聖書ヘブライ語入門/音節構造・アクセント・シェワー/ケレとケティブ
3. 10 ケレとケティブ
上述(2.2)のように,マソラ学者は,伝承された子音本文に母音記号を付けることによって,自分たちの読み=解釈を示す結果になったのであるが,自分たちの読みと本文そのものが矛盾する箇所についても,本文を直接改変することをせず,その読みを欄外注に書き留める,という手段をとった.
そのような箇所について,伝承の本文をケティブ כְּתִיב (アラム語で「書かれた」の意)といい,マソラの読みをケレ קְרֵי (アラム語で「読まれた」の意)という. われわれのヘブライ語聖書(BHK, BHS)では,欄外注の קֹ ( קרי の略)の上の子音表示と,ケティブ本文(他のマソラ注の付いた語と同じく,上に ֯ が書かれている)に付けられた母音とを組み合わせることによって,ケレの読みが得られる. ケティブの母音は推定するほかない. たとえば創世記334の後半は וַיִּפּׂל עַל־צַוָּא֯רָו וַיִּשָּׁקֵהוּ וַיִּבְכּוּ となっており,その欄外の קֹ の上に צואריו とあるから,ケレは צַוָּארׇיו ,ケティブのままに読むと צַוָּארוֹ となる.ついでながら,ここで次の語には וַֹיִֹשָֹּׁקֵֹהֹוֹּ と,各文字の上に点が打ってある.これもマソラの改変符号の一つで,この語を削除して読むべきことを示す.反対に,ある語を補って読むべき場合は,その箇所にその語の母音符号だけを書き,子音は欄外にかいて קְרֵי וְלאׁ כְתִיב 「書かれていないが,こう読まれる」と注記している. 例えば士師記2013の本文に וְלאׁ אׇבוְֵּ ְ ֵ בִּנְיָמִן とあり,その欄外に בני קר֗ ולא כת֗ ( קר֗ は קרי 、 כת֗ は כתיב の略) とあるから, בְנֵי という語を補って読むのである.
煩雑に現れるケレは一々欄外に注記せず,その母音をケティブにつけるにとどめ,読まれるべき子音は読者の記憶に委ねられている.これを「永久ケレ」(qere perpetuum) という.例えばモーセ五書では,三人称単数の自立人称代名詞が,数例の他は, הוא と書かれているので,これを女性系 הִיא と読むべき場合は,なんの注記もなしに הִוא とされている.ケティブのままに読めば הוּא である.同じく五書に出てくる נַעֲרָ は,ケティブだと נַעַר 《naˁar 若い男》であるが,これを נַעֲרָה 《naˁarā 若い女》と読み換えるべきことを示す.また יְרוּשָׁלִַם (最後のヒーレクはלの下にパタハと共に並んでいる)は,ケティブはおそらく יְרוּשָׁלֵם yərūšālēm であるが,ケレは יְרוּשָׁלַיִם《yərūšālayim エルサレム》 である.
「永久ケレ」の最も頻繁かつ重要な例は神名 יהוה の場合である. この語のケティブが יַהְוֶה yahwe(h) だという推定は,出エジプト記314の אֶהְיֶה אֲשֶׁר אֶהְיֶה 'ehye 'ašer 'ehye などからして,ほぼたしかである. しかしユダヤ教徒は伝統的に אֲדׂנָי 'adōnāy と読む.この母音と子音 יהוה を組み合わせた יְהוָֹה (複合シェワーは喉音以外では単純シェワーになる.3.5参照) からエホバという,本来なら絶対にあり得ない神名が生じたのである. われわれのテクストでは יְהוָה と表記されており,これは שְׁמָא (šəmāアラム語で《御名》)と読まれたことを示唆するといわれるが, אֲדׂנָי 《主》の直後では יְהוִה となっており(例えばイザ2816) これは אֲדׂנָי אֲדׂנָי と同語を反復するのをさけて אֲדׂנָי אֱלהִׁים 'adōnāy 'elōhīm と読ませるためである.またその際期待される יְהוִֹה のホーレム( ֹ ) が書かれていないことから, יְהוָה という表記も יְהוׇֹה のホーレムを省略したものと理解される. こうすることによって,神名の「みだりに唱うべからざる」神聖さを一層徹底させたのであろう. 死海写本ではこの神名に限って古ヘブライ文字(=所謂フェニキア文字)で と書かれているのである.[[1]]