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世界経済編集

日本経済の国際化による日本と海外の国々との関係とこれからの課題について学習しましょう。

  • 貿易:うまく貿易して得をするには?
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自然環境問題を経済で解決できるでしょうか。

  • 都市と環境:ごみ問題、大気汚染、水質汚濁、渇水、オゾン層の破壊、こうした問題を私たちは解決できるのでしょうか。
  • 持続可能な発展:「宇宙船地球号」
  • 生態系と環境:生態系を守ることこそ、私たちの未来に必要です。
このページ「経済学基礎」は、書きかけです。加筆・訂正など、協力いただける皆様の編集を心からお待ちしております。また、ご意見などがありましたら、お気軽にノートへどうぞ。


未分類編集

資源の希少性など編集

経済学では、考える資源は建前上は、有限である。


当たり前の前提かもしれないが、経済学以外の学問や評論では、しばしば資源の有限性を無視した議論(往々にして詭弁や暴論)が普及している場合もある。

クルーグマンやスティグリッツやマンキューなど、多くの経済学者も、彼らの教科書で、資源の希少性が経済学の前提であると説明している。


また、人々が望んだからと言って、それを生産できるとは、かぎらないと、マンキューは説明している。


これはwikibooks独自の比喩だが、たとえば医薬品として、エイズの完全治療薬を望んでも、それは現状の医学では生産不可能である。

数百年前の時代を上げれば、たとえば結核や らい病 の治療薬のなかった時代もあった。こういう例を考えれば、読者は納得していただけるだろうか。


このほか、資源を超えた量の生産は不可能である(とマンキュー曰く)。


経済では、「生産量」などを議論するが、上記のようなことが、建前上は前提になっている。


初歩の経理的なお話編集

典型的な「生産」における「費用」の用語を解説する。

  • 人件費とは

まず、会社が労働者を雇うには、その労働者に給料を払う必要がある。

このような、労働者に払う給料など、従業員を確保するためにかかる費用のことを、(日本では)一般に「人件費」という。


  • 固定費とは

さて、人間だけでは生産ができず、なんらかの土地や設備が必要である。

説明を簡単にするため、製造業などの工場を考えよう。


まず、その工場の用地を確保するための費用が必要である。


そして、土地を確保したあとも、固定資産税などを毎年払う必要がある。


土地の購入費用は1回購入してしまえば、翌年からはかからないが、しかし固定資産税は毎年かかる。


この固定資産税のように、毎期間、かかる費用のことを「固定費」(fixed cost)という。


なお、会計の分野では、(保有株式などの)債券の利子も固定費に含めるが、しかし会計の制度に依存する内容なので、 本書では説明を省略する。


  • 減価償却とは

さて、その工場の持っている機械などの設備は、年月が経てば、さびたり摩耗したりして、劣化していく。


このため、設備の価値は、数十年後には0円になる(もしくは大幅に価値が減額する)として、計算する。


このように、経年による設備の劣化を考慮して、その工場の保有資産の価値の計算の際に、保有価値の金額を設備の劣化ぶんだけ減らしていくことを、 減価償却(げんか しょうきゃく、deprecation)という。


減価償却の基準は(1年ごとに何割減らしていくかとか)法律や業界の制度などによって、あらかじめ決まっているので、経理の際には、その制度に従って経理処理する。


  • 変動費

さて、固定費があるなら「変動費」もあるわけだ。

工場の変動費(variable cost)は、たとえば原材料費などである。


人件費が固定費か変動費かは、その会社の経営方針や業界などの慣習によって異なりかねないので、本書では言及しない。


機会費用編集

たとえば、大学に留年を1回したとしましょう。

で、大学の学費が年間で100万円だとしましゅう。


そうすると、あなた(およびアナタの家は)100万円の損をしたように感じるでしょうか?


実は、それ以上の損をしているかもしれません。それがこれから話す「機会費用」です。


あなたが留年して卒業が1年遅れたとすると、定年までに(パート労働ではなく)フルタイムで働ける年数も(少なくとも)1年減ります。


すると、そのぶんの賃金を手にする機会も減ったことになります。


たとえば、一般の会社に就職して、フルタイムで1年間働けば、どんなに低賃金の会社でも、普通は年間200万円くらいの給料はもらえます。


すると、損した金額は、大学の学費100万円だけでなく、さらに+200万年の計算をする必要があるかもしれません。

つまり、合計300万円、損したことになるかもしれません。


こういった考え方が、機会費用です。


さて、合計額の300万円のほうが機会費用の金額なのか、それとも200万円のほうが機会費用の金額なのか、そういうことはあまり本質的でないので、説明を省略します。


パレート効率編集

しばしば「経済効率」という用語がニュースや経済評論などであるが、しかし現代の主流の経済学では、じつは経済「効率」は、特殊な事例をのぞいて数値化できていない。

そして、さらに経済学でいう、厳密に定義できる「効率」とは、じつは一般の国語や英語でいう効率とは、意味が異なる。

※ なのでエコノミストのいう「経済効率」などの表現は、けっして鵜呑みにせず、注意深く吟味しよう。ある評論家が「経済効率」といっても、その意味はもしかしたら 1人当たりGDP のこととか、あるいは労働時間あたりの1人あたりGDPなどの労働生産性なのかもしれない。

経済学でいう「効率」とは、しばしば、「パレート効率」 (Pareto efficient)という概念のことである場合が多々ある。(昔は「パレート最適」と訳されていたが、最近は「パレート効率」や「パレート効率的」などとも訳されるようになった。)

パレート効率とは、たとえば、100人の民間人がいて、もし政治家などが経済政策で環境を変えたとき、その民間人100人の誰か一人以上に不利益・不満などを与えてしまう状況のとき、経済政策を変える前のもとの状態は「パレート効率的」である、とされる。

つまり、もし経済政策など環境条件を変えてしまうと、その社会(ある国など)での経済活動の参加者に、なんらかの不利益を与えてしまうとき、もとの環境は「パレート効率的」であるとされる。


ここで注意すべきことは、かならずしも、「パレート効率的」な状態が最高の状態とは限らないことである。


たとえば、(wikibooks独自の例だが)もし無人島に2人の人のXさんとYさんが流れ着いて、1人ぶんの食料を毎日生産できる農地だけがあったとしよう。救援の船は、こないとする。

このうち、Xさんの人が農地を耕して自分(Xさん)のための食料を生産する状態を仮に状態Aとすれば、この場合は残り1人のYさんは死んでしまう。


だが、状態Aをやめて、もしYさんに農地を与えてYさんの生き延びさせたら(仮にこれを状態Bとする)、今度はXさんが死んでしまう。

なので、状態Aは、もし、そこから状態を変えるとXさんに不利益(死)を与えるのでパレート効率的である。


同様に、状態Bは、もし、そこから状態を変えるとYさんに不利益(死)を与えるのでパレート効率的である。


このように、パレート効率的な状態には、複数の異なる結果となる場合もある。かならずしも1つだけの結果とは限らない。


パレート効率的とは、単に、効率的でない状態よりかはマシ・・・な程度の意味でしかない(と経済学者スティグリッツも彼の教科書で言っている)。 スティグリッツが言うには、経済学でいう「効率」とは通常、パレート効率のことだと、『スティグリッツ入門経済学』(和訳は東洋経済から)とまで断言している。


無人島の2人の例にたとえれば、XさんもYさんも2人とも死ぬ状態(仮にCとしよう)と比べたら、状態Aや状態Bはマシなので、状態Aも状態Bもそれぞれパレート効率的である。

価格統制編集

経済政策の経験則として、(独占市場ではなく)競争市場における価格統制は、結果的に混乱をもたらすことが多いとされ、あまり好ましくないとされる。クルーグマンやスティグリッツやマンキューなど、多くの経済学者も、彼らの教科書で、それを説明している。

クルーグマンは、ベネズエラ国のチャベス政権での食料価格統制の結果として、ベネズエラ国で食糧難が実際に起きたと主張している。

なお、需要供給曲線をつかった分析でも、価格統制が本来の均衡点の場合よりも供給量を小さくするのが図示できる(どこの経済教科書にも書いてある)。

しかし、ステイグリッツに言わせれば、競争市場でのこのような価格統制の失敗例の理論は必ずしも、政府が市場に介入すべきでないという事ではなく、単に、もし介入するなら価格統制でない手段にするほうが良い、というだけのことである。(少なくともスティグリッツはそう彼の教科書で主張している。)

たとえば、何らかの業種での価格の上限規制の代わりに、買い手の側に補助金を与えるという代替案を、スティグリッツはそう主張している。

ただし、あくまでも、競争市場での場合である。クルーグマンでさえ、独占市場における価格統制は、このような不利益をもたらさないと主張している。価格統制が財の不足などの混乱をもたらしやすいのは、あくまでも競争市場で価格統制をおこなった場合である。

しかし、実際のアメリカでは、上述のような経済学説がよく知られているにもかかわらず、ニューヨークの借家業界では家賃の価格統制が行われている(とクルーグマンもマンキューも、アメリカの不動産事情を説明している)。この家賃の(上限)価格統制により、おそらく修繕などの費用が削減されて、低品質な住宅が供給されている可能性があると、クルーグマンやマンキューなどは言及している。


なお、ことわりなく価格の上限と使ったが、上述のように、行政などが、超えてならない価格を設定することを英語では price ceiling といい、和訳では「価格の上限」または「上限価格」などと和訳する。


下限価格(price floor)規制もまた、別の問題を引き起こす。よくある例は、農家などへの下限価格規制で、つまり自国の農業を助けるために消費者を払う価格を引き下げさせるわけだが、このような政策でよく起きるのは、供給過剰で、さらに、よく起きる結末として、政府による過剰供給分の買い上げだと、クルーグマン『マクロ経済学』でも(某国(おそらくヨーロッパ?)のチーズ酪農家などの例で)説明している。

また、国や時代によっては、ある農産物の過剰生産分を政府が買い上げたあと、その買い上げ分を廃棄してしまう(※wikibooks追記: 市場に出ると価格暴落を引き起こすので)こともよくあった、とクルーグマン『マクロ経済学』は主張している。


農産物に限らなければ、下限価格規制は、消費者に不要なオーバースペックなサービスや過剰品質の商品につながり、消費者の不利益につながるとクルーグマンなどは説明している。


失業編集

フィリップス曲線の破綻編集

フィリップス曲線という理論が知られており、インフレ率と失業率は、おおむね反比例するという理論である。

これは、日本の1950年代~1990年代まではよく当てはまる[1]

しかし、第二次大戦後から2000年までのアメリカ合衆国がこれに当てはまらない[2]


このようなこともあり、フリードマンなどの経済学者により、フィリップス曲線に代わる新しい失業理論が提唱された。


(入門の範囲外: )なお、インフレ率と失業率を加算した指標のことをミザリー指数(misery index)という。ミザリーとは「悲惨な」というような意味の英語である。ミザリー指数が高いと、消費者は苦しいと考えられている。第二次大戦後のアメリカ合衆国ではミザリー指数は通常は10%前後だが、1975年と1980年にミザリー指数が上昇して数か月~1年程度のあいだ20%近くになり、悪化した。


摩擦失業と構造的失業編集

よく「失業」が経済問題にされるが、転職のさいにも数週間~数か月ていどの一時的な失業の発生する場合があるから、不況対策などの問題を語るときには、このような短期間の失業は除外する必要があるだろう。

(転職などに伴うとされる)数週間~数か月ていど(高々3か月ていど)といった比較的に短期の失業のことを摩擦的失業(frictional unemployment)という。


さて、失業の発生原因とは、単純に言うと、その職につきたい希望者の人数が、現行賃金のもとで雇用者側が必要としている人数よりも多いから、発生するわけだ(細かい例外はあるだろうが、ひとまず除外する)。

で、このような場合の失業は、通常は短期ではないと考えられており、構造的失業(structual unemployment)といわれる。


構造的失業の例としてよく言われる例は、IT産業など新産業の急激に変化した時代などでは、 直前までの時代には土建業などの比較的に古い産業の希望者が多く、それら古い産業の需要が減って、

しかし、解雇された労働者には新しいIT産業などの能力がないために失業が長期化する、といった例がある(たとえばスティグリッツがそう言っている)。


  • その他の失業用語
完全雇用

アメリカでは4%または5%の失業率は、好景気の時代でもこれくらいの失業者はいると思う経済評論家が多く、この失業率(4%または5%)まで失業者が低下した状態のことを完全雇用(full employment)という。

べつに、けっして統計的に失業率が完全雇用を下回らなかったという事ではなく、完全雇用は単なる目安でしかない。

季節的失業

たとえばアメリカでは、建設業界では、冬は、ほぼ毎年、仕事が減るので建設業での失業者が増える。このように、特定の季節にだけ失業者が増える業界があり、このような業界での定期的な失業のことを季節的失業という。


フリードマンの自然失業率仮説編集

「自然失業率」(natural rate of unemployment)という言葉があるが、(wikibooks追記: )どうやら「自然失業率」という呼び名に反して、あまり自然ではなさそうな失業率であるので、この用語を見聞きした際には注意が必要だろう。


市場経済の国なら、どんなに景気のいい時代でも、かならずといっていいほど、少数の割合だが失業者がいるとされるので(だいたい数%ていど)、自然失業率と呼ばれるようになった。(主にフリードマンが提唱した。なお、フルードマン以前は、インフレによって失業率を減らせるという理論(フィリップス曲線)があったので、このフィリップス曲線に対する反対意見・批判・修正でもある。)


このように、景気にかかわらず一定割合でいる失業者によって発生する失業率失業率のことを自然失業率という場合がある。

ただし、この自然失業率の算出方法が、それとは違う。

「自然失業率」として算出された数値が、ほんとうに自然なものか、吟味する必要がある。

算出方法編集

景気の変動などで実際の失業率はやや周期的に波上に上限に変動すると考えられているので、

実際の失業率を、一定期間の平均的な高さの曲線でならしたものが自然失業率であると、経済学では されている。

なお、この平均曲線の失業率と、実際の失業率とのズレのぶんを、循環的失業(cyclical unemployment)などという。

なお、フィリップス曲線の理論と関連づけるなら、インフレが進行したときの失業率の減少は、この循環的失業の部分だとされている(とスティグリッツは言っている)。また、政府の経済対策などの成功によって減少できる失業率も、この循環失業率の部分だけである(とスティグリッツは言っている)。

しかしマンキューは、スティグリッツのような意見には反対しており、つまり、自然失業率は経済政策の影響を受けないとは限らないと主張している。

このスティグリッツとマンキューの差異のように、あまり自然失業率の細かい定義はハッキリしない。


インフレと「実質」編集

経済学では、インフレの考慮して修正した指標を実質〇〇(real 〇〇)のように言うことが多い。

実質GDPや実質利子率などがある。


「実質」というと、あたかも実態に近いように思われるが、単にインフレ分を割ったり差し引いたりしただけである。


たとえば、実質利子率は、次のように引き算で定義される。

実質利子率 = 名目の利子率 - インフレ率


この式なら、もし名目利子率が3%でインフレ率も3%なら、実質利子率は0%となるので、あたかも銀行に預けても利益がなさそうに誤解してしまう。

だが、もしこのインフレ状態で銀行に預けず、その資金を投資にも回さなければ、アナタの購買力は毎年3%ずつ減少していくだけである。


なお、実質利子率の数値は、銀行に預けた場合の購買力の増加を表している。

インフレ状態では銀行に預けないと、その資金での購買力が減るのだから、実質利子率が0%でも購買力を減らさずに現状維持できているのでメリットは存在する


分野によってインフレ率の算出法が異なる編集

ある国の経済がインフレだといっても、産業や業種や商品ごとに、価格上昇の度合は違う。

それどころか、そういう時代であっても、価格の下落する商品すら存在している場合もよくある。

なので、インフレ率の精密な算出には困難が伴う。

そのような事情もあり、インフレ率の算出方法には、種類がいくつもある。

「物価指数」と言われるものがあり、これは市場にある数種の商品の価格を実際に行政が調べて、基準年から何倍になったかである。


たとえば、 リンゴでもハンバーガーでも何でもいいが、たとえばリンゴが基準年から20%価格上昇したら、物価水準は 1.2 (=1+0.2)である。

(※ wikibooks追記: もちろんリンゴだけでなく、通常は、いくつもの種類の商品の価格の変動を考慮する。少なくとも日本ではそうである。)


さて、消費者にとって重要な商品と、生産者にとって重要な商品とは違う。


なので、「消費者物価指数」(CPI, consumer price index)と「生産者物価指数」(PPI, producer price index)という、それぞれ別の物価指数が算出されている(少なくともアメリカでは)。

さらに、GDPの計算のときに使う物価指数は「GDPデフレーター」といい、消費者物価指数とも生産者物価指数とも異なる。


そして、GDP計算用の物価指数で名目GDPを割り算した数値のことを実質GDPという。

つまり、

実質GDP = 名目GDP / 物価指数

である。


さて、実は業界ごとに、インフレの度合である物価指数の計算法は、違っている。、

実質GDPの物価指数は計算の方法は、「消費者物価指数」(CPI)とほぼ同じなのだが、しかし、実質GDPの計算の場合のインフレ度合の算出では、係数がCPIの場合とは違うため、両者の数値にときどき違いが出る。実質GDPはその名の国内総生産(GDP)のとおり、国内生産に関する商品の価格変化を重視しており、いっぽう消費者物価指数(CPI)では、消費者には輸入品の価格も関係しているので輸入品の価格も比較的に強めに考慮するので、CPIと実質GDP算出用の物価指数との間に差異が出る。


なお、(名目GDP / 実質GDP )×100 をGDPデフレーターという。

つまり、

GDPデフレーター = (名目GDP / 実質GDP )×100

である。GDPデフレーターを言う場合は通常はパーセントで表すので、100倍することになる。


GDPデフレーターは、実質GDPの算出のさいに用いた物価指数と一致する(または、それを100倍したもの)。

教科書によっては、最初から、実質GDPの算出に用いる物価指数を「GDPデフレーター」というと説明している教科書もある(たとえば『スティグリッツ入門経済学 第4版』)。


さて、消費者物価指数とGDPデフレーターの関係だが、アメリカでは、1970年代の(2度の)石油危機のときに、2度、乖離した。

いっぽう同じ1970年代の日本では、あまりCPIとGDPデフレーターは乖離しなかった。


「金持ちはケチ」は本当か?(限界消費性向のお話)編集

限界消費性向編集

よく、「金持ちはケチ」だと、言われることがある。

たとえば、「金持ちは金を貯めてケチで金を使わないから、だから金持ちに課税して、金を市場に流させろ」とか。

だが、実は、あまりそうとは言い切れない統計的事実がある。


まず、所得が増えたときに、消費支出がどれだけ増えるかのパラメーターのことを限界消費性向(MPC、marginal prpensity to consume)という。

一般に経済学では「限界〇〇」とは、何か(金額など)の投入を1単位ぶん増やしたときに、増える出力の割合のことを「限界〇〇」という。


そして、この限界消費性向を実際にアメリカで測定したところ、よほどの大富豪でないかぎり、限界消費性向の実測値は0.8~0.9で、所得の大小にかかわらず、よく一致することが分かった。

(※ 入門の範囲外: )経済学者クズネッツは1869~1938年の統計を調べ、所得によらず消費性向が 0.9 であることを実証した。

つまり、縦軸に消費額をとり、横軸に所得(可処分所得)をとると、傾き0.8~0.9の直線になる。(『スティグリッツ入門経済学 第4版』、薮下史郎ほか訳、東洋経済、2012念4月5日 発行、)(クルーグマン『マクロ経済学』、大山道弘ほか訳、東洋経済、2009年4月2日発行、315ページ)

消費額をCとして、所得をYとすれば、つまり

C≒0.9Y

である。(クズネッツの消費関数) ※ 入門の範囲外

限界消費性向が0.9という事は、単純計算すると、所得が2倍になったら、消費支出はおよそ1.6倍(=0.8×2)になるという事である。

もちろん、正比例ではないので(つまり、所得が2倍になっても支出が2倍にならないので)、そういう意味では「金持ちはケチ」かもしれない。


また、クルーグマンは限界消費性向は0.597程度であると主張している。(『クルーグマン マクロ経済学』、大山道弘ほか訳、2009年4月2日発行、)


学者によって限界消費性向の数値が分かれているが、しかしスティグリッツにせよクルーグマンにせよ、どちらにせよ、限界消費性向の数値の大きさは、決して無視できない正の値をとっている。


(ケインズ型の)消費関数編集

上述のクズネッツの消費関数とは別に、もうひとつ、別の消費の関数が知られている。

さて、日本など、いくつかの国で、所得が増えるほど消費の割合が低くなるという現象が知られており、これもまた統計的に実証されている。

このような事実から、消費関数 consumption function は、次のような式であらわされる。

ケインズ型の消費関数とは、』次のような形の消費関数である。

c = a + MPC × Yd

ただし

c: 消費
a: 独立消費水準
MPC: 限界消費性向
Yd : 可処分所得

である。

なお、収入以上に消費はできないのが一般的なので MPC<1 である(MPCは1未満ということ)。


なお、式中のaのぶぶん、つまり、所得によらずにする消費のことを独立消費(antonomous consumption)というが、日本では基礎消費ともいう(※: 『基礎消費』の参考文献: 福田慎一・照山博司『マクロ経済学・入門 第5版』、有斐閣、2016年3月30日 第5版 第1刷 発行,32ページ)


(wikibooks追記:) ケインズ型の消費関数の式の形だけを見れば、仮にa=0 かつ MPC=0.9 とすればクズネッツの消費関数 C≒0.9Y と等しくなるが、しかし一般的に日本やいくつかの国で知られる、高所得者ほど消費が少なくなるという現象を説明したい場合にケインズ型の消費関数を使うので、あまりアメリカでも日本でも大学教科書では、ケインズ型の消費関数をクズネッツ型の消費関数に含めるような論理展開はしない。
しかし、数式だけを見れば、たしかに c = a + MPC × Yd の式でも、a=0とすればクズネッツ型の消費関数 C≒0.9Y も説明できるので、そこでいくつかのアメリカの大学教科書では、「ケインズ」や「クズネッツ」の名前はふせて、単に 「c = a + MPC × Yd」の式だけを紹介するような教育法もある。


中谷巌『マクロ経済学入門 <第2版>』(日本経済新聞社、2007年1月15日、2版1刷、32ページ)は、1992年から1997年の日本の消費関数を

C=76+0.61Y

としている。

また、限界消費性向ではなく平均消費性向 (消費額を所得で割ったもの。つまりC/Y )だが、有斐閣アルマ『マクロ経済学入門』(福田慎一・照山博司,38ページ)の2004年、2009年、2014年の日本では、低所得者の平均消費性向は0.9に近く、年収1250万円ていどの所得者の平均消費性向は0.6~0.7程度と低い。

このように2000年代、2010年代の日本ではケインズ型の消費関数がよく当てはまってる。


日本の多くの経済学者・経済評論家たちは、このクズネッツ型の消費関数と、ケインズ型の消費関数の、けっして無視できない差異の原因を、長期スケール(クズネッツ型)と短期スケール(ケインズ型)の差異が原因だと考えており、つまり

クズネッツ型の消費関数は長期的な消費関数に当てはまるものであり、
ケインズ型の消費関数は短期的な消費関数に当てはまるものであり、
前提にしている長期と短期のスケールの違いが差異の原因である、

と経済学者たちは考えている。


なお、クズネッツ型とケインズ型の差異の理由を考察した学説として、「ライフサイクル仮説」というのが知られており、標準的な大学レベルのマクロ経済学の教科書なら、よく説明されている。

だが、本単元では入門という正確のため、また、「ライフサイクル仮説」はその名の通りあくまで仮説であり、統計的事実でないかもしれない単なる学説なので、これ以上は説明に深入りしない。


  • 乗数効果


ところで、あなたが消費して支払ったカネは、あなた以外の誰か(仮にBさんとしよう)の収入になるわけだ。そのBさんもまた、消費して別の誰か(仮にCさん)に支払うわけだ。

Cさんもまた、別のDさんに支払うわけだ。

こうして、連鎖的に、消費は別の誰かの収入になるので、その別の誰かの消費を引き起こす。


で、このことを先の限界消費性向を結びつける。


単純計算のため、Aさんの年収を1000万円としよう。また、説明の単純化のため、Aさんの消費相手はBさんだけ、Bさんの消費相手はCさんだけ、Cさんの消費相手はDさんだけ、・・・・としよう。 すると、つまり、

Aさんは 1000万円 の収入を手にしたので MPC × 1000万円 の消費をすることになる。
Bさんは MPC ×1000万円 の収入を手にしたので MPC2 × 1000万円 の消費をすることになる。
Cさんは MPC2 ×1000万円 の収入を手にしたので MPC3 × 1000万円 の消費をすることになる。
Dさんは MPC3 ×1000万円 の収入を手にしたので MPC4 × 1000万円 の消費をすることになる。


まあ、実際の経済は、けっして、たった1人が消費相手なことはないが、しかし上述の計算のように、消費は別の消費を引き起こす。

よって、最初の収入額(例では1000万円)は、一国全体でみれば最終的に、

 

倍の消費になる。

これは等比数列の級数の和である。

そして、MPCは1未満であるので(収入以上には消費できないので1以下。収束させるため 1未満 とする。また国民全体が収入全額を使いきることは統計的に起きてない)、この等比数列は収束する。

そして、等比級数の和の公式より、この等比数列の合計値は

 

となる。


たとえば、消費性向が0.9なら、1-MPCは0.1なので、よって  は10になる。

この倍率のぶんだけ、なんらかの投資の効果どは増加する、と考えられている。


ところで、

1-MPC

は貯蓄性向である(正確には限界貯蓄性向)。

限界貯蓄性向は MPS であらわす。

なので、

 

でもある。


  • 貯金は損か?
信用創造
銀行  預金 支払い準備金 貸し付け金
A銀行  100万円  20万円 80万円 
B銀行  80万円  16万円   64万円
C銀行  64  12.8   51.2
D銀行  51.2  10.24   40.96
以下省略      
合計  500万円  100万円   400万円

ところで、アメリカ経済教科書では指摘されてないが、上述のように書くと貯金が一国にとって損なように思えるが、しかし実際は違い、家計の銀行への預貯金は銀行にとっての貸出資金の増加であり、その結果として金融市場に流れる資金量が増えて、別の銀行の資金量も増えるので、銀行が貸し出すので、右の表のように、消費せず銀行預金にしても、結果的に社会では、もとのカネの何倍ものカネが動くことになり、この銀行預金のメカニズムを「信用創造」という。(※ 日本では高校の『政治経済』で習う)。

※ ネットで経済評論をする大人のなかには、ときどき、(高校レベルの)信用創造を無視して、「消費性向を高めれば景気が良くなる」とかの論絶を主張する、アタマの悪い大人が日本には多い。まあ、タンス預金なら、一国にとっては損かもしれないが。


「貨幣の流通速度」とは編集

まず、統計的事実として、一国の貨幣量 M と、その国のGDPとは、まったく異なる値である。

この、GDPと貨幣量Mの比率として、GDPを貨幣で割った倍率を、貨幣の流通速度といい、記号はVであらわすことが多い。

つまり

貨幣の流通速度 V = GDP / M

である。Vの計算で使うGDPは、通常は名目GDPである。

(wikibooks の追記: )極端な例として、GDPがゼロだったら、「流通速度」もゼロになるので、「速度」という表現には納得するだろう。


(wikibooks追記: )なお、流通「速度」というが、しかし(物理学的な意味でいう)単位は[カネ/カネ]なので単位は無次元である。

(なので、名前こそ「速度」とはいうものの、)どちらかというと、期間内に貨幣の所有者の代わる頻度である。(マンキューも頻度であると説明している。)


ところで、名目GDPは、市場にある商品の価格に含まれる(製品1個あたりの)付加価値 Pとその個数の合計Yとの積 Σ PY に等しい。(wikibooks追記: 自動車の価格とポテトチップスの価格が違うように商品ごとに価格が違うので、厳密にはシグマ記号Σをつけるべきだろう。)

つまり、

MV = GDP = Σ PY

計算を単純にするため、付加価値を製品価格に比例するとして、同じPで表してしまおう。(※ この仮定は、経済学教科書ではとられれてない非標準な仮定だが、しかしこの仮定でないと、後述するインフレとの関係性を、厳密には導出できない。)

※ 菅原晃『使えるマクロ経済学』、中経出版、2014年10月14日 第1刷発行,203ページ、
では、『貨幣数量説』の公式として、
「供給: 貨幣量×世の中を回った回数 = 需要: 物価×取引量」

とある。なお、菅原氏は高校教員である。大学教員ではない。

※ 経済学者は、あまり数学が得意ではなく、たとえ数学的にオカシな計算法であっても、経済学教科書には掲載されてしまっているのである。しかし本wikibooksでは、数学的により正しい計算法に直して掲載する。


また、厳密ではないが、シグマ記号 Σ を省略して

MV = PY

と、経済学教科書では書かれる。(なお、この形の公式を「数量方程式」(quantity equation) という。また、この公式であらわされる学説を「貨幣数量説」という場合もある。)

右辺に価格が入っているので、物価のインフレまたはデフレの解析に、この貨幣の流通速度の理論が使えそうだと経済学では思われている(というか、むしろ当然の前提になっている。最初から MV = PY の式を紹介して、あとから 「P×Y は GDPに等しい」と説明するのが普通のアメリカ経済学の教科書のスタイル)。


(wikibooks追記: )日本では世間一般には「市場に供給する貨幣量を多くすれば、インフレになる」とよく説明されるが、じつはこの一般論はやや不正確である。

なぜなら、理論 MV = PY の帰結として、もし貨幣量 M を増大させても、「流通速度」Vが減少すれば、インフレにならない。(※ 文脈はやや違うが、マンキューも同じ結果の指摘をしている。)


(wikibooks追記: )循環論になるが、 PをGDPデフレーターとして、Yを実質GDPとして

MV = PY

という書き方が、アメリカに限らず大学の経済学教科書では普通である。(しかし、そもそも実質GDPの算出にGDPデフレーターが必要になるので、この解釈(PをGDPデフレーター、Yを実質GDPとする解釈)は循環論になるので、この解釈は論理学的には価値が無い。) なのでマンキューの主張(「もし貨幣量 M を増大させても、「流通速度」Vが減少すれば、インフレにならない」みたいな主張)は、論理的にはこの解釈からは導出できず、マンキューの主張には実は欠陥(「PをGDPデフレーターとして、Yを実質GDPとする」という経済学教育の常識的説明は、じつは不正確な説明だと主張できないヘタレっぷりという欠陥)がある。

しかし、ヘタレと言っても、マンキューはまだしもインフレとの関係を考察しているだけ、勇気があり、立派である。

クルーグマン『マクロ経済学』での貨幣流通速度の説明に至っては、インフレとの関連の説明を避け、単に

 

の式から見れば分かるだけの、  は実質GDP(Y)に比例するとかの、単に式を言い換えただけの説明をしているだけである。

マンキューは偉い。なお、マンキューは比喩としてだが、GDPデフレーターなどの価格水準Pを価格にたとえる説明を、貨幣流通速度よりも前の単元でしている(※ 『マンキュー入門経済学 [第2版]』、東洋経済、424ページ)。)アイスクリームの価格をPとしてマンキューは比喩をしている。

※ マンキューの比喩のほうが本来の正確な式であろう。マンキューや中経出版の菅原氏のような解釈のほうが合理的である。本来なら価格とすべきところをGDPデフレーターに置き換えている既存の経済教科書のほうが、数学的には循環論でありマチガイである。
なお、マンキューや菅原氏じたいは、貨幣数量説の従来解釈を批判していない。なので、批判の責任は彼らに無い。
従来解釈への批判は、wikibooks独自の批判である。
(※ wikibooks追記: ) 「物価はおおむねGDPに比例するだろう」という前提と、「一国内の商業での取引量はおおむねインフレ率に比例するだろう」という前提のもと、大学経済学のような式が出てくる。
性格には等号(=)ではなく比例記号(∝)に置き換えられるべきだが。つまり
MV ∝ PY
のほうが数学的にも実態の経済的にも厳密である。
たしかに、20世紀後半では、アメリカや英仏などの西側(資本主義陣営の)ヨーロッパ諸国、日本などの経済の歴史をふりかえれば、それを当時の南半球国家や中国など(当時の)発展途上国と比べれば、先進工業国は物価は高いしGDPも高くほぼ比例的でり、発展途上国は物価も低ければGDPも低かったのでやはり比例的であった、というような傾向があった。
また、一般的に経済活動が活発なときはインフレになりやすいという経験則が言われているので、取引量はおおむねインフレに比例的であるとする仮定も、妥当性があるだろう。

なお、教科書・文献によっては、PのほうをGDPデフレーターにして、YのほうをGDPにする文献も場合もある。だが、本書wikibooksで上述したように、そのような差異は本質的ではない、

数学的かつ経済学的にも重要なことは、まずインフレとかそういう事は一切無視して単に

MV = 物価×取引量 ∝ 名目GDP

という関係式を得ることと、次にインフレを考慮することで貨幣数量説の公式に「物価∝実質GDP」および「取引量∝インフレ率」の関係を代入して

MV = 物価×取引量 ∝ 実質GDP × インフレ率

という関係式とを得て、それを経済モデルに合うように連立させることである。


派生敵な、いくつかの学説編集

マーシャルのk編集

※ アメリカの大学の入門経済学では書かれない場合が多いが、関連が深いので紹介だけ。

貨幣数量説の公式

 

は、式変形すれば、

 

となる。

さて、

 

と マーシャル(人名)という学者が置いた。

また、どこかの経済学者が

 

という説を提唱した(ケンブリッジ方程式)。

統計的には k は定数ではない。(※ 参考文献: 中谷巌『入門マクロ経済学 第5版』、日本評論社、2007年3月30日 第5版 第1刷 発行、192ページ)

たとえば中谷は参考文献『入門マクロ経済学 第5版』で、日本では1970年代はマーシャルのkが 0.7 程度だったが、しだいに増加していき、2004年には k は 1.4 程度であるとグラフで図示している。


※ 福田慎一・照山博司『マクロ経済学・入門』(、有斐閣、2016年3月30日 第5版 第1刷 発行、141ページ)では、文中に「右辺の定数k」とある。しかし、中谷の文献で紹介されるように、統計的にはkは定数ではない。数学的にはkは、「右辺の係数」である。

ちなみに、マーシャルのk の性質として、その定義式 k=1/V のとおり、貨幣の交換が少なくなるほど、kが増大する。


なので、いわゆる「デフレ経済」と言われる日本の1990年以降の時代(平成初期の不動産バブル崩壊の以降の時代)でマーシャルのkが増加するのは常識と一致するのだが、しかし中谷の文献のグラフを見ると、1970年代も1980年代でもマーシャルのkは増加傾向であるのが、グラフから読み取れる。(しかし中谷は、不動産バブル崩壊以前のマーシャルのkの増大には注意を払ってない。)


ところで PY(=MV) は名目GDPでもあった。 また、貨幣量 M は、その国の貨幣の発行当局(中央銀行など)がおおむね管理できる。

なので、

M = k 名目GDP

のような式が成り立つハズである。(※ 参考文献: 菅原晃『使えるマクロ経済学』、中経出版、2014年10月14日 第1刷発行,203ページ。 この文献では「貨幣量=GDP」という図とともに「k%ルールが有効!」という文言が図中にある。 )


このkを、経済政策の目安にするのが良いだろうという学説があるらしく、フリードマンがそのような学説を提唱したらしい(※ 菅原の文献を読んだ限り、そういう印象を受けた。)。


インフレは好ましいかどうかのお話編集

経験的に、経済政策などの分野では、インフレ率2~4%ていどの緩やかなインフレを目指すことが、多くの国で行われている。


クルーグマンが報告するには、たとえばアメリカのFRBは方針こそ断言してないが、その実行結果から2~3%ていどのインフレ率をFRBは好んでいると、クルーグマン『マクロ経済学』(2009年版、472ページ)で述べている。また、イングランド銀行はインフレ率を2.5%とすると明示的に公表していると、クルーグマンは同著の同ページで述べている。

また、スティグリッツは、もし政府がインフレを嫌ってデフレを誘導すると、一時的には失業率が増加する、と述べている(『スティグリッツ入門経済学 第4版』東洋経済、432ページ)。

しかし、この好ましいとされるインフレ率の証明については、現状では経済原理からは証明されていない。少なくとも、『クルーグマン マクロ経済学』や『スティグリッツ入門経済学』を読んでも、そのインフレ率2~3%程度が好ましいという論の証明は全く見当たらない。

スティグリッツは、循環的失業の増加は低インフレをもたらし、循環的失業の増加は高インフレをもたらす、と述べているが、しかし彼以外のクルーグマンもマンキューも、スティグリッツのような主張は(調べたかぎりでは)していないようである。


「ケインズ政策」のアレコレ編集

よく、アメリカの1940年代のニューディール政策の経済学的根拠として、それまでのアダム=スミス的な古典派経済学では説明が困難なので、1930年代のケインズの新理論をニューディール政策の根拠として挙げる例が多かった。

しかし近年の研究の結果、実はニューディール政策よりも前に、1930年代の日本の高橋是清・蔵相の不況対策で、似たような不況対策のための積極的な財政政策がとられていることが、しだいに分かってきた。[3]

また、2008~2009年ごろのリーマンショックやサブプライムショックなどの対策としても、銀行の救済や公共事業などによる積極財政や金融政策がとられた。

このような、不況対策や経済発展などのために政府が積極的に公共事業や融資や民間への資金援助などを行う政策を一般に「ケインズ政策」といい、また、そのような積極財政が不況対策に効果的だと信じる経済思想のことを一般に「ケインズ主義」という。


リーマンショック対策でケインズ政策がひとます成功したので、近年ではケインズ政策が不況対策として有効だと、多くの経済評論家に指示されている。


しかし、もしケインズ政策が正しいとしても、そのことと「ケインズ経済学」といわれるものは、別である。


ケインズは、利子の理論なども考えている。ケインズ政策が有効だという統計があるとしても、それはケインズの利子の理論が有効だという統計にはならない。

この、ケインズの利子の理論などと、そのケインズの理論を彼のニューディール政策的な経済思想と結びつけたのが「ケインズ経済学」である。


高橋是清の業績が知れ渡っていなかったころは、ケインズの利子の理論などが正しいとも思われており、なので経済学生からケインズがのちのニューディール的な政策の価値を予言できたのも、彼の利子の理論が正しいからだろうとナイーブに思われていた。

しかし、高橋是清というモデルがあるとすると、話は別であろう。

リーマンショックで有効性が実証されたのは、あくまで「ケインズ政策」だけである。

なので、もしケインズの利子の理論を学ぶときは、リスクを覚悟して自己責任で学ぼう。


さて、ケインズ政策を実行すると、その国は一般に財政が悪化する。具体的には、国債を増発するようになる。

実際、第二次大戦後のアメリカ合衆国はそうなった。

なので、歴史的には、ケインズ政策の実行による借金体質の問題点をなくすために、ケインズ政策に代わる新しい経済思想がアメリカやイギリスで必要になり、1980年代にはレーガン大統領のレーガノミクスやサッチャー首相のサッチャリズムのような「新自由主義」(ニュー・リベラリズム)などが必要とされたという背景がある。

  1. ^ 福田慎一・照山博司『マクロ経済学・入門』、有斐閣、2016年3月30日 第5版 第1刷、299ページ
  2. ^ 福田慎一・照山博司『マクロ経済学・入門』、有斐閣、2016年3月30日 第5版 第1刷、302ページ
  3. ^ 福田慎一・照山博司『マクロ経済学・入門』、有斐閣、2016年3月30日 第5版 第1刷、194ページ