレート効率的」である、とされる。

つまり、もし経済政策など環境条件を変えてしまうと、その社会(ある国など)での経済活動の参加者に、なんらかの不利益を与えてしまうとき、もとの環境は「パレート効率的」であるとされる。


ここで注意すべきことは、かならずしも、「パレート効率的」な状態が最高の状態とは限らないことである。


たとえば、(wikibooks独自の例だが)もし無人島に2人の人のXさんとYさんが流れ着いて、1人ぶんの食料を毎日生産できる農地だけがあったとしよう。救援の船は、こないとする。

このうち、Xさんの人が農地を耕して自分(Xさん)のための食料を生産する状態を仮に状態Aとすれば、この場合は残り1人のYさんは死んでしまう。


だが、状態Aをやめて、もしYさんに農地を与えてYさんの生き延びさせたら(仮にこれを状態Bとする)、今度はXさんが死んでしまう。

なので、状態Aは、もし、そこから状態を変えるとXさんに不利益(死)を与えるのでパレート効率的である。


同様に、状態Bは、もし、そこから状態を変えるとYさんに不利益(死)を与えるのでパレート効率的である。


このように、パレート効率的な状態には、複数の異なる結果となる場合もある。かならずしも1つだけの結果とは限らない。


パレート効率的とは、単に、効率的でない状態よりかはマシ・・・な程度の意味でしかない(と経済学者スティグリッツも彼の教科書で言っている)。 スティグリッツが言うには、経済学でいう「効率」とは通常、パレート効率のことだと、『スティグリッツ入門経済学』(和訳は東洋経済から)とまで断言している。


無人島の2人の例にたとえれば、XさんもYさんも2人とも死ぬ状態(仮にCとしよう)と比べたら、状態Aや状態Bはマシなので、状態Aも状態Bもそれぞれパレート効率的である。

価格統制編集

経済政策の経験則として、(独占市場ではなく)競争市場における価格統制は、結果的に混乱をもたらすことが多いとされ、あまり好ましくないとされる。クルーグマンやスティグリッツやマンキューなど、多くの経済学者も、彼らの教科書で、それを説明している。

クルーグマンは、ベネズエラ国のチャベス政権での食料価格統制の結果として、ベネズエラ国で食糧難が実際に起きたと主張している。

なお、需要供給曲線をつかった分析でも、価格統制が本来の均衡点の場合よりも供給量を小さくするのが図示できる(どこの経済教科書にも書いてある)。

しかし、ステイグリッツに言わせれば、競争市場でのこのような価格統制の失敗例の理論は必ずしも、政府が市場に介入すべきでないという事ではなく、単に、もし介入するなら価格統制でない手段にするほうが良い、というだけのことである。(少なくともスティグリッツはそう彼の教科書で主張している。)

たとえば、何らかの業種での価格の上限規制の代わりに、買い手の側に補助金を与えるという代替案を、スティグリッツはそう主張している。

ただし、あくまでも、競争市場での場合である。クルーグマンでさえ、独占市場における価格統制は、このような不利益をもたらさないと主張している。価格統制が財の不足などの混乱をもたらしやすいのは、あくまでも競争市場で価格統制をおこなった場合である。

しかし、実際のアメリカでは、上述のような経済学説がよく知られているにもかかわらず、ニューヨークの借家業界では家賃の価格統制が行われている(とクルーグマンもマンキューも、アメリカの不動産事情を説明している)。この家賃の(上限)価格統制により、おそらく修繕などの費用が削減されて、低品質な住宅が供給されている可能性があると、クルーグマンやマンキューなどは言及している。


なお、ことわりなく価格の上限と使ったが、上述のように、行政などが、超えてならない価格を設定することを英語では price ceiling といい、和訳では「価格の上限」または「上限価格」などと和訳する。


下限価格(price floor)規制もまた、別の問題を引き起こす。よくある例は、農家などへの下限価格規制で、つまり自国の農業を助けるために消費者を払う価格を引き下げさせるわけだが、このような政策でよく起きるのは、供給過剰で、さらに、よく起きる結末として、政府による過剰供給分の買い上げだと、クルーグマン『マクロ経済学』でも(某国(おそらくヨーロッパ?)のチーズ酪農家などの例で)説明している。

また、国や時代によっては、ある農産物の過剰生産分を政府が買い上げたあと、その買い上げ分を廃棄してしまう(※wikibooks追記: 市場に出ると価格暴落を引き起こすので)こともよくあった、とクルーグマン『マクロ経済学』は主張している。


農産物に限らなければ、下限価格規制は、消費者に不要なオーバースペックなサービスや過剰品質の商品につながり、消費者の不利益につながるとクルーグマンなどは説明している。


失業編集

フィリップス曲線の破綻編集

フィリップス曲線という理論が知られており、インフレ率と失業率は、おおむね反比例するという理論である。

これは、日本の1950年代~1990年代まではよく当てはまる[5]

しかし、第二次大戦後から2000年までのアメリカ合衆国がこれに当てはまらない[6]


このようなこともあり、フリードマンなどの経済学者により、フィリップス曲線に代わる新しい失業理論が提唱された。


(入門の範囲外: )なお、インフレ率と失業率を加算した指標のことをミザリー指数(misery index)という。ミザリーとは「悲惨な」というような意味の英語である。ミザリー指数が高いと、消費者は苦しいと考えられている。第二次大戦後のアメリカ合衆国ではミザリー指数は通常は10%前後だが、1975年と1980年にミザリー指数が上昇して数か月~1年程度のあいだ20%近くになり、悪化した。


摩擦失業と構造的失業編集

よく「失業」が経済問題にされるが、転職のさいにも数週間~数か月ていどの一時的な失業の発生する場合があるから、不況対策などの問題を語るときには、このような短期間の失業は除外する必要があるだろう。

(転職などに伴うとされる)数週間~数か月ていど(高々3か月ていど)といった比較的に短期の失業のことを摩擦的失業(frictional unemployment)という。


さて、失業の発生原因とは、単純に言うと、その職につきたい希望者の人数が、現行賃金のもとで雇用者側が必要としている人数よりも多いから、発生するわけだ(細かい例外はあるだろうが、ひとまず除外する)。

で、このような場合の失業は、通常は短期ではないと考えられており、構造的失業(structual unemployment)といわれる。


構造的失業の例としてよく言われる例は、IT産業など新産業の急激に変化した時代などでは、 直前までの時代には土建業などの比較的に古い産業の希望者が多く、それら古い産業の需要が減って、

しかし、解雇された労働者には新しいIT産業などの能力がないために失業が長期化する、といった例がある(たとえばスティグリッツがそう言っている)。


  • その他の失業用語
完全雇用

アメリカでは4%または5%の失業率は、好景気の時代でもこれくらいの失業者はいると思う経済評論家が多く、この失業率(4%または5%)まで失業者が低下した状態のことを完全雇用(full employment)という。

べつに、けっして統計的に失業率が完全雇用を下回らなかったという事ではなく、完全雇用は単なる目安でしかない。

季節的失業

たとえばアメリカでは、建設業界では、冬は、ほぼ毎年、仕事が減るので建設業での失業者が増える。このように、特定の季節にだけ失業者が増える業界があり、このような業界での定期的な失業のことを季節的失業という。


フリードマンの自然失業率仮説編集

「自然失業率」(natural rate of unemployment)という言葉があるが、(wikibooks追記: )どうやら「自然失業率」という呼び名に反して、あまり自然ではなさそうな失業率であるので、この用語を見聞きした際には注意が必要だろう。


市場経済の国なら、どんなに景気のいい時代でも、かならずといっていいほど、少数の割合だが失業者がいるとされるので(だいたい数%ていど)、「自然失業率」と呼ばれるようになった。(主にフリードマンが提唱した。なお、フルードマン以前は、インフレによって失業率を減らせるという理論(フィリップス曲線)があったので、このフィリップス曲線に対する反対意見・批判・修正でもある。)


このように、景気にかかわらず一定割合でいる失業者によって発生する失業率のことを自然失業率という場合がある。

ただし、この自然失業率の算出方法が、それとは違う。

「自然失業率」として算出された数値が、ほんとうに自然なものか、吟味する必要がある。

なお、20世紀後半の代表的な経済学者サムエルソンが、自然失業率を正確に測定できた者は いまだに一人もいないと、サムエルソンの著作『経済学』で述べている[7]。(なおサムエルソンは2009年に死亡した。よって、自然失業率は不正確であり誤差を含む、近似的な数値であると、サムエルソンらは説明している[8]。また、自然失業率は、長期的には安定した数値ではなく、そのため、ある程度の幅を持っていたり、あるいは複数の幅を持っている[9]、などと説明している。

※ このため、冷戦崩壊や日本の1990年前後の不動産バブルについてはサムエルソンの著作は言及できたものの、しかし2008年前後のリーマンショック・サブプライム危機については言及が乏しいと考えられる(※ wiki著者がまだ未確認)。)
※ 余談だが、サムエルソンの経済学教科書『経済学』は、日本では『サムエルソン経済学』などと言われるが、実際は1985年以降の版は経済学者ノードハウスとの共著である(和訳本『サムエルソン経済学』の表紙を良く見ると、原著者ノードハウスの名前も入っている)。

自然失業率は後述のような、概念上で算出された数値である。

算出方法編集

景気の変動などで実際の失業率はやや周期的に波上に上限に変動すると考えられているので、

実際の失業率を、一定期間の平均的な高さの曲線でならしたものが自然失業率であると、経済学では されている。

なお、この平均曲線の失業率と、実際の失業率とのズレのぶんを、循環的失業(cyclical unemployment)などという。

なお、フィリップス曲線の理論と関連づけるなら、インフレが進行したときの失業率の減少は、この循環的失業の部分だとされている(とスティグリッツは言っている)。また、政府の経済対策などの成功によって減少できる失業率も、この循環失業率の部分だけである(とスティグリッツは言っている)。

しかしマンキューは、スティグリッツのような意見には反対しており、つまり、自然失業率は経済政策の影響を受けないとは限らないと主張している。

このスティグリッツとマンキューの差異のように、あまり自然失業率の細かい定義はハッキリしない。

インフレと「実質」編集

経済学では、インフレの考慮して修正した指標を実質〇〇(real 〇〇)のように言うことが多い。

実質GDPや実質利子率などがある。


「実質」というと、あたかも実態に近いように思われるが、単にインフレ分を割ったり差し引いたりしただけである。


たとえば、実質利子率は、次のように引き算で定義される。

実質利子率 = 名目の利子率 - 未来のインフレ率の予想値


利息のついた預金を引き出すのは未来なので、実質利子率の計算では、現在から引き出し時期のあいだの未来までのインフレ率を予想する必要がある。


この式なら、もし名目利子率が3%で、未来のインフレ率の予想値も3%なら、実質利子率は0%となるので、あたかも銀行に預けても利益がなさそうに誤解してしまう。

だが、もしこのインフレ状態で銀行に預けず、その資金を投資にも回さなければ、アナタの購買力は毎年3%ずつ減少していくだけである。


なお、実質利子率の数値は、銀行に預けた場合の購買力の増加を表している。

インフレ状態では銀行に預けないと、その資金での購買力が減るのだから、実質利子率が0%でも購買力を減らさずに現状維持できているのでメリットは存在する


分野によってインフレ率の算出法が異なる編集

ある国の経済がインフレだといっても、産業や業種や商品ごとに、価格上昇の度合は違う。

それどころか、そういう時代であっても、価格の下落する商品すら存在している場合もよくある。

なので、インフレ率の精密な算出には困難が伴う。

そのような事情もあり、インフレ率の算出方法には、種類がいくつもある。

「物価指数」と言われるものがあり、これは市場にある数種の商品の価格を実際に行政が調べて、基準年から何倍になったかである。


たとえば、 リンゴでもハンバーガーでも何でもいいが、たとえばリンゴが基準年から20%価格上昇したら、物価水準は 1.2 (=1+0.2)である。

(※ wikibooks追記: もちろんリンゴだけでなく、通常は、いくつもの種類の商品の価格の変動を考慮する。少なくとも日本ではそうである。)


さて、消費者にとって重要な商品と、生産者にとって重要な商品とは違う。


なので、「消費者物価指数」(CPI, consumer price index)と「生産者物価指数」(PPI, producer price index)という、それぞれ別の物価指数が算出されている(少なくともアメリカでは)。

さらに、GDPの計算のときに使う物価指数は「GDPデフレーター」といい、消費者物価指数とも生産者物価指数とも異なる。


そして、GDP計算用の物価指数で名目GDPを割り算した数値のことを実質GDPという。

つまり、

実質GDP = 名目GDP / 物価指数

である。


さて、実は業界ごとに、インフレの度合である物価指数の計算法は、違っている。、

実質GDPの物価指数は計算の方法は、「消費者物価指数」(CPI)とほぼ同じなのだが、しかし、実質GDPの計算の場合のインフレ度合の算出では、係数がCPIの場合とは違うため、両者の数値にときどき違いが出る。実質GDPはその名の国内総生産(GDP)のとおり、国内生産に関する商品の価格変化を重視しており、いっぽう消費者物価指数(CPI)では、消費者には輸入品の価格も関係しているので輸入品の価格も比較的に強めに考慮するので、CPIと実質GDP算出用の物価指数との間に差異が出る。


なお、(名目GDP / 実質GDP )×100 をGDPデフレーターという。

つまり、

GDPデフレーター = (名目GDP / 実質GDP )×100

である。GDPデフレーターを言う場合は通常はパーセントで表すので、100倍することになる。


GDPデフレーターは、実質GDPの算出のさいに用いた物価指数と一致する(または、それを100倍したもの)。

教科書によっては、最初から、実質GDPの算出に用いる物価指数を「GDPデフレーター」というと説明している教科書もある(たとえば『スティグリッツ入門経済学 第4版』)。


さて、消費者物価指数とGDPデフレーターの関係だが、アメリカでは、1970年代の(2度の)石油危機のときに、2度、乖離した。

いっぽう同じ1970年代の日本では、あまりCPIとGDPデフレーターは乖離しなかった。


「金持ちはケチ」は本当か?(限界消費性向のお話)編集

予備知識編集

一般的に、GDPの高い国では、消費額も高いことが知られている。

消費額をCとして、所得をYとすれば、なんらかの比例係数 k を用いて式

C≒kY

と表すことができる。

ただし、所得以上に消費することは一般的には不可能なので(借金とかは考えないとする)、条件式として不等式 <1.0 という条件がつく。

この段階ではまだ、金持ちの消費傾向がどうとかの話はしていない。

前提として、「一般的に、GDPの高い国では、消費額も高い」という仮定しか用いていないことに着目してほしい。


なお、ミクロ経済においても、おおむね需要の金額と傾向は消費の傾向に近いはずなので、

D = kY + 定数

などの式も提唱されている[10]。これを後述の乗数効果などと関連づけると、精度はともかく、需要もある程度は予想ができてしまう。


限界消費性向編集

よく、「金持ちはケチ」だと、言われることがある。

たとえば、「金持ちは金を貯めてケチで金を使わないから、だから金持ちに課税して、金を市場に流させろ」とか。

だが、実は、あまりそうとは言い切れない統計的事実がある。


まず、所得が増えたときに、消費支出がどれだけ増えるかのパラメーターのことを限界消費性向(MPC、marginal propensity to consume)という。

一般に経済学では「限界〇〇」とは、何か(金額など)の投入を1単位ぶん増やしたときに、増える出力の割合のことを「限界〇〇」という。


そして、この限界消費性向を実際にアメリカで測定したところ、よほどの大富豪でないかぎり、限界消費性向の実測値は0.8~0.9で、所得の大小にかかわらず、よく一致することが分かった。

(※ 入門の範囲外: )経済学者クズネッツは1869~1938年の統計を調べ、所得によらず消費性向が 0.9 であることを実証した。

つまり、縦軸に消費額をとり、横軸に所得(可処分所得)をとると、傾き0.8~0.9の直線になる。(『スティグリッツ入門経済学 第4版』、薮下史郎ほか訳、東洋経済、2012念4月5日 発行、)(クルーグマン『マクロ経済学』、大山道弘ほか訳、東洋経済、2009年4月2日発行、315ページ)

消費額をCとして、所得をYとすれば、つまり

C≒0.9Y

である。(クズネッツの消費関数) ※ 入門の範囲外

限界消費性向が0.9という事は、単純計算すると、所得が2倍になったら、消費支出はおよそ1.6倍(=0.8×2)になるという事である。

もちろん、正比例ではないので(つまり、所得が2倍になっても支出が2倍にならないので)、そういう意味では「金持ちはケチ」かもしれない。


また、クルーグマンは限界消費性向は0.597程度であると主張している。(『クルーグマン マクロ経済学』、大山道弘ほか訳、2009年4月2日発行、)


学者によって限界消費性向の数値が分かれているが、しかしスティグリッツにせよクルーグマンにせよ、どちらにせよ、限界消費性向の数値の大きさは、決して無視できない正の値をとっている。

(ケインズ型の)消費関数編集

上述のクズネッツの消費関数とは別に、もうひとつ、別の消費の関数が知られている。

さて、日本など、いくつかの国で、所得が増えるほど消費の割合が低くなるという現象が知られており、これもまた統計的に実証されている。

このような事実から、消費関数 consumption function は、次のような式であらわされる。

ケインズ型の消費関数とは、』次のような形の消費関数である。

c = a + MPC × Yd

ただし

c: 消費
a: 独立消費水準
MPC: 限界消費性向
Yd : 可処分所得

である。

なお、収入以上に消費はできないのが一般的なので MPC<1 である(MPCは1未満ということ)。


なお、式中のaのぶぶん、つまり、所得によらずにする消費のことを独立消費(antonomous consumption)というが、日本では基礎消費ともいう(※: 『基礎消費』の参考文献: 福田慎一・照山博司『マクロ経済学・入門 第5版』、有斐閣、2016年3月30日 第5版 第1刷 発行,32ページ)


(wikibooks追記:) ケインズ型の消費関数の式の形だけを見れば、仮にa=0 かつ MPC=0.9 とすればクズネッツの消費関数 C≒0.9Y と等しくなるが、しかし一般的に日本やいくつかの国で知られる、高所得者ほど消費が少なくなるという現象を説明したい場合にケインズ型の消費関数を使うので、あまりアメリカでも日本でも大学教科書では、ケインズ型の消費関数をクズネッツ型の消費関数に含めるような論理展開はしない。
しかし、数式だけを見れば、たしかに c = a + MPC × Yd の式でも、a=0とすればクズネッツ型の消費関数 C≒0.9Y も説明できるので、そこでいくつかのアメリカの大学教科書では、「ケインズ」や「クズネッツ」の名前はふせて、単に 「c = a + MPC × Yd」の式だけを紹介するような教育法もある。


中谷巌『マクロ経済学入門 <第2版>』(日本経済新聞社、2007年1月15日、2版1刷、32ページ)は、1992年から1997年の日本の消費関数を

C=76+0.61Y

としている。

また、限界消費性向ではなく平均消費性向 (消費額を所得で割ったもの。つまりC/Y )だが、有斐閣アルマ『マクロ経済学入門』(福田慎一・照山博司,38ページ)の2004年、2009年、2014年の日本では、低所得者の平均消費性向は0.9に近く、年収1250万円ていどの所得者の平均消費性向は0.6~0.7程度と低い。

このように2000年代、2010年代の日本ではケインズ型の消費関数がよく当てはまってる。


日本の多くの経済学者・経済評論家たちは、このクズネッツ型の消費関数と、ケインズ型の消費関数の、けっして無視できない差異の原因を、長期スケール(クズネッツ型)と短期スケール(ケインズ型)の差異が原因だと考えており、つまり

クズネッツ型の消費関数は長期的な消費関数に当てはまるものであり、
ケインズ型の消費関数は短期的な消費関数に当てはまるものであり、
前提にしている長期と短期のスケールの違いが差異の原因である、

と経済学者たちは考えている。


なお、クズネッツ型とケインズ型の差異の理由を考察した学説として、「ライフサイクル仮説」というのが知られており、標準的な大学レベルのマクロ経済学の教科書なら、よく説明されている。

だが、本単元では入門という正確のため、また、「ライフサイクル仮説」はその名の通りあくまで仮説であり、統計的事実でないかもしれない単なる学説なので、これ以上は説明に深入りしない。


  • クズネッツ型とケインズ型の両立
 
※ これは架空のグラフです。

クズネッツ型の消費関数と、ケインズ型の消費関数は、数学的にはべつに矛盾はしていない。

たとえば、インフレ傾向の時代の場合、

右図のように、時代によって中間層の所得分布が正比例的に倍増していく場合もあるので、

たとえ短期ではケインズ型の消費であっても、長期ではクズネッツ型の消費になる場合もあるのが、グラフを見てもわかる。


なお、このグラフは、架空の統計グラフである。

またなお、別にこのアイデアはwikibooksのオリジナルのアイデアではない。

参考文献: 福田慎一・照山博司『マクロ経済学・入門』37ページ,図2-3 にある第二次大戦後の昭和の日本の家計消費のグラフを、誇張した書いただけである。(wikibooksでは、理解しやすいように傾きの違いを誇張してあるし、年代の区分も単純化している。)


  • ピケティによるクズネッツ学説の修正

もうひとつ、クズネッツ曲線に反する統計が得られる理由の別の学説として、

クズネッツの出した統計は、単にたまたまアメリカ合衆国で格差が縮んでいた時代だったという偶然の産物であるという批判であり、クズネッツの統計の出した傾向にはあまり一般性が無いという主張である。

フランスの経済学者ピケティは、消費ではなく所得格差に注目した研究だが、統計的に各国の所得格差の行い、 ピケティの調査によると、クズネッツの調査した時代以降の統計や、アメリカ合衆国以外の諸国の統計を取ると、そもそも経済格差は拡大しているというものである。

ピケティが著作『21世紀の資本』で言うには、クズネッツ曲線のような格差縮小的な事例は単なるアメリカ合衆国の一時期の偶然、または世界大戦によるい急激な社会・経済の変化が原因な特殊事例にすぎないという感じの主張をしている。[11]


  • 乗数効果

ところで、あなたが消費して支払ったカネは、あなた以外の誰か(仮にBさんとしよう)の収入になるわけだ。そのBさんもまた、消費して別の誰か(仮にCさん)に支払うわけだ。

Cさんもまた、別のDさんに支払うわけだ。

こうして、連鎖的に、消費は別の誰かの収入になるので、その別の誰かの消費を引き起こす。


で、このことを先の限界消費性向を結びつける。


単純計算のため、Aさんの年収を1000万円としよう。また、説明の単純化のため、Aさんの消費相手はBさんだけ、Bさんの消費相手はCさんだけ、Cさんの消費相手はDさんだけ、・・・・としよう。 すると、つまり、

Aさんは 1000万円 の収入を手にしたので MPC × 1000万円 の消費をすることになる。
Bさんは MPC ×1000万円 の収入を手にしたので MPC2 × 1000万円 の消費をすることになる。
Cさんは MPC2 ×1000万円 の収入を手にしたので MPC3 × 1000万円 の消費をすることになる。
Dさんは MPC3 ×1000万円 の収入を手にしたので MPC4 × 1000万円 の消費をすることになる。


まあ、実際の経済は、けっして、たった1人が消費相手なことはないが、しかし上述の計算のように、消費は別の消費を引き起こす。

よって、最初の収入額(例では1000万円)は、一国全体でみれば最終的に、

 

倍の消費になる。

これは等比数列の級数の和である。

そして、MPCは1未満であるので(収入以上には消費できないので1以下。収束させるため 1未満 とする。また国民全体が収入全額を使いきることは統計的に起きてない)、この等比数列は収束する。

そして、等比級数の和の公式より、この等比数列の合計値は

 

となる。


たとえば、消費性向が0.9なら、1-MPCは0.1なので、よって  は10になる。

この倍率のぶんだけ、なんらかの投資の効果などは増加する、と考えられている。


ところで、

1-MPC

は貯蓄性向である(正確には限界貯蓄性向)。

限界貯蓄性向は MPS であらわす。

なので、

 

でもある。

また、上記のような計算は、経済学における「合成の誤謬」の典型例でもある[12]。社会の多くの個人が「金持ちになるため節約しよう」と思って貯金ばかりをすると、限界貯蓄性向が高くなるので、結果的に上記の公式どおりに投資の効果が低下し、よって社会は貧しくなりやすく、むしろ金持ちになることからは遠ざかりかねない・・・、というロジックである。(もっとも上記の式そのものには国民所得(たとえばGDP)の変数は無いが。)


  • 貯金は損か?
信用創造
銀行  預金 支払い準備金 貸し付け金
A銀行  100万円  20万円 80万円 
B銀行  80万円  16万円   64万円
C銀行  64  12.8   51.2
D銀行  51.2  10.24   40.96
以下省略      
合計  500万円  100万円   400万円

ところで、アメリカ経済教科書では指摘されてないが、上述のように書くと貯金が一国にとって損なように思えるが、しかし実際は違い、家計の銀行への預貯金は銀行にとっての貸出資金の増加であり、その結果として金融市場に流れる資金量が増えて、別の銀行の資金量も増えるので、銀行が貸し出すので、右の表のように、消費せず銀行預金にしても、結果的に社会では、もとのカネの何倍ものカネが動くことになり、この銀行預金のメカニズムを「信用創造」という。(※ 日本では高校の『政治経済』で習う)。

※ ネットで経済評論をする大人のなかには、ときどき、(高校レベルの)信用創造を無視して、「消費性向を高めれば景気が良くなる」とかの論絶を主張する、アタマの悪い大人が日本には多い。まあ、タンス預金なら、一国にとっては損かもしれないが。


なお、公式として

(信用創造された金額も含む)預金総額 = もとの預金 × 預金準備率

となる。

なぜなら、たとえば預金準備率が20%の場合、つまり小数で表せば預金準備率は0.2の場合、

信用創造も含む金額 = もとの預金× (1 + 0.8 + 0.82 + 0.83 + ・・・)
= もとの預金×(1 / 0.2)

であるからだ。(等比級数の和の公式は、高校の数学で習う。)

なお、式中の0.8の根拠は、0.8=1-0.2 である(右の表をよく読もう)。


数学的に書けば、高校で習う等比級数の和の公式にすぎない。

まず、等比数列の公比をXをした場合の級数和の公式は、 ( 1 + X + X2 + X3 + ・・・)

(1 + X1 + X2 + X3 + ・・・)
= 

である。

で、信用創造では、信用創造も含む預金の総額は 等比数列の公比を1-rをした場合の級数和に、もとの預金を掛け算したもにすぎない。

つまり、

信用創造も含む預金の総額 = もとの預金 × ( 1 + (1-r) + (1-r)2 + (1-r)3 + ・・・)
もとの預金 ×((1-r)0 + (1-r)1 + (1-r)2 + (1-r)3 + ・・・)
=もとの預金 × 
=もとの預金 × 

の計算をしているだけである、

ここで、公比rは預金準備率であったので、よって

信用創造も含む金額 = もとの預金額× 預金準備率

である。

なお、信用創造される前のもともとの預金のことを「本源的預金」ともいう。この用語を使うなら、公式を

信用創造も含む金額 = 本源的預金 × 預金準備率

とも書ける。




サムエルソンの乗数理論編集

上述の議論では、消費に関心があったので、たとえば ケインズ型の消費関数

c = a + MPC × Yd

ただし

c: 消費
a: 独立消費水準
MPC: 限界消費性向
Yd : 可処分所得

のように記述した。

ところで、注目先を消費Cから所得Yに変えて、さらに個人の消費・平均所得ではなく国全体の消費と総所得に考えを変えれば、ほぼこれと同じ式で、マクロ経済を理論上は計算できる。

すでにサムエルソンが、こういう考察および計算を行っている。

サムエルソンなどにより

 
 
 

ただし、

  •  : GDP
  •   はt期の消費。 は基礎消費。
  •   はt期の投資。 は独立投資。
  •  : 消費性向
  •  : t期(時間)
  •  : 加速度係数

が提唱されている。

入門レベルを超えるので、細かな計算は省略する(詳しくはwikipedia『w:乗数・加速度モデル』を参照)。

「貨幣の流通速度」とは編集

まず、統計的事実として、一国の貨幣量 M と、その国のGDPとは、まったく異なる値である。

この、GDPと貨幣量Mの比率として、GDPを貨幣で割った倍率を、貨幣の流通速度といい、記号はVであらわすことが多い。

つまり

貨幣の流通速度 V = GDP / M

である。Vの計算で使うGDPは、通常は名目GDPである。

(wikibooks の追記: )極端な例として、GDPがゼロだったら、「流通速度」もゼロになるので、「速度」という表現には納得するだろう。


(wikibooks追記: )なお、流通「速度」というが、しかし(物理学的な意味でいう)単位は[カネ/カネ]なので単位は無次元である。

(なので、名前こそ「速度」とはいうものの、)どちらかというと、期間内に貨幣の所有者の代わる頻度である。(マンキューも頻度であると説明している。)


(wikibooks追記: )マンキューの説明も本当は不正確で(他の経済学者と比べたら、だいぶマシだが)、
名前こそ「流通速度」ですが、GDPを用いた計算であることからも分かるように、売買に伴わない貨幣の交換は除外されています。
たとえば、親子が、親から子供にオコヅカイをあげても、売買をともなわないので、まったく算入されてないのです。
この貨幣の流通速度の計算で算入される貨幣の「流通」または「交換」とは、最終生産物の売買が行われた時だけです。
さらに、「貨幣の流通」と言っておきながら、算入される金額は、価格ではなくて粗利(グロス)です。そもそもGDPが粗利(グロス)の計算だからです(なお、GDPの具体的な計算法は実は非公開だし、国ごとに計算法も異なる)。
しかし、GDPは実用的に経済学で役立つ指標ですので、「貨幣の流通速度」の計算式も、これでいいのです。


もし、本当に国内の貨幣の流通を完全に計算したいなら、除外された親子のオコヅカイなどのやり取りも算入せねばならなくなりますが、それは現代の人類には不可能です。

なので、最終生産物の売買の時だけをカウントするほうが実用的です。

そして、GDPという、最終生産物の売買の時の粗利の合計額の指標があるので、それを活用するのが実用的です。



ところで、名目GDPは、市場にある商品の価格に含まれる(製品1個あたりの)付加価値 P(販売価格から原価をひいたもの)とその個数の合計Yとの積 Σ PY に等しい。(wikibooks追記: 自動車の価格とポテトチップスの価格が違うように商品ごとに価格が違うので、厳密にはシグマ記号Σをつけるべきだろう。)

なお、

 

である。

つまり、

MV = GDP =  

計算を単純にするため、付加価値を製品価格に比例するとして、同じPで表してしまおう。(※ この仮定は、経済学教科書ではとられれてない非標準な仮定だが、しかしこの仮定でないと、後述するインフレとの関係性を、厳密には導出できない。)


※ 菅原晃『使えるマクロ経済学』、中経出版、2014年10月14日 第1刷発行,178ページ、
では、『貨幣数量説』の公式として、
「貨幣量×世の中を回った回数 = 物価×取引量」

とある。

※ 菅原晃『使えるマクロ経済学』、中経出版、2014年10月14日 第1刷発行,203ページ、
では、『貨幣数量説』の公式として、
「供給: 貨幣量×世の中を回った回数 = 需要: 物価×取引量」

とある。

なお、菅原氏は高校教員である。大学教員ではない。
※ 経済学者は、あまり数学が得意ではなく、たとえ数学的にオカシな計算法であっても、経済学教科書には掲載されてしまっているのである。しかし本wikibooksでは、数学的により正しい計算法に直して掲載する。


また、厳密ではないが、シグマ記号 Σ を省略して

MV = PY

と、経済学教科書では書かれる。(なお、この形の公式を「数量方程式」(quantity equation) という。また、この公式であらわされる学説を「貨幣数量説」という場合もある。)

右辺に価格が入っているので、物価のインフレまたはデフレの解析に、この貨幣の流通速度の理論が使えそうだと経済学では思われている(というか、むしろ当然の前提になっている。最初から MV = PY の式を紹介して、あとから 「P×Y は GDPに等しい」と説明するのが普通のアメリカ経済学の教科書のスタイル)。


(wikibooks追記: )日本では世間一般には「市場に供給する貨幣量を多くすれば、インフレになる」とよく説明されるが、じつはこの一般論はやや不正確である。

なぜなら、理論 MV = PY の帰結として、もし貨幣量 M を増大させても、「流通速度」Vが減少すれば、インフレにならない。(※ 文脈はやや違うが、マンキューも同じ結果の指摘をしている。)


(wikibooks追記: )循環論になるが、 PをGDPデフレーターとして、Yを実質GDPとして

MV = PY

という書き方が、アメリカに限らず大学の経済学教科書では普通である。(しかし、そもそも実質GDPの算出にGDPデフレーターが必要になるので、この解釈(PをGDPデフレーター、Yを実質GDPとする解釈)は循環論になるので、この解釈は論理学的には価値が無い。) なのでマンキューの主張(「もし貨幣量 M を増大させても、「流通速度」Vが減少すれば、インフレにならない」みたいな主張)は、論理的にはこの解釈からは導出できず、マンキューの主張には実は欠陥(「PをGDPデフレーターとして、Yを実質GDPとする」という経済学教育の常識的説明は、じつは不正確な説明だと主張できないヘタレっぷりという欠陥)がある。

しかし、ヘタレと言っても、マンキューはまだしもインフレとの関係を考察しているだけ、勇気があり、立派である。

クルーグマン『マクロ経済学』での貨幣流通速度の説明に至っては、インフレとの関連の説明を避け、単に

 

の式から見れば分かるだけの、  は実質GDP(Y)に比例するとかの、単に式を言い換えただけの説明をしているだけである。

マンキューは偉い。なお、マンキューは比喩としてだが、GDPデフレーターなどの価格水準Pを価格にたとえる説明を、貨幣流通速度よりも前の単元でしている(※ 『マンキュー入門経済学 [第2版]』、東洋経済、424ページ)。)アイスクリームの価格をPとしてマンキューは比喩をしている。

※ マンキューの比喩のほうが本来の正確な式であろう。マンキューや中経出版の菅原氏のような解釈のほうが合理的である。本来なら価格とすべきところをGDPデフレーターに置き換えている既存の経済教科書のほうが、数学的には循環論でありマチガイである。
なお、マンキューや菅原氏じたいは、貨幣数量説の従来解釈を批判していない。なので、批判の責任は彼らに無い。
従来解釈への批判は、wikibooks独自の批判である。
(※ wikibooks追記: ) 「物価はおおむねGDPに比例するだろう」という前提と、「一国内の商業での取引量はおおむねインフレ率に比例するだろう」という前提のもと、大学経済学のような式が出てくる。
性格には等号(=)ではなく比例記号(∝)に置き換えられるべきだが。つまり
MV ∝ PY
のほうが数学的にも実態の経済的にも厳密である。
たしかに、20世紀後半では、アメリカや英仏などの西側(資本主義陣営の)ヨーロッパ諸国、日本などの経済の歴史をふりかえれば、それを当時の南半球国家や中国など(当時の)発展途上国と比べれば、先進工業国は物価は高いしGDPも高くほぼ比例的でり、発展途上国は物価も低ければGDPも低かったのでやはり比例的であった、というような傾向があった。
また、一般的に経済活動が活発なときはインフレになりやすいという経験則が言われているので、取引量はおおむねインフレに比例的であるとする仮定も、妥当性があるだろう。

なお、教科書・文献によっては、PのほうをGDPデフレーターにして、YのほうをGDPにする文献も場合もある。だが、本書wikibooksで上述したように、そのような差異は本質的ではない、

数学的かつ経済学的にも重要なことは、まずインフレとかそういう事は一切無視して単に

MV = 物価×取引量 ∝ 名目GDP

という関係式を得ることと、次にインフレを考慮することで貨幣数量説の公式に「物価∝実質GDP」および「取引量∝インフレ率」の関係を代入して

MV = 物価×取引量 ∝ 実質GDP × インフレ率

という関係式とを得て、それを経済モデルに合うように連立させることである。


派生的な、いくつかの学説編集

マーシャルのk編集

※ アメリカの大学の入門経済学では書かれない場合が多いが、関連が深いので紹介だけ。

貨幣数量説の公式

 

は、式変形すれば、

 

となる。

さて、

 

と マーシャル(人名)という学者が置いた。

また、どこかの経済学者が

 

という説を提唱した(ケンブリッジ方程式)。

統計的には k は定数ではない。(※ 参考文献: 中谷巌『入門マクロ経済学 第5版』、日本評論社、2007年3月30日 第5版 第1刷 発行、192ページ)

たとえば中谷は参考文献『入門マクロ経済学 第5版』で、日本では1970年代はマーシャルのkが 0.7 程度だったが、しだいに増加していき、2004年には k は 1.4 程度であるとグラフで図示している。


※ 福田慎一・照山博司『マクロ経済学・入門』(、有斐閣、2016年3月30日 第5版 第1刷 発行、141ページ)では、文中に「右辺の定数k」とある。しかし、中谷の文献で紹介されるように、統計的にはkは定数ではない。数学的にはkは、「右辺の係数」である。

ちなみに、マーシャルのk の性質として、その定義式 k=1/V のとおり、貨幣の交換が少なくなるほど、kが増大する。


なので、いわゆる「デフレ経済」と言われる日本の1990年以降の時代(平成初期の不動産バブル崩壊の以降の時代)でマーシャルのkが増加するのは常識と一致するのだが、しかし中谷の文献のグラフを見ると、1970年代も1980年代でもマーシャルのkは増加傾向であるのが、グラフから読み取れる。(しかし中谷は、不動産バブル崩壊以前のマーシャルのkの増大には注意を払ってない。)


ところで PY(=MV) は名目GDPでもあった。 また、貨幣量 M は、その国の貨幣の発行当局(中央銀行など)がおおむね管理できる。

なので、

M = k 名目GDP

のような式が成り立つハズである。(※ 参考文献: 菅原晃『使えるマクロ経済学』、中経出版、2014年10月14日 第1刷発行,203ページ。 この文献では「貨幣量=GDP」という図とともに「k%ルールが有効!」という文言が図中にある。 )


このkを、経済政策の目安にするのが良いだろうという学説があるらしく、フリードマンがそのような学説を提唱したらしい(※ 菅原の文献を読んだ限り、そういう印象を受けた。)。


インフレは好ましいかどうかのお話編集

経験的に、経済政策などの分野では、インフレ率2~4%ていどの緩やかなインフレを目指すことが、多くの国で行われている。


クルーグマンが報告するには、たとえばアメリカのFRBは方針こそ断言してないが、その実行結果から2~3%ていどのインフレ率をFRBは好んでいると、クルーグマン『マクロ経済学』(2009年版、472ページ)で述べている。また、イングランド銀行はインフレ率を2.5%とすると明示的に公表していると、クルーグマンは同著の同ページで述べている。

(備考: )なお、この2%のインフレ率のように、比較的に低率でのインフレのことを クリーピング・インフレ(creeping inflation) という。 クリーピングとは「しのびよる」という意味の英語である。1~3%ていどのインフレ率が、クリーピング・インフレだと言われることが、経済評論などでは、よくある。

また、スティグリッツは、もし政府がインフレを嫌ってデフレを誘導すると、一時的には失業率が増加する、と述べている(『スティグリッツ入門経済学 第4版』東洋経済、432ページ)。

しかし、この好ましいとされるインフレ率の証明については、現状では経済原理からは証明されていない。少なくとも、『クルーグマン マクロ経済学』や『スティグリッツ入門経済学』を読んでも、そのインフレ率2~3%程度が好ましいという論の証明は全く見当たらない。

スティグリッツは、循環的失業の増加は低インフレをもたらし、循環的失業の増加は高インフレをもたらす、と述べているが、しかし彼以外のクルーグマンもマンキューも、スティグリッツのような主張は(調べたかぎりでは)していないようである。


「ケインズ政策」のアレコレ編集

よく、アメリカの1940年代のニューディール政策の経済学的根拠として、それまでのアダム=スミス的な古典派経済学では説明が困難なので、1930年代のケインズの新理論をニューディール政策の根拠として挙げる例が多かった。

しかし近年の研究の結果、実はニューディール政策よりも前に、1930年代の日本の高橋是清・蔵相の不況対策で、似たような不況対策のための積極的な財政政策がとられていることが、しだいに分かってきた。[13]


また、日本以外にも、1930年代のドイツでの独裁者ヒトラー政権下でも、ドイツの経済学者シャハト博士の助言のもとに、ヒトラー政権は公共事業(高速道路アウトバーン建設など)や軍備増強などのための投資により、積極的にドイツ政府は財政拡大をして投資したことが分かっています[14]。(※ 日本では1990年代の経済評論で、すでにヒトラーによる経済対策の成功は知れ渡っていたことです。)

※ ヒトラーはユダヤ人迫害の政策などが人道的に批判されているので、あまり大っぴらにヒトラーの経済政策を喧伝するわけにはいかない事情もあり、
中学高校の経済教育では語られないし(日本では高校の世界史で少し言及される可能性があるくらい)、大学の経済入門でもなかなか語られないが、しかし経済の歴史的にはヒトラーの経済政策が成功したのが事実。
ちなみに、ヒトラーが登場当初、ドイツや周辺諸国でも意外と人気が高かった理由のひとつとして、この経済政策の成功が、よく現代の経済評論家などからも指摘される。

原典を入手していないので文脈は分からないが、森嶋道夫『思想としての近代経済学』(岩波新書、1994年)に、経済学者ヒックスが経済学者・森嶋道夫に「戦前はヒトラーの時代であった。戦後はケインズの時代になろう」と述べたことが記されている[15]。本wiki本ページの参考文献・慶應義塾大学出版会『経済学の歴史』にも、ヒックスが『20世紀の第2四半期(1926-50)が「ヒットラーの時代」であったのに対して、20世紀の第3四半期(1951-75)は「ケインズの時代」であった』[16]と述べたと書かれている。


1940年代アメリカのニューディール政策は、べつに、けっして先例の何もない所から着想を得たわけではなく、またけっしてケインズの理論だけを頼りにニューディール政策を思いついたわけでもなく、日本やドイツの不況対策の成功例も参考にしてニューディール政策の着想が得られた可能性が高いわけです。


さて近年、2008~2009年ごろのリーマンショックやサブプライムショックなどの対策としても、銀行の救済や公共事業などによる積極財政や金融政策がとられた。

このような、不況対策や経済発展などのために政府が積極的に公共事業や融資や民間への資金援助などを行う政策を一般に「ケインズ政策」といい、また、そのような積極財政が不況対策に効果的だと信じる経済思想のことを一般に「ケインズ主義」という。


リーマンショック対策でケインズ政策がひとます成功したので、近年ではケインズ政策が不況対策として有効だと、多くの経済評論家に指示されている。


しかし、もしケインズ政策が正しいとしても、そのことと「ケインズ経済学」といわれるものは、別である。


ケインズは、利子の理論なども考えている。ケインズ政策が有効だという統計があるとしても、それはケインズの利子の理論が有効だという統計にはならない。

この、ケインズの利子の理論などと、そのケインズの理論を彼のニューディール政策的な経済思想と結びつけたのが「ケインズ経済学」である。


なお、集団の呼び名として、ケインズ政策やケインズ経済学などが実用的であると信じる人々のことを「ケインジアン」という。


高橋是清の業績が知れ渡っていなかったころは、ケインズの利子の理論などが正しいとも思われており、なので経済学生からケインズがのちのニューディール的 な政策の価値を予言できたのも、彼の利子の理論が正しいからだろうとナイーブに思われていた。

しかし、高橋是清というモデルがある とすると、話は別であろう。

リーマンショックで有効性が実証されたのは、あくまで「ケインズ政策」だけである。

なので、もしケインズの利子の理論を学ぶときは、リスクを覚悟して自己責任で学ぼう。


さて、ケインズ政策を実行すると、その国は一般に財政が悪化する。具体的には、国債を増発するようになる。

実際、第二次大戦後のアメリカ合衆国はそうなった。

なので、歴史的には、ケインズ政策の実行による借金体質の問題点をなくすために、ケインズ政策に代わる新しい経済思想がアメリカやイギリスで必要になり、1980年代にはレーガン大統領のレーガノミクスやサッチャー首相のサッチャリズムのような「新自由主義」(ニュー・リベラリズム)などが必要とされたという背景がある。

  • 「ハーヴェイ・ロードの前提」

ケインズ自身は、恐慌の時期には政府は借金をしてでも投資しても、恐慌を脱したら財政規律を高めて赤字財政を回収して均衡財政に戻すべきと考えていた[17]

しかし、実際の多くの戦後先進国では、そのような政策はとられず、20世紀後半には先進国でも赤字財政に陥った国も少なくない。

WW2戦後のインフレには、このような赤字財政という背景もあったのが実態だと、経済学者ブキャナンなどの新自由主義者は述べている[18]


経済学者は、戦後の経済がケインズの当初の予想どおりの均衡財政主義にならなかったのを政治家の堕落(だらく)だと考え、為政者としての責任感の欠如だと考え、英国ケンブリッジ大学のあるケンブリッジのハーヴェイ・ロードになぞらえて「ハーヴェイ・ロードの前提」が政治家に欠けているからだという。

ケインズ経済理論を批判するブキャナンたち新自由主義の経済学者ですら。ケインズ経済学の理論どおりにいかないのは、そのような「ハーヴェイ・ロードの前提」が非現実的だからからだという。

だが、民衆のおごりではないだろうか。民主主義国で政治家に投票するのは国民である。堕落しているのは政治家ではなく民衆だろう。

  • 貨幣錯覚

ケインズの一般理論に書かれている考え方で「貨幣錯覚」という概念があります。それは多くの労働者は、実質賃金ではなく貨幣賃金を見て行動するという経験則です[19]。参考文献『図解雑学 ケインズ経済学』にも、そう書かれています。

参考文献では書かれていませんが、ケインズが緩やかなインフレを認めていることなど、この貨幣錯覚によって説明しやすいでしょう。また、インフレ誘導的な政策が、恐慌の脱出措置としてよく用いられる歴史的な事実も、これに合います。


  • 利子理論とインフレとの関係はあまり考察されてない

一般に、インフレなら名目金利は高くすることが可能である。

しかし、ケインズの利子の理論(たとえばLS-IM分析)では、物価ではなく金利が主要な変数となっている。

ケインズは、利子率をそれよりも下げると景気の悪くなる基準を、利子率 2%とした。ケインズは著書『一般理論』で金利2%を基準にしている[20]。偶然か必然かはともかく、21世紀の時代、主要な先進国が採用する物価インフレ目標がおおむね2%である。

しかし、あまり、この物価と金利の理論を関連づけたりする論説は無い。同様、ケインズの金利の理論を物価の理論で置き換えたりする論説もあまり無い。

ロイター日本語版の日本人経済記者の記事が、2021年に物価目標2%と金利を関連づけて語ってるが[21]、しかしケインズの伝統的な理論にまでは踏み込んでないし、ケインズの2%の金利目標値までは紹介していない。

21世紀のデフレ・スパイラルの理論からすれば、結果的にはケインズの金利の理論は間違っていないのかもしれないが、しかしインフレとデフレの関係の考察が不十分であろう。

たとえば、もし「金利は高いがデフレで不況の場合」など、果たしてケインズの理論が本当に現実的に成り立つのだろうか。


ケインズは特にインフレ率に関する式は提唱・議論してないようなので、本人の死んだ現代、彼の意図を知る由は無いが、おそらくはインフレ率ではなく金利こそが本質的な変数だと考えているのだろう。一方、インフレ率は金利から派生的に導かれる変数に過ぎないと。

ケインズ理論を用いてインフレ目標を主張する経済評論家も、同様、金利を根源的に考えているのだろう。

少なくとも、著書などを出す市井の評論家では、まったく、ケインズの利子の理論にケチをつけて「利子率ではなくインフレ率に置き換えるべきだ」などと主張する経済評論家は、寡聞にして聞かない。


だが本当に金利がインフレ率よりも根源的な変数だろうか。日本の平成のいわゆる「デフレ不況」はそのようには見えないだろう。1990年前後のバブル崩壊よりも前のころは日本だって金利が高めだったはずである。

21世紀の日本の低金利はつまり、日本の不動産バブル崩壊後、何らかの理由で金利を下げる必要があったわけだが、その「理由」に物価が無関係とは到底は言えないだろう。そもそも日本の不動産バブルは、不動産資産のインフレによる騒動であったのだし。

つまり、金利と物価は相互に影響しあうだろう。そもそもデフレ・スパイラル理論の前提がそうである。

長期的にはインフレ率と金利が近づいていくので(ただしコンマ数%の誤差はあるだろうが)、長期視点ではインフレ率を無視しても、残り片方の金利だけを本質的な変数とみなしても構わないのかもしれないが、果たして短期の考察に同様の近時を適用すべきか。


金利は大きければいいわけではない。

国債を魅力的な利率で発行するなど、実質金利が大きすぎると、人々はそういった商品ばかりを購入して、株式などの債券を買わなくなってしまい、民間投資がされなくなります。このような現象が、クラウディング・アウトです。

論者によって説明は上記とは違う場合がありますが、要するに政府や公共機関の発行する金融商品が魅力的であるために、政府・国などが資金を吸い上げてしまい、そのせいで民間投資に資金が流れなくなる、ような現象がクラウディング・アウトです。


なので、一見すると、国債や郵便貯金などの金利は低いほうが良さそうですが、しかしそうではないと述べているのが「流動性の罠(わな)」です、 「流動性のワナ」とは、ケインズいわく、一定基準よりも金利を下げると、景気刺激が聞かなくなるという学説です。

これは経験則では、たしかにそういう事例が多いので、経験則としては重要です。なので、「流動性のワナ」が起きる原因は気にせずに使用法だけ考えるのも、ひとつの手です。


問題は、その現象の起きる原因です。経済学書などで見られる、「流動性のワナ」の起きやすい理由のひとつとして、今後のクラウディング・アウトの可能性を述べる論者もいます。伝統的な経済学説でよくある仮説は、「ゼロ金利の近くになると、これ以上は金利は下がりようがないのだから、つまり今後は国債などの金利が上がる可能性が高い。そのせいで、人々は値上がりを期待して、民間に投資をしなくなる」のようなものです。

しかし、そのような理屈では、長期の低金利を説明できません。

もし金利がよく上下運動する社会ならば将来的クラウディングアウトでも説明できますが(実際、株価の乱高下などは、これと似た論法で説明できるだろう)、しかし平成の日本では長期の低金利が続いています。

どうもクラウディングアウトでは、20世紀後半~21世紀の先進国経済では無理がありそうです。

おそらく、流動性のワナの機序としては、クラウディングアウトを持ち出すよりも単に「不況で売れないから民間投資しない」と考えたほうが辻褄が合うでしょう。実際、日本では経済評論家の三橋貴明が、クラウディングアウト説にやや懐疑的であり、平成のデフレ不況については『デフレ化において単純に「儲からないから投資しない」』と著書で述べており、その後の文章で、「クラウデイングアウト理論」という「仮説」にもとづいたバブル崩壊後の日本政府の金融政策を三橋は批判しています[22]

なので、評論家 犬走文彦は、流動性の罠の機序として、クラウデイングアウト理論を取らずに、単に「金融危機があるレベルまで達すると、信用リスクを回避するためいくら金利が低くなっても金融機関が貸し出しを止めてしまう」という機序を提唱しています[23]

どちらにせよ、クラウデイングアウト理論を採用しなくても、流動性の罠は説明が可能です。

さて、もし機序が「儲からないから投資しない」のなら、解決策のひとつとしては、単に「投資しないと損をするぞ」といった内容の経済構造にすればいいだけです。たとえばインフレ誘導とか典型的でしょうか。ただし、これは現状の物価がデフレまたはディスインフレの場合だけ使えます。すでにインフレ率が高い場合は、ハイパーインフレを招きかねないのでインフレ誘導は使えなくなります。

さて、三橋の理論とは別に、有斐閣アルマの福山慎一『マクロ経済学入門 第5版』によると、経済学者クルーグマンが(書籍の解説文の引用)『中央銀行が将来のインフレ率を公約する「インフレ目標」が、流動性のワナのもとでも有効であると主張した。』と書かれています[24]

このように、インフレ率が流動性のワナとなんらかの関係がありそうだという論評はよくあります。


ほかにも、「流動性のワナ」のほうを要・修正視または疑問視する論表もあります。

ある論者は、疑問視こそしてないですが、「バランスシート不況」という考え方では、恐慌時などには投資家がリスク回避志向になり、不況時は銀行の行動パターンが投資から債権回収などに移るので、この時期に政府が金融政策しても、あまり効果のないというものです。現代で言う、いわゆる「貸し渋り」です[25]

ケインズ本人の考察では「貸し渋り」が含まれていません。もしかしたらケインズ本人はいまで言う「貸し渋り」まで考えて「流動性のワナ」と言ってたとしても、やや飛躍が過ぎるように思えます。

要するに、「貸し渋り」こそが、金融政策の本当の原因だと考えるなら、逆に言うと低金利であっても貸し渋りを防げる仕組みなら、構わないわけです。

また、このバランスシート不況の考えかたでは、金融危機による金融機関への信用不安という背景が理由なので、「じゃあ信用不安がなければ、べつに低金利でもいいよね」となるわけです。事実、2010年以降の現代日本では、「マイナス金利」という仕組みすらあります(もっとも、この2010~20年台のマイナス金利は、日銀の金利なので、一般の預金者には関係ないが)。しかし、2010年台の日本ではマイナス金利でも別に社会に恐慌のような金融不安が広がっているわけではないですから、ケインズ的な「流動性のワナ」の議論を単純適用すればマイナス金利では大不況になりそうですが、しかしできなさそうです。


もはや、ケインズのLS-IM理論を単純適用するのには、時代的に無理がありそうです。あくまでLS-IM理論は、1930年前後の世界恐慌およびそれに類する不況的な現象への一時的な処方箋にすぎないでしょう。21世紀の我々には、世界恐慌以降の歴史もふまえて新しくアップデートされた経済理論が必要になりそうです。


統計学の用語で擬似相関(ぎじそうかん)という言葉があって、よく「水難事故の件数」と「アイスクリームの売れ行き」が例になります。「統計的には、アイスクリームが売れる時期は、水難事故も多い」というものです。これでもし「アイスクリームを食べると水難事故にあってしまう!」とか考える人は、単なる馬鹿です。答えは単に、「夏になるとアイスが売れるが、夏には水遊びをする人も多いので水難事故も多い」というだけです。

あ、べつに流動性のワナが擬似相関だとは言ってません。擬似相関ではないとも言ってませんが。なのでwikiの中立性の問題には引っかかりません。擬似相関を紹介したくらいで中立的でないといわれる学説をあがめている学派があれば、学派としては大問題でしょうね。


もっとも、ほぼすべての経済学説は、程度の差はあれ擬似相関です。なぜなら、物理学などとは違い、経済学の「法則」には永久不変の法則はまず無いからです。あくまで、比較的に長い時代の、比較的に長い経済制度のもとでは、こういった情況ではこういった結果になりやすい、という傾向にすぎないのが、経済学の「法則」です。

なので、擬似相関であっても、議論でアイデアを集約するための道具の共通語として便利でありさえすえば良いのです。「流動性のワナ」が便利かどうか知りませんが。少なくとも、マイナス金利もロクに説明できないような不便さがありますが。


「リーマンショック後の対応でケインズ政策が有効だと証明された」といっても、しかし多くの欧米先進国は非伝統的な金融政策も採用しており、たとえば低金利のもとでインフレ誘導をするような金融政策を実施しています。

実際、1990年前後の日本の不動産バブル崩壊後、日本国は2000年代初頭に「量的緩和」として、非伝統的な金融政策である日銀のバランスシートの拡大、およびそれらの「量的緩和」をインフレ率が安定的に0.数%になるまで続けるという政策を実施しました。[26]


なので、「リーマンショックで証明された」のは、実際にはケインズ理論そのものというよりも、せいぜい、(ケインズ理論と対立している)「新自由主義には間違っている部分もある、ということが証明された」という程度のものなのが実際の意味でしょう。

たとえば「恐慌時には、連鎖倒産などを防止するために、政府が市場介入するとよい場合もある」程度の意味でしかないでしょう。けっして、ケインズ理論が証明されたわけではないでしょう。

「ケインズ理論も新自由主義も両方とも間違っている」という可能性もあります。評論家の本ですが「反経済学講座」(犬走文彦、新潮社、2009年8月20日,)がそういうスタンスです。

そもそも、会社が倒産すること自体は悪いことではありません。なぜなら、誤った需要予測をしている経営者がいれば、売れ行き不足などによる倒産などのペナルティを受けなければなりません。経済思想家ハイエクなどの思想が、こういった思想です。

そのような誤った経営をしている会社がもし倒産せずに補助金などで生き延びると、そのせいで資源は浪費されるし、人員も浪費されます。

だからダメな会社が倒産すること自体は良いことです。時代遅れのビジネスをしている会社も、倒産してもらわないと困ります。

「景気循環論」などの言葉で調べれば分かるでしょうが、一般的に、経済学・経営学などでは、不況または倒産そのものは防ぐべきだとは言ってないのです(論者にもよるが)。経済思想家ハイエクなども、このような思想であるようで、あまり企業を救済しすぎるべきではないとの立場のようです。

ハイエクなどの思想では、不況の救済のために必要以上の補助金を投入する事こそが、次のバブルおよびその破裂による恐慌をまねくとの思想があります『世界恐慌を予言した人たち~金融緩和がはらむ反動リスク 』 2018/9/18

ハイエクが具体的にどういったかについては、現代の事例と異なるので、あまり現代の役に立たないので、このセクションでは述べません。そもそも経済学は個人崇拝の学問ではありません。単に、このページの説明が著者の思いつきではなく経済思想の流れも紹介しているという学問としての体系性を示す一例として、ハイエクを紹介しただけです。

このような考えがあるので、ハイエクなどオーストリア学派の考えでは、不況は(緩和はあっても良いが、しかし)避けるべきではないとの事であり、そもそも不況を避けることは不可能という認識であり、このため彼らは「景気循環」という言葉を使います。(不況を含む)景気循環を避けると、経済は却って悪化する、という世界観がハイエクたちです[27]


ハイエクの意見ではないですが、不況を避けるべきではない理由の極端な例ですが、たとえば縄文土器の生産メーカーでもなんでもいいですが、そういう時代遅れのものを「実用品」として市井のデパートなどで大量販売されても困るのです。

恐慌の問題は、ダメな会社の巻き添えで、ダメでない会社まで倒産するのが問題なだけです。

事実、恐慌のときの市場救済のための補助金といっても、限りがあります。ハイパーインフレを起こさない程度の補助金でしかありません。


しかし、経営の間違いに気づいた人が、その間違いを直すためにも、お金は必要です。売れない商品の生産ラインを作り変えて、売れる商品のラインに直すためにも、投資の費用が掛かるのです。なので、ささいな経営の間違いを直すことを促進するための補助金ぐらいは必要かも、といった所でしょうか。


歴史的には、大した恐慌対策をとらずに自然に恐慌が収束した例もある、という学説があります。1930年代の世界恐慌よりも前に、1920年に発生した恐慌が、そのように自然収束して自律回復した恐慌かもしれないという説もあります。オーストリア学派がこういった説の立場です[28]。なお、当時のアメリカは金本位制だったことと、第一次大戦の放漫財政で金の保有量が減っていたことから、対策をとろうとしてもアメリカ政府のハーディング大統領は対策をとれなかったというのが真相のようです。


さて、論理学に「逆は必ずしも真ならず」という格言があります。

人物Aは日本人男性である → 人物Aは人間である

これは正しいです。なぜなら、日本国籍は人間でないと取得できないからです。


しかし

人物Aは人間である → 人物Aは日本人男性である

は正しくないです。

たとえばフランス人の誰かB氏を考えてください。B氏は人間ですが、しかしBは日本人ではなくフランス人です。


しかし、経済現象では、このような因果関係を、これを勘違いします。

「貨幣錯覚」など、その典型でしょう。


消費の低迷 → 消費依存型産業の物価デフレ

これはあると思います。売れ残りの商品は、価格を下げないと在庫費として経営を圧迫させるからです。

しかし、

消費依存型産業の物価デフレ → 消費の低迷

これは疑問です。なぜなら、技術革新などによって生産コストが下がれば、物価も下がるからです。

また、そのような技術革新を活用できない労働者は、革新の速度にもよりますが、長期的には技術革新についてけない人は淘汰されるべきです。そうでないと、努力して技術革新についていった人の労力が報われません。

また、この議論から、インフレを「絶対的に正しい」とする主張もまた間違っていることが認識できます。単に日本中で設備破壊などをしまくってて生産性を低下させればインフレになりますが、そのような破壊行為が人々の暮らしにとって正しいわけありません。

あくまで、「人やモノや設備を大切にあつかった上で、その上で避けられない最低限のインフレなら、正しい場合もある」ぐらいの程度しかいえないでしょう。


さて、「逆は必ずしも真ならす」はインフレでも同様でしょう。

消費の活況 → 消費依存型産業の物価インフレ

これはあると思います。


消費依存型産業の物価インフレ → 消費の活況

これはやや疑問です。もちろん、貨幣錯覚によって一時的には消費が活況になる場合もあるでしょう。また、政府が信頼されていればいるほど、その確率は上がるかもしれません。でも、あくまで一時的です。

よく景気対策は「カンフル剤」(気つけ薬)だと言われます。あくまで一時的なものです。



たとえば日本では、高度成長も終わった昭和末期の1980年代、ディスインフレでした。しかし消費は活況です。そして1980年代後半には、バブル直前の黄金期を迎えたほどです[29]

一部の頭の悪い経済評論家の中には、「デフレだと絶対に(あるいは高確率で)不況になる」などと主張する人もいますが(一部の自称「リフレ派」や自称「MMT」論者など)、しかしこの1980年代の日本経済の事実だけで、自称「リフレ派」の頭の悪い人の意見を葬れます。

また、一部の頭の悪い論者は、平成不況を例に「デフレは物価の下落ではなく、需要の低下だ」と独自の珍妙な定義を提唱する評論家もいますが、同様に1980年代の統計的事実だけで葬れます。

変な自称「経済評論家」の独自「デフレ」定義をつかわずとも、低金利時のインフレ誘導の効果を十分に説明できます。

事実、再掲しますがクルーグマンが伝統的な「インフレ」の定義をもとにインフレ誘導の効果を説明しているのでした。

福山慎一『マクロ経済学入門 第5版』(有斐閣)によると、クルーグマンが(書籍の解説文の引用)『中央銀行が将来のインフレ率を公約する「インフレ目標」が、流動性のワナのもとでも有効であると主張した。』と書かれています[30]


また、変な自称「経済評論家」の独自「デフレ」定義のある書籍中では、「デフレ」を需要低下の意味で使っている場面と、単に物価下落の意味で使っている場面があり、読んでて読解の手間が増えるだけで面倒です。

そもそも、すでに「デフレ・スパイラル」という用語によって、不況時のデフレをもとにした相互作用(ケインズ式上でのGDP予想の低下)によってデフレが深刻化する心理的メカニズムは、説明されています。

なので、わざわざ「デフレ」の用語の定義を変える意味はありません。むりやり定義を変えても、読解の手間が増えるだけで、実務的な意味がありません。自己満足です。


不況とデフレが相関している場合の多い理由はもっと単純で、単に、売れないから値下げするだけです。経済評論家・加谷珪一によって2022年のニューズウィーク日本語版でも次のように言われています、「デフレが不景気を引き起こしたわけではない。不景気でモノが売れず、企業は安値販売を余儀なくされ、これがさらに物価と賃金を引き下げている。高く売ることができる商品をわざわざ安く売っていたわけではない点に注意する必要がある。」だと[31]

この程度の単純な説明で済むことに対して、わざわざデフレの定義を変更するほどの大げさな対応を必要もないでしょう。

「完全競争」とは編集

※ 日本の高校の政治経済では、「不完全競争市場」の例として、寡占や独占などの事例を習う。
だが、そもそも「完全競争」とは何だろうか?
「完全競争」の定義は、日本の高校教科書では扱われない話題になっている。


教科書などで、寡占(かせん、oligopoly)や独占(monopoly)などの、競争をゆがめるような制限のない市場競争のことをよく、経済学では「完全競争」(pure competition)という場合があるが、そもそも完全競争とは何だろうか?

おおむね、つぎのような条件をみたす経済競争・市場競争のことを、「完全競争」という。

  1. 生産者(売り手)と消費者が十分に数が多いという条件。
  2. また、生産者どうしが談合などせず、競争するという条件。
  3. また、生産者どうしも独立していて、他の売り手に大きな影響を与えないという、生産者どうしの独立の条件。買い手もまた、他の買い手に大きな影響を与えないという、消費者どうしの独立の条件。
  4. 消費者はよく商品の情報(特に価格についての情報)を知っているという条件。
  5. その市場への参入と退出が容易だとする条件。

などの条件を満たすのが、完全競争である条件とされる。


また、この寡占や独占のもとでの市場競争は、この「完全競争」の条件が満たされてない。

なので、寡占や独占などの条件下での競争のように、完全競争でない条件での競争のことを不完全競争 (imperfect competition)という。


※ 実は、論者や学派によって、「完全競争」の定義が、微妙に違っている。
なので、日本の高校で「完全競争」の定義を扱わないのは、それなりに合理的でもある。ある論者が「完全競争」の定義とする5つのくらいの規則が、別の論者にとっては、3つくらいの規則から派生的に導出される(完全競争の)「性質」だったりする場合もある。

「不況」と「好況」は前後の相対値編集

 
景気の好景気と不景気の繰り返しのモデル図。グラフの波型の山の部分が好景気を表し、谷の部分が不景気を表している。
Expansion :景気拡大
Boom :好景気の頂点
Recession :景気の後退
Depression:景気の消沈

読者は中学か高校で、景気循環論という、景気には波があるという発想を習っただろう。

この波形の考えにもとづいて「不況」とは何かを考えれば、マクロ経済学でいう統計的に定義できる「不況」の定義は、GDP成長率が相対的に基準の年度と比べて、あるいは前後の年度と比べて、低いことであり、実際にマクロ経済学での「不況」とは単にGDP低成長である。

つまり、「不況」だからと言って、必ずしも経済成長をしていないとは限らないし、GDPがマイナス成長とは限らない。


たとえば、

5年前のGDP成長率を +10、
4年前のGDP成長率を +8
3年前のGDP成長率を +10
2年前のGDP成長率を +2
1年前のGDP成長率を +10

とすれば、全体としてプラス傾向が続いているが、しかし4年前と2年前は前後の年と比べてGDPが低いので「不況」に当てはまりうる。

上記の例で「不況」とされた2年前は、例では比較的に「好況」とされている3年前よりも、実は2年前のほうがさらに経済成長をしているのである。


このようなメカニズムにより、市況の景況感と、実際のGDP成長率とは異なる。


なお、「経済成長」とは単に、GDPの経年による増加であり、インフレなどの名目の影響を除外するために、普通は実質GDPで経済成長率を算出する。


俗に、経済史の庶民の談義で「平成はバブル崩壊後、不況が長く続いた」と言われるが、しかしそれはマクロ経済学的に言えば不正確な言い回しであり、より正しく経済学的に言うならば「平成は低成長の時代だった」のように言い換えるべきなのである。

「不況」「好況」とは前後の相対値でしかないので、往々にして曖昧な指標になりやすいので、庶民の議論で使う用語としては普及しているが、しかし経済学的には、やや不便であろう。

※ 数学的に例えるなら、前後の相対値とはつまり、微分方程式みたいなものである。微分方程式は、初期値などの定数によって解が変わる。論者によって基準となる年度がバラバラなので、初期値定数が人によってバラバラで曖昧なので、あまり深い議論にはならない場合が多い。

曖昧な相対値ではなく、GDPや経済成長率などの統計的により直接的に算出できる用語を使うほうが精度の高い議論をしやすく、「高成長」や「低成長」や「マイナス成長」などの用語を使うほうが、より正確な経済議論をできる。

※ 数学的にいうなら、微分方程式ではなく、中学高校レベルの一般的な代数方程式で算出できるので、解が一意に定まりやすく、精度が高いという事。


労働価値説と限界革命編集

労働価値説の否定編集

※ 有斐閣の塩沢『経済学・入門』とか柳川『ミクロ経済学・入門』を読んでも、労働価値説が限界革命によって否定された歴史を書いてない。マンキュースティグリッツの著作にも無かった。

現在でこそ商品の価格は需要と供給によって決まると、当たり前のように経済学の教科書に書かれていましたが、アダム=スミスやマルクスの時代は違いました。

アダムスミスなどの古い時代、「価格は、その商品を凄惨するために必要な労働量で決まる」とされていました。このような労働量や労働負担だけで価格の決まる考え方を労働価値説といいます。

もちろん、現代では基本、労働価値説は否定されています。

経済思想史などをいちいち調べなくても、そもそも労働価値説では、世間のスーパーマーケットなどでもよくある売れ残りの在庫品の大安売りなどすら、ろくに説明できません。(経済学は現実の経済を説明する学問ですので、アダム・スミスの本に何が書いてあろうが、スーパーの商売すら説明できない仮説に価値なぞないでしょう。)

在庫を保管するのにだって労働は必要ですので、むしろ売れ残り品のほうが労働価値説では値段が高くなってしまい、不合理でしょう。

このような意味不明の労働価値説ですが、しかしアダム・スミスの時代、労働価値説が有力説だとされている、恥ずかしい時代がありました。


しかし、後述するような「効用革命」によって、労働価値説は否定されました[32]


また、労働のほとんど掛からない自然の産物に高い価格がつく場合もあります。19世紀後半~20世紀の経済学者メンガーによると、労働価値説は、原因と結果の因果関係を逆にとらえてしまった誤解とのことです。

つまり、価格はあくまで需要によって決まり、財の生産者(つまり経営者)は市場で売れる価格にあわせて利益が出るように労働および経費などの投入量を調節します[33]。しかしそういう経営者側の思考過程を知らない人が結果だけ見ると、あたかも労働が価格を決めるかのように誤解するわけです。

効用革命編集

さて「効用革命」では、まず効用の大きさを「効用関数」Uのような数式で表します。効用は、消費者の満足度を仮に数値化したものだとします。

そして、消費者は、いくつもある消費計画のうち、みずからの効用関数を最大化させるような消費計画を選ぶ、とするものです。これを「効用最大化仮説」と言います。

たとえば、ある消費計画Aと、別の消費計画Bについて、それぞれ効用をU(A)およびU(B)とします。念のため言い換えるなら、消費計画Aの効用がU(A)です。同様に消費計画Bの効用がU(B)です。

そして、たとえば、もし

U(A) > U(B)

なら、消費者は消費計画Aを選ぶ、という理論です。

同様、もし

U(A) < U(B)

なら、消費者は消費計画Bを選ぶことになります。


ただし、効用の大きさそのものを数値化することは一般にはできず、ただその大小関係・順序にのみ意味があります。数学の用語で言うと、代数システムのうちの順序関係・大小関係のことを「序数」と言うので、効用関数の上述のような性質のことを「効用の序数性」と言います[34]。書籍によっては便宜的に効用が数値で表される場合もありますが、しかしその数値はあくまで便宜的なものに過ぎず、数値の絶対的な大きさには意味は無い[35]

※ 英語学では first や second や third などの単語を「序数」と言いますが、数学の「序数」とは若干、意味が違います。

ただし、微分の計算上、たとえばステーキの購入計画Cとワインの購入計画Dとで、ステーキ1単位を購入することがある人にとってワイン何単位ぶんの購入に当たるかの計算は可能です。こういう、購入量1単位ごとの効用の換算値を、限界代替率と言います。

また、「効用」は、主観的な量です[36]。つまり、効用の大きさは、それぞれの消費者の主観で決まります。

一個人の主観にすぎない「効用」が、どうやって消費者集団となって価格の調整をするのか、あらためて考えてみると難しい問題ですが、本ページではそういう考察は省略します。一般の経済学入門書を見ても、そういう話題はまったく書かれていません。

もしかしたら統計学の「平均化」などの手法や、あるいは微分積分の積分などで容易に効用を矛盾なく数学的に記述できるのかもしれませんが、単なる数学的記法の違いにすぎないので、本ページでは深入りしません。

読者は文脈に応じて、ある程度に均質化された集団の「効用」だとかを、うまく脳内で補足しながら読んでください。

こういう、「効用」の概念のあやふやさを考えれば、やはり効用価値説の学習は、労働価値説の否定とセットで捉えるべきでしょう。現実に合わない「労働価値説」をさっさと葬るための、経済学者たちによる取りあえずの間に合わせの理論のような側面があるでしょう。

もしかしたら効用価値説が主観によって違うことを利用すれば、たとえば国によって価格が違うことなども説明できたりして貿易の理論の基礎に流用できるかもしれないですが(民族などによって好みが違うので)、しかし通常の経済学の入門書では、そのような考察には入りません。


さて、「効用」そのものは測定できませんし、よって限界効用も測定できませんがしかし限界代替率は測定できます。 例として、「ステーキ1単位を購入することがある人にとってワイン何単位ぶんの購入に当たるかの計算は可能です。こういう、購入量1単位ごとの効用の換算値を、限界代替率と言います。」でしたので、つまりステーキとワインとの交換比率を比較的に多くの人を対象に測定すれば、限界代替率を測定できるからです。

限界代替率を測定することで、経済学に革命を起こせることに気付いた経済学者が、経済学者ヒックスでした[37]

歴史的には、限界効用の発見時期と、パレートによる限界代替率の発見時期と、ヒックスによる閃きの間には開きがあるのですが、現代の読者である21世紀の私たちにはそんな都合は関係ありません。

最新の知見によって理論を再構成することで見通しをよくするのが科学教育の基本パターンです(もっとも経済学者では、そんなことまで説明しないが)。


限界効用の定義式は、おおむね、数学における微分のようなものだと思って大丈夫でしょう。慶応義塾大学出版会『経済学の歴史』でも、「限界効用」について「微分積分を応用」だと説明しています[38]


「効用逓減(ていげん)の法則」というのがあります。ある種類の物があふれると、その物ひとつ当たりの価値は小さくなるというものです。

たとえば水は生命活動に不可欠に限らず、ダイヤモンドより価格が安いです[39]。同じ美術品を何度も鑑賞すると、しだいに飽きてきます[40]

慶應義塾大学出版会の小畑二郎『経済学の歴史』が言うには、経済現象に限らず、どうも人間の心理的または生理的な法則で、このような法則があるのかもしれない[41]、という説もあります。

マンキュー経済学では希少性などが基本原理に近いところにあるので証明不要かもしれませんが、マンキュー理論を採用せずとも、「効用逓減の法則」でも説明可能でしょう。

マンキューに始まったことではなく、どうも近代経済学者ワルラスが「希少度」という用語で限界効用と似たような考えを説明したらしいです[42]

このように、「限界効用」と「希少」性は、必ずしも一致するとは限らないかもしれませんが、しかし上述のように密接な関係にあると考えるのが経済学史および経済思想史の観点からは言えるのかもしれません。

脚注編集

  1. ^ 『ビジネス基礎』、実教出版、令和2年12月25日検定、令和4年1月25日発行、P61
  2. ^ 滝川好夫『図解雑学 ケインズ経済学』、ナツメ社、2010年11月21日初版発行、P180、
  3. ^ 塩澤修平『経済学・入門』、有斐閣、2021年、4月30日 第3版 第5刷 発行、P202、P258
  4. ^ 『ビジネス基礎』、実教出版、令和2年12月25日検定、令和4年1月25日発行、P62
  5. ^ 福田慎一・照山博司『マクロ経済学・入門』、有斐閣、2016年3月30日 第5版 第1刷、299ページ
  6. ^ 福田慎一・照山博司『マクロ経済学・入門』、有斐閣、2016年3月30日 第5版 第1刷、302ページ
  7. ^ 根井雅弘『 サムエルソン『経済学』の時代 』、中央公論新聞社、中公選書、2012年1月10日 初版発行、P68
  8. ^ 根井雅弘『 サムエルソン『経済学』の時代 』、中央公論新聞社、中公選書、2012年1月10日 初版発行、P68
  9. ^ 根井雅弘『 サムエルソン『経済学』の時代 』、中央公論新聞社、中公選書、2012年1月10日 初版発行、P68
  10. ^ 小室直樹『小室直樹の経済原論』、東洋経済新報社、2015年6月11日発行、P509
  11. ^ トマ・ピケティ『21世紀の資本』、訳 山形浩生・森岡桜・森本正史、東洋経済、みすず書房、2015年1月15日、13ページ・15ページ
  12. ^ 『第5章 ケインズの経済学』 P51
  13. ^ 福田慎一・照山博司『マクロ経済学・入門』、有斐閣、2016年3月30日 第5版 第1刷、194ページ
  14. ^ たとえば 犬走文彦『反経済学講座』、新潮社、2009年8月20日、P142
  15. ^ 小室直樹『小室直樹の経済原論』、東洋経済新報社、2015年6月11日発行、P541
  16. ^ 小畑二郎『経済学の歴史』、慶應義塾大学出版会、2014年11月28日 初版 第1刷 発行、P296
  17. ^ 『第5章 ケインズの経済学』、P58 2022年4月6日に確認.
  18. ^ 『第5章 ケインズの経済学』、P58 2022年4月6日に確認.
  19. ^ 滝川好夫『図解雑学 ケインズ経済学』、ナツメ社、2010年11月21日 初版発行、、P60
  20. ^ 石井力『先物市場の「流動性の罠』,P82 2022年4月6日に確認.
  21. ^ 鈴木明彦『コラム:所得増えぬまま物価目標2%達成なら、消費者から悲鳴か=鈴木明彦氏』 2022年4月6日に確認.
  22. ^ 三橋孝明『黄金の拘束衣を着た首相』、飛鳥新社、2015年2月6日 第1刷発行、P129
  23. ^ 犬走文彦『反経済学講座』、新潮社、2009年8月20日、P134
  24. ^ 福山慎一『マクロ経済学入門 第5版』、有斐閣、P223
  25. ^ 犬走文彦『反経済学講座』、新潮社、2009年8月20日、P134
  26. ^ 福山慎一『マクロ経済学入門 第5版』、P224
  27. ^ 犬走文彦『反経済学講座』、新潮社、2009年8月20日、P154
  28. ^ 犬走文彦『反経済学講座』、新潮社、2009年8月20日、P159
  29. ^ 藤巻健史『マネーはこう動く』、光文社、2007年7月30日 初版発行、P59
  30. ^ 福山慎一『マクロ経済学入門 第5版』、有斐閣、P223
  31. ^ [1] 2022年4月9日に確認.
  32. ^ 坪井賢一:コラムニスト『価値は効用(満足度)で決まるーーとした 新古典派の概念は今日の企業活動でも生きている【新古典派経済学】その2』2015.7.27 5:03
  33. ^ 小畑二郎『経済学の歴史』、慶應義塾大学出版会、2014年11月28日 初版 第1刷 発行、P236
  34. ^ 塩沢修平『経済学・入門』、有斐閣、P60
  35. ^ 塩沢修平『経済学・入門』、有斐閣、P59
  36. ^ たとえば 塩沢『経済学入門』、P59 など
  37. ^ 小室直樹『経済学をめぐる巨匠たち 経済思想ゼミナール』、ダイヤモンド社、2004年1月8日、P202およびP203
  38. ^ 小畑二郎『経済学の歴史』、慶應義塾大学出版会、2014年11月28日 初版 第1刷 発行、P161
  39. ^ 小畑二郎『経済学の歴史』、慶應義塾大学出版会、2014年11月28日 初版 第1刷 発行、P172
  40. ^ 小畑二郎『経済学の歴史』、慶應義塾大学出版会、2014年11月28日 初版 第1刷 発行、P172
  41. ^ 小畑二郎『経済学の歴史』、慶應義塾大学出版会、2014年11月28日 初版 第1刷 発行、P172
  42. ^ 小畑二郎『経済学の歴史』、慶應義塾大学出版会、2014年11月28日 初版 第1刷 発行、P174